かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

岐阜市建築散歩~番外編(失われた戦前の木造洋風建築)

2010-11-07 | 失われた建物の記憶

9月に過去に訪れた岐阜市内の洋風建築を再訪しましたが、ここ数年でかなりの建物が取り壊されているのを確認しました。
大規模な公共の建物や商業施設は、保存活用されるラッキーな場合もありますが、個人の所有する住宅や商店は老朽化には勝てずやがて取り壊される運命にあります。
古い建物が取り壊されるのは止めようがありませんが、時代を語る個性的な建物が消えていくのはやはり寂しいです。
わたしにできることは、街角で時を刻んだ在りし日の姿を、この場を借りて紹介することくらいで、これからも姿あるうちにひとつでも多くの近代建築を訪れたいと思います。

 

~~取り壊された岐阜市の洋風建築~~


 ◆天菊織物工場(旧菊花温泉)/大正14年(1925)築/撮影:2001/11
長良の旧街道沿いにあった元は銭湯というユニークな織物工場
正面の菊をデザインした三角形のタイルは「菊花温泉」時代のもの




 ◆石原美術そばの洋館~軒下の装飾と丸窓、木製ドアが良い味出してます/撮影:2006/09




 ◆加納小児科~柳ヶ瀬のそば金公園東にあった昭和レトロな医院/撮影:2006/09

 

 


旧加納町役場(岐阜市)

2010-10-24 | 失われた建物の記憶

岐阜建築散歩~その5

岐阜駅の東南、徒歩10分程の旧中山道沿い、新築住宅も目立つ旧加納宿の住宅街の一角に、過去からタイムスリップしてきたような古い洋館がひっそりと建っています。
元々は大正15年(1926)に加納町役場として建てられたもので、最後に岐阜市学校給食会によって使用された後、数年前から空家になっており、現在は老朽化による耐震強度の問題で立ち入り禁止のロープが張られています。

この旧加納町役場の建物は、鉄筋コンクリート造りの町役場としては最初期のもので、設計は岐阜市ではおなじみの近代日本を代表する建築家で当時京都帝国大学建築学科教授の武田五一が担当しました。
武田は10代を岐阜市で過し、その縁もあってか岐阜市周辺で多くの建物の設計に携わっています。現在も市内には旧加納町役場の他、名和昆虫研究所記念館・博物館、昆虫碑、旧岐阜商工会議所美江寺支店が現存しています。

同時期に建てられた重厚な左右対称の岐阜県庁舎に対し、非対称の彫塑的なモダンなデザインで、アールヌーボーやセセッシヨンを日本に紹介した武田らしい自由闊達なデザインです。
外観は軽快なスパニッシュ風に仕上げていますが、凸凹の白壁にアーチを架けた玄関ポーチを張り出し、縦長の窓と半円形の大窓を設け、武田好みのセセッション風味付けも施しています。
内部は当時流行の表現主義に和風を併用した、いかにも武田らしい意匠に仕上がっています。


◆旧加納町役場/岐阜市加納本町1-16
 竣工:大正15年(1926)
 設計:武田五一
 施工:大林組
 構造:RC造2階
 撮影:2010/09/26
 *国登録文化財



建物全景~旧中山道沿いに北面して建っています

当初は白色に塗られていたであろう外壁は、長年の風雨にさらされ灰色に変色し、
窓枠は錆びほうだい、何とも古色蒼然としたたたずまいは、このままホラー映画の舞台になりそうな雰囲気が漂う。



玄関正面~ポーチの上部にうっすらと右から「加納町役場」の文字が残る



アーチをつけた縦長窓と半円形の大窓が外観にアクセントをつける

 


建物東側~縦長の窓が並ぶ



西隣に建つ小屋~コンクリートの下に煉瓦が見えます



旧加納町役場の案内板

「岐阜市が誇る歴史的建造物」の建て看板も設置してあるところを見ると、
旧中山道加納宿の拠点施設として再生活用される日もそう遠くは無い?と思われます。


岐阜信用金庫美江寺支店(旧岐阜商工会議所美江寺支店)/岐阜市

2010-10-17 | 失われた建物の記憶

岐阜市建築散歩~その3

 岐阜県総合庁舎の南、今小町交差点に何の変哲も無いフツーのビルがあります。全国どこでも目にする地方の銀行の支店らしい無味乾燥な四角い箱型の建物ですが、この建物が大正13年に建てられた事実にはちょっと驚きます。

