新日本婦人の会 えひめblog

えひめの地でがんばっております。女性目線の要求運動、要求小組(サークル)など日々の出来事を綴ります。

アーサー・ビナードさんの伊方原発訴訟口頭弁論陳述④

2014-05-15 11:50:56 | 原発問題

 安倍総理大臣が去年「under control」と言ったのは、隠蔽する日本語のトリックによって「世論がコントロール下にある」という意味だったのかと疑いたくなります。

 「汚染水」をボトリングして販売する必要はありません。「汚染水」という日本語が流布するだけで、コマーシャルは大成功です。要するに、みんなが「水」の問題だと勘違いしていれば、ごまかすことができます。

 放射能のホの字、被曝のヒの字、ストロンチウムのスの字も表面に現れない「汚染水」のネーミングは、ミネラルウォーターの宣伝技術を転用した離れ業と言えます、キャンペーン開始から一気に広まり、正式名称として使われ、「汚染水」を言い換えることは、もう無理なのでしょうか。

 いや、実態とつながるまともな呼び名を使わなければ、日本語という言語は劣化します。劣化した日本語に惑わされて、私たちの思考も鈍り、下手をすれば伊方原発の再稼働を許してしまう可能性があります。再稼働を許したら、遅かれ早かれ、メルトダウンが起こるべくして起こるかもしれません。伊方原発3号機がメルトダウンをきたしてしまったら、福島第一原発の3号機と同様に、おびただしい放射性物質を海に垂らすかもしれません。

 そうなった場合は、「汚染水」と呼んでごまかすことは不可能です。なぜなら、世界一広い太平洋だからこそ、核分裂片がいくらか拡散されて薄まり、その結果いまのところ危機的状況を隠蔽できているのです。でも瀬戸内海という「うちうみ」に同じものを漏らしたら影響が如実に現れます。

 この日本列島で繰り広げられている現象を、太平洋の生き物の身になって日本語で正しく名づければ「海ころし」となるのです。「汚染水」ではありません。福島の浜通りで、いまこの瞬間も残酷な「海ころし」が続いています。それを見て見ぬふりをして、伊方原発の再稼働を認めたら、私たちは瀬戸内海を殺す犯人になりかねません。3月11日に、愛媛の「うちうみ」のほとりに立てば、選ぶべき道は見えるはずです。

(愛媛民報 2014.5.4付)


アーサー・ビナードさんの伊方原発訴訟口頭弁論陳述③

2014-05-15 11:31:38 | 原発問題

 テレビでこれまで何回も大々的に取り上げられ、新聞でもいったい何回1面のトップを飾ったことか。3文字の「汚染水」のみならず、派生語として「汚染水問題」「汚染水漏れ」「汚染水対策」「汚染水タンク」などなどと、全国にこの呼び名を浸透させるキャンペーンは、あれよあれよと知名度を高めていきました。

 日本の生活者の多くは、きっと「汚染水問題」をコマーシャルではなく、ニュースとしてとらえているでしょう。しかし冷静に見つめれば、広告代理店がひねり出した名称に違いありません。なにしろ本質を包み隠すように、最初から組み立てられているからです。

 科学的には、とても「汚染水」と呼べるような可愛い次元の問題ではなく、核分裂の「死の灰」が大量に流出する危機が続いています。半減期29年のストロンチウム90だの、半減期30年のセシウム137だの、半減期2万4000年のプルトニウムだの、人工的に作られた殺傷能力の高い放射性物質が、圧力容器と格納容器を溶かし環境に出て、無差別に生き物を蝕んでいます。

 処理も処分もできず、出口戦略すら描けていないのが現状です。風が吹けば飛ばされるし、雨が降ればいっしょに流れるし、おまけに、冷やしておかなければ再び爆発するおそれがあるので、絶えず水を注ぎ込まなければなりません。

 当然、溶け落ちた物質が地下水に触れて広がります。そんな深刻な人災を「汚染水」と軽く命名したのは、どうしてなのか?

 ストロンチウム、セシウム、プルトニウムをはじめとする危険きわまりない放射性物質は、大気中に出ても土に付着しても海に流れてしまっても、取り返しがつかないのです。その実態を矮小化して、ほんの一部だけ切り離し「汚染水問題」と名付けて、さも対処ができるみたいに「汚染水対策」を連呼することで、ごまかして時間を稼いでいる。

「炉心がぐちゃぐちゃに溶けて、圧力容器が無圧力のザルと化し、格納容器も穴だらけの茶こし容器になり、近寄ることもできない放射性物質がごっそり出ちゃって手の施しようがなく、このダダ漏れ状態は止められず、手詰まりだ。現場作業員の被曝線量を度外視しない限りは、ずるずるとごまかすのが関の山」と、もし政府が正直に認めた場合、原子力と核開発の利権構造は崩れてしまいかねません。

 原発海外輸出の商談はポシャるし、もちろん国内の再稼働、この愛媛の伊方原発の再稼働もできなくなります。ただでさえ回らない「核燃料サイクル」も、原子力規制委員会の「安全審査」も、噴飯ものと見抜かれてしまいます。(愛媛民報 2014.4.27付)


アーサー・ビナードさんの伊方原発訴訟口頭弁論陳述②

2014-05-15 10:10:43 | 原発問題

Image詩人、アーサー・ビナードさんが2014年3月11日に伊方原発訴訟の口頭弁論で意見陳述をしたものです(続き)。

(愛媛民報2014年4月20日付)

