石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
■第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第5章 小日本主義
(つづきです)
湛山は、三浦が主張していた「小日本主義」をさらに「近代的な小日本主義」として洗練させていくのであった。
そして、その論拠の中心に大学で学んだプラグマティズム哲学を据えた。大正4年5月25日号の社説「先づ功利主義者たれ」で、こう書いた。
〈功利一点張りで行くことである。我れの利益を根本として一切を思慮し、計画することである。我れの利益を根本とすれば、自然対手の利益を図らねばならぬことになる。対手の感情も尊重せねばならぬことになる〉、〈我等は曖昧な道徳家であつてはならぬ、徹底した功利主義者でなければならぬ〉
湛山のもっと急進的な言い分は、
〈日本がこの際、青島も満州も旅順も返還することである。一切の利権も同様に返還することである。かうしておいて、世界の列強に向かつて、日本がやつたのと同様の措置を取るべきではないか、と要求すればよい。これが日本のため、世界のためになる最大の方策だ。必ず、植民地などは不要になる時がくる。しかも近い将来であるから、日本がその先駆けになるべきではないか〉
であった。もう少し後の社説(大正10年7月13日号「一切を棄つるの覚悟」、大正10年7月30日~8月13日号「大日本主義の幻想」など)では、こうした湛山の主張と論法がいかんなく発揮されているのである。
大正7年(1918)1月、東洋経済新報社に、後に経済評論家として活躍することになる高橋亀吉が入社した。湛山より10歳年下の高橋は、幼い時の小児マヒのために左足が不自由であった。「こちらが編集局長の石橋湛山君だ。彼は高橋亀吉君。早稲田の商科を卒業してしばらくよそにい たんだが、今年からうちに来てもらった。よろしく頼むよ」
三浦から紹介されて、湛山は「よろしく」と笑顔を見せた。
高橋は独学で大学受験資格を取得して、早稲田に入った。東洋経済新報社では早くも大正13年(1924)に編集局長になり、一貫して在野のエコノミストとして論陣を張った。戦後の日本経済の成長期には、池田勇人首相の経済ブレーンを務めている。
その高橋相手に湛山は「小日本主義」の必要性を説いた。その熱気に高橋も思わず引き込まれた。編集会議の前のことだった。
東洋経済新報社は記者全員で編集会議を開くが、この時はまだ編集記者が外回りなどで集まりが悪く、会議室には編集局長の湛山と、高橋だけであった。
「いいかい、高橋君。日本が満州や朝鮮に植民地的な特権を持っている限り、中国民族や朝鮮民族の反感は消えることはない。それどころか、反日感情がもっと助長されて取り返しのつかないことになってしまうだろう」
高橋は、頷くしかなかった。自分にはまだ政治のことはよく分からないのだという自覚があった。湛山は続けた。
「それにだよ、かの国の天然資源や土地が日本の人口過剰問題の問題解決にはつながらないんだ。それどころか、植民地領有は必ず軍事支出を増大させるので、国家財政は圧迫される。結局、国民生活が悪化するだけなんだ。見ててごらん、日本の植民地政策は列強やアメリカとの対立を生んで、日本が国際的に孤立することになるから。その結果、どうなるか。戦争になる。それも大がかりな戦争にね」
湛山の予言とも言えた。それは後に大当たりに当たる。
「しかし、石橋さん。日本が資源に乏しいのは事実ですし、領土も狭い。だから資源の豊かな他国の領土をあてにするしか国家発展の道はないという考えは、必ずしも間違ってはいないと……」
「高橋君、それは君の意見ではないね。今、君は僕に反論のための反論をしているね」
湛山から指摘されて、高橋は頭を掻いた。
「じゃあ、これからは君が僕の意見に反論するという形で想定問答をしようや」
「はい、分かりました」
「じゃあ、続けるよ。 どうしてアジアの植民地を手放すべきか、という問題だ」
「ええと、日本はアジアの植民地があるから資源や人口の問題を解決できるのに、ということです」
「それが違うんだな。少し統計を見れば分かる。日本の輸出総額を朝鮮、台湾、関東州の3つの植民地と、アメリカ、イギリス、インドの3国とで比較すればどうなる?」
大正9年(1920)の統計によると、3植民地との貿易総額は9億1500万円であったが、これに対してアメリカとは14億3800万円、イギリスとは3億3000万円、インドとは5億8700万円の、合わせて23億5500万円になる。
「日本の経済の自立という点から見ても、単純に比較しただけで3植民地よりも3国との貿易のほうが遥かに重要であることが分かるじゃあないか」
「本当ですね。でも、我が国の工業のうえで必要な原料である鉄や石炭、綿花、米、羊毛などは植民地から……」
「いや、それも違う。鉄も石炭も植民地よりはアメリカやイギリスからのほうがずっと多いんだよ」