 大正末から昭和にかけて、機能を重視した直線と平面で構成された新しいスタイルの「モダニズム建築」が都市部から全国に広がっていきますが、この建物は地方都市での比較的早い建設の例と言えるかもしれません。ちょうど同じ頃に建てられた岐阜県総合庁舎や岐阜県教育会館と比較すると、そのシンプルで機能的なデザインが良く分かると思います。

 設計はアールヌーボーを最初に日本に紹介し近代建築史にその名を残す武田五一です。武田は名古屋高等工業(現名工大)の教授を務め、東海地方には縁が深く、岐阜市内にも名和昆虫記念館・博物館や旧加納町役場が現存しています。


◆岐阜信用金庫美江寺支店(旧岐阜商工会議所美江寺支店)/岐阜市今小町20
 竣工:大正13年(1924)
 設計:武田五一
 施工:大林組
 構造:RC造3階
 撮影:2010/09/26
 ※取り壊し確認(2014/09/07)


■細部の装飾などは一切無く、歴史様式の持つノスタルジーやレトロ感は皆無
建築ウォッチング的には見所は少ないのでちょっと面白味にかけるかも


■縦長の連続窓が唯一時代を感じさせます
鉄とガラスとコンクリートで作られた直線的でシンプルなデザインは、平成の現代の街角にも違和感なく溶け込んでいます






■現在の岐阜信用金庫美江寺支店
残念ながら旧建物は取り壊され、2013年11月に新築オープンしました。
岐阜に現存する武田設計の建物が無くなっていくのは寂しい限りです。
このところ岐阜教育会館も取り壊され、岐阜の近代建築の行く末が心配です...

撮影:2014/09/07


岐阜県教育会館(旧岐阜県教育会図書館)/岐阜市

2010-10-16 | 失われた建物の記憶

岐阜市建築散歩~その2

岐阜県総合庁舎の南西に、大正末期に建てられた一風変わった外観の近代洋風建築が現存しています。
長い間岐阜大学病院の建物と塀に囲まれ、建物の一部しか見ることができませんでしたが、岐阜大学の移転に伴いその全貌を確認することができました。
西側のコンクリートの建物は正面中央に丸形の屋根が突き出ているのが特徴で、愛知県刈谷市にあった依佐美通信所にそっくりな外観で、当時流行のドイツ表現主義風デザインが採用されています。
まさに時代を象徴するユニークな建物で、ぜひこのまま保存活用されることを願います。


◆岐阜教育会館(旧岐阜県教育会図書館)/岐阜市美江寺町2-1
 竣工:大正末年(1921~1925)
 設計:河村鹿市・佐藤信次郎
 施工:大林組
 構造:RC造2階
 撮影:2010/09/26
 ※取り壊し確認(2014/09/07)


〇建物北側~東西に全く外観の異なる建物が連結されています



〇西側建物~中央入り口のアーチ(現在は閉鎖)とその上部の円弧形に立ち上げたパラペットが特徴



〇大正~昭和にタイムスリップして、この空間だけ時が止まっているような
 何とも言えない怪しく不思議な雰囲気が漂います。
 さしずめ江戸川乱歩の小説に出てきそうな、「謎の研究所」といったところでしょうか。
 


〇当時流行の表現主義風のデザイン~まるで鉄仮面かロボットの頭です



〇西側壁面の装飾
 


〇表現主義を代表する依佐美送信所(昭和4年/愛知県刈谷市)
 残念ながら取り壊されました




〇東側建物~こちらの外観はいたってオーソドックスです

 

 




■現在の岐阜教育会館跡(撮影:2014/09/07)
右端の建物の隣(白いフェンスあたり)に建っていました。
岐阜を代表するモダニズム建築だったのに残念です.....合掌

