かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

岡崎の取り壊された近代建築(2)~日清紡績針崎工場煉瓦倉庫群

2012-05-30 | 失われた建物の記憶

JR岡崎駅東口から南へ500mほど行った所に日清紡績針崎工場がありました。
工場敷地内には木造鋸屋根の綿工場(大正9年)や煉瓦造の倉庫群(大正10年)が建ち並んでいましたが、2012年現在工場はすべて取り壊され、建売住宅の分譲地として再開発されています。
その他岡崎駅周辺では中尾医院(昭和1年)、南部公会堂(昭和5年)、清風軒(大正1年)なども取り壊され、現存するのは服部記念館と旧愛知二中講堂だけになってしまいました。

◆日清紡績針崎工場煉瓦倉庫群/愛知県岡崎市針崎町字カンジ
 竣工:大正10年(1921)
 構造:煉瓦造
 撮影:2006/05
 取り壊し確認:2012/05



■板塀の向こう側には広大な紡績工場の敷地が広がっていました






 
■外壁が白く塗られていますが、大正期に建てられた煉瓦造りの倉庫が建ち並んでいました 

 

 


岡崎の取り壊された近代建築(1)~犬頭館

2012-05-27 | 失われた建物の記憶

 今回の岡崎訪問は2006年以来6年ぶりになりますが、数件の近代建築の取り壊しを確認しました。古い建物の取り壊しは良くあることですが、JR岡崎駅東口の大規模な再開発には驚きました。それまで駅前の街並みを形成していた古い商店や工場、住宅はほとんど取り壊され、これが同じ通りだとは思えないくらいの街並みの変わり様でした。地方都市によくある、ちょっとさびれた昭和の駅前通りが、地域ごとほとんど建て替えられ、駅前一帯が新築ピカピカのニュータウンに生まれ変わっていました。
 
 歴史のある建物によって醸し出される街並みの重みと落ち着きは、その都市特有の記憶として後世に受け継がれていきます。すべてがリセットされた岡崎駅東口の街並みは、明るく現代的ですが、これまでの人々の営みの歴史が全て抜け落ちてうすぺっらな印象になってしまいました。まあこれは、私のようにふらっと訪れる旅行者だから言えることで、実際にそこで暮らす地元の方は、再開発されて新しく便利になった町を歓迎する方がほとんどなのでしょうが。

 犬頭館は岡崎駅東口の駅前通りにあった洋館で、白く塗られてよく手入れされた木造下見板張りの古さを感じさせない建物でした。レトロでおしゃれな外観は現在でも十分再活用可能で、岡崎駅前の歴史を語る建物として保存活用する道があったのではと思うと非常に残念です。リセットされた街並みだからこそ、それまでの街の記憶を留める歴史的建造物が必要なのではと感じました。
 
◆犬頭館/愛知県岡崎市羽根町東荒子
 竣工:昭和2年(1927) 
 構造:木造2階建
 撮影:2006/05
 取り壊し確認:2012/04 
 

■在りし日の犬頭館~玄関ポーチの妻飾りとバージボード(軒板飾り)がおしゃれで洋館らしい雰囲気のある建物でした

犬頭館というネーミングが前から気になっていたのですが、建物は姿を消し名前の由来は謎のままです


 


東急鯱バス(株)社員寮(名古屋市北区)

2012-04-22 | 失われた建物の記憶



■角の柱を見るとイギリス積みの煉瓦の様子が良く分かります


名古屋市内では珍しい明治期の煉瓦造建築です。
元々は製糸工場として建てられたものですが、現在は民間会社の施設として再利用されています。
築100年以上も前の古い建物が、取り壊されることなくリフォームして再活用されているのは素晴らしいことです。
貴重な明治の近代化遺産、東急鯱バスさんが少しでも長く保存活用されることを願います。

◆東急鯱バス(株)社員寮(旧製糸工場)/愛知県名古屋市北区柳原3
 竣工:明治28~30年(1895~1897)
 構造:煉瓦造2階建
 撮影:2012/03/20

※残念ながら2012年取り壊しとの情報をいただきました 

 


露橋下水処理場本屋(名古屋市中川区)

