柴犬多頭飼い コクマチャどん

コロクロ日記で07年に開設したブログ。15年から『コクマチャ日記』、さらに24年から『コクマチャどん』になりました。

ペットと暮らすということ

2009-06-11 08:36:31 | 介護
ランに行った日の午後、母の所に行った。私は家が近いので週に1~2回、父は週1で、電車を乗り継ぎ母に会いにやってくる。今の施設に変わってから、もう4ヶ月ほどになるが、急激に進行が進んでいる。室内では歩いていたのに車いすになり、自分で食事をしていたのに、食べさせてもらうだけでなく粉砕食になった。また、昼間のほとんどの時間を寝て過ごすようになった。(この日、ケアマネさんから要介護4から5になったとお聞きした)初めの頃は、散歩がてらクロを連れて行くと、背中を撫でたりしていたこともあったが、今はクロを触れさせても全く反応がない。


なので、母のためにクロを散歩で連れて行くことはしなくなったが、今度は父のために、ちょっと前から車でコロも一緒に連れて行くことにしている。父は昔から、大の犬好きなのだ。(コロは相変わらず、ここでもちょっとした音にビクビクしているが


去年の秋、突然愛犬ジュリーを病気で亡くしてから、父は長いこと涙する日が続いていた。一人暮らしをしている父には、なくてはならない存在だったジュリーだっただけに、あまりにもショックは大きかった。私は、父に新しく子犬を迎えるよう言い続けていた。


父は自分が高齢だから、この先いつ入院することになるかわからないし、犬を迎えても最後までみてやれないから無理だと言った。が、そういう場合は、うちで引き取るということを伝えると、もし逆に自分が長生きしても、また愛犬の死と直面することになったら、それももう耐えられないと言う。


犬が無理なら、小鳥やハムスターは?と聞くと、やはり高齢になってから大事な家族(ペット)の死と向かい合うのは、飼っていないという淋しさよりも辛いからもう何も飼わないと言う。


父がこんな大笑いをするような姿は、ほとんど見ることがない。コロたちとふれあってるときの父を見ていると、大好きな犬と、もう一度一緒に暮らすことができたら、毎日の生活に張りもでるだろうし、話し相手もできるし、どんなに楽しい日々になるだろうと思う。が、やっぱりそれは私の勝手な思いこみなんだろうか。


高齢になって動物を飼うと言うことは、万が一自分に何かあったとき、他に面倒を見てくれる誰かを確約できていたとしても、逆にそのペットの死と直面する恐怖が若い人以上にあるのかもしれない。一人暮らしだから、なおさらその思いは強いのだろうか。こうやって、父が来るときにコロたちを会わせてあげることが一番なのかな。


ペットと暮らすということは、かけがえのない命と深く繋がっていることなんだと、あらためて思った。ペットと言っても、一緒に暮らしている家族の一員なのだから。
コメント (30)