 


豊田合成(株)名古屋工場(旧菊井維布)/名古屋市西区

2010-09-21 | 失われた建物の記憶

ノリタケの森を訪れたついでに、すぐ北東にある豊田合成名古屋工場に向かいました。
前回8年前の平成14年に訪れた時には大正期に建てられた赤煉瓦造りの古い工場が現存していたのですが・・・はたしてまだあるのか?
やはりというか、不安は的中。見事なばかりの更地になっていました。
それも周囲の状況から、おそらく取り壊されたのは今年に入ってから、まだ最近という感じで、ひと足遅かったようです。
跡地は何になるのか、工場の煉瓦の外壁のごくごく一部が鉄骨に支えられ保存され、塗り壁状態でぽつねんとたたずんでいました。
さみしい~~


かつては赤煉瓦の向こうに名古屋駅の高層ビル群が望めました(2002年5月撮影)
大正の赤煉瓦と平成のインテリジェントビルが同居する稀有な風景はもう二度と見ることはできません。

 


きれいさっぱり更地になった工場跡。
大正期操業の工場は時代の流れとともに100年近い歴史に幕を下ろしました。

 


赤煉瓦工場の記憶を唯一伝える「赤煉瓦の塗り壁」
壁一枚にも満たない鉄骨に囲まれたこの物体、果たして残す意味があったのか?

 

 


名古屋銀行協会会館のかけら(名古屋市中区)

2010-04-11 | 失われた建物の記憶

丸の内建築散歩~おまけ

今回の丸の内建築ウォッチングの最後は名古屋銀行協会会館です。
とはいっても、名古屋銀行協会の建物は建て替えられたバリバリの現代建築で、残念ながら以前の建物は写真もありません。

そこで下の写真ですが、協会の玄関前に以前の建物のほんの一部分が保存されてオブジェと化していました。
まさしく建物のかけらと呼ぶにふさわしい物体ですが、何の説明パネルもないので一般の人には「なにこれ?」のトマソン状態で、ぽつねんと広い玄関にたたずんでおります。
せめて以前の建物の全景写真と、説明パネルを脇に設置して欲しいものです。

ちなみに同じような形で保存された旧大和生命ビルの装飾には、簡単ながら「旧大和生命ビル外壁材」のキャプションがつけられていました。


 

※建て替え前の旧銀行協会のデータ

■旧名古屋銀行協会会館/名古屋市中区丸の内2-4-24
 竣工:昭和6年(1931)
 設計:星野保則
 施工:大林組
 構造:RC造2階建
 


中屋織物工業協同組合(岐阜県各務原市)

2010-03-10 | 失われた建物の記憶

■中屋織物工業協同組合/岐阜県各務原市成清町4丁目230
 竣工:昭和2年(1927)
 構造:木造2階
 撮影:1999/7
 ※取り壊し後駐車場

本格的に近代建築探訪を始めた頃に偶然見つけた物件です。
役所を思わせる立派な建物ですが、近代建築総覧には記載がなく、図書館で見つけた岐阜県近代化遺産総合調査報告書で竣工年が判明しました。
協同組合のある各務原市南部の稲羽地区は戦前から織物が盛んで、組合事務所も当時の繊維産業の隆盛を思わせるモダンな造りになっています。
戦後高度成長期頃までは不況知らずの繊維業界でしたが、昭和40年代を境に国内の繊維産業は斜陽の一途をたどり、織物工場は激減、この地区の個人経営の小さな工場もほとんどが廃業に追い込まれました。
組合事務所も老朽化により外壁や屋根の痛みがひどく、行く末が案じられましたが、数年前のある日、たまたま前を通ると建物は跡形もなく更地になっていました。
私にとっては取り壊された後も、いつまでも記憶に残る印象深い建物です。


■建物の規模に比べ玄関車寄が立派です
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/49/357318f6391f6974fc5b48c1f981a488.jpg


■建物両端の屋根を独立させて外観にアクセントを出しています
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/7a/cc70e7b77968c634df8a6f3639c63b28.jpg


