■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■創価学会は宗教ではない 投稿日: 2012年1月20日
「創価学会は宗教ではない」←いきなり刺激的なタイトルをつけました(笑)。でもこう考えると学会のすべてのことに合点がゆくのです。なんかおかしいな?と思うのは、創価学会を宗教団体という前提で考えているからであって、人間の良心や信仰心を逆手にとって利用した大掛かりな詐欺集団だという前提で見ると、「あっ、なるほど!」ときれいさっぱりと見えてきます。MCが解けるときって、物事の考え方の前提を変えることができるか否かにあるのではないかという気がしてきました。
今日、母に会ってきました。母は草創期の幹部で、戦後間もなくしてからその人生のほとんどを学会のために費やしてきたような女性です。もう年老いて半分認知症の状態です。私に会うのが久しぶりというわけではないのですが、今日は開口一番「あんたは誰だったかね?」と言われました。かなりショックでした。でも母は自分の認知症が進行していることを認めようとはしません。私もあえてそれには触れません。そんな母に対して「学会は間違いだった」「僕は学会をやめようと思う」などとは言えません。おそらく遅かれ早かれ母はあの気味の悪い学会の墓に埋葬されるでしょうし、母自身がそのことを望むでしょう。年に一度も家族が訪れないような遠いところにあるみすぼらしい墓に望んで入るのです。また兄夫婦がそのようにするでしょう。私の心情からすれば親を学会の墓には埋葬したくないというのが正直な気持ちですが、ここで波風たててもどうなるものでもありません。母はこの期に及んで息子が退転してしまったと、おそらく一日中仏壇の前に座って狂ったように唱題するでしょう。認知症が進みつつあるので、息子の退転の話を聞くたびに初めて聞いたように嘆き悲しむでしょう。そしてどんなに話をしたところで、それは終わりつつある母親の人生を私が一方的に否定してしまうことにしかなりません。とても悲しいです。年老いて息子の名前さえすぐには思い出せなくなった母の顔を見ると、学会って何だったんだろうとつくづく思います。どれだけの人の人生を食いものにしてきたかと思うと、やはり自分一人が脱会して済む問題ではないと私は思っています。かといって私は学会の悪の実態を指摘してギャフンと言わせることをしようとしているのではありません。自分や自分の親のように人生を間違った価値観によって利用される人がこれ以上増えないことを願うものです。復習とか報復ではなく、自分の人生を自分の考えで生きて行けるような日本であってほしいという願いからです。多くの人が学会のおかしさに、つまり「創価学会は宗教ではない」ということに気づいてほしいということです。
このブログが新しい場所に移ってまだ4日目ではありますが、今のところこれまでのような不具合は見られません。ちょっと気になるのが18日に「こんばんは」とひとことだけ投稿してあるコスモスさん、それから17日に投稿していただいたはちみつさんの文章が途中で終わっていること。これがシステムの不具合でなければいいのですが。もし、以前のようにコメント入れてもすぐに削除されてしまうなどがありましたら、ブラウザをIE以外にしてやってみてください。よろしくお願いします。
このところ仕事が忙しくて寝る間もないのですが、それでもここのことが気になるので見るだけは見ています。書き出すと仕事そっちのけで書いてしまうので、ぐっと自分を抑えています(笑)。これから3月までいよいよとんでもない忙しさになってくるので、じっくり考えてものを書いたり、学会の会合に潜入…いや参加したりすることができそうにありません。もちろん、ここでのみなさんの対話はどんどん続けてください。まだ書いたことがない方もどんどん参加されてください。ひとことだけでもいいですからコメントください。それが多くの方が学会のおかしさに気づく力となります。もちろん現役活動家の方でもいいんですよ。外部の方でもいいんです。それぞれの立場で創価学会に関してこういうことがあったとか、それに対してこんなふうに思うとか、ここのところがどうしても理解できないのだけどどう?とか。このサイトは一日のアクセスが今のところ1300?2000ほどです。もちろん一人で何度かカウントされる場合もあるでしょうから、見られている人数はそれよりはだいぶ少ないでしょうけど、それでも少なくとも毎日数百人の創価学会に興味のある方が見てくれているわけですから、ここでのコメントはなにかしらの意味はあると思います。それぞれの立場から学会に対する質問などありましたら遠慮なくなさってください。
