獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

自民党と創価学会・禁断の関係 その5

2023-11-13 01:20:22 | 創価学会・公明党

d-マガジンで興味深い記事を読みました。

かいつまんで、引用します。


週刊ポスト 2023年11月10日号

[ニッポンの最大タブー 徹底検証]
政権の行方を左右する「最強集票組織」の正体――
自民党と創価学会・禁断の関係
10・22補選から見えた“崩壊前夜”の自公連立
総理大臣と池田大作氏の接点、
旧婦人部・芸術部の得票パワーまで――

(つづき)
大物幹部が「長」から外れた

ところが90年代以降、婦人部は二つの葛藤に直面することになる。
一つ目は政治的な葛藤だ。99年の与党入り以降、自民党に引きずられ平和思想が歪められているという批判が絶えない。
今年2月、女性学会員のアイコンだった浜四津敏子・元代表代行が20年11月に亡くなっていたと公表された。朝日新聞の追悼記事(5月27日付夕刊)によれば、浜四津氏が03年の自衛隊のイラク派遣に賛成する党の方針に当時から異論を唱え、後になっても「連立で公明党らしさを失った一番の原因はイラク戦争への対応」と嘆いていたという。
また政界引退後の2014年に安全保障法制の整備を進めた安倍晋三首相については、「歴史修正主義、戦後最悪の総理」「右翼の跋扈を後押しし、最も国益を害している政治家ではないでしょうか」と断じていたという。
安保法制については当時、現場の学会員が三色旗を振って平和主義への回帰を求めるデモが信濃町で起きた。
もう一つは、宗教的な教えをめぐる葛藤だ。
学会は14年11月8日付の聖教新聞を通じ「『御本尊』とは創価学会が受持の対象とした御本尊であり(略)弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」という教義改訂を打ち出した。
緊張関係にあった日蓮正宗の本山(大石寺)が91年、学会を破門にしたことで、学会は宗教的に独立を勝ち得た一方、信仰体系を組み替える必要が生じた。懸案だったのは本山の御本尊(学会内では「大御本尊」と呼ぶ)が信仰対象であり続けるのかという問題だ。
執行部は14年、独自性を明確にする決定に踏み切ったが、「時期尚早ではないか」という根強い声があった。長年大御本尊を信仰対象と考えてきた学会員がいるからだ。
政治と教義の両面から急ハンドルを切る判断をした学会・公明党に物申したのは、婦人部の幹部たちだとされる。学会の本部職員経験者が語る。
「安保法制の時も、教義改訂の時も、婦人部と執行部の間に対立が生じたと聞きました。それからしばらくして、婦人部を長年リードした大物の女性学会員が権限のないポストに代わるという記事が出たので“外されたんだ”と思った。その頃からですよ、婦人部が弱くなったのは」
一つの人事が一部の学会員に“転換点”と受け止められるほどの大物婦人部幹部とは誰か──たどりついた人物こそが、冒頭の坂口幾代氏だ。
坂口氏は42歳になる88年に婦人部長に就き、99年に総婦人部長、08年に婦人部総合長に就任。それが15年、初めて「長」がつかない「婦人部総主事」に移っている。
この坂口氏とは、どんな人物で、いかにして“大物婦人部長”と呼ばれるに至ったのか。
坂口氏は東京の下町、荒川区で生まれ育ち、母に連れられ6歳で入会。当時の下町の風景を、坂口氏自身が学会系の雑誌にこう語っている。
〈私の小学校時代といえば、昭和30年代の初めで、東京にもまだ野原があり、家の前には路面電車が走っていたころ。今のように塾などもなくて、毎日、真っ黒になって遊んでいました〉(「パンプキン」91年1月10日号)
下町の子供の牧歌的風景だが、大人たちは貧困と隣り合わせ。苦しい暮らしに救いを求めるように、坂口氏の一家は創価学会に入会した。自宅は活動拠点の一つとなる。
〈みな貧しくて悩みだらけでしたからね。そういうのを大人に交じって見聞きし、毎週日曜日には未来部の会合に出席し、革命に生きた偉人の話に感銘をうけたり〉(同前)
受動的だった信仰が自ら選び取るものに変わったのは小学校5年のころ。生身の池田氏との出会いがきっかけだった。
〈私も手をあげて、少年部員会(当時)で聞いていたジャンヌ・ダルクのことを質問しました。先生は即座に「火あぶりの刑になって不幸な一生だった。あなたのほうがずっと幸せなんです。妙法のジャンヌ・ダルクになっていきなさい」と話された。お帰りになるときも、「さよなら! ジャンヌ・ダルク」とあたたかく握手してくださった〉(「第三文明」03年1月号)
これが人生を決めた。
難解な教義のテキストを暗誦して何度も読むようになった。大学卒業後、聖教新聞記者だった時期もある。そして結婚して2人の男の子を育てた。
さまざまな発言の中には選挙を「闘争」と捉えた猛々しい言葉や棄教者を指弾する表現があり、違和感が否めない。だが、「非エリート」であろうとする姿勢には、筆者も共感を抱いた。
〈婦人が数人集まって、そのうちの一人が深刻な悩みを抱えていれば、その悩みを我がこととして同苦し、解決の方向に努力する。学会活動を続けていくうちに、そうするのが当たり前になっていくわけです。だからこそ、いわゆる普通の主婦が、自然体で平和運動に参加できる〉(「第三文明」98年7月号)


