獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

池田大作の功罪 (その3)

2023-12-07 01:04:46 | 創価学会・公明党

d-マガジンで、池田氏死去にともなう特集記事を読みました。
引用します。

 


サンデー毎日 2023年12月10日号

倉重篤郎のニュース最前線:
池田大作
創価学会名誉会長
戦後最大の宗教指道者の功罪

池田大作創価学会名誉会長が、11月15日に死去した。様々な評価があり得ようが、戦後最大スケールの宗教指導者であったことは疑い得ない。創価学会を巨大化させて世界宗教に育て上げ、公明党を創立して権力を構成するまでに至った。池田氏が戦後日本に刻んだものは何か? 破格のカリスマの功罪を、3人の論者が忖度なしで語る。

(つづきです)

言論封殺と自公政権の罪
佐高信

池田大作氏という人は戦略的な幅を持つ人だった。1975年に結ばれた創共協定では、仲の悪かった共産党の宮本顕治委員長となごやかに会談、相互理解や敵視政策の撤廃で合意した。 言論・出版妨害事件の批判をかわすためとはいえ、宮本共産党と結ぶ可能性もあった。一方で、創価学会はもともと自民タカ派の岸信介氏とのつながりが深く、2代目会長戸田城聖氏の葬式に岸氏の名代で安倍晋太郎、洋子夫妻が参列、学会側がこれを多とした。田中角栄氏とも近く、言論・出版では火消しを頼み、日中国交回復では露払い役もした。池田学会の振幅の大きさは、さまざまな集団、人を糾合していくためのよく言えば度量、悪く言えば手管ということになるだろう。あそこまで急速に組織拡大できたのは池田氏のある種フェロモン (刺激活性物)だったと思う。宗教人としての評価では、たとえば大本教の出口王仁三郎の方がスケールの大きい宗教人だったと思う。出口は戦中の国家弾圧の中で拷問に近い取り調べを受けても、裁判では悠然と反論し、時に裁判長を唸らせるようなこともあった。国会に証人喚問されても国会議員をそこで説得するくらいの存在感があった。池田氏は豪放磊落を気取る半面、根っこは臆病で、証人喚問を極度に恐れた。そのためさまざまな綻びが出て、それを糊塗するために綻びがさらに広がったようなところがある。
その意味では宗教者というより、希代のオルガナイザーだと思う。組織者としては長けていた。そのポイントは女性を掴むことだった。組織の活力は、労組でも宗教団体でも婦人部の活発度にある。学会の場合、選挙での戦闘力もまさにそこにあった。池田氏の場合は、スキャンダル報道もあったが、女性層を掴んだと言える。
やはり、池田学会問題の原点は69年の言論・出版妨害事件だろう。政治評論家の藤原弘達氏の『創価学会を斬る』という本の出版を公明党・学会側が妨害、国会でも議論になった。驚くのは藤原氏がその時点で自公両党が将来くっつくだろうと書いていることだ。学会の強烈な批判者は藤原氏と毎日新聞記者の内藤国夫氏で、この2人は奇しくも東大で丸山眞男(政治思想史専攻の政治学者)門下生。学会は、言論、批判の自由を重視する側とは相容れなかった。信じることを重視した学会は、疑うことの大切さを軽視した面がある。
私が心服した作家の城山三郎氏と池田氏は同年輩だったが、その2人が個人情報保護法(03年5月成立)をめぐり鋭く対立したことがある。私と城山氏は、個人情報保護の名を借り、権力者が自分の都合で言論の自由を封殺する新法だとして反対、自公連立が押し切った。公明が注力したこの法案は、私から言わせると、池田氏のスキャンダル報道をさせないためのものだった。城山氏が鬼気迫る勢いで反対し、これに賛成した人の名前を刻み、『言論の死の碑』を建てると語ったのを思い出す。
池田氏死去後、学会が生き残る道は、原田稔会長ら党官僚と、婦人部を軸とした平和支持層とが分かれて、後者が野党勢力に戻ることではないか。組織の原点であったはずの平和をどう位置付けし直すかが問われている。自公連立に合わせて外交安保政策で妥協を重ね過ぎたツケが喉元まで来ている。大阪が維新に蚕食されているのも、自公連立が自民と公明双方の魅力を減じたからだ。学会も公明党も出直しを迫られている。学会・公明党の影の部分を指摘してきたが、光がないわけではない。中国との国交回復は、彼らの露払いがなければ田中角栄氏も大変だったと思う。問題は、今の中国に言うべきことを言ってないことだ。池田氏が健在なら中国側にもっと直言したのではないだろうか。

(つづく)

 


解説
池田氏死去後、学会が生き残る道は、原田稔会長ら党官僚と、婦人部を軸とした平和支持層とが分かれて、後者が野党勢力に戻ることではないか。組織の原点であったはずの平和をどう位置付けし直すかが問われている。自公連立に合わせて外交安保政策で妥協を重ね過ぎたツケが喉元まで来ている。