身元が割れないように話をするというのはけっこう大変ですね(笑)。自分の書いたものを見るにつけ、話がどうしても抽象的になって、いまいち説得力がないよなあと思います。書いている途中で「あ、いかんいかん、これじゃどこに住んでて何をしている人間かまでわかるじゃん」と思ってごっそり消してしまうこともあります。で、そのうち自分じゃないようなキャラになってしまっているときがあるんですね。四六時中学会のことばっかり考えているわけにはいかないし、それでは仕事になりませんからね(笑)。
これまでこのブログで「広宣流布って何ですか?」というのと「功徳って何だろう?」という記事を書きました。それに対して多くの方にコメントをいただきました。結果、「広宣流布って会員を騙すための口実だ」ということ、「学会の信仰に功徳なんかない」という意見というより体験をお話しいただきました。私もそのその通りだと思います。創価学会は宗教を騙る利権集団であり、戦後最大の人権侵害と詐欺の組織であるということがよくわかりました。このことが分かった以上、もういまさら後戻りはできません。私も半年前だったらそこまでは言えなかったと思います。でも、いったんこの学会のおかしさを「おかしい」と気づいてからの学会の姿を見ると、すべてに合点が行くわけです。このサイトを見られている方で、「なんか学会っておかしいな」と少しだけ疑問に思ってここを訪れていらっしゃる方、その素朴な疑問をここに打ち明けてみてください。同じような疑問を抱いていた方がその後の思いや行動を話してくださると思います。たとえば「人間にとって信仰は大事だと思うんだけど、それと選挙活動を強制されることの意味がわかりません」とか。「全財産を財務にすると人間革命ができると指導されましたが、仏法はお金を出せば幸せになれるという信仰なのですか?」とか、「聖教新聞では元気いっぱいに執筆活動やメッセージをくださる名誉会長が、実際には一年半以上もまったく姿を見せないことをなぜ誰も話題にしないのですか?」など、ほんとに素朴な疑問でいいんです。ここでは日蓮仏法の教義を詳しくひも解いて学会の矛盾を指摘するような場所ではありません。また他宗との違いを書き並べたり、学会の宗教性について議論するつもりもありません。なぜなら創価学会は宗教ではないということに気づいたからです。創価学会を宗教的側面で語るとすれば、それはカルトとしての社会的影響という視点でしょう。私はそんな難しい議論をここでもちだすつもりもありません。学会に対する素朴な疑問や、現実の組織活動の報告によって、学会の本当の姿を内外の方に知っていただくことを目指しています。そしてそのような対話の中で、これまで学会によって無駄なお金と時間と労力を費やして、自分の家族の生活や人間関係を破壊してしまった方の実態も明らかになればと思っています。創価学会の真実の姿がはっきりと社会に示されたときが、多くの学会員の目が覚めるときです。すでに学会からは慣れている方でも「私はこうして学会の真実に気づいた」そんなことをお話ししていただけるとうれしいです。どうかよろしくお願いします。
●トニー(2012年1月21日 17:07)
初めまして。クロさんのブログからリンクしてきました。
身元が分からないように書くのはたいへんですよね。ときには自分がひどい嘘つきのように思えてきて、罪悪感に心が押し潰されそうになるときもあるかも知れません。が、それでいいんです。創価学会は危険です。ときにはその身に、命の危険が及ぶときすらあるのです。学会風に言うなら、「嘘も方便」ですよ(笑)。奴らのやり方を逆手に取れ!ライトクロスだ!カウンターだ!言われたら言い返せだ!命が惜しくて何が悪い!
さあ、堂々と身分を隠してください!