一枚岩なわけではない

現在も組織に意見できる風通しの良さは残っているのか。筆者は坂口幾代氏に直撃取材を試みた。

──婦人部が弱くなったことについて聞きたい。
「お話しするような内容はありません。私は総主事という立場で、権限は後任者にいっています」

──婦人部は安保法制に異論があったのでは?
「私たちは絶対平和という立場を一貫して言ってきました。(公明)党の立場が、宗教団体と全部一緒というわけにいかないでしょ。宗教は一人一人の精神性に関わるものですが、現実の政治はお任せしている。あの時、党は北側(一雄)さんが骨を折ってくれました。ぎりぎりのところでした」

──信濃町にデモに来る学会員もいた。
「いろんな人がいます。いなきゃおかしいじゃない。私たちも随分発言しましたし、よくわかった上でのことです。
もちろん、“母の立場”からはどんなことがあろうと戦争は反対。パレスチナで戦争が起きていますが、殺し合うことは絶対にいけない」

続いて14年の教義改訂を坂口氏が支持したかどうかを問うと、「私たちがOKするとかしないとかはないです」と語った。

──婦人部と執行部の間で緊張関係があったということはないですか。
「いろんな人が自由に意見を言うし、批判もするし、異論を言う。学会は一枚岩だと思っているかもしれないけれど、いろんな人がいるんです」

──大御本尊をめぐる方針で異論は出たんですか。
「あったということは聞いていますけれど、そのことについて確信をもって私の持論はこうだということはちょっと……」

 異論を唱えた人はいたのだろうが、それが誰だったかは判然としなかった。その後に坂口氏が「総主事」となった人事の理由については創価学会広報室にも問うたが、「憶測に基づく質問は迷惑です」との答えだった。

──坂口さんは幼少期に入信して、池田氏と一緒に熱っぽく活動されてきたわけですよね。
「学会の歴史そのものを生きてきました」

──女性部は弱くなっていませんか?
「入信動機も変わってきています。若いリーダーも育ってきている。弱いと見るか強いと見るか。一見弱くなったように思うかもしれないけれど、決してそうではない」

 新しい創価学会の未来がある、と坂口氏は言った。その言葉は果たして現実となるのだろうか。

 


解説
“大物婦人部長”であった坂口幾代氏が、直撃取材に堂々と応じています。
このようなことはこれまで皆無だったのではないでしょうか。

「女性部は弱くなっていませんか?」など、答えにくい質問にも答えようとしています。

池田大作氏というカリスマが不在の現在、創価学会執行部の中ではひそかに地殻変動が起きているのかもしれません。
これから、いろいろなところから、不満や反乱の煙が立ってくるのかもしれません。

元幹部の告発も、続出するのでしょうか。


獅子風蓮



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