かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

上野公園(2)国立科学博物館/台東区

2018-01-17 | 東京の近代建築

国立としては唯一の科学博物館。歴史は古く創始は明治5年に湯島聖堂内に開設された文部省博物館までさかのぼります。現在の建物は震災復興期に建設されたもので、装飾を控えた重厚な外観は、当時の官庁建築に共通するものがあります。上空から見ると「飛行機型」というユニークな平面は、科学博物館を意識したデザインになっています。


■外装はスクラッチタイル貼り、3階までの吹き抜けの中央ホールのステンドグラスが見どころ








■国立科学博物館/台東区上野公園7-20
 竣工:昭和6年(1931)
 設計:小倉強(文部省)
 施工:大林組
 構造:RC造地上3階、地下1階
 撮影:2017/08/12


上野公園(1)東京国立博物館本館(旧帝室博物館)・表慶館/台東区

2018-01-14 | 東京の近代建築

上野の森は戦前築の博物館、美術館、図書館、東京芸大キャンパスの建物などが数多く残されていて、まさに近代建築の宝庫です。
今回は上野公園に現存する近代建築を巡ります。


■東京国立博物館本館(旧帝室博物館)/台東区上野公園13-9
 竣工:昭和12年(1937)
 設計:渡辺仁+宮内省
 施工:大林組
 構造:SRC造地上2階、地下2階
 撮影:2017/08/12
 ※国指定重要文化財



コンクリートの躯体に伝統的な瓦屋根をのせた、いわゆる「帝冠様式」の代表作。昭和6年に公募された設計競技(コンペ)の募集要項に「日本趣味を基調とする東洋式」という規定があったため、渡辺仁の当選案もそれに沿ったものですが、それに反発した日本インターナショナル建築会が不参加を声明しました。
そんななかで、近代建築の巨匠ル・コルビュジエの事務所で修業した前川國男は、落選覚悟でインターナショナル・スタイルの設計案で応募、自己のスタイルを貫いた建築家として有名になりました。
様式を自在に駆使し応募規定に沿って設計する渡辺と、あくまで自分のスタイルを曲げない前川。どちらもまさにプロフェッショナルと呼ぶにふさわしい建築家です。


■東京国立博物館表慶館/台東区上野公園13-9
 竣工:明治41年(1908)
 設計:片山東熊+高山幸次郎
 施工:新家孝正
 構造:煉瓦造2階石貼り
 撮影:2017/08/12
 ※国指定重要文化財



大正天皇の御成婚を記念して建てられた美術館。設計は赤坂離宮(迎賓館)を手がけた宮廷建築家片山東熊で、中央に巨大ドームを設け両翼にも小ドームをのせた典型的なネオバロック様式の建物。

 


築地(4)宮川食鳥鶏卵/中央区築地

2017-12-17 | 東京の近代建築

関東大震災後の復興期、東京の下町の繁華街に多く建てられた看板建築の一つ。看板建築とは、それまでの伝統的な商店建築の出桁造と異なり、平面のファサードに銅板、タイル、モルタルなどを使い自由にデザインした商店建築。
宮川食鳥鶏卵は、壁面全体を覆った緑青色の銅板が見事で、昭和初期の築地の商店の雰囲気を今に伝えています。



■当時木造3階建は建築基準法で許されませんでしたが、どう見ても堂々たる3階建です



■色々な鳥肉をあつかう商売を「諸鳥鶏卵商」というのでしょうか



■「電話 東京代表(54)百七十七番」と右から書かれた電話番号に時代を感じます



■宮川食鳥鶏卵/中央区築地1-4
 竣工:昭和5年(1930)
 構造:木造銅板葺3階建
 撮影:2017/08/11


■築地界隈で見つけた銅板貼りファサードの看板建築(この界隈の現存する看板建築もめっきり少なくなったようです)




築地(3)トイスラー記念館/中央区明石町

2017-12-12 | 東京の近代建築

トイスラー記念館は昭和8年、隅田川畔の明石町19番地(現在の聖路加ガーデン)に聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。平成元年に解体工事が行われ、平成10年3月現在地に移築復元されました。壁面にハーフティンバー風の木枠を見せる意匠で、曲線を描く大屋根や煙突など、ヨーロッパの山荘を思わせる外観です。


■保存された旧病棟の脇に、開設者トイスラー院長の記念館として移築復元されています








■トイスラー記念館/中央区明石町10
 竣工:昭和8年(1933)
 設計: J.バーガミニー+A.レーモンド
 施工:清水組
 構造:木造+RC造(地下)地上7階、地下2階、地下1階
 撮影:2017/08/11




