獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その34)

2024-12-16 01:02:32 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


今回は「文庫版あとがき」を引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■文庫版あとがき


文庫版 あとがき   佐藤優

(つづきです)

話を元に戻し、本書が私が職業作家になる上でどのような意味をもったかについての説明を続ける。私の第2作は、2005年9月に産経新聞出版から上梓した『国家の自縛』(その後、扶桑社文庫)だった。これは、私が尊敬する産経新聞の斎藤勉氏(モスクワ支局長、編集局長を経て現在産経新聞社常務取締役)が聞き手になってくださり、あの時点でまだ混沌としていて形をなしていなかった私の考えを言語化したものである。『国家の罠』は当事者手記で、『国家の自縛』は対談である。しかし、これだけでは、職業作家になる条件を満たしていない。第三者ノンフィクションを書くことができて、はじめて職業作家として独り立ちすることができるのである。
私の第3作は、2006年に新潮社から上梓した『自壊する帝国』(その後、新潮文庫)で第4作が同年7月に上梓した本書『日米開戦の真実』である。実は原稿は、本書の方が『自壊する帝国』よりも早くできていたのである。『自壊する帝国』は、新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞を同時受賞し、私の代表作と見なされるようになった。確かに『自壊する帝国』は私にとって重要な作品だ。ただし、書き進める上での苦労はそれほどなかった。なぜなら、第1作の『国家の罠』と同じ当事者手記だったからだ。本書『日米開戦の真実』は、私が初めて書いた第三者ノンフィクションなのである。

本書の単行本あとがきに記したが、私が大川周明について「書きたい」という強い衝動を持ったのは、2002年9月17日、私が手錠、捕縄(ほじょう)をかけられて小菅の東京拘置所から東京地方裁判所第104号法廷に連行され、傍聴人とマスコミ関係者の好奇の目にさらされながら、検察官による起訴状朗読を聞いているときだった。私以外の3人の被告人は罪状を「認めます」と裁判官に告げることになる。私だけが無罪主張をしているので、公判は分離される。このときテレビで見た東京裁判のときの大川周明の姿が突然、私の脳裏に浮かんだ。
極東軍事裁判(東京裁判)の初公判にパジャマ姿で出廷し、検察官による起訴状朗読中に鼻水をたらしながら合掌し、東条英機元首相の禿頭を平手で叩いた。裁判長が休廷を宣告すると大川周明は「一場のコメディーだ。みんな引き上げろ」と叫んだ。
今になって振り返ると、私が大川周明についてこのとき思い出したのではなく、大川周明の魂魄は東京地方裁判所に浮遊してきて、私の魂をとらえたのだと思う。

ところで、ダンテの『神曲』を直訳すると「神のコメディー」になる。『神曲』の翻訳者である平川祐弘氏はこう述べる。
〈ダンテ自身はこの作品を単に「コンメーディア」と呼んでいた。めでたい結びを持つ作品はCommmediaなのであり、至高天に昇ることで終わるこの作品がめでたいことは論をまたない。「神々しい」という形容詞はボッカッチョに由来する由だが、 Divina Commediaという題名は1555年のヴェネチア版で決定されたといわれている。日本ではコルリイルの『西洋易知録』(河津祐之訳、明治2年)に「ヂヒナコ メジヤ」の名が見える。「神曲」という訳名は森鴎外が『即興詩人』の中でそう訳したため人口に膾炙した。〉(平川祐弘「ダンテと『神曲』の世界」『神曲 天国篇』河出文庫、2009年、509頁)

確かに私に関しては、逮捕、勾留の経験が「めでたい結び」を持ったといえる。この経験を経て、どのような状況でも私を信じ、支えてくれる本当の友がいることを確認できたからだ。
大川周明があの奇矯な立ち振る舞いをしなかったならば、東京裁判の本質を私は理解することができなかった。「勝者の裁き」という茶番を大川周明が可視化したのである。この意味は大きい。東京裁判をめぐってはシンボルを巡る闘争が展開されている。率直に言うが、すでに有効性を喪失して久しい左翼、右翼というレッテルを貼りながら展開されているこのシンボルを巡る闘争に私はまったく関心がない。しょせん「勝者の裁き」とはこんなものだ、と東京裁判を突き放して見ている。

ここで興味深いのは、A級戦犯を巡って、定義をよく詰めないまま空中戦が行われていることだ。すなわち1946年1月19日付極東国際軍事裁判所条例第5条に基づき、平和の罪で訴追された者をA級とした。そして、通常の戦争犯罪で訴追された者をB級、人道に対する罪で訴追されたものをC級とした。このような見方が現時点における多数派の見解といってよいと思う。念のため『世界大百科事典』(平凡社)の記述を引用しておく。

(中略)

