言葉
2007-07-02 | 日記
世界は悪意に満ちているのだろうか?
80年代、偏差値主義の学校教育の波のなかで僕らは激しくもがいた。
競争原理が横行し、いわれのない暴力が罪のない少年達をあざ笑った。テレビのブラウン管の向こう側で、知らない国の知らない暴力が語られる。ごはんを食べるまも惜しんでなぜか自慢の英単語集を憶えるのに時間を費やし、大切ななにかを無駄にしてきたのかも知れない。
もちろんそんなことは明らかに間違えているし、だいいちちっともたのしくない。
でも、「NO」とはいえなかった。
そして思った。
世界は悪意に満ちているのだろうか?
僕は授業時間にこっそり隠れて物語や詩を読んだ。
物語に映し出された世界は、とてもたいせつな優しい世界だった、僕はでもそれが現実からの逃避のように思えて、いつだって後ろめたい気持ちを持ちつずけた。
今、思う。
世界は単一ではないし、いろんな見方ができる多面体のようなものだ、と。
「一粒の砂に世界を観る
一輪の野花に天界を眺める
汝のてに無限を握れ
そして一刻のなかに久遠を」
W・ブレイクの詩の一節。
あるとき、その言葉を目にして僕は救われたように思う。
最近、よく酒を飲む。
嫌なことから目をそらせたいのだ。昔とおなじように。でもこの言葉をふいに思い出す。そして世界がつらく思えるのは自分の見方が偏りすぎている、そんな風に思う。
「あんまり考えてばかりじゃだめだよ。」
そのとうりだ。
言葉ひとつで救われるときもある。
たのしいことをしていこう、こころが喜ぶこと。呼吸と空の青さに感謝しよう。
考えてばかりじゃだめだね。
みんながしあわせでありますように。