築地(2)聖路加国際病院旧棟(チャペル・旧病棟)/中央区明石町

2017-12-09 | 東京の近代建築

明治43年にトイスラー博士により開設された病院が前身で、昭和8年竣工の旧病棟の一部とチャペル(聖ルカ礼拝堂)が現存しています。この建物は当初、フォイエルシュタインのデザインをもとに、A.レーモンドによりインター・ナショナルスタイルで設計されましたが、途中からバーガミニーの手が入り、ニューヨーク風のアールデコ装飾がくわえられました。

十字架を乗せた塔は、今もかつての居留地明石町のランドマークとして親しまれ、旧病棟は看護学校に組み込まれて再生活用されています。









■聖路加国際病院旧棟/中央区明石町9-1
 竣工:昭和8年(1933)
 設計:J.バーガミニー+B.フォイエルシュタイン+A.レーモンド
 施工:清水組
 構造:SRC造7階
 撮影:2017/08/11
 ※東京都選定歴史的建造物


築地(1)築地本願寺/中央区築地

2017-11-29 | 東京の近代建築

築地本願寺は西本願寺(京都)の別院、浄土真宗本願寺派の関東最大拠点という由緒あるお寺なのですが、その外観はいわゆる日本の「お寺」のイメージとは大きく違います。この姿だけで日本の本願寺のお寺だと分かる人はまずいないでしょう。日本ではかなり珍しいこの仏教建築は、和風でも中国風でもない「古代インド仏教様式」というのだそうです。

このインド風のお寺を建てたのは、第二十二世門主の大谷光瑞、設計は日本の「建築史学」を開拓した伊東忠太です。光瑞は仏教の源流であるインドまでさかのぼるため、自ら大谷探検隊をひきいて、西域、チベット、インドの仏教遺跡探訪を試みました。設計者の伊東忠太も、法隆寺とギリシャのパルテノンのつながりを証明すべく、三年にわたり中国、西域、ビルマ、インド、トルコ、ギリシャまで旅をし、その間光瑞の大谷探検隊と行をともにしました。この二人がコラボし、建てるべくして建ったのが、築地本願寺というわけです。

二人の世界観を具現化したのが東京の築地本願寺ですが、京都には「インド風+イギリスのヴィクトリアン様式」というちょっと違ったテイストの光瑞/忠太のコラボ作品、西本願寺伝道院が現存しています。


■広々とした石畳の広場に建つインド風寺院はまるで遺跡のようです













■築地本願寺/中央区築地3-15-1
 竣工:昭和9年(1934)
 設計:伊東忠太
 施工:松井組
 構造:SRC造・RC造2階
 撮影:2017/08/11
 ※国指定重要文化財


銀座(7)奥野ビル(旧銀座アパートメント)/中央区銀座

2017-11-22 | 東京の近代建築

旧称は「銀座アパートメント」という高級集合住宅で、設計は同潤会で建築部長を務めた川元良一。住人には詩人の西条八十や、考現学の吉田健吉など、当時の文化人たちが集まるモダンなアパートメントだったことがうかがえます。
戦前屈指の高級アパートメントは、オシャレなテナントビルとして再生され、現在は美術ギャラリーなどが入居しています。同潤会のアパートもほとんど取り壊された現在、銀座のど真ん中で昭和の香りを残すアパートメント建築が残ったのは嬉しいかぎりです。


■スクラッチタイルに丸窓、昭和のモダニズムが薫る





■奥野ビル(旧銀座アパートメント)/中央区銀座1-9-8
 竣工:昭和7年(1932)頃
 設計:川元良一
 施工:不詳
 構造:RC造地下1階、地上6階
 撮影:2017/08/11


銀座(6)ヨネイビルディング/中央区銀座

2017-11-19 | 東京の近代建築

麒麟麦酒などさまざまな事業を起こした実業家、米井源治郎の米井商店(現ヨネイ)の本社ビルとして建てられました。
1階にはアーチ窓が並び、玄関もアーチにねじり柱という意匠は、神田の丸石ビルと同様のロマネスク様式。銀座に残る数少ない当時の折衷系オフィスビルの外観を残す貴重な建物です。













■ヨネイビルディング/中央区銀座2-8-20
 竣工:昭和5年(1930)
 設計:森山松乃助
 施工:清水組
 構造:SRC造6階
 撮影:2017/08/11
 ※東京都選定歴史的建造物


銀座(5)第一菅原ビル(旧菅原電気)/中央区銀座

2017-11-18 | 東京の近代建築

消費の流れが中小の商店から大規模な百貨店へと変化しつつあった昭和初期、銀座、日本橋、上野など都心の商店ではどんどんビル化が進みました。第一菅原ビル(旧菅原電気)もそのひとつで、間口の狭い敷地に細長いビル(いわゆるペンシルビル)が数多く建設されました。