創価学会・公明党を批判的な目で見つめ続けてきた佐高氏ならではの建設的な提言だと思います。

 

学会・公明党の影の部分を指摘してきたが、光がないわけではない。中国との国交回復は、彼らの露払いがなければ田中角栄氏も大変だったと思う。問題は、今の中国に言うべきことを言ってないことだ。池田氏が健在なら中国側にもっと直言したのではないだろうか。

佐高氏の意見に賛同します。

 

 

獅子風蓮


池田大作の功罪 (その2)

2023-12-06 01:47:07 | 創価学会・公明党

d-マガジンで、池田氏死去にともなう特集記事を読みました。
引用します。

 


サンデー毎日 2023年12月10日号

倉重篤郎のニュース最前線:
池田大作
創価学会名誉会長
戦後最大の宗教指道者の功罪

池田大作創価学会名誉会長が、11月15日に死去した。様々な評価があり得ようが、戦後最大スケールの宗教指導者であったことは疑い得ない。創価学会を巨大化させて世界宗教に育て上げ、公明党を創立して権力を構成するまでに至った。池田氏が戦後日本に刻んだものは何か? 破格のカリスマの功罪を、3人の論者が忖度なしで語る。

(つづきです)


他宗排撃をやめ世界宗教へ
脱池田ビジョンをつくれるのか
田原総一朗

「池田氏には3回インタビューした。初めて会ったのは1973年。言論出版妨害事件から4年後だ。単刀直入に聞いたら「あれは全く失敗でした。ああいうことはやってはいけないです ね」との率直な回答だった。偉ぶった感はなく、人の話を聞くのが非常にうまい。相手の失言からニュースを引き出すという私の挑発的な質問にも本音で返してきた。池田氏との対話を通じ感じたことが三つあった」 
「一つは、彼がなぜ信者になったのか、動機を聞いた時のやりとりだ。彼は『法華経という経典が素晴らしく、それを読んで信者になった』と言った。『確かに法華経にはいいことが書いてあるが、それを読んだだけで信者になるというのは動機として信用できない』と挑発した。それに対して彼はこう答えた。『実は、2代目の戸田城聖会長が、自分を3代目会長にしようと毎日、長時間必死になって数カ月にわたって説得した。その必死さに感動したんです。この人物が信心しているなら僕も信心していいと思った』とね。これは説得力がありました」
「二つめに、他宗教との関係だ。創価学会は激しい折伏と他宗派を邪教呼ばわりすることで、排他的宗教と言われた。宗教本来の性格として、自分たちの教義を守るべきだとの思いが 強まるほど他宗を排除したくなるのは当然だ。自分の意見を持ちつつも他者の意見を尊重する民主主義と相容れない部分がそこに生まれる。公明党がこの矛盾にどう対処するのか案じたこともあった。
だが、池田氏は宗教における排除の壁を見事に乗り越えた。キリストでもイスラムでも、どのような宗教も決して否定せず、他宗の信者たちとも対話をはかり、信頼し合うことに成功 した。『邪宗』を『他宗』に切り替え学会の国際化に成功、SGIなどを通じて世界192カ国・地域で活動を行うまでに至った。さまざまな宗教団体との関係を持っている自民党も安心して連立を組むことができた」


これでは若い人が信者にはならない

「三つ目は、いわゆる財務、寄付の規制だ。旧統一教会が批判されている。安倍(晋三元首相)氏を殺害した青年の母親が全財産を投げ出した。宗教の世界では、いかに生活を犠牲にして寄付・献金するか。この犠牲の度合いが信仰の深さにつながる。だから生活を犠牲にした献金が増え、被害者も増えた。池田氏はある時、『日蓮正宗は宗教あっての人間だというが、人間あっての宗教だ』と言い、「生活を犠牲にする献金は一切認めない』と宣言した」
「もちろん、献金の上限規制がない、青天井だとの批判もある。これについては、山口那津男公明党代表に、いくらまで、と規制したらどうか、と進言したことがあったが、一口いくらとは決めています、との回答だった」
「実は、創価学会が抱える大問題がある。牧口常三郎、戸田城聖、池田大作と1~3代の会長はそれぞれに新ビジョンを打ち出している。前者を否定しているわけではないが新しい理念、考え方を出してきた。2006年に原田稔・現6代目会長に交代する時、最高幹部の中で新ビジョンを出すべきかどうか議論になった。僕も相談を受け、絶対に新ビジョンを出すべきだと申し上げた。結局出さないということになり、出すべきだと主張した最高幹部が2人左遷された」
「なぜ新ビジョンを出せなかったか。池田氏を立てるしかなかったからだ。新ビジョンを打ち出すことは池田氏を超えることだ。その自信がなかったと思う。池田氏が偉すぎたのだろう」
「ただ、それによって問題も起きた。表に出てこない池田氏がますますカリスマ化されたことだ。聖教新聞を読んでいても、週に数回は池田氏の大きい写真が出て、池田氏が過去に書いたこと、しゃべったことが1990年代、80年代にまで遡って繰り返し掲載されることになった。これでは若い人が新しい信者にならない。高齢者も亡くなっていくから組織率が落ちていく」
「99年からの自公連立をどう評価するか。自民側には政局の安定という狙いがあり、公明側には連立で日本の政治を変えようという戦略があった。自民と組んで政権入りしない限り本来の政策も実現できない。自民党に対して宗教を弾圧するなという力学も働いてた」
「その背景には、1993年細川護熙連立政権以降、野党としての自民党から与党の一角にいた公明党に対する嫌がらせ攻撃として、池田氏を証人喚問しよう、という動きがあった。公明 党・学会はこれを強く警戒していた。そのトラウマがいまだに残っている」
「創価学会の今後については、池田カリスマがなくなり学会の集票力は逓減、公明党議席も落ちこんでいくだろう。聖教新聞で言えば、池田氏の教えで埋めていた記事がなくなったらどうするのか。新ビジョンを出せるか、そのまま衰退するのか、あるいは分裂か。非常に大きな転機を迎えることになるだろう。これは自民党の問題でもある。連立政権として学会700万票が望めなくなった時どうなるか。自公連立そのものの大転換点にならざるを得ない。岸田首相の心中はわからないが、維新との連携を考えているかもしれない」

