創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。
というわけで、こんな本を読んでみました。
佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」
興味深い内容でしたので、引用したいと思います。
日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く
□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
□第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
■あとがき
あとがき
2002年9月17日は小泉純一郎首相が北朝鮮の平壌を訪れ、金正日朝鮮労働党総書記と会見した日だが、私の個人史にとっても忘れられない日である。この日、私は小菅の東京拘置所独房から引き出され、手錠、捕縄をかけられて東京地方裁判所第104法廷に連行された。鈴木宗男疑惑に関連して私は背任・偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴されたが、その初公判が行われたのだ。この事件については、拙著『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』に詳しく記したので、ここでは繰り返さないが、この法廷で私は突然、大川周明氏について思い出したのである。
いまここで突然私が立ち上がり、「茶番だ!」と大きな声で叫んだら、どうなるだろうか。きっと退廷させられるだろう。
極東軍事裁判において、脳梅毒で免訴になった大川周明被告は、初公判にパジャマに下駄履きで出廷し、起訴状朗読中に鼻水をたらしながら合掌し、東条英機元首相の禿頭を平手で叩き、ウエッブ裁判長が休廷を宣告すると「一場のコメディーだ。みんな引き上げろ」と叫んだという。私も隣の拘置所職員の帽子をとりあげ、奇声を発してみようか。こんなことを考えていると思わず笑いが込み上げてきた。ここは「劇場」以外の何物でもない――。(佐藤優『国家の罠』新潮社、2005年、28頁)
今も私は公判で大川周明氏のようなパフォーマンスができなかった自分の胆力のなさを情けなく思っている。
現役外交官時代に私が読んだ大川周明氏の著作は『復興亜細亜の諸問題』(明治書房、1939年、中公文庫、1993年)だけだった。ソ連の中央アジア政策について的確な分析をしているという感想をもったが、この時点では思想家としての大川周明氏には関心をもたなかった。2003年10月8日に保釈になった後、私は神田神保町の古本屋を歩き、大川氏の著作を買い漁った。著作を読み進めるうちに、世間一般の常識と大川周明氏の感覚のズレに何ともいえない共感を覚えるようになった。私が東京拘置所の独房生活について、「思索のためによい環境だった。読書とノート作りに専心できたので、全く苦しくなかった」と言っても、額面通りに受け止めてくれる人はほとんどいない。私が何か強がりを言っていると誤解するのである。大川氏の思想的自叙伝とでも言うべき『安楽の門』(1951年)を読むと「人は監獄でも安楽に暮らせる」「人は精神病院でも安楽に暮らせる」といった章が続く。いかに与えられた環境を活用するかというプラグマティズムがユーモアとともに綴られている。
大審院で禁錮5年の判決が下り、既決囚として豊多摩刑務所に入るときは、在所中に『欧羅巴近世殖民史』を書く心算を決めていたから、書斎を自宅から監獄に移した気持ちで、約一年有余を実に忙しくかつ有効に過ごした。この一年有半に私は百二十頁綴りのノート・ブック40冊を書き上げた。(「安楽の門」『大川周明全集 第一巻』所収、729頁)
私の東京拘置所独房生活は、512日間、約1年5ヵ月だったが、その間に書きためた思索ノートは62冊になった。大川周明氏は1936年6月16日の獄中日記に次のように記している。
監獄はこの世ながらの地獄と言われる。なるほど夏は実に熱く、冬は実に寒いところは、焦熱地獄・大寒地獄を想わせるけれど、寒暑に負けない健康をもっている人にとっては、監獄は地獄とは相へだたる遠いものだ。少なくとも寒暑による肉体的苦痛を除けば、監獄はほとんどいかなる苦痛をも予に与えない。いろいろな快楽を奪われてはいるが、天を思い、真理を求め、人を愛する最大の楽事は、どこにいても奪われない。思いかつ愛することを知る者は、獄中なお安楽に暮らすことができる。(同730-731頁)
ここで私は拘置所体験について共通のことばをもった人を見出した。ここから私は大川周明の国家論、国際関係論にも率直に耳を傾けるようになった。そこには「日本ファシスト」「超国家主義者(ウルトラ・ナショナリスト)」という枠には収まらない 「知の巨人」が立っていた。