2012-03-04 | 失われた建物の記憶

露橋下水処理場は昭和4年に抽水場(ポンプ所)として建設に着手、昭和8年名古屋市3番目の水処理センターとして下水の処理を開始しました。
平成16年から施設の全面リニューアルが開始され、昭和5年に竣工した下水場本屋も全面改修を受け、新しい建物に建て替えられたようです。 

◆露橋下水処理場本屋/愛知県名古屋市中川区広住町10-50 
 竣工:昭和5年(1930)
 構造:RC造
 撮影:2007/10/07 


全面改修前の露橋下水処理場本屋(撮影:2007/10/07)
熱田ポンプ所同様、装飾を排したインターナショナルスタイル。縦長の窓が並ぶデザインが印象的です。

 


現在の露橋下水処理場(撮影:2012/02/11)
施設はまだ工事中ですが、リニューアルされた水処理センターの管理棟の全景が確認できます。
 


東邦ガス本社の取り壊し物件(名古屋市熱田区)

2012-03-02 | 失われた建物の記憶

今回中川区から熱田区にかけての建築探訪で、数件の取り壊し物件を確認しました。
まずは熱田区桜田町にある東邦ガス本社の施設です。
敷地内に数棟の煉瓦造りの戦前物件がありましたが、全て取り壊されていました(2012/02/11日確認)





◆東邦ガス(株)供給技術部研修所(旧製造工場機械室)
 竣工:大正12年(1923)頃
 設計:鈴木禎次(伝承)
 構造:鉄骨煉瓦造平屋建



◆東邦ガス(株)東邦液化倉庫
 竣工:不詳
 設計:鈴木禎次(伝承)
 構造:煉瓦造平屋建



◆東邦ガス(株)機材課倉庫
 竣工:大正3年(1914)頃
 構造:煉瓦造平屋建
 撮影:2007/02/11




現在は戦前の事務所らしき建物だけが唯一遺されていました。
取り壊された後には煉瓦壁を模したモニュメントらしい建造物が建っています。(20142/02/11撮影)
 

 


愛知大学周辺の取り壊された旧陸軍物件(愛知県豊橋市)

2012-02-05 | 失われた建物の記憶

今回の訪問で(平成23年10月)取り壊された旧陸軍物件を確認しましたので、かつて平成12年に建築探訪した際に撮影した往時の姿を紹介します。

◆偕行社
 竣工:明治42年(1909)
 構造:木造2階建 

 旧陸軍第15師団関係の建物で戦後は愛知大学短大部の本部事務局として使われました。平成12年に訪れた時は倉庫になっていて、建物も老朽化でかなり傷んでいるようでした。
 平成23年の夏ごろに建て替えが完了した模様で、旧偕行社の建物は残念ながら取り壊されました。



 



◆旧騎兵第25聯隊炊事場/愛知県豊橋市橋良町向山
 竣工:明治41年(1908)
 構造:煉瓦造平屋建

 泰東製鋼(株)豊橋工場として再利用されていましたが、平成15年頃取り壊され現在跡地にはマックスバリュの店舗が営業しています。




  


井桁屋百貨店(愛知県西尾市)

2011-12-25 | 失われた建物の記憶

かつて西尾の町の中心街に大正期に建てられた井桁屋百貨店がありました。
西尾では唯一の本格的な百貨店建築で、外観はルネサンス様式を基調とし、地上3階、地下1階の鉄筋コンクリート造、屋上には高さ5mの塔屋もありました。
玄関の両脇にはショーウインドを設置、1階~3階は陳列場(売場)、3階には展望レストランと児童室、屋上には催事場があり、小規模ながら百貨店建築としての機能を備えていました。
特筆すべきは屋上の催事場の周囲に庭園が設けられたことで、当時地方の百貨店としては流行の最先端を行くモダンな屋上庭園でした。

2005年10月幸いにもに西尾市を訪れる機会があり、取り壊し前の最後の姿をこの目で見てカメラに収めることができました。
建物は長年使われていない様子で老朽化が進み、外壁のモルタル崩落防止用のネットに覆われた姿は、大正生まれの老建築の最後の姿といった風情で、これでまた一つ西尾の近代の街角の原風景が消えてしまうと思うと残念でたまりませんでした。