  ◇  ◇


池田氏の死は「自公連立」というシステムの継続性に少なからぬ影響を与えるであろう。それが私と田原、佐高、溝口3氏の共通の見立てであった。連立動機の一つであった喚問回避問題は池田氏の死で自動消滅した。また、その死は氏の原点であるはずの反戦平和の理念が今の連立できちんと生かされているかどうかをチェックするきっかけにもなろう。足元が危うくなりつつある岸田政権も無関心ではいられない。我々はこの連立を根底から検証し、見直す好機を与えられたのかもしれない。

(つづく)


解説
彼はこう答えた。『実は、2代目の戸田城聖会長が、自分を3代目会長にしようと毎日、長時間必死になって数カ月にわたって説得した。その必死さに感動したんです。この人物が信心しているなら僕も信心していいと思った』とね。これは説得力がありました

池田氏の入信動機については、さまざまなことが語られています。
今回の田原氏が紹介したエピソードは、初耳です。
今後、検証していきたいと思います。

 

池田氏は宗教における排除の壁を見事に乗り越えた。キリストでもイスラムでも、どのような宗教も決して否定せず、他宗の信者たちとも対話をはかり、信頼し合うことに成功 した。『邪宗』を『他宗』に切り替え学会の国際化に成功、SGIなどを通じて世界192カ国・地域で活動を行うまでに至った。

私も、池田氏によって創価学会の狂信的な部分が是正された点は大いに評価されると思います。
しかし、末端の会員まで、そのことが徹底されていたかどうかとなると疑問が残ります。
池田氏が他宗教に寛容な態度をとっても、実際の折伏の場面では、ながらく「四箇格言」が捨てられてはいなかったように思います。
創価学会の組織にはダブルスタンダードが大きく存在していたようです。

獅子風蓮


池田大作の功罪 (その1)

2023-12-05 01:06:08 | 創価学会・公明党

d-マガジンで、池田氏死去にともなう特集記事を読みました。
引用します。


サンデー毎日 2023年12月10日号

倉重篤郎のニュース最前線:
池田大作
創価学会名誉会長
戦後最大の宗教指道者の功罪

池田大作創価学会名誉会長が、11月15日に死去した。様々な評価があり得ようが、戦後最大スケールの宗教指導者であったことは疑い得ない。創価学会を巨大化させて世界宗教に育て上げ、公明党を創立して権力を構成するまでに至った。池田氏が戦後日本に刻んだものは何か? 破格のカリスマの功罪を、3人の論者が忖度なしで語る。


