80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

日々、最後の一日として

2018年12月01日 17時44分23秒 | 考える
日々、最後の一日として生きていく。

とは言うものの、今日一日どう生きていくのか?
その覚悟が出来ぬまま、朝を始めてしまう。
昼、ただ成り行きにまかせて、呆然と時を過ごす。
夕、何の収穫もないまま、うつむき加減に家に戻ってくる。
こんな毎日が良いとは、とても思えない。

もっとも、それはまた、それでいいのかもしれない。
ともかく、何かを求め、何かを続けていく、それこそが人生を
充実させていく唯一の方法なのかも知れない。


が、また思う。
この歳で、何を今さら、あくせくバタバタするのだ。
やり残したことが多すぎるのは、百も承知だが、では、今現在、
何をする・・・?と問われても、さっぱり答えが出てこない。
今さら何かを始めたところで、それが完成するとは思えない。

「それと一言・・・。
 最近、私が呆けてきたなどと、失礼な事を言う人がいます。
 本当に失礼だと思います。
 自慢ではありませんが、私はもともと呆けているのです。」


退職の挨拶の一部だが、文章にして胸ポケットに入れていたに
もかかわらず、結局、出席してくれた大勢の同僚、先輩、上司
を前にして、舞い上がってしまって、全く読めなかった。

結局、「長い間、本当にありがとうございました。」とだけで
終わってしまった。

時折、ふと思い出しては、うつむく。

思えば、やはり、当時から呆けていたのだろう。
今なお、それが心残りだ。
今日が最後の一日だとするなら、やはり、あの時間が悔やまれ
るだろう。

思ったことは、やり遂げてから、幕を引きたいものだ。

てもまあ、結局は、迷い、迷い、迷い続けて、何も為し終わら
すに、終わってしまうような気はしている。