東京裁判が行われていた当時は、極東軍事裁判所条例第5項の規定と関係なく、「平和に対する罪」に問われた国家指導者をA級戦犯 class A war criminal、それ以外のB項とC項の犯罪を犯した者をBC級戦犯class B & C war criminalと呼んでいた。これは米国式の呼称で、英国式ではA級戦犯を主要戦犯major war criminal、BC級戦犯を軽戦犯 minor war criminalと呼んでいる。さらにBC級戦犯に、B級は指揮監督にあたった士官・部隊長、C級は直接捕虜の取り扱いにあたった者、主として下士官、兵士、軍属であるという解釈もある。この点について、何人かの読者から感想と意見を頂いた。文庫化にあたって、読者からの意見を踏まえた改訂を当初試みたが、それを行うと本書の主要論点からはずれると考え、断念した。私の力不足のため、読者の要望に十分応えることができていない部分があることについてお赦しを乞いたい。

(つづく)


解説

私が大川周明について「書きたい」という強い衝動を持ったのは、2002年9月17日、私が手錠、捕縄(ほじょう)をかけられて小菅の東京拘置所から東京地方裁判所第104号法廷に連行され、傍聴人とマスコミ関係者の好奇の目にさらされながら、検察官による起訴状朗読を聞いているときだった。私以外の3人の被告人は罪状を「認めます」と裁判官に告げることになる。私だけが無罪主張をしているので、公判は分離される。このときテレビで見た東京裁判のときの大川周明の姿が突然、私の脳裏に浮かんだ。
極東軍事裁判(東京裁判)の初公判にパジャマ姿で出廷し、検察官による起訴状朗読中に鼻水をたらしながら合掌し、東条英機元首相の禿頭を平手で叩いた。裁判長が休廷を宣告すると大川周明は「一場のコメディーだ。みんな引き上げろ」と叫んだ。

このような経験があったので、佐藤氏の大川周明への思い入れは強くなったようです。

 

獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その33)

2024-12-15 01:33:44 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


今回は「文庫版あとがき」を引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■文庫版あとがき


文庫版 あとがき   佐藤優

本書は、私が職業作家になる過程でとても大きな意味をもった本である。
私のデビュー作は、2005年3月に新潮社から上梓した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(その後、新潮文庫)だった。2002年5月14日、私は当時吹き荒れていた鈴木宗男バッシングの嵐に呑まれ、東京地方検察庁特別捜査部によって逮捕、起訴され、512日間の独房生活を送ることになった。当初、刑事被告人が書いた本が日本社会に受け入れられることは絶対にないと私は考えていた。しかし、私が見た鈴木宗男事件の真実について、私を信頼して北方領土交渉に取り組んだ外務省の同僚や後輩に手記を書き残しておくべきと思った。幸い、『国家の罠』は世間に受け入れられ、当時、法曹関係者の業界用語でしかなかった「国策捜査」が市民権を得るようになった。
『国家の罠』の刊行から5年経って、検察の正義が揺らぎ始めている。障害者団体向け割引郵便料金を巡る不正事件に関して大阪地方検察庁特別捜査部の主任検事が証拠を改竄した事実が明らかになった。この主任検事は逮捕された。さらにこの主任検事が改竄を行ったときの上司だった特捜部長と副部長も犯人隠避の容疑で逮捕、起訴された。そしてこの事件の責任をとって検事総長が辞任するという前代未聞の事態に発展した。

検察官出身の弁護士や司法記者から、「佐藤さんの『国家の罠』が今回の事態をもたらす発端になったんです」という感想をよく言われる。それに対して私はこう答えることにしている。
「そういう話をときどき聞くのですがどうもピンとこないのです。『国家の罠』を注意深く読んでいただけばわかると思いますが、僕は国策捜査について、善いとか悪いとかいう判断を一切していません。時代の転換点に国策捜査は起きるという認識を述べただけです。今回逮捕された大阪特捜の大坪弘道前部長、佐賀元明元副部長も国策捜査の犠牲になったと見ています。僕は大坪さん、佐賀さんが犯人隠避という犯罪を犯したとは思っていません。検察庁という官僚組織が生き残るために大坪さん、佐賀さんを国策捜査の生け贄に差し出したのです。他の人には見えないかも知れませんが、僕にはそれが見えるのです。そもそも僕が国策捜査を発見したのではありません。ユング心理学の言葉を用いるならば、特捜検察官の集合的無意識となっている国策捜査を言語化しただけです。別の言い方をすれば、確実に存在するのであるが、見えないものを見えるようにしただけです。僕は検察庁は公益を擁護するために重要な機関と思っています。特捜検察も断固残すべきと考えます。特捜検察を廃止しても、今度は警察が国策捜査を行うことになるだけです。検察が行政から一定の距離をもっているのに対して、警察は時の内閣の指示に従う純粋な行政機関です。それだから今よりももっと恣意的に政治的思惑の事件が作られることになる。戦前、戦中の特高警察の再来になります。それだから僕は特捜擁護の論陣を張っているのです」

