施設の部屋には元々タンスはあるのだが、マンションからもタンス1つと小さな家具などを持って行くことになった。今までにも少しずついろいろなものを持って行っていたのだが、昨日、引っ越し屋さんに家具を運んでいただいたことで、父も少しほっとしたようだ。まだまだ片付け途中ではあるが、今日は生前整理をしていただく予定の業者さんに、処分する家財道具などの見積もりをしていただく。
今は、生前整理・遺品整理をしてくれる業者さんがあり、すべて綺麗に処分してくれるようだが、引き出しの中などにも必要な物と不要なものがあるので、父がすべてのものに一度は目を通すと言っている。個人情報の書かれている書類やアルバムや勤めていた頃の仕事関係のものは出せないし、数々の思い出の品や好きで集めていたガラス製品や陶器類などは、業者さんが運び出すのを見ると淋しくなるというので、結局それらは私がいったん自宅に持ち帰り、仕分けして処分することになった。
仕事関係の資料はすごい量。シュレッダーにかけるのも大変なので、生ゴミと一緒に少しずつ可燃ゴミに出すことに。また写真は今のようにデータ保存のできる時代ではなかのでアルバムは何十冊もある。しかもポケットアルバムだけではなく、昔の分厚い表紙の重いアルバムが多い。何回にも分けて可燃ゴミ処分。陶器類はリサイクルに出したり、ガラス類はリサイクルに出せないので不燃ゴミへ。高価だと思われる物は、とりあえず段ボールにいれ物置へ。次から次へと持ち帰る物があり、臨時の荷物置き場になっている我が家の仏間は今、大変なことになっている。(仏間しかあいている部屋がないので)
朝、父を施設に迎えに行ってマンションに行き、夕方までマンションにいるので時間はたっぷりありそうなのだが、今年90になる父は、立ち上がるときも支えなければいけない状態で、とてもゆっくりとしか動くとができない。また、時々休憩をしないと疲れてしまうので、マンションにいる時間は長くても、実質片付けている時間はそれほどない。父が動けないから、私がさっさとやってしまおうとすると、せかされているようだからあまり動き回らないでほしいというので、片付けの効率がものすごく悪いのだ。本人以外にとってはなんでもないと思えるようなものでも、本人にとっては思い出のあるものがたくさんあるので、娘だからといってなかなか勝手に処分していくこともできない。かといって、あれもこれも持って行けないので、父がそれぞれの思い出の品との別れを決心するのを待ち、片付けをしながら思い出話を聞くことも私の仕事と思い、日々を過ごしている。
つづく