音楽
2007-01-04 | 音楽
音楽を全く聴かない時期があった。
音楽は人の心に物凄い反応を引き起こす。それはある種のカタルシスであったり、優しさであり哀しみであり、もどかしい切なさであったり・・・。
当時、僕はそんな音楽たちに心をかきまわされるのに嫌気がさした。
もちろん音楽は僕にとって大切な何かだ。
でも、寒い日の夜に、僕はロウソクに灯を灯し、ウィスキーを舐めながら部屋の明かりを落としてロウソクの灯を眺め続けた。そこに音は必要なかった。
静かな静けさ。
奇妙にも、音のない世界がこころを癒した。
そういゆう時期だったのだろう。
僕は眠りにつく時、いつも音楽を流している。
けれども、完全な静けさが必要な時もある。僕はスピリチュアルなものを求め、音のない世界を欲した。
学校がカトリックのミッションスクールだったので、礼拝やミサがあった。
そして必ず、そこには神さまを崇める音楽があり、音楽で祈りを昇華させようとする。でも、誰もいない礼拝堂で僕はぼーっとするのが好きだった。
祈りの形や捧げる音楽がかえって僕の心の邪魔をした。
中世、音楽が庶民の暮らしに唯一結びついたのが神を賛美する音楽だった。
教会や聖職者はそのことをよく理解していた。音楽の効果を最大限利用した。音楽はある種の道具としてその存在の意義を見出した。
僕の祈りの邪魔をするのも、祈りに意味をもたらすものも音楽だった。
お寺で座禅を組んだとき、その静けさは意味を持っていた。
静けさという音楽。
まるで、ジョン・ケージだ。
静けさが好きだ。
「天国でバッハが流れるのは想像できないが、モーツアルトなら流れていそうだな。」
誰かがそういった。
僕の夢
ヴォーカル、ジャニス・ジョップリン。
ギター、 ジミ・ヘンドリックス。
ベース、 ジャコ・パストリアス
ドラムス、 ジョン・ボーナム。
聴いてみたい。
なんて贅沢な・・・。
もし彼らのセッションが聴けるなら。
あっち側もわるくないね。
酔っ払いの戯言。
音楽は人の心に物凄い反応を引き起こす。それはある種のカタルシスであったり、優しさであり哀しみであり、もどかしい切なさであったり・・・。
当時、僕はそんな音楽たちに心をかきまわされるのに嫌気がさした。
もちろん音楽は僕にとって大切な何かだ。
でも、寒い日の夜に、僕はロウソクに灯を灯し、ウィスキーを舐めながら部屋の明かりを落としてロウソクの灯を眺め続けた。そこに音は必要なかった。
静かな静けさ。
奇妙にも、音のない世界がこころを癒した。
そういゆう時期だったのだろう。
僕は眠りにつく時、いつも音楽を流している。
けれども、完全な静けさが必要な時もある。僕はスピリチュアルなものを求め、音のない世界を欲した。
学校がカトリックのミッションスクールだったので、礼拝やミサがあった。
そして必ず、そこには神さまを崇める音楽があり、音楽で祈りを昇華させようとする。でも、誰もいない礼拝堂で僕はぼーっとするのが好きだった。
祈りの形や捧げる音楽がかえって僕の心の邪魔をした。
中世、音楽が庶民の暮らしに唯一結びついたのが神を賛美する音楽だった。
教会や聖職者はそのことをよく理解していた。音楽の効果を最大限利用した。音楽はある種の道具としてその存在の意義を見出した。
僕の祈りの邪魔をするのも、祈りに意味をもたらすものも音楽だった。
お寺で座禅を組んだとき、その静けさは意味を持っていた。
静けさという音楽。
まるで、ジョン・ケージだ。
静けさが好きだ。
「天国でバッハが流れるのは想像できないが、モーツアルトなら流れていそうだな。」
誰かがそういった。
僕の夢
ヴォーカル、ジャニス・ジョップリン。
ギター、 ジミ・ヘンドリックス。
ベース、 ジャコ・パストリアス
ドラムス、 ジョン・ボーナム。
聴いてみたい。
なんて贅沢な・・・。
もし彼らのセッションが聴けるなら。
あっち側もわるくないね。
酔っ払いの戯言。