創価学会の池田大作名誉会長が死去した。
思うところ大である。戦後最強の宗教カリスマであった。新興宗教の一つに過ぎなかった創価学会を2022年時点で公称827万世帯の会員を持つ巨大教団に膨れ上がらせた。公明党を創設し、政教分離ギリギリのところで日本政治を差配してきた。世界にも痕跡を残した。SGI(創価学会インタナショナル)の海外拠点を作った他、日中関係改善に寄与、ゴルバチョフ元ソ連大統領らとも親交を重ねた。一方で、「言論・出版妨害事件」で批判され、
数々のスキャンダルにまみれた人でもあった。戦後の日本を代表する人物の死として蓋棺(がいかん)の論を集め、日本政治に与えるインパクトを考察してみたい。
池田氏には面談したことが1回だけある。1990年7月、池田氏が訪ソ、ゴルバチョフ氏と会談後の記者会見の場でだ。ソ連崩壊の直前で、北方領土問題の進展が期待され、ゴ氏がいつ訪日するかが焦点になっていた。ゴ氏は直前の桜内義雄衆院議長の訪ソ団には口を重く閉ざしたのに、池田氏に対しては心安く「来年(91年)の桜の咲く頃の訪問予定」を打ち明けた(実際に91年4月来日)。桜内氏に同行してモスクワ入りしていた我々記者団からすれば、日本の三権の長を代表した桜内氏にも明かさなかった外交日程を、一宗教団体の長にポロリともらしたことが驚きであった。
ただ、池田氏による直の会見を聞いて、なぜそうだったのかがよくわかった。その人心掌握の巧みさだ。副会長クラス数人をずらりと横に並べ、彼らを陽気に叱り飛ばしながら、当意即妙、言いたい放題の独演会であった。初対面である我々の関心もそらさない。相手につけ込む人間力……。その人たらしぶり、なかなかであった。ゴ氏が口を滑らせたのも理解できた。
その池田氏の死がなぜ重要か。二つある。この希代の宗教カリスマの功罪を振り返ることで、戦後史のある側面を描くことができる。もう一つは、現実政治への影響である。それは小 さいものではない。四半世紀続いてきた権力維持の政局ビジネスモデル「自公連立」を揺るがす可能性を秘めているからだ。
「ポスト冷戦政局の本質は、竹下登と小沢一郎による公明党・創価学会の取り合いだった」とかつての政界フィクサー・福本邦雄氏が語ったことは、当欄でも紹介したことがある。
氏によると、最初に公明党創価学会の戦略価値に気づいたのが小沢氏であった。その議席、集票力は、冷戦崩壊後1党で過半数を取り続ける力のなくなった自民党の減退を補填する勢 力としては格好の存在だった。小沢氏は、最初は国会での連携・共闘を進め(自公民路線)、連立政権の中軸として兄弟政党化(新生党・公明党枢軸)し、さらには政党として一体化(新進党結党)までして、その政局パワーを活用した。だが、小沢氏と公明党・学会の蜜月は長くは続かなかった。そこに目をつけたのが竹下氏だった。もともと竹下氏の公明党人脈は手厚いものがあり、それをフル動員、公明・学会を自民に引き寄せ、くっつけたのが1999年始動の自公連立であった。愛弟子・小渕恵三政権安定化のため、師・竹下氏が一肌抜いだ形だ。つまりこの勝負、小沢氏が先行したが、竹下氏が引っ繰り返した、というのが福本政局史観であった。


偉ぶらず、人の話を聞くのがうまい
 
それから24年。途中3年余の民主党政権時代を除き、この連立が自民党を安定的に権力の座につかせてきたのは間違いない。この間衆院選、参院選が各8回あったが、公明・学会議席 票の底上げ効果により危なげなく両院での安定多数を確保し続けてきた。つまり、経過や動機は別にして、自公連立が自民党中心の政権を存続させる仕組みとして構造化、常態化されてきた。政策、選挙、人事とあらゆる政権運営はこのシステムを前提に行われてきた。
池田氏がその健康問題から2010年5月以降、学会幹部会に出席しなくなったのは公然の秘密であった。その頃からポスト池田はすでに織り込み済みであり、「池田Xデー」がいつ来ても集団指導体制の下、何ら動揺はない、とされてきた。だが、私見は異なる。池田氏の物理的死が、自公連立という権力構造の基本を変える可能性がある、というのがこの原稿の合意である。同じ見通しに立つ3人のウオッチャーに聞く。
田原総一朗氏は、池田氏に直接取材したことのある数少ないジャーナリストの一人である。『創価学会』(毎日新聞出版、2018年9月)という著作もある。評論家の佐高信氏は自公連立で政権入りしてから公明党への批判を強めている。著書に『自民党と創価学会』(集英社新書、16年5月)、テリー伊藤氏との共著『お笑い創価学会 信じる者は救われない』(光文社、00年)などがある。ノンフィクション作家の溝口敦氏は今から半世紀前に『池田大作権力者の構造」(三一書房、1972年3月。現在は講談社+α文庫)で、言論出版妨害事件直後の 池田氏を活写、「堕ちる庶民の神」と描いた。組織暴力団取材の第一人者でもある。
まずは田原氏からだ。

(つづく)

 


解説

倉重篤郎氏は、宗教問題に造詣の深い、優れたジャーナリストです。

彼が中心となって、田原総一朗、佐高信、溝口敦といった評論家による池田大作評を、まとめていくこととなります。

獅子風蓮


池田“世界宗教”の内在的論理(その2)

2023-12-04 01:35:22 | 創価学会・公明党

池田氏の逝去後、週刊文春では池田氏と創価学会に関する特集を組みましたが、d-マガジンでは、そういう目玉の記事は載せないようです。
しょうがないのでコンビニで立ち読みしました。
特集のあとに、こんな貴重な対談が載っていました。
せっかくなので、記録に残したいと思います。