■インター・ナショナルスタイルを基調に、円形の窓を配置した外観は、この時期特有の昭和モダンなデザイン



■4~5階と丸窓があるタイル貼り外壁部分はオリジナルに近いと思われます(6階部は後に増築)
 

■第一菅原ビル(旧菅原電気)/中央区銀座7-7-11
 竣工:昭和9年(1934)
 設計:吉田享二
 施工:戸田組
 構造:RC造5階
 撮影:2017/08/11

 


銀座(4)丸嘉ビル(旧丸嘉商店)/中央区銀座

2017-11-15 | 東京の近代建築

外壁は改変が著しく、レトロモダンな今風のオシャレなビルに変身していますが、ビルの竣工時は日本橋の袋物屋丸嘉商店でした。3階部分は白く塗られていますが、もとはスクラッチタイル貼りで、ビルの入り口の上部にはアールデコ調のテラコッタ装飾が施されています。


■名作、大作と呼ばれる建築ではありませんが、こういうB級作品が銀座の品格ある景観に大きく寄与しています







■丸嘉ビル(旧丸嘉商店)/中央区銀座7-7-1
 竣工:昭和4年(1929)
 設計:森山松乃助
 施工:清水組
 構造:RC造3階
 撮影:2017/08/11


銀座(3)電通ビル/中央区銀座

2017-11-13 | 東京の近代建築

1920~30年代はほとんどが折衷系の建築で、モダニズムにアール・デコの装飾性を加味したスタイルが多く見られます。電通ビルもそのひとつで、玄関ホールのモザイクタイルなどにアール・デコの影響がうかがえます。

日本最大の広告代理店電通の前身は明治34年設立の「日本広告」までさかのぼり、その後日本電報通信社(電通)になりました。電通はテレビがメディアの中心になった戦後から急成長した新興企業というイメージを勝手に持っていましたが、戦前にはすでに銀座に自前のビルを持つ老舗広告代理店だったのですね。


■インター・ナショナルスタイルに近い外観ですが、正面玄関上部の日本神話に題材をとった人物像のレリーフが見どころ




■造幣局の彫刻技術顧問を務めた畑正吉作の広目天と吉祥天のレリーフ





■電通ビル/中央区銀座7-4-17
 竣工:昭和9年(1934)
 設計:横河工務所
 施工:大林組
 構造:RC造8階
 撮影:2017/08/11


銀座(2)区立泰明小学校 /中央区銀座

2017-11-11 | 東京の近代建築

関東大震災後の現存する初期の復興小学校のひとつで、中央区では常盤小学校とともに、表現主義風外観の復興小学校として貴重な存在。


■最上階のアーチ窓やバルコニーの造形などに表現主義の影響がうかがえます







■玄関の柱や庇は表現主義独特の造形







■区立泰明小学校 /中央区銀座5-1-13
 竣工:昭和4年(1929)
 設計:東京市 原田俊之助
 施工:銭高組
 構造:RC造地上3階、地下1階
 撮影:2017/08/11
 ※東京都選定歴史的建造物


銀座(1)和光(旧服部時計店)/中央区銀座

2017-11-09 | 東京の近代建築

時計塔をのせた白いビルは、銀座のシンボルとしてあまりに有名。建物は日本の時計王、服部時計店の創業者・服部金太郎がシンボルの時計塔にこだわり建設したもので、昭和7年に竣工しました。
設計は上野の国立博物館や日比谷の第一生命館などの名建築を手がけた渡辺仁。銀座4丁目の角という立地条件を生かし、堂々としながらも威圧感のない近代ルネッサンス様式でまとめています。様式を自在に操る達人渡辺ならではの、都市のランドマークとして後世に残る傑作のひとつです。


■訪れた日は歩行者天国で、多くの人々が「銀ブラ」を楽しんでいました



■様式建築の重厚さと軽やかさをかねそなえた外観は、現在も「銀座の顔」として人々に親しまれています



■昭和、平成、これから先もずっと、銀座のシンボルとして時を刻み続けます


■和光(旧服部時計店)/中央区銀座4-5-11
 竣工:昭和7年(1932)
   設計:渡辺仁
 施工:清水組
 構造:SRC造地上7階、地下2階
 撮影:2017/08/11


東京建物ビル/中央区八重洲

2017-11-07 | 東京の近代建築

現在は改変が著しく、かろうじて1階部分の大きなアーチに当時の面影をとどめています。竣工時の写真(建築の東京)では三層構造になっていて、頂部には連続のアーチ窓とロマネスク風の装飾がみられます。東京駅の八重洲口では現存する唯一の近代建築です。


■壁面上部に竣工時のままの『東京建物ビル』の名称が表示されています


■東京建物ビル/中央区八重洲1-9-9
 竣工:昭和4年(1929)
 設計:阿部美樹志
 撮影:2017/08/11