第二次世界大戦終結から既に60年が過ぎ、ソ連崩壊から今年で15年になる。冷戦のみならず、冷戦後も既に過去の歴史の一時代として括られ、2001年9月11日の米国連続テロ事件以降の時代は「ポスト冷戦後」と呼ばれはじめている。大川氏の『米英東亜侵略史』を読み進めるうちに、世界最強国とそれ以外の諸国は異なった論理をもち、その軋轢をうまく処理しないと戦争が起こるという構造が見えてきた。図式化して言うと、最強国は競争で物事を決めるといつも自国が勝利するので、競争を阻害する要因を極力排除する自由主義を無意識に採用したがる。自由主義は世界を単一原理で統合しようとする普遍主義の一類型である。20世紀初頭までその役割を果たしたのがイギリスで、その後はアメリカに役者が変わった。1930年代に普遍主義に対抗して、ファッショ・イタリア、ナチス・ドイツという一種の「棲み分け」を主張する諸国があらわれた。当時の大日本帝国は大東亜共栄圏という名称でこの「棲み分け」の論理をもっとも洗練された形で提示した。しかし、第二次世界大戦の結果、日独伊は敗れ、普遍主義が世界の主流になった。
ところで1917年のロシア革命で誕生した史上初の社会主義国家・ソ連は、当初、普遍主義的なプロレタリア革命を全世界に起こそうとしたが、1930年代にスターリン体制が確立した後は基本的に「棲み分け」を基本に世界秩序を組み立てようとした。1991年のソ連崩壊後、唯一の超大国となったアメリカの普遍主義が世界を覆うかに見えた。同時にアメリカの市場原理主義とは別の単一原理、イスラームによって世界を覆うことを意図する政治勢力が無視できない影響をもつようになった。さらに最近では、アメリカとの協調体制を壊さないように細心の配慮をしながら、ヨーロッパはEU(欧州連合)、ロシアはコーカサス、中央アジアなどのユーラシア地域に「棲み分け」の世界を作り始めている。
東アジアの現状を見た場合、中国がどのような国家路線を採用するかがよく見えない。そもそも中国人が中華思想を普遍的原理と考えているのか、中国国家と中国人の内在的論理として、他者と自己を区別する「棲み分け」の原理と考えているのかがよく見えない。実は現下日本を取り巻く国際情勢は、大川周明が『米英東亜侵略史』で分析した構図にひじょうに似ているのである。
2001年に小泉政権が成立した後、日本は親米一辺倒の外交路線を選択した。正確に言うとこれは外交のみならず政治経済全般の国家路線としてアメリカが主導する新自由主義政策に追従する選択だ。その負の影響が、新自由主義的改革政策を5年間進めた現在、露見し始めている。弱肉強食の結果、「ヒルズ族」に表象される「勝ち組」とニート、「下流社会」に表象される「負け組」の間の格差が目に見えるようになってきた。都市と地方の格差も広がっている。総中流社会日本という神話は崩壊しつつある。また、マンションの耐震強度偽装事件のような規制緩和の弊害も明らかになった。これらの事件を契機に新自由主義的な経済政策に対する批判も高まっている。しかし、新自由主義政策はアメリカの国益に合致しているので、日本が新自由主義政策を見直すことはアメリカとの軋轢を強める結果になる。
そもそも日本の政府内部には以前から隠れた形での反米意識、嫌米感情がある。例えば、アメリカが「悪の枢軸」と呼んでいるイランのアザデガン油田開発に日本は執心している。エネルギーの独自開発という名の陰に「アメリカに対する独自性を示したい」という意識が見え隠れする。アメリカを含めずに「東アジア共同体」を作ろうとする構想には、より目に見える形で嫌米感情が浮き出している。
私は日米同盟は重要と考える。なぜならアメリカは戦争に強い国だからだ。強い国とは仲良くしておいた方がいい。しかし、親米保守という概念は成り立たないと考える。保守主義とは自国、すなわち日本国家と日本人の伝統の上でのみ成り立つものだから、親日保守しかありえないと考えるからだ。同時にアメリカでは親米保守、中国では親中保守しか成立しえないのである。
一方、普遍主義を採用する最強国は常に横暴で、しかも自らの横暴さに気づかない。この内在的論理をよく押さえた上でアメリカに対処することが日本の国益のために必要なのだ。即時的な反米、嫌米が日本の国益に反するのは論を待たないが、現実的な損得勘定を無視したイデオロギーとしての親米主義も危険である。日本の国益のためにリアリズムに基づいた対米関係を構築する必要がある。このための貴重なデータが『米英東亜侵略史』には含まれているのである。
そのような理由で、私は『米英東亜侵略史』を是非とも復刻したいという話を『SAPIO』(小学館)編集部の平田久典氏にしたところ、「大川周明氏の現代的意味についての佐藤さんの解説とあわせて復刻しましょう」という提案がなされた。当初は私のつたない解説では名著『米英東亜侵略史』の歴史的価値を減殺してしまうのではないかと考えたが、平田氏による何回かの説得を経て大川周明氏に対する偏見を取り払い、「知の巨人」としての地位を復活するために私なりの努力をしようという気持ちになった。
