獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その83)

2024-10-19 01:37:00 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
■終 章
□あとがき


終 章

(つづきです)

昭和34年6月、湛山は中国の周恩来首相に書簡を送った。これがいわゆる「石橋三原則」である。

一、日中両国はあたかも一国のごとく一致団結し、東洋の平和を護り、併せて世界全体の平和を促進するよう一切の政策を指導すること。

一、両国は右の目的を達するために経済、政治、文化において極力国境の障碍を撤去し、交流を自由にすること。その具体的方法については実際に即して両国が協議決定すること。

一、両国がソ連、米国その他と結んでいる従来の関係は、相互に尊重して俄(にわか)に変更を求めないこと。

間もなく中国側から廖承志人民外交学会副主席の返書が届いた。
「周恩来首相が8月22日付で正式に招待してくれたよ。9月7日から26日まで20日間、中国を訪問することになるが、おまえも一緒に行くんだよ。いいね」
湛山は、妻の梅子に訪中を共にすることを命じた。
周首相が日本人に正式の招待状を出したのは、これが初めてであった。
こうして湛山は梅子を連れ、宇都宮徳馬、加藤常太郎両代議士、経済評論家で『東洋経済新報』の編集局長だった高橋亀吉、湛山秘書の室伏祐厚らのほか、新聞記者などを含めて12人で訪中することになった。
しかし、湛山の訪中計画が明らかになると、自民党主流派から「時期尚早ではないか」、「石橋は日米安保の改定に水を差す気か」などという声が出てきた。
ところが当然のことながら、社会党は湛山の訪中を支持した。
だが、自民党の中でも松村謙三、河野一郎、石井光次郎らは湛山を励ました。
「日中友好問題は、石橋さんの生涯をかけた懸案事項であり、必ず日中は友好関係を取り戻さなければならない。その先鞭を石橋さんがつけてくれるのだから、期待して待っています。元気で行ってきてください」

(つづく)


解説

湛山の訪中計画が明らかになると、自民党主流派から「時期尚早ではないか」、「石橋は日米安保の改定に水を差す気か」などという声が出てきた。

自民党内の激しい反発を押し切って、湛山は中国訪問の途に就きます。


獅子風蓮