週刊文春 11月30日号

緊急対談:

池上彰×佐藤優 
池田“世界宗教”の内在的論理

国内会員世帯数827万、海外会員数280万(公称)を誇る創価学会を率いたカリスマとは何者だったのか。公明党議員への厳しい質問で知られる池上彰氏と『池田大作研究』などの著作がある佐藤優氏の最強コンビが徹底解剖する。

(つづきです)

宗教とネズミ講の違い

池上 信者を増やすという意味では現世利益というのも大きかったでしょうね。一生懸命頑張れば豊かになれるというのは、人々にとって信じるに値する。

佐藤 結局、宗教はこの世の問題を解決できないと駄目なんです。実はプロテスタントのカルヴァン派が発展したのも同じ理由です。神によってこの世で選ばれた確信を得るために成功しようと勤勉になる。そして、財産を生むことが出来る。それが即ち現世利益です。

池上 本人の努力ではない?

佐藤 ええ。あくまでも信仰のおかげです。だから、池上さんがジャーナリストとして成功しているのも、創価学会の視点からだと「お祖母さんが会員だったおかげ」となる。宗教は現世利益を捨てたら、社会で力を持てません。ただし、現世利益だけで来世の話がなくなるとその瞬間、宗教は金儲けのシステムになってしまう。ネズミ講は宗教的ですが、来世の話がないので、長続きしないのです。

池上 創価学会に対する国民の忌避感といえば、政党を作ったことも影響しているのでしょう。池田氏は1964年に公明党という政党を立ち上げた。池田氏が日本を“創価学会の国”にしようとしているんじゃないかというイメージを多くの人が持ったと思います。子どものころ読んだ聖教新聞には国立戒壇、つまり日蓮正宗を日本の国教にしようという掛け声が躍っていました(当時は、まだ創価学会は日蓮正宗から「破門」されていなかった)。

佐藤 いまは、違いますが、当時はそうでした。

池上 小学校以来ずっと音信不通だった同級生から、選挙前になると突然電話がかかってくる。そういうマイナスイメージのシンボルに池田氏はなってしまった。

佐藤 そこは学会員も苦悩していると思います。個人情報の取り扱いが厳しい時代に、昔の番号に電話をかけたり、家庭訪問したら嫌われるだろうなと思いながらやっている。それが公明党議員のためならまだいいのですが、選挙協力の関係で自民党のためにやらなきゃいけません。

池上 佐藤さんが公明党や創価学会を取材、研究しているのは、自民党の暴走を防ぐため、公明党がストッパーになるのを期待しているからですか?

佐藤 私の場合は単純に宗教的興味からです。世界観型の宗教の感覚からすれば、宗教と政治を切り離すのは不自然です。実際、学会の会合で講演する機会があったときに、「創価学会の集まりで公明党の話をしないとか、公明党の会合で創価学会の話をしないとか、嘘っぽくないですか」と言ったことがあるんです。政教分離は国家が特定の宗教を忌避したり優遇したりするのを禁止しているという話で、宗教団体が自らの判断で政治活動をするのは憲法上全く問題がありません。

池上 私がテレビ東京の選挙特番で、公明党の議員に創価学会との関係を聞くと、当初は口ごもった。視聴者から、「よく聞いてくれた」と言われることも多かったのです。ところが、最近は堂々と「創価学会のみなさんに助けてもらった」と語るので、こちらとしては聞く意味がなくなってしまった。

佐藤 創価学会の会員たちが選挙を頑張っている姿を世間に伝えてくれたと、いまでは池上さんは、学会内ではむしろ評判がいいようです(笑)。

池上 政治と宗教でいえば、安倍晋三さんが亡くなってから統一教会と自民党の関係が問題になりました。創価学会と統一教会の政治とのかかわりは、どう違うのでしょうか?

佐藤 根源的に人生の全ての領域を宗教観で律するという意味では統一教会もキリスト教のカルヴァン派も創価学会も同じなんです。ただ政治に関与する際の具体的行為として、違法だったり社会通念から著しく逸脱しているか否かが問題になる。かつて選挙違反事件で池田氏が逮捕された(判決は無罪)ことのある創価学会は必要以上に気を使っている部分がある。
ただ、創価学会の考えは、根源的に日本人に根付いている国家神道とは相いれない。創価学会は日本では少数派にとどまるのが宿命でしょう。


教団分裂の可能性は?

