ぼくのかわいいミヨちゃんは/色が白くて ちっちゃくて・・ 『ミヨチャン』(詞・曲 平尾昌章)*昭和歌謡の巨星の出発点にして到達点!その透明感溢れる歌声は魂にいまも突き刺さったまま。
人類のミッシング・リンク水饅頭 データベースに砂漠の記憶なめくじり* ビーチパラソル一度開けばままならず 河童忌の声高らかに晴子の死 汗ばむは戦前回帰の予兆なり* ほうたるのとどめの蒼さ熱持てり* 蟻地獄俳句雑誌が届かない 懐かしのSILENCE IS GOLDEN 蝉しぐれ 新宿のジャズの雄叫び緑夜なり ユーミンの真夏の夜の夢号泣す 大緑雨平成の死の激しさよ(平尾正晃死す)* 散水車「東京戦争戦後秘話」(大島渚監督 1970) 六十年安保・ブント・吉本隆明かんかん帽 もっぱらは無明の底にハンモック* 空っぽの噴水あとは死にゆくのみ* 夏の炉やどこまで行っても私か* どうにでもなれと線香花火が終らない 舟遊びちちははがゐて愛語る 消えやらぬこの世の記憶揚花火 始皇帝の金髪碧眼冷酒酌む
このシリーズ記事を書くのは本当に久し振りである。1972年に上京し、1979年に俳句と遭遇したところまで書いたように思う。私の上京は70年安保闘争とその周辺の情況への参加のためであり、俳句との遭遇は事実上の【俳句批判】との遭遇であった。つまり、坪内稔典氏の【過渡の詩】という俳句観である。俳句を含む【日本近代】の未成立と、新興俳句から戦後俳句の展開という新たな歴史観と人間観の提示である。その詳細をたどる前に、私は1980年代に何をしていたのだろうか。確かに《俳句》は常に私の周辺に浮遊していたはずだが、1985年だったか、最後の所属結社の【地表】を辞めるまであちこちへ投句・投稿を繰り返したわけだが、俳句はついに私の在り方の中心には存在し得なかったように記憶している。時代は俳句などという曖昧なものより、1970年代の終焉という、より確かなものに激しく流れていったように思う。・・・《続く》
改憲後の世界泉は湧かぬはず 白夜行みちのくの虚空かがよへり 七月や分断社会に迷い込む 地獄とは天国のこと大暑なり 炎昼の幽さ平成の世は流れ 二十一世紀の俳句の行方熱帯夜 明け易しと言へど水族館にゐる モラトリアム症候群いまも溽暑中 大旱の地球のどこか欠け始む コロボックルのこころの白さ夏の果て 萌えといふ語の意味探る青嵐 風死せり根源人種といふことば 夕凪や地上に旗の掲げられ 復興につづく発展二重虹 憲法九条こころの虹をくぐりをり 猫死すの一報またも雷鳴す 夕焼けの芭蕉ロードは闇ばかり 日盛りの人振り返り人は無し 人類の起源は海に大西日
火蛾にきく東京戦争の一部始終(1969・11) 青大将地球はいまもパラダイス ひた走るわたしの抜殻あめんぼう 師がどもり私がどもる炎天下 ふるさとのやや北にある日の盛 大白雨ストリート・ミュージシャン転げだす 夕張にかつて炭田クレマチス 草矢とぶ記憶の彼方ニューギニア 白玉や亡母はどこまで去(い)ったやら アイスクリーム明日の空を見てみたい ゴンドアナ大陸日本はどこか籠枕