実は、私は逮捕直後から大阪拘置所の独房に勾留されている大坪、佐賀両氏と文通をしている。2人とも人格的に優れた人で、淡々と無罪主張を貫いている。もちろん検察組織の不条理な対応に対しては憤り、悲しんでいる。しかし、それ故に検察憎しという感情的対応をしているのではない。2人は想定外の状況下で「なぜこのようなことが起きたのか」ということを自分の頭で考え、品格のある闘いを展開しようとしている。

このあとがきを書いている2011年1月3日時点で、大坪、佐賀両氏は大阪拘置所の暖房のないかび臭い独房に収容されている。この2人にも、かつて大川周明が見たのと同じ国家の暴力性が見えていると思う。この暴力性が見えると、だいたいの人は反国家、反体制という気分を持つようになる。しかし、大川はそうならなかった。この大川の国家観から私は多くを学んだ。レーニンは「監獄は革命のための学校」と述べたが、大川にとって「監獄は国家について考えるための学校」だったのである。その意味で、私は大川の同窓生だ。そして、この同窓生名簿には、村上正邦氏(元労働大臣)、鈴木宗男氏(前衆議院議員、新党大地代表。現在、喜連川社会復帰促進センター[民営刑務所]に収監)、石川知裕衆議院議員などが連なっている。大阪拘置所に「入学」した大坪弘道、佐賀元明両氏も、近く私たちの仲間になると思う。私たちは、日本国家を過剰なほどに愛したが故に「国家の罠」にとらわれてしまったのだ。

(つづく)


解説
大坪、佐賀両氏は大阪拘置所の暖房のないかび臭い独房に収容されている。この2人にも、かつて大川周明が見たのと同じ国家の暴力性が見えていると思う。この暴力性が見えると、だいたいの人は反国家、反体制という気分を持つようになる。しかし、大川はそうならなかった。この大川の国家観から私は多くを学んだ。レーニンは「監獄は革命のための学校」と述べたが、大川にとって「監獄は国家について考えるための学校」だったのである。その意味で、私は大川の同窓生だ。

池田大作氏の場合は大阪で拘置所に収容されたとき、どのような風景が見えていたのだろうか。
そのことから氏は反国家、反体制という気分を持つようになったのだろうか。
むしろ、権力の恐ろしさが身に染みて、この屈辱を二度と味わうことのないように、創価学会員の中から検事・裁判官・弁護士などの法曹関係者を多く生み出そうと決意したのだろう。
今後、このへんのことも検証してみたいと思います。

 

獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その32)

2024-12-14 01:24:06 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
□第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
■あとがき


あとがき

2002年9月17日は小泉純一郎首相が北朝鮮の平壌を訪れ、金正日朝鮮労働党総書記と会見した日だが、私の個人史にとっても忘れられない日である。この日、私は小菅の東京拘置所独房から引き出され、手錠、捕縄をかけられて東京地方裁判所第104法廷に連行された。鈴木宗男疑惑に関連して私は背任・偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴されたが、その初公判が行われたのだ。この事件については、拙著『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』に詳しく記したので、ここでは繰り返さないが、この法廷で私は突然、大川周明氏について思い出したのである。


いまここで突然私が立ち上がり、「茶番だ!」と大きな声で叫んだら、どうなるだろうか。きっと退廷させられるだろう。
極東軍事裁判において、脳梅毒で免訴になった大川周明被告は、初公判にパジャマに下駄履きで出廷し、起訴状朗読中に鼻水をたらしながら合掌し、東条英機元首相の禿頭を平手で叩き、ウエッブ裁判長が休廷を宣告すると「一場のコメディーだ。みんな引き上げろ」と叫んだという。私も隣の拘置所職員の帽子をとりあげ、奇声を発してみようか。こんなことを考えていると思わず笑いが込み上げてきた。ここは「劇場」以外の何物でもない――。(佐藤優『国家の罠』新潮社、2005年、28頁)

今も私は公判で大川周明氏のようなパフォーマンスができなかった自分の胆力のなさを情けなく思っている。
現役外交官時代に私が読んだ大川周明氏の著作は『復興亜細亜の諸問題』(明治書房、1939年、中公文庫、1993年)だけだった。ソ連の中央アジア政策について的確な分析をしているという感想をもったが、この時点では思想家としての大川周明氏には関心をもたなかった。2003年10月8日に保釈になった後、私は神田神保町の古本屋を歩き、大川氏の著作を買い漁った。著作を読み進めるうちに、世間一般の常識と大川周明氏の感覚のズレに何ともいえない共感を覚えるようになった。私が東京拘置所の独房生活について、「思索のためによい環境だった。読書とノート作りに専心できたので、全く苦しくなかった」と言っても、額面通りに受け止めてくれる人はほとんどいない。私が何か強がりを言っていると誤解するのである。大川氏の思想的自叙伝とでも言うべき『安楽の門』(1951年)を読むと「人は監獄でも安楽に暮らせる」「人は精神病院でも安楽に暮らせる」といった章が続く。いかに与えられた環境を活用するかというプラグマティズムがユーモアとともに綴られている。