■大正~昭和にかけて流行したセセッション風のデザイン
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/ba/f036020fc05f0e2964791837f4e44649.jpg


■換気口も糸巻き風のデザイン



■玄関扉上の糸巻きをデザイン化したステンドグラス
 室内から見られなかったのが残念です
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/dc/d2ad726f298138b27472bd86dec55305.jpg

 


後藤家木曽川別荘(岐阜県各務原市)

2010-03-08 | 失われた建物の記憶

■後藤家木曽川別荘/岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町
 竣工:大正13年頃(1924)
 ※取り壊し撤去

後藤家木曽川別荘は、後藤毛織の経営者が当時日本ラインとして知られるようになった木曽川を見下ろす景勝地に建てた和洋折衷様式の近代和風の豪奢な別荘でした。
後藤毛織倒産後は転々と人手を渡り、最近は都築紡績が管理していましたが建物は荒れ放題、この不況の折、再生活用など夢のまた夢、城山荘とともに取り壊されました。
かろうじて建物の一部が近くの川上貞奴木曽川別荘の隣に建てられたブライダル施設に再活用され、当時の大金持ちの建てた夢のかけらを見ることができます。
詳細はわたしのHPの中の「失われた風景」をご覧ください。


■創建当時のままの外観が残る建物(撮影:1998/12)



■和洋中が渾然と同居する不思議なデザインの門と玄関





■2006年7月に訪れると建物は全て解体されかろうじて門柱だけが残っていました



■広大な更地が残る取り壊し跡
  手前の樹木に囲まれた敷地が後藤別荘跡、その奥は都築紡績工場跡地

撮影:2010/2

 

 


城山荘(岐阜県各務原市)

2010-03-07 | 失われた建物の記憶

城山荘/岐阜県各務原市鵜沼南町城山
 竣工:大正末~昭和初頃(1926)
 ※2002年取り壊し

木曽川に架かる犬山橋の北詰(各務原市側)にひときわ目を引く小高い岩山があります。
室町から安土桃山時代にかけて鵜沼城という城が建っていたため、城山と呼ばれたこの岩山の頂上に、数年前まで「城山荘」と言う古びた建物がたっていました。
大正の終わり頃、地元の名士により別荘として建てられた城山荘は、その後昭和40年代頃までは料理旅館として営業されていましたが、火災をきっかけに廃業され、長い間そのまま放置されたため廃墟同然の姿になっていました。
それでも何とか取り壊しをまぬがれ、長年にわたり犬山橋とともに大正~昭和の時代を偲ぶランドマーク的存在として人々に親しまれてきましたが、管理していた都築紡績の経営不振のため、すぐ上流にあった後藤家木曽川別荘とともに取り壊されました。
昭和の初から木曽川観光の拠点「日本ライン」として名を馳せた犬山橋周辺には、多くの別荘や旅館、観光施設が造られましたが、城山荘の撤去を最後に当時の様子を語る建物は全て姿を消しました。


■在りし日の城山荘(対岸の愛知県犬山市から望む)



■廃墟と化した城山荘~エレベーター用の塔が時代を語る



■城山荘の下を行きかうライン下りの船(2000年4月撮影)


■城山荘が撤去された城山(2010年2月撮影)

撮影場所/愛知県犬山市善光寺山公園


中京温泉 大観荘(名古屋市中村区)

2010-03-06 | 失われた建物の記憶

■中京温泉 大観荘/名古屋市中村区日吉町
 竣工:大正12年頃(1923)
 構造:木造2階

江戸時代から続いた大須の旭遊郭は、火災、風紀の問題で廃止され大正12年中村区の大門地区に移転、中村遊郭として生まれ変わり、昭和33年まで日本三大遊郭のひとつとして繁栄しました。
中村日赤の東側一帯の大門地区は、現時も当時の遊郭の面影を残す和風建築が残っており、その建物をそのまま利用した料亭や旅館が営業しています。
大観荘も玄関の唐破風や2階の連子窓、手摺など遊郭建築の特徴を残す建物でしたが、残念ながら取り壊されました。