現役外交官時代、ソ連崩壊直後に『SAPIO』と御縁ができたが、平田氏とは全く面識がなかった。もっともその頃、平田氏はまだ高校生だったはずだ。保釈直後に平田氏から手紙を頂き、その後、『SAPIO』を毎号送っていただいたが、人脈を積極的に拡大しようと考えなかった私は特に返事をしなかった。私の公判を支援する人々が学者やジャーナリストを招いてシンポジウムを行うようになったが、平田氏も参加して下さり、意見交換をするようになった。私は日本国家の現状を憂い、同時に編集者としてインテリジェンスの重要性を日本人に知らせたいと考える平田氏の熱意に打たれ、『SAPIO』に「インテリジェンス・データベース」を連載することにした。その後、『SAPIO』の読者から様々な照会や意見が寄せられるようになったが、その中で「日本人としての国家観を確立するためにはどういう勉強をすればよいか」という質問がいくつもあった。私は近過去によく読まれ、大きな影響を与えたが、戦後、忘れ去られてしまった書物をもう一度繙くことが効果的と考える。大川周明『日本二千六百年史』(第一書房、1939年)、北畠親房(文部省蔵版)『神皇正統記』(社会教育会、1936年)、文部省編纂『國體の本義』(内閣印刷局、1937年)等を一切の偏見を排して、テキストとして読み解くことだ。それによって私たちが日本人であることの魂(大和魂)が甦ってくるのである。これらのテキストから明らかになる大和魂とは、他者に自己の原理を強要しない、多元論的価値観で、国際協調の基本となる物事の考え方である。『米英東亜侵略史』もこのような多元論的価値観に貫かれた書物である。
国民(民族)国家(ネイション・ステート)システムに様々な問題があることは確かだ。しかし、本文でも述べたが、予見される未来に民族や国家が消滅することもないであろう。他の民族、他の国家とどうやって付き合っていくかを日本国家も日本人も真剣に考え直さざるを得ない状況に置かれている。あの戦争を太平洋戦争と呼ぶか、大東亜戦争と呼ぶかは本質的な問題ではない。極東国際軍事裁判(東京裁判)についても「勝者の裁き」の論理にわれわれが従う必要はないが、同時に戦勝国が押しつけた「物語」の内在的論理については、不愉快であっても理解しておかなくてはならない。大川周明氏が『米英東亜侵略史』で展開した言説は、国際スタンダードで見ても十分説得力をもつ、知的水準の高い言説であったが、それが歴史的には「敗者の論理」であったことも厳粛たる事実なのだ。これらの点を総合的に勘案した上で、現代に生きるわれわれ日本人は『米英東亜侵略史』から日本国家と日本人の生き残りにつながるヒントを見出すことが課題なのである。『米英東亜侵略史』はラジオ講演の速記録をもとにしているので、難解ではないが、60年以上の時間の経過で、活字文化も変遷しているので、読者の便宜を考え表記を現代風にあらため、小見出しと注釈をつけた。この作業には平田久典氏と本郷明美氏が従事してくださり、筆者としても満足する仕上がりになった。お二人の尽力に深く感謝する。
本書の出版にあたって、2005年7月、私は平田氏とともに山形県酒田市を訪れ、大川家第17代の大川賢明氏の御案内で、大川周明先生の墓参をし、さらにゆかりの地を訪れた。大川周明氏は大川家第15代であったが、子供がなく家督は弟に移り、そのお孫さんが大川賢明氏である。大川邸では大川賢明氏、お母様の大川克子氏より、大川周明氏の貴重な書簡、写真、さらに大川周明氏が上海を訪問した際、北一輝氏が護身用として寄贈した仕込み杖(杖の上部の金属ボタンを押すとキャップが外れ、槍が出てくる)を見せていただき、知的刺激を受けるとともに想像力を膨らました。また、本書カバーの写真も大川賢明氏の提供によるものである。深く感謝申し上げる。
2006年5月
佐藤優
【解説】
今も私は公判で大川周明氏のようなパフォーマンスができなかった自分の胆力のなさを情けなく思っている。
(中略)
ここで私は拘置所体験について共通のことばをもった人を見出した。ここから私は大川周明の国家論、国際関係論にも率直に耳を傾けるようになった。そこには「日本ファシスト」「超国家主義者(ウルトラ・ナショナリスト)」という枠には収まらない 「知の巨人」が立っていた。
佐藤優氏は自分と同じ体験(拘置所体験、冤罪事件など)を持つ人に対する思い入れが強いようです。
氏は、公判で大川周明のようなパフォーマンスができなかったと残念がり、大川周明が独房でよく勉強したことと自己を重ね合わせます。
なるほど。
もしかしたら、佐藤氏が池田大作氏を評価しているのも、拘置所体験が共通するからかもしれませんね。
本書の検証はこれでおしまいですが、この本には文庫版があり、その文庫版あとがきにも、注目すべき情報がみられました。
次回、検証します。
獅子風蓮