大審院で禁錮5年の判決が下り、既決囚として豊多摩刑務所に入るときは、在所中に『欧羅巴近世殖民史』を書く心算を決めていたから、書斎を自宅から監獄に移した気持ちで、約一年有余を実に忙しくかつ有効に過ごした。この一年有半に私は百二十頁綴りのノート・ブック40冊を書き上げた。(「安楽の門」『大川周明全集 第一巻』所収、729頁)

私の東京拘置所独房生活は、512日間、約1年5ヵ月だったが、その間に書きためた思索ノートは62冊になった。大川周明氏は1936年6月16日の獄中日記に次のように記している。


監獄はこの世ながらの地獄と言われる。なるほど夏は実に熱く、冬は実に寒いところは、焦熱地獄・大寒地獄を想わせるけれど、寒暑に負けない健康をもっている人にとっては、監獄は地獄とは相へだたる遠いものだ。少なくとも寒暑による肉体的苦痛を除けば、監獄はほとんどいかなる苦痛をも予に与えない。いろいろな快楽を奪われてはいるが、天を思い、真理を求め、人を愛する最大の楽事は、どこにいても奪われない。思いかつ愛することを知る者は、獄中なお安楽に暮らすことができる。(同730-731頁)

ここで私は拘置所体験について共通のことばをもった人を見出した。ここから私は大川周明の国家論、国際関係論にも率直に耳を傾けるようになった。そこには「日本ファシスト」「超国家主義者(ウルトラ・ナショナリスト)」という枠には収まらない 「知の巨人」が立っていた。

第二次世界大戦終結から既に60年が過ぎ、ソ連崩壊から今年で15年になる。冷戦のみならず、冷戦後も既に過去の歴史の一時代として括られ、2001年9月11日の米国連続テロ事件以降の時代は「ポスト冷戦後」と呼ばれはじめている。大川氏の『米英東亜侵略史』を読み進めるうちに、世界最強国とそれ以外の諸国は異なった論理をもち、その軋轢をうまく処理しないと戦争が起こるという構造が見えてきた。図式化して言うと、最強国は競争で物事を決めるといつも自国が勝利するので、競争を阻害する要因を極力排除する自由主義を無意識に採用したがる。自由主義は世界を単一原理で統合しようとする普遍主義の一類型である。20世紀初頭までその役割を果たしたのがイギリスで、その後はアメリカに役者が変わった。1930年代に普遍主義に対抗して、ファッショ・イタリア、ナチス・ドイツという一種の「棲み分け」を主張する諸国があらわれた。当時の大日本帝国は大東亜共栄圏という名称でこの「棲み分け」の論理をもっとも洗練された形で提示した。しかし、第二次世界大戦の結果、日独伊は敗れ、普遍主義が世界の主流になった。
ところで1917年のロシア革命で誕生した史上初の社会主義国家・ソ連は、当初、普遍主義的なプロレタリア革命を全世界に起こそうとしたが、1930年代にスターリン体制が確立した後は基本的に「棲み分け」を基本に世界秩序を組み立てようとした。1991年のソ連崩壊後、唯一の超大国となったアメリカの普遍主義が世界を覆うかに見えた。同時にアメリカの市場原理主義とは別の単一原理、イスラームによって世界を覆うことを意図する政治勢力が無視できない影響をもつようになった。さらに最近では、アメリカとの協調体制を壊さないように細心の配慮をしながら、ヨーロッパはEU(欧州連合)、ロシアはコーカサス、中央アジアなどのユーラシア地域に「棲み分け」の世界を作り始めている。
東アジアの現状を見た場合、中国がどのような国家路線を採用するかがよく見えない。そもそも中国人が中華思想を普遍的原理と考えているのか、中国国家と中国人の内在的論理として、他者と自己を区別する「棲み分け」の原理と考えているのかがよく見えない。実は現下日本を取り巻く国際情勢は、大川周明が『米英東亜侵略史』で分析した構図にひじょうに似ているのである。

2001年に小泉政権が成立した後、日本は親米一辺倒の外交路線を選択した。正確に言うとこれは外交のみならず政治経済全般の国家路線としてアメリカが主導する新自由主義政策に追従する選択だ。その負の影響が、新自由主義的改革政策を5年間進めた現在、露見し始めている。弱肉強食の結果、「ヒルズ族」に表象される「勝ち組」とニート、「下流社会」に表象される「負け組」の間の格差が目に見えるようになってきた。都市と地方の格差も広がっている。総中流社会日本という神話は崩壊しつつある。また、マンションの耐震強度偽装事件のような規制緩和の弊害も明らかになった。これらの事件を契機に新自由主義的な経済政策に対する批判も高まっている。しかし、新自由主義政策はアメリカの国益に合致しているので、日本が新自由主義政策を見直すことはアメリカとの軋轢を強める結果になる。