「石橋さん、もう一度人口の問題についてお聞きしたいのですが」
「ああ、いいよ」
「日本は領土が狭く、人口は年々増加しています。この人口膨張の日本にとって海外移民は人口問題の解決上、不可欠な手段ではありませんか」
「いいかい、日本の人口は明治38年から大正7年までの13年間で、945万人増加した。これだけ見ると大変な数字に見えるがね、現在の人口は6000万だよ。そのうちの僅か80万人程度が植民地に出ていったところで、食糧問題の根本的な解決になるわけがないだろう? むしろ、国内産業を育成し物資を輸入したほうが、世界の安定には必要なのだよ」
「次は軍事問題です。国防という考え方は出来ないのですか」
「国防というが、本土の国防かね。違うだろう? 戦争が起きる危険性はむしろ、中国とかシベリアとかの問題ではないかね。それは根本的にアメリカとの利害の問題でもある。アメリカは必ず、中国、シベリア問題で日本と敵同士になるだろう。だから我が国がこれらへの野心を棄てるならば、または満州、台湾、朝鮮、樺太すべてをいらないと言えば戦争は絶対に起きやしない。国防とは他国を侵略する際の列強、もしくはアメリカとの戦争を想定してのものなのだよ」
高橋は、黙って頷くしかなかった。いくら想定問答であっても、これほど明快に分かりやすく、数字まで使って説明されては手も足も出ない。
「高橋君、僕が小日本主義を標榜して、大日本主義を否定するのは、決して小さな日本の国土に拘泥せよ、というのではないんだ。世界を国土にして活躍すればよい、とそう言っているんだ。詭弁じゃあないと思うんだがねえ」
「それには何を、どうすればいいというのでしょう?」
「産業を大いに興すことさ。たとえ数々の制限があったとしても、資本さえあれば大丈夫だ。領土を奪わずとも、日本の資本を外国の企業投資に回してもよいではないか。経営さ」
高橋はのけぞるようにして、声を上げた。この時点でこんなことを言う人物を高橋は知らなかった。いや、こんな発想が出来る人物は、日本には石橋湛山しかいないだろうと思った。
「いいかい。資本は牡丹餅で、土地は重箱だ。入れる牡丹餅がなくて、重箱だけをいくつも集めたところで意味はない。愚かでさえあろう。ところが牡丹餅さえたくさん出来れば重箱なんぞは隣の家からいくらでも喜んで貸してくれるだろう。そういうことなんだ。その牡丹餅たるところの資本を豊富にする道は、ただただ平和主義しかない。平和主義によって、国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩とに注ぐしかないのだよ」
「そうですね。貿易立国というのは素晴らしいではありませんか」
「貿易立国ばかりでもいけない。国内では兵営の代わりに学校をたくさん建てて教育することだよ。軍艦の代わりに工場を造ればいい。陸海軍の軍事費が8億円かかっているのだが、そのうちの半分を毎年、平和的な事業に投じたら日本の産業は全く変貌するだろうし、日本の国そのものが平和国家として世界中から注目されるだろうな」
高橋は、湛山の最後の言葉を死ぬまで忘れることが出来なかった。
「高橋君、とにかく日本はアメリカと絶対に戦争をしてはならない。戦争は勝敗に関係なく何も利益をもたらさない。それにアメリカは経済・貿易上、日本にとって一番重要な国なんだから」
大正7年3月25日、次男・和彦が誕生した。湛山は、5つ違いの長男には自分の「湛山」から一字をとって「湛一」と名付けたが、次男には平和主義から「和」の一字をとったのであった。
【解説】
とにかく日本はアメリカと絶対に戦争をしてはならない。戦争は勝敗に関係なく何も利益をもたらさない。それにアメリカは経済・貿易上、日本にとって一番重要な国なんだから
湛山の先見の明には驚くばかりです。
しかも、その平和主義はイデオロギーからくるものではなく、実利から来るものでした。
〈我等は曖昧な道徳家であつてはならぬ、徹底した功利主義者でなければならぬ〉
と湛山は説きました。
私は、別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)で、こんな記事を書いたことがあります。
損得勘定、いけませんか? その4(2023-03-14)
ここまで損得勘定の話をしたのですが、大切なのは……
1)まず行動を起こすときに損得勘定をし、
2)できるだけ先のことを考える。 そして、
3)損得が明らかになったときに断固としてそれを実行する勇気を持つということです。
1番目はいろいろな本に書いてあるし、早い話が功利主義の考え方ですから周知のことと思うのですが2番目と3番目は私のオリジナルの考えを付け加えました。
この三つをそろえて一つの考え方になるのではないかと思いまして、ひそかに名前をつけました。
養老先生が「唯脳論」を出していますけれども、私は「唯利論」とつけました。
私の「唯利論」は、湛山のプラグマティズムに通じるところが少なくありません。
獅子風蓮