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注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

鈴木康友支援の鈴木修、川勝知事は本当に彼に従ってリニア を妨害していたのか(静岡県知事選挙)その5

2024-04-22 07:10:06 | 川勝後の静岡県政
「その1」から「その4」までを総括すれば、
1 川勝はリニア 推進だったが、水問題への懸念もあって松本を経由するルート変更を狙っていた。(説得材料として松本空港との連携があった)
2 品川と甲府間の整備が出来次第、部分開業を実現させ身延線経由での静岡県への誘客を狙っていた。
3 その際には、環境問題を持ち出しての「とおせんぼ」を盾に、静岡空港新駅をJRに飲ませ甲府から静岡空港までのルート連携実現を狙っていた。
4 水問題を除く環境問題については取引条件次第で妥協の余地を認めていた。
5 よって、辞任の際の「リニアが一段落」というのは自身の任期中の部分開業が潰えたというのが真意と考えるべき。

ということであり、結果的にリニア妨害と評価された今日の状況を招いた素因は、あくまで川勝らしいオリジナル構想なのである。鈴木修はそういう川勝を支持してのは事実であっても、鈴木修の指示でないことは明らかである。

よって、大村慎一、鈴木康友両候補が川勝の構想と手法を踏襲しないで推進というならば、川勝の後継などではもちろんなく本来の意味での静岡工区着工の推進という意味であって、その場合、環境問題に一定の配慮はしつつも、純粋に、流域県民にとって最も大きな水問題への懸念が本当に解消できるのか、それはどういう手順で、というところが新知事に求められる大きな課題(川勝による宿題)となってくるのである。


考察<リニア 問題から見た川勝平太と新知事選について>

川勝は彼自身の考えに基づいて結果として「リニアを妨害」してきたのであって、鈴木修の指示に従ってのものでないことは既に述べたとおりである。

ではリニア建設を促進する期成同盟会に加入するに当たって現行ルートでの整備を前提としルート変更の議論を先導しないとの約束は何だったのか。
「1期4年」で紹介したが彼は知事選初出馬表明前に「「まったく出馬する意思はありません。100%ですね。お断りの文書をしたためたい。」と述べていたにもかかわらず、出馬したことから分かるように嘘に罪悪感を持っていない。
沼津の貨物駅用地買収に当たって、「「将を射んとすれば、まずその馬を射よ」だ」などと述べ地権者の息子をターゲットにしたように、彼にとっては嘘は目的の為の手段として「噓も方便」とばかり十分許容なのである。

また、一連の川勝構想(部分開業論等)が生まれた素因についても言及しておこう。
かつて元知事の山本敬三郎氏と私とで伊豆高原の氏の書斎で静岡空港問題と知事選について打ちあわせた際、氏は全国の空港の位置などがプロットされた地図などを部屋中に広げ現位置での静岡空港の条件的な不利を指摘した上で将来の東海地震に備えた復興資金などの財政問題も絡めて空港不要論を説いていたことを思い出す。私は理系(原子物理学専攻)の人間であり、空港問題に際しても需要予測などの数字で反対論を持っていたが、同じ不要の結論であっても氏の視点は具体的数字は使わない地政学的視点からの直感的ともいえる理由が柱であったがそれでも十分説得力を持って語られた。
想像であるが、川勝もまたそのような地政学的視点から静岡県にとってと望ましいものはこれだと覚知して部分開業や周遊ルートの構想を得たのだろう(*実現の可否は別にしてこの視座は評価したい)。ただしこれは、一方でリニア を国の利益として進める勢力や整備で利益を得る勢力とは必然、衝突を招く。それも含めて戦略を再構築すべきであったが、何よりも自分の知性に絶対の自信を持つ川勝らしく独りよがりに走ってしまったのが今日の結果を招いたのであって、真の政治家として最後まで脱皮できなかったのは実に残念である。

そもそもリニア事業は賛成か反対かなどという問いで片付けられるような単純なものではない。また、静岡県にとっても環境や水のリスク管理だけを考えれば良いというものでもない。人の流れや企業立地の動向を想像して県勢へのプラスマイナスにどう対応していくかを含めて県としての戦略を打ち出していくべきだ。
静岡県のリーダーとして持つべき視座は県内の個別の問題に対してイエスかノーを判断して済ませるのではなく、より大局的に静岡県として周辺の地域の変化をも踏まえた地政学的視点で柔軟さももった構想を持ち、かつ、それが独善的ではないことが要諦なのである。

物事の見方には二通りある。物事を存在と捉えるか現象と捉えるかである。
水面に広がる波紋は存在か現象か。一般に現象と捉える所以は我々人間が持つ認識の時間軸の長さとの関係に過ぎない。宏大な宇宙の時間軸から見れば我々自体も存在ではなくほとんど意識されないほどの一時の現象でしかない。
政治や行政が目指す未来も存在と捉えれば目指すべきものは必然、固定的なものとなる。リニア開業時をイメージして絵を描き、そこに向かって今現在の時をも犠牲にして執着する。
リニア全線開業を固定的な目標と捉えるのか、一時の現象と捉えるのかでアプローチの仕方は全く変わってくる。
どこまで未来のために今現在を犠牲にするかだ。
これは時流中でのの柔軟性の有無の違いにも関わる。
特に政治家は自身の今のための未来を行政に語らせ、行政はその未来を今現在より価値あるものであるが如く振る舞い国民に押し付ける。
一度決めたら立ち止まれないといわれる日本の行政。リニアだけでなく浜松新野球場なども含め、このままで惰性のまま進めて良いのか否かを各々考える機会に、今回の知事選がなればと切に思う。

<参考>
川勝の人となりについては、
「これは、タクティクス(tactics:戦術、術策)なんです。そのところが、余り表に出ると卑しくなるが。基本的に大義名分がないといけない。」という発言から垣間見れる過剰な自信とパターナリスティックな上から目線については、

目的重視で手段を軽視する実例については、
なども一読いただきたい。


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