そもそも日本の政府内部には以前から隠れた形での反米意識、嫌米感情がある。例えば、アメリカが「悪の枢軸」と呼んでいるイランのアザデガン油田開発に日本は執心している。エネルギーの独自開発という名の陰に「アメリカに対する独自性を示したい」という意識が見え隠れする。アメリカを含めずに「東アジア共同体」を作ろうとする構想には、より目に見える形で嫌米感情が浮き出している。
私は日米同盟は重要と考える。なぜならアメリカは戦争に強い国だからだ。強い国とは仲良くしておいた方がいい。しかし、親米保守という概念は成り立たないと考える。保守主義とは自国、すなわち日本国家と日本人の伝統の上でのみ成り立つものだから、親日保守しかありえないと考えるからだ。同時にアメリカでは親米保守、中国では親中保守しか成立しえないのである。
一方、普遍主義を採用する最強国は常に横暴で、しかも自らの横暴さに気づかない。この内在的論理をよく押さえた上でアメリカに対処することが日本の国益のために必要なのだ。即時的な反米、嫌米が日本の国益に反するのは論を待たないが、現実的な損得勘定を無視したイデオロギーとしての親米主義も危険である。日本の国益のためにリアリズムに基づいた対米関係を構築する必要がある。このための貴重なデータが『米英東亜侵略史』には含まれているのである。

そのような理由で、私は『米英東亜侵略史』を是非とも復刻したいという話を『SAPIO』(小学館)編集部の平田久典氏にしたところ、「大川周明氏の現代的意味についての佐藤さんの解説とあわせて復刻しましょう」という提案がなされた。当初は私のつたない解説では名著『米英東亜侵略史』の歴史的価値を減殺してしまうのではないかと考えたが、平田氏による何回かの説得を経て大川周明氏に対する偏見を取り払い、「知の巨人」としての地位を復活するために私なりの努力をしようという気持ちになった。
現役外交官時代、ソ連崩壊直後に『SAPIO』と御縁ができたが、平田氏とは全く面識がなかった。もっともその頃、平田氏はまだ高校生だったはずだ。保釈直後に平田氏から手紙を頂き、その後、『SAPIO』を毎号送っていただいたが、人脈を積極的に拡大しようと考えなかった私は特に返事をしなかった。私の公判を支援する人々が学者やジャーナリストを招いてシンポジウムを行うようになったが、平田氏も参加して下さり、意見交換をするようになった。私は日本国家の現状を憂い、同時に編集者としてインテリジェンスの重要性を日本人に知らせたいと考える平田氏の熱意に打たれ、『SAPIO』に「インテリジェンス・データベース」を連載することにした。その後、『SAPIO』の読者から様々な照会や意見が寄せられるようになったが、その中で「日本人としての国家観を確立するためにはどういう勉強をすればよいか」という質問がいくつもあった。私は近過去によく読まれ、大きな影響を与えたが、戦後、忘れ去られてしまった書物をもう一度繙くことが効果的と考える。大川周明『日本二千六百年史』(第一書房、1939年)、北畠親房(文部省蔵版)『神皇正統記』(社会教育会、1936年)、文部省編纂『國體の本義』(内閣印刷局、1937年)等を一切の偏見を排して、テキストとして読み解くことだ。それによって私たちが日本人であることの魂(大和魂)が甦ってくるのである。これらのテキストから明らかになる大和魂とは、他者に自己の原理を強要しない、多元論的価値観で、国際協調の基本となる物事の考え方である。『米英東亜侵略史』もこのような多元論的価値観に貫かれた書物である。

国民(民族)国家(ネイション・ステート)システムに様々な問題があることは確かだ。しかし、本文でも述べたが、予見される未来に民族や国家が消滅することもないであろう。他の民族、他の国家とどうやって付き合っていくかを日本国家も日本人も真剣に考え直さざるを得ない状況に置かれている。あの戦争を太平洋戦争と呼ぶか、大東亜戦争と呼ぶかは本質的な問題ではない。極東国際軍事裁判(東京裁判)についても「勝者の裁き」の論理にわれわれが従う必要はないが、同時に戦勝国が押しつけた「物語」の内在的論理については、不愉快であっても理解しておかなくてはならない。大川周明氏が『米英東亜侵略史』で展開した言説は、国際スタンダードで見ても十分説得力をもつ、知的水準の高い言説であったが、それが歴史的には「敗者の論理」であったことも厳粛たる事実なのだ。これらの点を総合的に勘案した上で、現代に生きるわれわれ日本人は『米英東亜侵略史』から日本国家と日本人の生き残りにつながるヒントを見出すことが課題なのである。『米英東亜侵略史』はラジオ講演の速記録をもとにしているので、難解ではないが、60年以上の時間の経過で、活字文化も変遷しているので、読者の便宜を考え表記を現代風にあらため、小見出しと注釈をつけた。この作業には平田久典氏と本郷明美氏が従事してくださり、筆者としても満足する仕上がりになった。お二人の尽力に深く感謝する。

