石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
■第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第5章 小日本主義
(つづきです)
その湛一は、昭和18年(1943)に赤松敏子と結婚するが、後に家庭での湛山について記している。
〈明治の末年から、第二次世界大戦直後、政界に投じるまでの約35年間、父は文筆の道一筋に生きてきた。自分ではいつも勉強が足りないといっていたが、実際はずいぶん勉強家であったと思う。私が物心ついてからの父の印象はすべてここに帰着する……〉
「湛一、お父さんを書斎に呼びに行ってきてよ。もう三度も呼びに行ったのに、来ないのよ。食事はみんなで、って自分から言い出しておいてねえ」
湛山は、家にいても食事の時以外は書斎に閉じこもりきりで、家族と顔を合わせることもなかった。
「分かった。 歌子、一緒に呼びに行こうよ。おまえが一緒だとお父さんは、機嫌が悪くならないから」
二人が湛山を呼びに来ると、湛山は、
「ああ、分かったよ。すぐに行くよ。でもね、お父さんの都合に合わせなくてもいいんだよ。おまえたちが食べたいのなら、お父さんを待っていなくたってね」
「だって、お父さん、お家にいる時くらいお父さんと一緒にご飯を食べたいんですもの」
6歳の歌子に言われて湛山は、机の前からやっと立ち上がった。
「おまえはいい子だな」
歌子を抱き上げてから、湛一の頭を優しく撫でた。二人の手を両手でつなぎながら、湛山は食堂に向かった。
「お父さん、今夜はお酒? それともビール?」
歌子に尋ねられて湛山は、
「うん、今夜はビールでも飲むかな」
「お父さん、僕も大きくなったらお酒が飲めるようになるのかなあ」
「湛一、おまえはお父さんの子供だからきっとお酒は好きになると思うよ。でもな、飲みすぎてはいけないよ。身体をこわすからな」
そんな会話を聞いていて、梅子が笑いだした。
「お父さん、よくそんなことを子供たちに言えますね? 痛飲していつも参っているのは誰ですか?」
家にいれば湛山とて、ただの夫であるし、ただの父親である。
しかし、湛一は回想でこうも書く。
〈家庭における父はどういう人であるかといえば、それは我々子供達にとってきわめて怖いおやじである、ということである。どんな所が、どんなことが、といわれても具体的には言い表わせない。総てが怖いのである〉
湛一の回想は、怖いと言いながら、父親への尊敬に満ちている。
(つづく)
【解説】
家にいれば湛山とて、ただの夫であるし、ただの父親である。
しかし、湛一は回想でこうも書く。
〈家庭における父はどういう人であるかといえば、それは我々子供達にとってきわめて怖いおやじである、ということである〉
湛一の回想は、怖いと言いながら、父親への尊敬に満ちている。
湛山は、理想的な家族を築きあげていました。
獅子風蓮