都立調布養護学校でボランティア講座「共にいけようフラワーアレンジメント」が始まって5年目になる。
5年前は、5分として座っていられなかったM子さん。
勿論お花の生け方など眼中に無く、自分の興味のある言葉(お尻、キッス等)に反応して、繰り返し大きな声で話していた。直ぐにそれにも飽きるとトイレに、と言う状態だった。M子さんを良く知っている教職員のK先生が、上手に対応してくださり何とか参加できていた。
ボランティア講座と言っても、初めて障害者と接する人がほとんどでした。どう、M子さんに接して良いか解らず、先生にお任せだった。
そのM子さんが、今年は他の参加者と一緒に、自分でお花を切り分け、自由に生けるのです。奇声や、大声を上げる事も無く、落ち着いて自分のお花に集中しています。
始めは知的障害の方に、お花は無理かしらと言う声もあった。
しかし、予想を遥に覆し、感性豊かなお花を生けれれるようになった。
ある意味で、お花は非常にアバウトな感性の世界なので、障害者であろうが、無かろうが関係ない。
むしろ何の屈託も無く、心の趣くままに生けるお花が、ハットするほど、新鮮で素敵だ。
こんな、ハットする喜びや、発見が私をボランティア活動に向かわせている。
お花の持つパワーも魅力。お花そのものが美しいし、香りが心を癒してくれるし、何かお花をいじっていると、五感が刺激されてどんどん自分がやさしくなれる。左脳ばかり酷使している現代人には、お花を生けることで右脳を使うことが良いらしい。
どんな生け方をしても良いの。正解は一つじゃないから。
一輪挿しに挿す位しか 考えがないですが
「お花」って聞くだけで
「もう ダメ!」って思っていました
けど
先生が言うんだから
自分の感性 心のままでイイんですね
もう少し 落ち着きとゆとりを持たねばと
思うのですが センスが無いなからな~私
お花は誰にでも生けられます。草月流の良いところは、あまり型にとらわれないで、「何時でも、何処でも、誰にでも生けられる」と言うことを目指しているところです。
comugiさん大丈夫よ。センスは誰にでもあるんでから。
お花のお稽古を通して、自分のセンスに磨きをかける。或いは、新しい自分の発見ができるように。それが私のお稽古で気をつけているところです。
空き瓶に、気に入った野の花一輪を、心を込めて生けてあげてください。
ちょっと回りの空間が違って見えますよ。
お花と共に過ごされる、素晴らしいお仕事。障害を持つ人への優しい眼差しに感動しています。
これからも拝読させて頂きます。
今年、夜桜を見ていた時、ふとこの西行法師が詠んだ詩を、思い出していました。
テラスにお邪魔して、この詩を見つけて何故か親近感を勝手に持ってしまいました。
写真も素敵ですが、文章にも惹かれています。又お邪魔させてください。