本書の出版にあたって、2005年7月、私は平田氏とともに山形県酒田市を訪れ、大川家第17代の大川賢明氏の御案内で、大川周明先生の墓参をし、さらにゆかりの地を訪れた。大川周明氏は大川家第15代であったが、子供がなく家督は弟に移り、そのお孫さんが大川賢明氏である。大川邸では大川賢明氏、お母様の大川克子氏より、大川周明氏の貴重な書簡、写真、さらに大川周明氏が上海を訪問した際、北一輝氏が護身用として寄贈した仕込み杖(杖の上部の金属ボタンを押すとキャップが外れ、槍が出てくる)を見せていただき、知的刺激を受けるとともに想像力を膨らました。また、本書カバーの写真も大川賢明氏の提供によるものである。深く感謝申し上げる。

2006年5月

佐藤優

 

 


解説
今も私は公判で大川周明氏のようなパフォーマンスができなかった自分の胆力のなさを情けなく思っている。
(中略)
ここで私は拘置所体験について共通のことばをもった人を見出した。ここから私は大川周明の国家論、国際関係論にも率直に耳を傾けるようになった。そこには「日本ファシスト」「超国家主義者(ウルトラ・ナショナリスト)」という枠には収まらない 「知の巨人」が立っていた。

佐藤優氏は自分と同じ体験(拘置所体験、冤罪事件など)を持つ人に対する思い入れが強いようです。
氏は、公判で大川周明のようなパフォーマンスができなかったと残念がり、大川周明が独房でよく勉強したことと自己を重ね合わせます。
なるほど。
もしかしたら、佐藤氏が池田大作氏を評価しているのも、拘置所体験が共通するからかもしれませんね。

本書の検証はこれでおしまいですが、この本には文庫版があり、その文庫版あとがきにも、注目すべき情報がみられました。
次回、検証します。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その31)

2024-12-13 01:12:00 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
●第七章 現代に生きる大川周明
 □「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 □自己絶対化に陥らないためには……
 □各国・地域で形成される「国民の物語」
 ■日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第七章 現代に生きる大川周明

日本に残されたシナリオは何か

日本を取り巻く国際環境はますます厳しくなっている。中国、韓国、北朝鮮、ロシアなど近隣諸国との外交は「八方塞がり」で、1940年代のABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)包囲網を想起させる。頼みの日米関係もBSE(牛海綿状脳症)問題のみならず、普天間基地移転、グアムへの海兵隊移転の費用負担に象徴的に現れた米軍再編問題という日米安保の根幹で不協和音が生じている。「小さな政府」、規制緩和という新自由主義的改革が、結果としてアメリカを利するものであるとの意識も強まってきた。このような状況で嫌米感情が国民の間で拡大している。筆者はイデオロギー的な親米も、感情的な反米も同じくらい危険と考える。ソ連型共産主義というイデオロギーに基づく脅威が存在したときには、イデオロギー的反共主義=親米主義は日本の国益に適った。しかし、ソ連が崩壊してもう15年になる。冷戦時代の親米主義が通用しなくなったことについて改めて議論する必要すらないと思う。65年前、われわれの祖先は、アメリカから追い込まれ、やむを得ぬ事情で戦争に突入し、敗れた。この教訓から学ばなくてはならない。決して負け戦をしてはならないということだ。その観点から、冷戦後の超大国であるアメリカと全面対峙する路線を選択するなどというのは論外だ。
9・11米国連続テロ事件後の世界を「冷戦後」と区別し「ポスト冷戦後」と呼ぶ論者がいる。「東アジア共同体」構想も「ポスト冷戦後」の日本の選択肢の一つと考えられているのであろうが、筆者はこのシナリオには乗らない。人為的に東アジアの共通意識を作ろうとした大東亜共栄圏の試みが失敗したことからわれわれは謙虚に学ばなくてはならないと思う。
60年前、東京裁判で大川周明が免訴にならず、法廷でアメリカ、イギリスの国際ルール無視、アジアに対する植民地主義が道義性をもたないことを実証的なデータに基づいて主張したならば、それは大いに説得力をもったであろう。それと同時に、国家にも民族にも運不運があるので、ある状況では、負ける蓋然性が排除されない戦争に突入せざるを得ない状況があることについて、大川自身の認識と覚悟を述べ、東京裁判は法廷ではなく戦場であることを明らかにすれば、大川の言説は歴史にしっかり刻み込まれたと思う。聡明なアメリカ人が大川の危険性に気づき、精神障害を理由にその機会を奪ったのが真実と筆者は認識している。それだから地下から大川周明の言説をもう一度地上に引き出してこなくてはならないのだ。
歴史は反復する。1930年代末から40年代初頭によく似た国際環境が現在日本の周囲に形成されつつある。しかし、まったく同じ反復を繰り返すことはない。過去の歴史に学び、崩壊へのシナリオを回避するのだ。それではどのようなシナリオが日本国家と日本人に残されているのか。
筆者は予見可能な未来、つまり今後、15年くらいの間に国民国家システムが完全な機能不全を起こすことはないと考えている。新自由主義やグローバリゼーションには歩止まりがある。日本の国家体制(国体)を強化することがわれわれに残された現実的シナリオだと思う。国体の強化は、大川周明が言うように、日本の伝統に立ち帰り、「自国の善をもって自国の悪を討つこと」によって可能になる。そして、自信をもって自国の国益を毅然と主張できる国になることだ。自らの主張に自信をもっている国家や民族は、他国や他民族の価値を認め、寛容になる。日本はアメリカの普遍主義(新自由主義や一極主義外交)に同化するのでもなければ、「東アジア」の共通意識を人為的に作るという不毛なゲームに熱中する必要もない。
大川周明が高く評価した北畠親房が『神皇正統記』で表した、外部世界(15世紀の基準ではインドと中国)の内在的論理を十分理解するが、そのいずれにも同化しない独特の場所を追求していくという手法から学ぶのだ。アメリカ、中国それぞれの内在的論理を理解するが、その両国とも同化せずに、両国と巧みに取り引きする中で、日本国家と日本人の生き残りを図るのである。
この観点から、いまここでもう一度、われわれが大川周明の『米英東亜侵略史』を読み解く必要がある。