 この3年間、毎日欠かさず太平洋は大量の放射性物質を飲まされてきました。2014年3月11日のきょうも、松山地方裁判所で私たちが話している間も、流出はずっと継続中です。

 まったく終わりが見えないこの問題について、自分の日本語学習を振り返りながら、ここで考えてみたいと思います。

 私が来日した当初の日本では、「ミネラルウォーター」というカタカナ語は、ほとんど流通していませんでした。蛇口をひねれば飲める水が出るというので、日本の多くの生活者は当然、水道水を飲んでいました。

 ところが、水が売り物に作り変えられる流れが次第に大きくなり、私は違和感を覚えつつも、さまざまな新商品のネーミングを観察し、やがてその広告の法則を割り出すことができました。

 ゼロから組み立てられた日本語の技術ではありません。もともとベースにんる日本語の単語がいくつかあって、「水道水」とか「地下水」、「飲用水」、「伏流水」も命名のテクニックの出発点と言えるでしょう。古くから使われていたそれらの言葉を踏まえ、ボトリングして販売する水を、たとえば「自然水」と名付けてプロモーションします。

 または「天然水」と呼んでキャンペーンを張ります。もう少し交流館を醸し出そうとするなら「還元水」と命名してもいいし、もっと神秘的に消費をそそりたければ「深層水」という手もあります。H20の中身はたいして変わらないはずですが、細かく呼び分けることで売り上げを伸ばせます。

 その延長線上で、さらなる差別化をはかる戦略として、さまざまな地域のローカルカラーを前面に打ち出すようにもなりました。奥出雲へ行けば「龍神水」が店先に並び、屋久島へ渡れば「縄文水」が売られ、東京では「東京水」のコマーシャルが流れて、まさに枚挙にいとまがありません。

 数々の実例から、日本語のテクニックは浮かび上がってきます。まず魅力的な感じの2文字を選び、その尻に「水」の1字を付け足して「すい」と読ませます。頭の2文字によって「○○水」のイメージが作られ、スペシャルなウォーターとして受け止められるわけです。

 商品の「自然水」も「天然水」も「還元水」も「深層水」も、いつしか一般名詞に見えるくらい定着して、私は日本語の水マーケティングはそろそろ飽和状態だなと思っていました。けれど2011年3月11日のあと、「○○水」はこの定型はより一層巧妙に利用され、うんと手の込んだイメージ戦略への深化しました。現在、一番効果をもたらしているのは、まぎれもなく「汚染水」というネーミング。


アーサー・ビナードさんの伊方原発訴訟口頭弁論陳述①

2014-05-15 08:56:33 | 原発問題

Img_3628 去年、今治の母親大会の記念講演をしてくださった詩人アーサー・ビナードさんが、2014年3月11日にされた伊方原発訴訟口頭弁論意見陳述の内容です(愛媛民報2014年4月13日付)。

*********************************************************

 この3月11日という日に、伊方原発運転差し止め訴訟の原告の一人として、意見陳述をいたします。

 私は1967年にアメリカ合衆国のミシガン州に生まれました。海と見まがうほど大きな五大湖で泳いだり魚釣りをしたり、水のありがたさを忘れるくらい水資源に恵まれた環境で暮らしていました。

しかし、中学生になって、私は故郷ミシガンの豊かな水がいかに危うい存在かを知りました。実は自分が生まれる少し前の1966年に、エリー湖のほとりに建っていたエリンコ・フェルミ原子力発電所が大事故を起こして、原子炉が破損しました。

 ただ、ぎりぎりのところで爆発を逃免れて、核物質の大部分は炉の中にとどまりましたので、エリー湖は放射能のスープにならずに済みました。奇跡が起こったといっても過言ではありません。

 高校生のころから私は英語で詩のようなものものを書き始め、大学に進んで英米文学を学びました。卒業論文をまとめる際、ひょんなことで日本語に出合い、魅了されて1990年に来日しました。

 東京の日本語学校に入り、勉学にいそしみ、そのうち日本語でも詩を書き出して、絵本の創作も手がけるようになりました。そして2002年の春、再び故郷の湖を、危うく失うところでした。

 エリー湖のほとりに建つもう一つの原発、デービス・ベッセ原子力発電所が、制御不能に陥る一歩手前で止められ、奇跡的にメルトダウンが回避されました。圧力容器の異常に作業員がたまたま気づいて制御棒が入り、そのおかげで故郷は強制避難区域ならずに、今も私は防護服なしでも帰ることができます。

 2007年の夏には、新潟県で大地震が発生して、柏崎刈羽原子力発電所が事故を起こしました。けれど、原子炉の冷却が綱渡り状態で続けられ、最悪の事態を免れました。メルトダウンをきたさなかったのは、まさに奇跡でした。

 2011年3月のきょう、太平洋の底で巨大地震が起こり、岩手県、宮城県、福島県の沿岸部を中心に、たくさんの人が津波にのみ込まれ、計り知れない命が失われました。

 そしてそのとき、福島第一原子力発電所では、奇跡は起こりませんでした。1号機と2号機と3号機がメルトダウンをきたし、爆発して、大量の放射性物質が陸に降り積もり、海に流れ出しました。起こるべくして起こった人災です。

 それなのに、責任を取るべき立場にいる人物は口をそろえて「想定外」と言いました。つまり「原子力の安全性」とは、運よく奇跡が起こることを前提に、天の助けを当て込んで組み立てられているもの、そういった実態があぶり出されたのです。

 エリー湖のほとりではなく、日本海のほとりでもなく、瀬戸内海のほとりでもなく、太平洋のほとりでメルトダウンが起きました。