皆様、一足早く花まる日記は再開しましたが、こちらの日記ではお久しぶりです。 前回の日記で、「ちょっとバタバタしていて」ということを書きましたが、それは義父とは関係ないことでした。 が、そのあと、突然義父が亡くなり、その直後から数日は悲しむ間もないほど忙しくしてました。
万歩計をつけながら午前中、毎日歩きに行っていた義父。 高齢で足も弱くなって杖をつきながらでしたが、歩かないとますます足が弱くなると言って出かけていました。 歩いている途中に体調が悪くなって何度も迎えに行ったこともあり、家族が無理しないようにと言ていったのですが、毎日バスと電車を乗り継ぎ、町に出てデパートの中を歩いたり、大好きな本屋さんに立ち寄ることが義父の楽しみでもあり、それが日課となっていました。
去年の10月初め、いつものように散歩から帰った後、ソファーに座り込んで動けなくなり、かかりつけのお医者さんに連れて行くとそのまま入院。 そしてその後、少し遠かったのですが大きい病院に転院。 毎日様子を見に行っていましたが、比較的元気そうでした。 が、高齢者が長く入院していると、あれだけ毎日歩いていたのに、あっという間に足の機能は衰えました。 その後、頭はしっかりしていましたが足以外の体の機能も低下していきました。そしてまた転院。 年末には、一時、年賀状は出せなくなるかもという状態にもなりましたが、本人の気力でなのかまた元気になっていました。
その後、一進一退。 元気そうな日もあれば、そろそろ親戚に連絡した方がいいと言われる日があったり。 先生からは、いつ何があってもおかしくはないけれど、ずっと大丈夫かもしれないという診断だったので、コロたちを連れて遊びに行ったりもしていましたが、あまり遠くには出かけないようにしていました。
最近よく耳にする『延命治療』。 皆様はどうお感じになられるでしょうか。高齢化社会が進むと同時に、医療も進歩しています。親が高齢になり、入院し、口からものが食べられなくなってきた…、こうなった場合、家族がどうするのか決めるというのは、簡単なことではありません。 私の父からは、「最終的に入院することになった場合はこうしてほしい」ということを聞いています。が、義父は『長く生きる』ことを目標に無理をしてでも歩いていた人。そういう人に、元気なうちにこちらから「万が一の時はどうする?」なんてことはなかなか聞けないし、入院してしまったあとだと、それはそれで、また命に関わることなので聞きづらくなります。なので私は、家族には自分自身がそうなった時どうしたいかという希望を話してあります。いや、話すだけでなく、その場に直面したとき、家族の気持ちが揺らいだり迷ったりしないよう、ちゃんと書いておきたいとも思います。
入院中のことは詳しく書きません。 が、10ヶ月半の入院生活うちの後半は、正直かわいそうでした。 自由は奪われ、楽しみもなかったわけだし、退院見込みがないのに毎日のように点滴などの治療があって、なんのために痛い思いをさせるんだろうと…。寝てることが多かったけれど、起きてるときは手を握りかえしてきたり、声かけすれば頷いたり何か言おうとしたり、亡くなる当日もそんな感じだったので、そういうことができるからこその治療だったのでしょうか。治療をされている先生自身は、自分が同じ立場になったとき、そうしてほしいと望まれるのでしょうか。
自分の最期をどうしたいか、それには正解というものはなく、本人の考えそれぞれでいいと思います。が、その意志は元気なうちに家族に伝えておくことは大切なことだとつくづく感じました。 義父は長く、辛かったであろう入院生活を終え、先に待っていた義母の所にこれでやっと行けると思ったんじゃないかと思えます。
一昨年義父が短期間入院したとき、死ぬまでにやっておきたいことが3つあると言っていました。その中の2つは簡単なことだったので、退院後すぐに願いを叶えることができました。 残りの1つの旅行というのは体力のこともあり、なかなか実現させてあげられなかったのですが、去年の7月の終わりに、義父の行きたがっていた能登に行きました。 暑い時期でもあったし迷いましたが、思い切ってこのときに行っておいて良かったなぁと今になってつくづく思います。この約2か月後には入院してしまった訳なので。
今はまだ、いろんな手続きなどやることがいっぱいです。 何度も役所に通ったり、決めなければならないことがあったり、七日ごとのお参りがあったり、お客様がおみえになったりなので、なかなか落ち着かず、皆様の所にもコメントを残せません。 そして、もうしばらくコロクロ日記はお休みし、簡単【花まる日記】だけの更新となります。 私は元気なのでご心配なく。