d-マガジンで興味深い記事を読みました。
かいつまんで、引用します。
週刊ポスト 2023年11月10日号
[ニッポンの最大タブー 徹底検証]
政権の行方を左右する「最強集票組織」の正体――
自民党と創価学会・禁断の関係
10・22補選から見えた“崩壊前夜”の自公連立
総理大臣と池田大作氏の接点、
旧婦人部・芸術部の得票パワーまで――
PART2
“妙法のジャンヌ・ダルク”の肉声ほか初めて内実に迫った
自民党が震えあがる
「怒れる婦人部(現・女性部)」の正体
公明党の得票力の源となってきたのが創価学会婦人部(現・女性部)だ。自民党が依存し、時に振り回されてきた最強の集票組織である。自公の協力関係が揺らぐなか、「最強組織」の内実にノンフィクション作家の広野真嗣氏が迫る。
*
「私は、学会の歴史そのものを生きてきました」
“大物婦人部長”と呼ばれ、最強の集票組織「創価学会婦人部(21年に女子部と統合して女性部に改称)」の中で尊敬を集めてきた46年生まれの坂口幾代氏は、10月20日、直撃取材に動じる様子もなく、そう語った。
青と白のストライプのジャケットにパンツルック。日傘を下げた上品な佇まいからは、池田大作名誉会長から“妙法のジャンヌ・ダルク”の異名を授けられた闘士という印象は感じられない。だが、口を開けば弁は鋭い。
坂口氏は20分間の取材中、創価学会の平和運動に捧げた半生に話が及ぶと熱っぽく語気を強めた。
創価学会婦人部は、この国の政界で長きにわたり異様な存在感を見せてきた。一昨年の衆院選では、神奈川13区で自民党の甘利明氏が現職幹事長としては異例の敗北(比例復活)を喫したが、過去の金銭スキャンダルが総括されないまま要職に復帰したことが婦人部の不興を買い、公明支持層からの得票が伸び悩んだことが大きな要因と囁かれた。そうした“伝説”は永田町で枚挙に暇がない。
そんな婦人部の中心にいた坂口氏は筆者の問いに率直に答えた。ただ、詳細は後述するが、婦人部と執行部の間で囁かれる「溝」については言葉を濁した。
その11日前、筆者は「平和を語らない公明党」を目の当たりにしていた。
10月9日、埼玉県三郷市の駅前で次期党代表と目される石井啓一・幹事長が行なった15分間の街頭演説は、物価対策、治水対策、開通予定の有料道路の話。3つの話題を5分ずつ話す几帳面さはスマートだが、すべて「ご当地ソング」の話題で終わった。2日前、世界に衝撃を与えたハマスによるイスラエルへの砲撃には一言も触れなかった。
学会がこだわる平和をどう語るか、せめて紛争勃発に心を痛める言葉だけでも聞きたかったが、過剰な期待だったのか。それに、聞いている学会員は満足なのだろうか。
聴衆は熟年層の20人ほど。50代の女性学会員に聞くと「実績はすごいから」と石井氏をかばった。
「政党名だけで毛嫌いしたり、野党の嘘八百を信じる人もいるけれど、大臣や幹事長の実績が伝われば、小選挙区でも問題ないはずです」
──平和の党の色が見えないんですが。
「見えないところで努力をしているんですよ。メディアは公明党を報じないから。どういう動き? 知りません」
何人かに声をかけたが「平和の党はかくあれ」といった声はなく、熱が感じられない。
「学会婦人部」は、いつの間にか主体的意思を持たない「空」の組織に変質してはいないか──。そんな疑問が浮かんだのは16年6月、当時の舛添要一・都知事を支えていた都議会公明党が突如批判に転じ、辞任に追い込んだ時だ。
公明都議らは「婦人部の突き上げがある」と言った。都議会で野党から小池(百合子)与党に転じた時も、「婦人部が小池支持で固まった」という情報が流れた。いずれも婦人部の怒りは可視化されず、もしや公明党は急ハンドルの政治判断のエクスキューズとして「婦人部が怒っている」という言説を使っているのではないか。そんな嫌な感じが記憶にこびりついていた。
「家の平和も作れないのに」
そもそも、なぜ「婦人部」はそんなにも強い存在感を示してきたのか。
学会に既婚女性らの「婦人部」ができたのは51年。公明党の前身の公明政治連盟が結成される10年前だ。婦人部の下支えを得て党は選挙で議席を急伸させてきた。
100万人、200万人ととてつもないスピードで会員数が増加したのは、戦後、経済発展する大都市で劣悪な生活環境におかれていた都市生活者たちが入会したからだ。
生活や仕事に不安を抱える人々に、平和や環境問題の理想と現世利益追求がまざった新宗教が受け入れられた。
団塊の世代より少し後輩にあたる元理事長・正木正明氏を父に持つ、元学会本部職員でライターの正木伸城氏(41)が幼少期をこう語った。
「我が家ではある時期から私や弟が留守番をすることが多くなりました。父は仕事で出張に飛び回っているし、母は婦人部の会合で家を不在にしがち。寂しくて母に泣きついたこともあるし、高校生の頃、父に『家の平和も作れないのに何が世界平和だよ』と怒りをぶつけたこともある」
伸城氏の名前は、池田氏のペンネーム(山本伸一)とその師匠たる第2代会長・戸田城聖氏の名から1字ずつをとって池田氏がつけたもの。そんな側近ファミリーでも、母の活動はふつうの婦人部員と同じだったという。
「困りごとのある家庭を訪ねてお題目を一緒にあげ、励まして回っていました。そんな地道な活動は時間もかかるから、婦人部員は忙しいんです」
この厚みが選挙で機能する。伸城氏が続ける。
「婦人部は男子部、壮年部と比べて丁寧なアプローチなんです。極端な男性だと例えばコンビニ店員にいきなりお願いするような、とても票を入れてもらえそうにないやり方もやってしまう。婦人部員はそうではなく、宗教的信念がしっかりしている上に、関係を壊さないよう配慮しながら接する。それと同時に多くの相手にあたる。時間的ジレンマを抱えますが、〈質〉と〈数〉の両方を追求する努力をしていた」
ちなみに男子部長から青年部長(21年まで男子部・女子部・学生部などを統括)に進むのが出世コース。党代表を務めた太田昭宏氏は男子部長、青年部長を経験したし、現会長の原田稔氏は学生部長、青年部長を経験している。
このパターンから男性では企業と似たヒエラルキーが浮かび上がるが、女性が男性同様に階段を上る例は見られない。むしろ婦人部は全く別の回路で影響力を有した。
例えば池田氏は、男性ばかりの意思決定機関である総務会に、鶴の一声で女性を入れるということもあったし、現場の情報を池田氏に届けるホットラインも存在した。
婦人部は組織の上下関係にとらわれず、それが男性社会に対する迫力にもなっていた。
「女性は厳しい目でリーダーにクリーンさを求めるところがあり、婦人部が声を上げ始めると、男性幹部はもう逆らえない。学会本部では、緩んだことをやればたちまち糾弾されるという緊張感がありました」(伸城氏)
(つづく)
【解説】
“大物婦人部長”であった坂口幾代氏が、直撃取材に堂々と応じています。
このようなことはこれまで皆無だったのではないでしょうか。
池田大作氏というカリスマが不在の現在、創価学会執行部の中ではひそかに地殻変動が起きているのかもしれません。
これから、いろいろなところから、不満や反乱の煙が立ってくるのかもしれません。
やがて大爆発に……?
獅子風蓮