たとえそれがどんなに小さくとも確実なボディーブローとなり、やがては創価学会を崩壊させる、必殺の一撃となりKO勝利を生むのです。
どうかご自愛しながら気長に頑張ってください。
●SJ (2012年1月23日 09:22 )
私の非活になったきっかけは、ご本尊お取替えの時期でした。
一人暮らしだった私は、日達上人の曼荼羅を仏壇に掛けていました。
学生のときは就職活動や、社会人になると人間関係のゴタゴタ・・・悩みは尽きることなく
一生懸命祈り活動に専念していました。
まぁ、言わば苦楽をともにしたご本尊という感覚が私の中にあって、組織からの
「日達上人はお取替えしなくてもいい」というお達しに、当然だろうという気持ちがありました。
しかし、それから一ヶ月も経たないうちに「やっぱり、新しいご本尊に取り替えましょう。全部。」と会合で。
あの時の、目の前が真っ暗になる感覚は忘れられません。あれが絶望というんでしょう。
私は、幹部から個別で説明も受けておらず、自分で申請しなければいけないことなど知らないまま、時間は過ぎていきました。
そんな中、ある日の会合の時に事は起きました。みなの前で本部長が突然こう言いました。
「SJさん、もうあなただけだ。地区でご本尊をお取替えしていないのは。」
「宗門のご本尊には功徳は無いって、この前の幹部会で言っていたし、あなただけ意地を張ってても・・・」
のようなことを、突然言われたのです。私はあまりにも突然の吊るし上げで頭が真っ白になりました。
それに「功徳が無い」という言葉。なんという残酷な言葉でしょうか。今までの私を全否定です。
「今までもずっと功徳など無かったということですか?」必死で質問しました。「そういうことになるね。」
それから、朦朧としたまま家へ帰りました。すると、兄と親から連絡がありました。
「お前、地区で一人だけお取替えでごねてるのか?どうせ、お前が悪いんだから云々」責める口調でした。
私は、何と言うか情けなくて涙が出てきてしまいました。その時に、家族と組織に対する憎しみを自覚したと思います。
結局どうでもよくなって取り替えましたが、新しいご本尊に祈ったのは片手で足りるくらいでしょうか。
今思えば、あれがMCのステップ2だったと思います。いわば踏み絵のような物。
この「ご本尊お取替え」というイベントでかなりの人がふるいにかけられたのではないでしょうか。
学会員にとって、ご本尊って何なんでしょう?
自分の「命」とまで信じていたご本尊を、そんなに簡単に捨てられるものなんだと、今では怖ろしくも感じます。
私は、どうしても信仰と組織を同一に扱えなかった。だからパンクしてしまった。
しかしそれは、絶対に間違っていなかったと今は胸を張って言えます。
組織は宗教になれない。まともに考えると当たり前のことなんですが・・・
あーこれ身バレするかもしれません(笑)当時とは住居も地区も全然違うし本当のことだからいいか。
●シニフィエ(2012年1月23日 10:57)
SJさん、貴重なご報告ありがとうございます。組織がどれだけデタラメなことを会員に押し付けているのかがはっきりわかりますね。本来ならそれに疑問を感じないほうが不思議なんですが、一事が万事そんなふうなんですよね。何百万もの人が功徳欲しさに拝んでいたご本尊がただの紙切れだったというのなら、今の印刷物のご本尊がただの紙切れでない根拠を示してほしいものです。
【解説】
>母は草創期の幹部で、戦後間もなくしてからその人生のほとんどを学会のために費やしてきたような女性です。もう年老いて半分認知症の状態です。
認知症のお母さんに対して、心優しいシニフィエさんはあえて「学会は間違いだった」「僕は学会をやめようと思う」などとは言いません。
でも、そういう悲惨な最期を迎える創価学会員を少しでも減らそうと、ブログを続けます。
シニフィエさんの行動の動機は理解できます。
「創価学会は宗教ではない」
確かに、そのように言い切った方が、創価学会に疑問を持ってはいるが迷いがある人には分かりやすいのかもしれません。
でも、創価学会の信仰で救われた人、救われている人だっているわけで、私のように肉親が創価学会の信仰を保ちながら穏やかに亡くなった人もいるはずです。
「創価学会は宗教ではない」と自ら納得して組織を離れるのはいいと思うのですが、対話ブログに参加する人の全てに、「創価学会は宗教ではない」を認めさせようとするのは、明らかにおかしいと思います。