 


解説
「東アジア共同体」構想も「ポスト冷戦後」の日本の選択肢の一つと考えられているのであろうが、筆者はこのシナリオには乗らない。人為的に東アジアの共通意識を作ろうとした大東亜共栄圏の試みが失敗したことからわれわれは謙虚に学ばなくてはならないと思う。
(中略)
アメリカ、中国それぞれの内在的論理を理解するが、その両国とも同化せずに、両国と巧みに取り引きする中で、日本国家と日本人の生き残りを図るのである。

著者のこの主張に賛同します。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その30)

2024-12-12 01:44:47 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
●第七章 現代に生きる大川周明
 □「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 □自己絶対化に陥らないためには……
 ■各国・地域で形成される「国民の物語」
 □日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第七章 現代に生きる大川周明

各国・地域で形成される「国民の物語」

これに対して、北畠親房に連なる復古的改革の思想を体現した政治家は今のところ姿を現していない。日本の伝統的思想は生活の中に潜り込んでしまうので、容易にその形を表さないが、この潮流の力を過少評価してはならない。少なくとも靖国神社参拝を公約に掲げ、それを実行している小泉首相には、顕在化している新自由主義思想と共に底流には復古的改革への思いがある。復古的改革は、政治路線としては新保守主義と結びつきやすい。新自由主義が市場原理主義であるのに対して、新保守主義は日本の過去の伝統をシンボルとして取り出し、現実の政治に生かすことを考える。小泉首相の靖国神社参拝へのこだわりは新保守主義的なシンボル操作と解釈することができる。しかし、場当たり的なシンボル操作だけでは「国民の物語」にはならない。新保守主義が政治の世界で力をもつためには過去のシンボル操作を含め、確固たる「国民の物語」をつくらなくてはならない。

アメリカの場合、ネオコン(新保守主義者)は、自由、民主主義、自助努力と、自己責任などアメリカ建国時のシンボル操作で新自由主義をアメリカの伝統に埋め込むという思想的アクロバットに成功した。ロシアのプーチン政権は、ユーラシア地政学を甦らせるというシンボル操作に成功しつつある。ロシア帝国という「国民の物語」もロシアに定着しつつある。ヨーロッパについては、国民国家を超えた「ヨーロッパ人の物語」が定着したので、EU(欧州連合)内の国境が意味をもたなくなり、共通通貨ユーロが抵抗なく受け入れられている。ロシア、ヨーロッパに共通して言えることは、アメリカ型の新自由主義=市場原理主義と正面から対決することは避け、国際関係では新自由主義的な「ゲームのルール」にかなりの程度まで従うが、自己の領域内では文化に根ざした独自の「ゲームのルール」が展開されるという考え方で、前に述べた自己完結的な内在的論理を尊重するライプニッツ主義に基づいているのである。