池上 そういう意味でもこれから注目すべきは海外での活動ですね。大きな注目点は、社会的な格差が拡大している中国です。

佐藤 池田氏は、江沢民元国家主席と会談するなど、諸外国の中でも中国との関係を重視しました。しかし、現状の中国では布教活動は認められていません。ただし、同国内には池田思想研究所があちこちにあり、潜在的な学会員は非常に多い。もし宗教が解禁されれば、すぐに1000万人の信者が誕生してもおかしくありません。現状でも日本を除くアジア大洋州だけで191万人の会員がいるそうです。人口減少が続く日本の会員数を超え、創価学会 はやがて中国でも無視できない規模の宗教団体になると思います。

池上 なるほど。

佐藤 宗教には「困った時の神頼み」のようなスポットで使うパターンAの他に、生活の全ての領域を宗教で律して実践するパターンBがある。創価学会は後者。西欧のプロテスタントなどはパターンAで、パターンBが実現できているのは、南米のカトリックやヒンズー教、イスラムあたりでしょうか。学会はこれらと同等の宗教的活力を持っている。池田氏は創価学会を世界宗教に発展させた人物だと私は評価しています。

池上 世界宗教とは大きくでましたね。創価学会が他の新興宗教と違い、世界宗教であるという“内在的論理”はどこにあると思いますか。

佐藤 例えば手をかざすと病気が治るとか特定の人の能力に依存するのではなく、ドクトリンを示すテキスト(経典)があることですね。そのテキストは、『聖書』や『コーラン』と同じように、誰でも努力をすれば読了できる分量でなければいけません。創価学会でいえば、『人間革命』12巻、『新・人間革命』30巻、そして日蓮が書いたと伝えられる御書がこれにあたります。『新約聖書』にあたるのが『人間革命』と『新・人間革命』です。その完結以降、池田氏はもう本を書いていない。さらに一昨年には創価学会独自の御書を完成させ、自らの『旧約聖書』をつくった。池田氏の存命中に、テキスト化が完了しているのです。

池上 池田氏というカリスマを失い、教団から離れていく人も今後増えていくと思います。実際、選挙でも公明党の比例票はかつての800万票から600万票に落ち込んでいる。退潮傾向が続き、分裂などが起こる可能性はないでしょうか。

佐藤 今まで学会活動にあまり参加せず献金もしていなかった人は、これが潮時だと離れていくでしょう。ただし本格的な分裂が起きるかといえば私は否定的です。分裂するには、かなりかちっとした別のドクトリンが必要になりますが、それが見当たらない。今後は、集団指導体制が続いていくと思います。

 


解説
佐藤 ……実はプロテスタントのカルヴァン派が発展したのも同じ理由です。神によってこの世で選ばれた確信を得るために成功しようと勤勉になる。そして、財産を生むことが出来る。それが即ち現世利益です。

プロテスタントのカルヴァン派が発展したのは現世利益のためだった、というのは初耳です。でも、これはさすがに言いすぎでしょう。
カルヴァン派のストイックな信仰態度と日本の新興宗教によく見られる(かつての創価学会を含む)御利益信仰を一緒にしては、カルヴァン派に申し訳ありません。
高校生の時に倫理社会で習った、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』によれば、カルヴァン派の人々は、自己の職業を、神によって与えられた「天職」と考え、そしてその職業で頑張ることがこの世の「神の栄光」を増すことであると信じたんですよね。そしてその職業において使命を達成し、成功し、さらに節約して禁欲する。これを行ったから救われるのではなく、これを行うことで「自分が救われているという確信が得られる」というわけでしょ。その結果として、資本が蓄積して、資本主義が発展したと。


佐藤 宗教には「困った時の神頼み」のようなスポットで使うパターンAの他に、生活の全ての領域を宗教で律して実践するパターンBがある。創価学会は後者。西欧のプロテスタントなどはパターンAで、パターンBが実現できているのは、南米のカトリックやヒンズー教、イスラムあたりでしょうか。学会はこれらと同等の宗教的活力を持っている。池田氏は創価学会を世界宗教に発展させた人物だと私は評価しています。

宗教の実践態度をパターンAとパターンBで分類したのは面白いですね。
「西欧のプロテスタントなどはパターンAで」あるというのは、にわかに信じられない感じがします。
創価学会を含めた日蓮仏法がパターンBだというのは、分かります。
よく故・友岡さんが言っていたことですが、日本人の中でちゃんとした宗教を持っているのは創価学会員だけだ、と。
そういう意味でのパターンBですね。

創価学会も、過酷な財務や新聞の多部購読、選挙運動への参加強要をやめて、純粋なパターンBの信仰だけに徹すれば、もっと発展すると思います。

もちろん、組織の中から嘘偽りをなくし、過去の過ちを認めることが前提ではありますが。


獅子風蓮


池田“世界宗教”の内在的論理(その1)

2023-12-03 01:53:08 | 創価学会・公明党

池田氏の逝去後、週刊文春では池田氏と創価学会に関する特集を組みましたが、d-マガジンでは、そういう目玉の記事は載せないようです。
しょうがないのでコンビニで立ち読みしました。
特集のあとに、こんな貴重な対談が載っていました。
せっかくなので、記録に残したいと思います。


週刊文春 11月30日号
緊急対談:

池上彰×佐藤優 
池田“世界宗教”の内在的論理

国内会員世帯数827万、海外会員数280万(公称)を誇る創価学会を率いたカリスマとは何者だったのか。公明党議員への厳しい質問で知られる池上彰氏と『池田大作研究』などの著作がある佐藤優氏の最強コンビが徹底解剖する。

池上 11月18日、創価学会池田大作名誉会長が15日に亡くなったことが発表されました。池田氏は、近年、公衆の面前に姿を現すこともなかったので、既に亡くなっているのでは、と疑う声もありました。私は、戦国時代でもあるまいし、そんなことはさすがにないだろうと思っていましたが、佐藤さんはいかがですか。

佐藤 おっしゃる通りですね。学会は池田氏に宗教的権威を集中させてきました。つまり、池田氏の代弁が許される立場の強い人間がいない。その身に不幸があれば事実はすみやかに公表されるだろうと。

池上 18日15時に創価学会はSOKAnet で、池田氏の訃報に関する動画を配信しました。創価学会主任副会長で池田氏の長男の池田博正氏(70)と原田稔会長(82)が並び、一報を伝えました。

佐藤 実に興味深い動画でした。まず、池田氏の妻である香峯子夫人のことばを博正氏が読み上げているところがポイントです。「30歳まで生きられるかどうかと言われていた主人が、信心と戸田(城聖)先生の薫陶のおかげで、ここまで長寿を重ね、使命を全うすることができました」と。

池上 「幸いすべてを託してバトンタッチできましたので、安祥としていました」と続きますが、このバトンタッチの意味は大きい。池田氏の“後継者”に関わる問題だからです。

佐藤 まさにその通りです。博正氏が、香峯子夫人を“母”と呼び、池田氏を“父”と呼んで語る。まず、名誉会長ではなく、池田家の人として語ることで、池田家が特別な地位にあることを示したとみるべきでしょう。
さらに注目すべきは「学園」(創価大学や創価高校など)について触れたことです。
〈本日まで、このことの公表を控えておりましたが、(創価学会の)創立記念日の諸行事、なかんずく学園の行事を予定通り行ってもらいたいとの、家族の意向からです。父も、きっと、その通りだと言ってくれていると思います〉
私は、この中の“なかんずく”という言葉に注目しています。

池上 とりわけという意味ですよね。

佐藤 宗教法人の指導者としては、創価学園とは本来そこまで深い関係はないはずです。たとえば、池田氏が創設した公明党も同様ですが、こちらは動画では一切触れていません。では、なぜここで「学園」を持ち出したのかといえば、創価の教育体系で、創価の価値観を体現した人たちを今後も大切にしてほしいという期待の表明に他ならないと私は解釈しました。池田氏は、晩年に至るまでこうした“創価教育重視”を語っていたと考えられるのです。

池上 なるほど。佐藤さんは、『池田大作研究』など池田氏や創価学会の本を多く出しておられますよね。キリスト教徒である佐藤さんが、なぜそこまで、仏教系の創価学会に“入れ込む” のですか。

佐藤 私は同志社大学で神学を学んでおり、宗教専門家の視点から、かねてより池田氏の思想に注目してきました。キリスト教や仏教など世界中の宗教の多くが、勢いを失っている中 で、これだけ活動的な宗教は珍しい。他にはイスラム教や南米のカトリックくらいでしょうか。その源はどこにあるのかと興味を持ったのがきっかけです。教団の動静をウォッチしてみると、どうも池田大作という人物にその源泉があるとわかってきた。

池上 池田氏の宗教的カリスマ性などは、これまでも多くの作家やライターが分析してきましたよね。

佐藤 組織を率いる卓越した指導力に注目が集まりがちですが、実は分かりやすく魅力的な思想と弁舌で大衆を引きつける理論家であることが重要ではないかと気がつきました。そういう意味では、ソ連を作ったレーニンに近いところがある。

池上 レーニンですか。対極に位置する共産党の大物と似ているという指摘が面白いですね。池田氏は、レーニンの58年後、1928年に東京で生まれました。

佐藤 東京の没落した海苔屋の息子で、少年時代は体の弱い軍国少年だった。19歳の時に戸田城聖二代会長(当時理事長)と出会い入信しています。

池上 長兄が戦死したこともあり、平和への思いは強いとよく言われます。

佐藤 その通りです。


祖母が折伏を受けた

池上 創価学会がこれだけ急激に拡大したのは、高度経済成長という時代背景を抜きには語れません。中学卒業後に田舎から集団就職で都会に出てきた人々は、親元を離れ、知り合いもおらず、本当に孤独だった。今と違って休日に遊びに行くところもスマホもなく、給料も安い。そんな中、色んな悩みを語り合える座談会(創価学会の集まり)は救いになるわけです。当時の共産党も同じような役割を持っていました。実際、そのような若者を創価学会と 共産党で奪い合い、対立が生まれてくる。