現に私は、シニフィエさんから、踏み絵を踏ませるように「創価学会は宗教ではない」と思うかどうかをしつこく何回も聞かれましたが、とても不愉快でした。
>私の非活になったきっかけは、ご本尊お取替えの時期でした。(SJさんのコメント)
私の実家のご本尊も日達上人のご本尊でしたが、知らないうちに創価学会のご本尊に取り替えられていました。
見るからにちゃちいご本尊で、がっかりしたのを覚えています。
ご本尊は信仰の根本だったはずなのに、創価学会はずいぶん強引なことをしたものですね。
獅子風蓮
この部分は、シニフィエさんの方が正しいように思えますけどね。
だって、宗教の皮を被った詐欺だもの。
オレオレ詐欺に遭った人が「孫とお話しできたようで嬉しかった」と聞いても
オレオレ詐欺の構成メンバーが善を行なったとは思わないと思うのですよ。
ただ、これまで多くの人を騙してきた構成メンバーも「騙されていた」っていうのが問題を難しくしていますね。
論点としては、次の2点かと思います。
(1)「騙されていた人には罪はないのか」
(2)「騙されたままで幸せなら、そのままにしてあげるべきなのか」
ビジネスの世界だと、コンピューターウィルスに汚染されて、逆にコンピューターウィルスの発信源となり加害者となってしまった場合は、問答無用に責任を問われますけどね。
つまり、「我が社も被害者なんです。」という言い訳は通用しない、ということです。
気に触る方がいらっしゃれば、ごめんなさいね。
何が正論なのか、他の人の意見も聞いてみたいところです。
>まだ書いたことがない方もどんどん参加されてください。ひとことだけでもいいですからコメントください。それが多くの方が学会のおかしさに気づく力となります。もちろん現役活動家の方でもいいんですよ。外部の方でもいいんです。それぞれの立場で創価学会に関してこういうことがあったとか、それに対してこんなふうに思うとか、ここのところがどうしても理解できないのだけどどう?とか。
こんなふうに考えていた時期もあったのですね(驚愕)
そんな方が、自分たちだけの居心地の良い話だけを求めるようになって、自分達と違う考え方をする者に対して攻撃的になっていく過程を知りたいです。
つまり、「カルト」はどのように誕生し、どのように成長していくのか、それがリアルに検証されることに興味がつきません。
>>対話ブログに参加する人の全てに、「創価学会は宗教ではない」を認めさせようとするのは、明らかにおかしいと思います。
>この部分は、シニフィエさんの方が正しいように思えますけどね。
>だって、宗教の皮を被った詐欺だもの。
私も、創価学会の組織が、会員の貴重な財産と時間を奪う、詐欺的な組織だと思います。
でも、創価学会の信仰で救われた人はいたし、現在でもいることは事実でしょう。
アメブロで創価学会員のみーちゃんのブログを紹介しましたが、この方のように、財務や機関紙、書籍購入の費用に納得し、活動にも自分で納得して活動している方が、今でもいらっしゃいます。
障害をもった子どものことなど、多くの困難を、創価学会の信仰を支えて乗り越えて来られました。
そうした人が一人でもいる以上、「創価学会は宗教ではない」と言い切ることは、私にはできません。
私の望みとしては、創価学会の組織に苦しめられる人が少しでも減ることです。
疑問を持った人は組織を離れればいいし、組織が過去のカルト的体質を改めるなら、それに越したことはないと考えます。
そこは、シニホヘさんとも、シニフィエさんとも共通すると思います。
>論点としては、次の2点かと思います。
(1)「騙されていた人には罪はないのか」
(2)「騙されたままで幸せなら、そのままにしてあげるべきなのか」
(1)「騙されていた人」は、それに気づいたとき、自分も加害者であったことに深く傷つきます。
自分が折伏した人に対する罪悪感は消えないでしょう。
(2)「騙されたままで幸せなら、そのままにしてあげるべきなのか」
高齢の親の場合などには、やはり強く言えないのが現実ですね。
私は、年老いた母親に反逆者と言われた親不孝者でしたけど。
獅子風蓮
>こんなふうに考えていた時期もあったのですね(驚愕)
このような運営方針が最後まで維持されていたら良かったのにと、私も思います。
獅子風蓮