上の写真は2002年4月に撮影したものですが、その後ほどなく取り壊されたようです。
跡地が気になりグーグルマップで調べてみるとスギ薬局大門店になっていました。


河野薬品(名古屋市中区)

2010-01-31 | 失われた建物の記憶

■河野薬品/名古屋市中区新栄1-5-11

建物の詳細は不明ですが、外観のデザインから戦前に建てられたものと思われます。
全面タイル貼りでコーナーに丸みをつけ、正面にはライオンや鳥のレリーフが飾られていました。
数年前に建て替えられ現在は新しい建物になっています。




撮影:2005/11


名古屋証券取引所(名古屋市中区)

2010-01-25 | 失われた建物の記憶

■旧名古屋証券取引所/名古屋市中区栄3丁目3-17
 竣工:昭和6年(1931)
 設計:城戸武男
 施工:竹中工務店
 構造:RC4階
 撮影:1998/11
 ※2007年新築移転に伴い取り壊し





ここ数年で名古屋市中心部の昭和初期のオフィスビルの取り壊しが続いています。
さすがに戦前の建物は老朽化や経済効率の悪さの問題が深刻で、重要文化財クラスの建物でないと保存が難しい状況になっています。
名古屋証券取引所も外観は派手な洋館らしさはありませんが、内部はかなり凝っていたようです。
取り壊された現在、もう見ることはかないませんが、「わが街ビルヂング物語」に掲載されている特別応接室の扉の上の神獣のレリーフの写真をみると、今さらながら古き良き時代の建物の持つ贅沢な空間にため息が出ます。


遠山産業(名古屋市中区)

2010-01-24 | 失われた建物の記憶

■遠山産業(株)/名古屋市中区錦2-12-28
 竣工:昭和10年(1935)
 設計:黒宮五郎
 施工:清水組
 構造:RC3階
 撮影:2005/10
 ※取り壊し後、駐車場



錦通から長者町繊維街のアーケードをくぐり、長者町通を北へ進んだ一本目の交差点にかつてクラッシックなビルが建っていました。
外観は装飾の少ないシンプルなデザインながら、縦長の連続窓や玄関周りに戦前のオフィスビルの面影を残していました。
現在は取り壊され駐車場になってしまいました。


伊信ビル(名古屋市西区)

2010-01-20 | 失われた建物の記憶

■伊信ビル/名古屋市西区名駅3(那古野交差点)
 竣工:昭和8年(1933)
 設計:巻坂事務所
 施工:大林組
 構造:RC4階
 撮影:1999/12
 ※取り壊し、IT名駅ビル2号館に建て替え



 この写真を撮影した1999年当時から取り壊しは時間の問題と言われていましたが、現在は跡形もなく「IT名駅ビル2号館」という味も素っ気もないフツーのビルに建て替えられました。
 外観は昭和の初に流行した表現主義風で、スクラッチタイルに階段室の丸窓など、同時期に建てられた愛知県庁大津橋分室や伊勢久(現存)と共通するデザインが採用されていました。
 街の景観に歴史的建造物が占める役割は非常に大きなものがありますが、那古野の交差点の景観の一部として親しまれてきた伊信ビルも、70年にわたる長い歴史に幕を下ろしました。



■大津通に現存する伊勢久(向かって左)と愛知県庁大津橋分室(同右)


名宝会館(名古屋市中区)

2010-01-13 | 失われた建物の記憶

■名宝会館/名古屋市中区栄1
 竣工:昭和10年(1935) 
 設計:阿部事務所
 施工:竹中工務店
 構造:SRC5階、地下1階
 撮影:2000/4/29
 ※2003年取り壊し



納屋橋周辺にも数多くの洋風建築が建っていましたが、ほとんど姿を消しました。
戦前の建物の建て替えが進む中、平成19年に長い間広告看板に覆われていた旧加藤商会ビルが再生活用され、戦前の納屋橋界隈の雰囲気を今に伝えています。
また最近は堀川の浄化にも力が注がれていて、昔ながらの川辺の風景が蘇るのが楽しみです。