佐藤 10年程前に森喜朗元総理と話した時にこうおっしゃっていましたよ。創価学会は共産党の影響力を削ぐのにはものすごく重要な勢力だった、と。

池上 池田氏は、1960年に32歳で戸田城聖二代会長の跡を継ぎます。オルガナイザーとしての能力があり、何百万世帯の支持を集めるカリスマでした。
一方で、池田氏や創価学会に対する国民の違和感も生まれた。1960年代には信者をとにかく増やそうとかなり強引な「折伏」をしていたイメージがあるからでしょう。嫌だといっている人でも、家に上がり込み、引っ張って教団組織に連れて行こうとした。そうなると警察が呼ばれる騒動にもなってしまう。毎日信者が家に来て、ずっと居座ったりするのを隣近所が見ているわけです。「創価学会は怖い」と考えるようになるのは、当然のことではないでしょうか。なんでこんなことを知っているかと言うと、私が小学生の時、同居していた祖母がやられていたからです。

佐藤 え? 折伏をですか。

池上 はい。毎日来るもんだから困ってしまって。祖母は最後に根尽きて「入りますよ」となった。その途端、騒ぎがなくなるわけです。

佐藤 そうすると、お祖母さんは、学会員だったわけですか。

池上 そうですね。学会員は家族で祖母だけでしたが。毎日、聖教新聞が届くので、新聞大好き少年の私は、朝日新聞と聖教新聞を毎日読んでいたんですよ。聖教新聞を読むと、立正佼成会の人の悪口ばかり書いてありました。立正佼成会の信者が、仏壇を運んでいたら交通事故にあったとか。仏教団体が他の団体の悪口を書くってどういうことなんだ? と子供ながらに思っていました。

佐藤 聖教新聞で1950年代に連載された戸田城聖氏の『小説 人間革命』にも、学会を弾圧した人がいかに不幸で、入った人がいかに幸せになるかが描かれています。60年代も同じような記事が多かった。

池上 その頃の自分には創価学会に池田氏のイメージは全くありません。創価学会って不思議な宗教だなと思っていた。うちは代々、日蓮宗だったので、祖母が学会に入った後も、子供の頃に聞いていた南無妙法蓮華経は変わりませんでした。

佐藤 折伏とは間違った教えを持って固執している人の見解を正すこと。もっと言えば、糾弾することです。一方で、摂受(しょうじゅ)というのは、仏教の真実の教えを全く知らない人に、その人の考え方を尊重しながら教えることです。ただ現在、仏教に関する知識が全くない人はいないので、布教は相手の仏教観を問いただす折伏になります。

池上 うちは日蓮宗だったから折伏になりますね。

佐藤 創価学会にとって間違った教えだったから、徹底的にやられたのでしょう。創価学会にとって一番怖いのは、同じ仏教を信じているのに、この相手こそが最も間違っていると考えてしまうこと。これは、キリスト教でもよくある発想です。

池上 イスラム教におけるスンニ派とシーア派の対立も同じですね。

佐藤 池田氏の作り上げた創価学会の教えの根幹は、非常に単純なんです。誰もが創価学会のドクトリン(教理)を体得すれば仏になれるということ。教義的には、池田氏が仏ではないことになっていますが、会員の中では仏です。そして、池田氏と同じような考え方や行動をすれば誰もが仏になれるとみな考えている。そこに、経済力や学力は関係ない。

(つづく)

 


解説
池上 ……1960年代には信者をとにかく増やそうとかなり強引な「折伏」をしていたイメージがあるからでしょう。嫌だといっている人でも、家に上がり込み、引っ張って教団組織に連れて行こうとした。そうなると警察が呼ばれる騒動にもなってしまう。毎日信者が家に来て、ずっと居座ったりするのを隣近所が見ているわけです。「創価学会は怖い」と考えるようになるのは、当然のことではないでしょうか。なんでこんなことを知っているかと言うと、私が小学生の時、同居していた祖母がやられていたからです。

池上さんが、創価学会と公明党との関係に鋭く斬りこめたのも、そういう実体験があったからだったのですね。


佐藤 ……創価学会にとって一番怖いのは、同じ仏教を信じているのに、この相手こそが最も間違っていると考えてしまうこと。これは、キリスト教でもよくある発想です。

文章的におかしいところがありますね。
佐藤氏は、創価学会の独善的な面を批判しているはずなのですが、その印象をうすめるために、あたかも創価学会が被害者かのように「創価学会にとって一番怖いのは」という表現を無理やりしたのではないでしょうか。
正しくは、この文章は、「創価学会が一番怖いのは」でしょう。
その方が、意味がよく通じます。

今や佐藤氏は、創価学会員がもっとも頼りにする外部の評論家ですから、創価学会員が対談を読むことを慮って、言葉の細かいところにも気をつかうのでしょう。


獅子風蓮