かつては多くの老若男女でにぎわった大正生まれの西尾唯一の百貨店も 、道路の拡張工事に伴い2006年3月完全に解体撤去され、大正モダンな百貨店と屋上庭園は姿を消しました。

◆井桁屋百貨店/愛知県西尾市幸町19
 竣工:大正13年(1924)
 構造:RC造3階建、地下1階
 撮影:2005/10/09
 ※2006年取り壊し


大正モダンの夢のあと~ 塔屋の周りには屋上庭園の名残の草木が顔をのぞかせ、廃墟のような雰囲気が漂う 



大正時代から80年以上親しまれてきた井桁屋百貨店のある風景



現在百貨店の跡地は「井桁屋公園」として整備され、かろうじてその名前だけが残されている

 

 


JR東海中央本線 武並駅(岐阜県恵那市)

2011-09-23 | 失われた建物の記憶

釜戸駅の健在を確認後、一駅先の武並駅に向かいます。
19号線を右折し坂を下りると、目の前に現れたのはコンテナのような長方形の箱で、以前の木造駅舎は影も形もありません。

以前の駅舎は玄関の上に小さな半円形のドーマー窓を設けた大正期の洋館風で、まさに「ふるさとの木造駅舎」のイメージがぴったりの味のある駅舎でした。
大正15開業の駅舎は、地元の人にとっては生まれた時からそこにある「あたりまえの風景」として存在していました。長い歴史のある建物は、その存在自体が町の歴史そのものであり、その時代を生きた人々の思いを受け継いでいます。
80年以上もの長い間、町とともに時を過してきた駅舎が建て替えられたのはとても残念な思いがします。

新しい駅舎は現代風のモダンな建物で、それ自体が決して悪いわけではありません。
ただ私的にはもし私がこの町で生まれ育った人間で、久しぶりに故郷に帰ってきた時に迎えてくれるのは、ずっと昔から変わらずそこにあるあの木造駅舎であって欲しいと思うのです。
現在の駅舎が80年後に人々の思いを受け継ぎ、町の歴史を語る建物として存在するのを願うばかりです。

◆JR東海中央本線 武並駅/岐阜県恵那市武並町竹折
 竣工:大正15年(1926)
 構造:木造平屋
 ※2008年取り壊し


 
◆屋根のドーマー窓が特徴、大正期らしい洋館風駅舎(2001年撮影)



◆2008年に建て替えられた現武並駅舎(2011/09/18撮影)

 

 


八百津線の木造駅舎

2011-08-21 | 失われた建物の記憶

名古屋鉄道八百津線は、岐阜県可児市の明智駅から加茂郡八百津町の八百津駅までの7.3kmを結ぶローカル支線でしたが、2001年10月1日で廃止となりました。
犬山と御嵩を結ぶ広見線から尻尾のように出ている、いわゆる盲腸線と呼ばれる短い支線で、分岐している明智駅から終着の八百津駅までの間に、兼山口、兼山、中野の3つの無人駅がありました。
現在は全ての駅舎が取り壊され廃線跡もさだかではありませんが、廃線前に訪れた時(1999年)の八百津駅と兼山駅の往時の姿をご紹介します。
どちらも昭和5年開業時の姿のままで、木曽川沿いの山間を走るのどかなローカル線らしい味わい深い駅舎でした。


◆八百津駅舎~終着駅らしい立派な玄関、屋根の庇を支える持ち送りが印象的です



◆兼山駅~いかにもローカル線らしさが漂う山間の木造駅舎

 

 


◆八百津線廃線時に発売された入場券セット
 同時に廃止になった谷汲駅(谷汲線)、本揖斐駅(揖斐線)、大須駅(竹鼻線)の入場券が4枚セットになっています。

 



 

 

 


富加駅前の医院(岐阜県加茂郡富加町)

2011-07-24 | 失われた建物の記憶

長良川鉄道富加駅前にかつて戦前の古い医院が建っていました。
木造2階建ての個人経営の小さな医院ですが、2階には病室らしき部屋も見受けられ、かつては地域医療を担う町のお医者さんとして、多くの患者さんが訪れたことでしょう。
現在医院は取り壊されましたが、大正12年に建てられた古い木造駅舎は健在で、人影の途絶えた静かな駅前通りで、かつての賑わいを懐かしむように以前と同じようにゆっくり時を刻んでいます。

