石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
■第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第5章 小日本主義
(つづきです)
同じ6月28日、サラエボ事件が発生した。オーストリア皇太子がセルビア人に暗殺されたのである。この一発の銃声が1ヵ月後、全欧州、さらにはアメリカ、日本までを巻き込む第一次世界大戦になる。
「違うんだ。日本はこの戦争に参戦しちゃ駄目なんだ」
セルビアとオーストリア間に戦争が始まり、ロシアがセルビアを支援しているというのでオーストリアと同盟しているドイツがロシアに宣戦布告した。それに対してロシアの同盟国フランスがドイツに逆宣戦し、イギリスもドイツのベルギー侵犯を盾にしてドイツに宣戦布告した。
「なぜ、日本がこの戦争に参加しなくちゃあならないのか? その間にすることがあるはずだ。欧州が挙げて叩き合っている今こそ、日本は産業の振興を図って欧州に倍する実力をつけておくべきなんだ」
湛山の意見は、日本の経済界の意見でもあった。
「だってそうだろう? 戦争に巻き込まれたら、日本も戦争不況をまともに食らうことになるんだから」
東洋経済新報社の内部でも、参戦を巡ってしきりに議論が交わされた。
「日英同盟の条約と、今度のこととは内容が違うんだもの」
政府内部には、どうせドイツとやるならば、ドイツが中国から租借している青島を叩こう、という声があった。しかし、青島は基本的には中国の領土である。中国がこの日本の青島攻撃をどう考えるか。当たってみると、中国はこれに反発してイギリス政府に働きかけた。イギリスも「日本の行動はイギリスの海上貿易の保護だけで結構。ドイツとの戦争に立ち入らないでほしい」と告げてきた。だが、日本の方針はすでに決まっていた。
大隈内閣は、とうとう国内に向けては日英同盟を前面に押し出して、8月23日に対ドイツ宣戦を決定した。中国政府は中立宣言をして、戦争の地域をドイツ関係だけと限定する協定を結んだ。しかし、日本はこれを守らなかった。
国中が参戦を望んでいるかのように、新聞も煽り立てた。その中で、『東洋経済新報』のみが、戦争の回避を主張し続けた。
「好戦的態度を警(いまし)む」と題した社説では、湛山の持論である〈戦争はどう考へてみても日本にとつて利益はもたらさない〉と書いた。日本が参戦し、青島を陥落させた後も「青島は断じて領有すべからず」(11月15日号)と「重て青島領有の不可を論ず」(11月25日号)とで、青島の領有は極東の平和に効果はない、かえって険悪な状況になってしまう、イギリスを含めて欧米の国々は日本への不信感を募らせる、また中国は日本不信から危険視に変わろう、大陸への進出よりもむしろ中国の経済発展を助けて対中国貿易の実を挙げるほうが賢明だ、帝国主義的な利権拡大は世界の大勢ではない、と訴えたのであった。
しかし日本は青島を陥落させると、その勢いを駆って中国山東省にまで進攻した。これが対中国21ヵ条の要求になっていく。確実に日本は、大陸進出を企て、軍国支配の色を濃くしていくのであった。
(つづく)
【解説】
日本が参戦し、青島を陥落させた後も「青島は断じて領有すべからず」(11月15日号)と「重て青島領有の不可を論ず」(11月25日号)とで、青島の領有は極東の平和に効果はない、かえって険悪な状況になってしまう、イギリスを含めて欧米の国々は日本への不信感を募らせる、また中国は日本不信から危険視に変わろう、大陸への進出よりもむしろ中国の経済発展を助けて対中国貿易の実を挙げるほうが賢明だ、帝国主義的な利権拡大は世界の大勢ではない、と訴えたのであった。
湛山の歴史を見る目のするどさに感銘を受けます。
獅子風蓮