さて、わが日本はどのような「国民の物語」を形成していくのか。あるいは「国民の物語」の形成自体に意味を認めず、アメリカ型新自由主義や、中国を中心とする東アジア共同体に日本が溶解していくのであろうか。現時点で確定的なことは何も言えない。2006年1月23日にライブドア社長の堀江貴文が逮捕されたことで、新自由主義の流れに一定の歯止めがかかり始めたように見える。小泉首相自身は、恐らく無自覚的に新自由主義と復古主義という相異なるベクトルの路線に足を置き、改革に向けた国家路線を明確に提示することができなかった。日本国家の改革をどうするかは本年9月の自民党総裁選で決まる次期首相の手に委ねられることになる。次期首相が復古的改革を理性の言葉で表現することに成功すれば「平成の中興」を実現することができる。逆に新自由主義の流れに押され、改革が土俗性から遊離するとイタリア型ファシズムに類似した閉塞した政治体制が日本に生まれる危険性が高まると筆者は危惧している。
ファシズムは土俗性を嫌う。ファシズムの危険性について日本で警鐘を鳴らすのは左派、市民派の専売特許のような観があったが、最近では、国家主義陣営からも、日本がファシズムに向かう危険性を危惧する真摯な言説が提示されている。この関連で西尾幹二の言説が興味深いし、鋭いと思う。


世間はファシズムというとヒットラーやムッソリーニのことを思い出すがそうではない。それだけではない。伝統や歴史から切り離された抽象的理想、外国の理念、郷土を失った機械文明崇拝の未来主義、過度の能率主義と合理主義への信仰、それらを有機的に結びつけるのが伝統や歴史なのだが、そこが抜けていて、頭の中の人工的理念をモザイク風に張り合わせたきらびやかで異様な観念が突如として権力の鎧をつけ始めるのである。それがファシズムである。ファシズムは土俗から切り離された超近代思想である。(西尾幹二「ハイジャックされた漂流国家・日本」『正論』2005年11月号所収、産経新聞社)

西尾の「土俗から切り離された超近代思想」にファシズムの特徴を見るというのは慧眼だ。「大日本者神國也」というテーゼは土俗思想そのものである。堀江貴文や竹中平蔵のような新自由主義者には土俗という感覚自体がわからなくなっているのであろう。このような人々が「強者をより強くすることで、日本を強くする」との信念をもっていたとしても、根本の国体観が不在なので、強くする主体となる日本国家と日本人が「頭の中で人工的理念をモザイク風に張り合わせたきらびやかで異様な観念」の域を出ないのだ。新自由主義政策を推し進めると、国家や民族に意味はなくなる。しかし、それでは国家がなくなる。そこで観念によって、日本国家を束ねようとする。
この観念としてこれから人気を得る可能性(危険性)をもつのが大統領制である。2005年9月の総選挙における「憲法が『天皇は日本の象徴である』というところから始まるのには違和感がある。歴代の首相や内閣が(象徴天皇制を)何も変えようとしないのは多分、右翼の人たちが怖いから」(毎日新聞電子版2005年9月7日)、「大統領制にした方がいい。特にインターネットが普及した世の中の変化のスピードが速くなっている。リーダーが強力な権力を持っていないと対応していけない」(同上)という堀江の言説が一部政治エリートに受け入れられているという現実が、筆者には日本の国体が内側から崩れ始めている徴候に見える。ここで重要なのも堀江貴文という個人ではない。「ホリエモン的なるもの」すなわち日本に共和制を導入する可能性のある新自由主義的政治言説なのだ。従って、状況は堀江が逮捕され、影響力を失っても基本的に変化しない。新興の経済エリートから共和制を志向する「ホリエモン的なるもの」は今後も必ず現れる。主観的には改革により日本の再生を意図する人々が国家を内側から崩壊させるという悲劇を防ぐために、今こそわれわれは大川周明の復古的改革思想を学び直さなくてはならないのである。

 


解説
アメリカの場合、ネオコン(新保守主義者)は、自由、民主主義、自助努力と、自己責任などアメリカ建国時のシンボル操作で新自由主義をアメリカの伝統に埋め込むという思想的アクロバットに成功した。ロシアのプーチン政権は、ユーラシア地政学を甦らせるというシンボル操作に成功しつつある。ロシア帝国という「国民の物語」もロシアに定着しつつある。ヨーロッパについては、国民国家を超えた「ヨーロッパ人の物語」が定着したので、EU(欧州連合)内の国境が意味をもたなくなり、共通通貨ユーロが抵抗なく受け入れられている。

本書の発行は2006年4月とかなり昔なので、現在の国際政治状況とはズレが目立ちます。
アメリカの場合はネオコンのかかげる新自由主義からトランプ氏のアメリカ第一主義へと変質しており、「国民の物語」も大きく分断されています。
ロシアでは、プーチンがロシア帝国という「国民の物語」を肥大させすぎて戦争まで引き起こしました。
ヨーロッパでは、イギリスをはじめ自国第一主義がはびこり、EU(欧州連合)の亀裂が目立ちます。


主観的には改革により日本の再生を意図する人々が国家を内側から崩壊させるという悲劇を防ぐために、今こそわれわれは大川周明の復古的改革思想を学び直さなくてはならないのである。

大川周明の復古的改革思想が正しいのかどうかの評価は置いとくとして、大川周明に光を当ててその思想を学び直すことには賛成です。

 


獅子風蓮