 








 
門柱の古い金属製プレートが歴史を語る(撮影: 2007/03/04)




現在も開業当時の姿を残す富加駅の木造駅舎(撮影:2010/03/22)

 

 


十六銀行関支店(岐阜県関市)

2011-05-15 | 失われた建物の記憶

 刃物の町として古くから栄えた関市の中心部を東西に走る本町筋は、戦前から商店が建ち並ぶ町のメインストリートとして賑わいました。現在は郊外に大型スーパーや量販店が建ち並び、どこの地方都市でも見られる旧市街地の寂れた商店街と言った風情が漂い、人通りもまばらです。
 
 そんな本町筋に面して建つ十六銀行関支店は、本町商店街に活気のあった昭和の時代を代表する建物です。昭和15年竣工ということで、昭和初めまで銀行建築に良く見られたオーダーや古典様式の装飾はすっかり姿を消し、現代建築に近いモダニズム建築ですが、角を塔屋風に高くして外壁は茶色のタイルとコンクリートに分割し変化をもたせています。

◆十六銀行関支店/関市本町1-4
 竣工:昭和15年(1940)
 構造:RC造2階
 撮影:2007/03/04

※平成22年7月に関支店は移転、店舗は取り壊された後、関商工会議所になっています。 

 





1~2階の間のコンクリートの縁取りや玄関上のキーストーン風の垂直線に様式建築の名残が感じられます

 


旧丹葉銀行(愛知県小牧市)

2011-02-15 | 失われた建物の記憶

このブログで近代建築を紹介するにあたり、その時点で現存が確認できた建物を中心にと心がけていますが、近代建築はその性質上、よほどの名建築でもない限りいつ取り壊されてもおかしくありません。
わたしのHPでも地域別に近代建築を紹介していますが、すでに現存しない建物も増えてきました。
そのつど最新の情報に更新すればよいのですが、なかなか手が回らず、このブログで取り壊し物件をアップしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

と言うわけで今回は大正期の小牧市の銀行建築です。
名鉄小牧駅の西側旧市街地に位置し、元々は丹葉銀行として建てられました。
その後小牧農協、数軒の歯科医院などに転用されましたが、取り壊される数年前から使われていない状態でした。
大正末期の建築らしく古典様式の装飾はかなり簡略化されていますが、茶のタイルとコンクリートの柱のコントラストが外観のアクセントになり、地方の銀行建築としてはなかなかセンスの良い建物でした。

◆旧丹葉銀行/小牧市小牧4-76
 竣工:大正12年
 構造:RC造2階
 撮影:2006/06/11

 





◆銀行建築らしい歴史様式を残しながらも装飾を平面化し、時代の新しいスタイルを取り入れています




扶桑中央公民館(愛知県丹羽郡扶桑町)

2011-02-14 | 失われた建物の記憶

このところめっきり取り壊された建物の紹介が増えてきました。

古い建物との出会いはまさに「一期一会」、偶然通りかかった路地裏にひっそり建つ西洋館を発見した時の喜びはひとしおで、恋人に会った時のように胸がときめきます。(注:決してアブナイ人ではありません)
数年後に現地を訪れその建物の現存が確認できた時はもちろん嬉しいのですが、取り壊され駐車場(このケースが多い)や新築物件に変わっていた時の喪失感はかなり大きいものがあります。
歴史的文化財として保護される近代建築は近年増加傾向にありますが、そんな運のいい建物はほんの一握り、街の片隅の個人所有の無名の建物は、遅かれ早かれいつかは取り壊される運命にあります。

そこで物好きなおっさんは、それこそどこの町にでもあるちょっと古い建物たちをカメラに収め、かつてこの町にこんな建物があったという事実を、皆さんの「記憶の片隅にでも小さくメモして」もらおうと東奔西走している次第です。
まあただ単に「とにかく近代建築が好きだ!」というだけなんですが、大好きな古い建物をひとりでも多くの人に見ていただければ、それだけで幸せでございます。

そこで今回は、自転車で散策中偶然見つけた古い公民館の紹介です。道から奥まったところにあったので車で前を通っても気づかなかったのですが、やはり建築探訪には徒歩か自転車が一番です。

木造下見板貼りの公民館としてはかなり立派な建物で、かつてわたしの母校の中学にあった古い講堂に良く似ていて、見つけた時は前にも来たことがあるような不思議な懐かしさを覚えました。
先日久しぶりに車で通りかかると、きれいさっぱり取り壊され更地になっていました。

◆旧扶桑中央公民館/丹羽郡扶桑町(扶桑中学隣)
竣工:昭和初?
構造:木造
撮影:2006/05/05

 

 

 


◆かつてはどこの町にもあった下見板貼りの公民館建築~正面車寄の装飾が見所




◆この時にはすでに使われている様子は無くひっそりとしていました




◆玄関車寄の上に装飾用の豆タイルが貼ってあります

 

 

 

 


在りし日の布袋駅界隈(愛知県江南市)

2011-02-13 | 失われた建物の記憶

布袋駅周辺は、明治時代には駅南の小折地区に旧丹羽郡の役所が置かれ、小折と名古屋を結ぶ岩倉街道が開かれたため、経済、交通の要所として賑わいましたが、戦後は古知野町、布袋町などが合併し江南市になり、市の中心は市役所のある江南駅周辺の古知野地区に移りました。
そのため開発が遅れた布袋地区は、大正元年築の布袋駅に象徴されるように昭和の香りが漂う静かな町並が残っていましたが、駅の高架化に伴う再開発で町の様子も変わり、木造の布袋駅舎をはじめ、わたし好みの古い建物はほとんど姿を消してしまいました。

下の建物は5~13年ほど前に布袋町界隈で撮影したものですが、現在は全て取り壊され現存していません。


◆旧布袋駅舎(撮影:1998/08/23)



◆木造下見板の洋館(撮影:1998/08/23)



◆小折の公会堂(撮影:1999/10/17)



◆駅前通にあった布袋支所(撮影:1998/08/23)



◆元は愛北信用金庫だったのですが、この時点で「信」と「金」の文字しか残っていませんでした
 (撮影:2006/09/17)
 


さらば旧布袋駅舎(愛知県江南市)

2011-02-12 | 失われた建物の記憶

昨年になりますが名鉄犬山線の布袋駅舎がついに取り壊されました。 

名鉄布袋駅は大正元年に竣工、周辺の古い町並とマッチした擬洋風建築の木造駅舎で、同じ犬山線の犬山、扶桑、古知野(江南)の木造駅舎が次々に建て替えられる中、名鉄最古の現存駅舎として1世紀近く現役でがんばってきました。
しかし布袋駅も遅まきながら駅の高架化が決定、2009年10月に工事が開始され、旧駅舎は仮駅舎の新設に伴い2010年2月で使用を終了しました。

その後市民の間から旧駅舎の保存の声も高まりましたが、駅舎全体の保存は費用の面で断念され、車寄や飾り天井、ベンチや備品などを市が譲り受け保存展示されることになり、旧駅舎は惜しまれながら2010年10月に解体撤去、100年に及ぶ長い歴史に幕を下ろしました。
 
近代建築ファンのひとりとしては、できれば名鉄現役最古の大正時代の木造駅舎をそのまま保存して欲しかったのですが・・・、やはり問題は移築保存にかかる莫大な費用(6000万円とか)です。
そこで現実的方法として、車寄や備品を一部保存し別の施設で展示することになり、旧駅舎の記憶がこれからも引き継がれることになりました。
ちょっと前なら取り壊される駅舎の一部が保存されるのは珍しく、最近になって近代化遺産として古い駅舎の価値が見直されてきたのは嬉しい限りです。


◆名古屋鉄道犬山線 旧布袋駅舎/江南市布袋町西布212
 竣工:大正元年(1912)
 構造:木造平屋





◆在りし日の旧布袋駅舎
 玄関車寄に透かし彫りになった名古屋電気鉄道時代の社紋が残ります(撮影:2006/05/05)



◆100年近く布袋の町を見つめてきた古い駅舎、更地にぽつんと建つ姿は寂しそう





◆工事用トラ柵に囲まれ最後の時を待ちます(撮影:2010/06/20)
 この後9月20日に車寄部分が保存の為取り外され、駅舎は解体撤去されました