かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

伊藤写真館(愛知県一宮市)

2013-02-11 | 尾張の近代建築

一宮駅東側のロータリー北側、栄1丁目に昭和レトロな写真館があります。
建築年は不明ですが、外観は昭和初めに流行した表現主義風のデザインで、木製の窓枠やタイル貼りの外壁も当時のままで、これぞ「昭和の写真館」と呼びたくなるようなたたずまいを今も残しています。
デジカメやスマホが普及し、誰もが気軽に写真を楽しめる時代になりましたが、昭和30年代頃までは記念写真は写真館で撮影するのが普通でした。そんな時代の記憶を今に伝える古い写真館、いつまでも街角に残ってほしい風景のひとつです。


◆伊藤写真館/愛知県一宮市栄1丁目11-24
 竣工:不明(昭和初期?)
 構造:木造2階建
 撮影:2013/02/03


■腰にタイルを回し、庇を張り出し水平線を強調する手法は表現主義風



■通りに面した店舗部分は洋風に仕上げてありますが、住居部分は瓦屋根の和風仕様です





■丸窓も当時流行りのモダンデザインの定番です





■欄間風の木製の窓枠の隅には装飾が入り、金属製の手摺のデザインも昭和モダンな幾何学模様



■撮影した記念写真を飾るショーウィンドウは、昭和の写真館には欠かせないアイテムです
 


一宮建築散歩(4)~今伊勢町本神戸の洋風下見板建築

2013-02-09 | 尾張の近代建築

旧岐阜街道が190号線(現岐阜街道)から分岐する今伊勢町本神戸に、戦前物件と思われる2軒の洋風木造下見板建築が残っています。
岐阜街道を挟んですぐ西側には、現在も日本毛織の大きな工場があり、周辺には織物・染色関係の会社、工場が点在しています。
2軒の木造下見板の洋風建築も、戦前からの織物工場の施設として使用されたのではないかと思われます。


■本神戸下町にある木造下見板張りの洋風建築





■上の建物から300mほど東にある、こちらも木造下見板張りの洋風建築(本神戸寺前)





(撮影:2013/02/03)

どちらの建物も現役で使われている様子はありませんが、今伊勢町本神戸界隈の戦前の街角の様子を今に伝えています。



今仙技術研究所建物(愛知県犬山市)

2013-01-26 | 尾張の近代建築

犬山駅から県道27号線沿を鵜沼駅方面へ向かうと、右手(東側)道路沿いの空き地の奥ににちょっと気になる建物があります。
この道路沿いには最近まで今仙電機製作所の工場施設があり、その建物は隠れて見えませんでしたが、工場が取り壊されてその広い跡地の東側に古い邸宅らしき建物が通りからも見えるようになりました。
今仙電機製作所は昭和14年(1939)名古屋市東区に設立され、昭和22年(1947)には犬山工場が建設されていますが、跡地に残る邸宅も犬山工場建設の頃に建てられ、その規模から経営者の本宅として使われたものと思われます。
邸宅は和館と洋館が南北に並んでおり、北側の道路沿いの洋館がある門には、今仙電機製作所の関連会社「今仙技術研究所」のプレートがかかっていますが、建物はかなり老朽化が進んでいて現在使われている様子はないようです。

◆今仙技術研究所建物/愛知県犬山市犬山東古券
 竣工:不明~昭和22年(1947)前後?
 構造:木造2階建一部洋館
 撮影:2013/01/06



■和館に一部洋館が付属する戦前に流行った邸宅の様式で、和館は住居として、洋館は商売上の来客用にゲストハウスとして使われることが多かったようです



■一番南側の和館はツタが絡まり、使われなくなってからかなりの年数が経過しているようです



■北側道路沿いに建つ洋館。こちらもガラスが割れ廃墟同然の状態。


犬山城下散策~洋風建築編(愛知県犬山市)

2013-01-16 | 尾張の近代建築

犬山市には明治期の近代建築を移築し野外で展示する博物館明治村がありますが、市内には戦前の洋風近代建築はほとんど残っていません。
犬山城下の古い町並みにも、現存する洋風建築となると数えるほどで、今回は数少ない洋風建築をご紹介します。


■犬山北小学校の南側にある洋館住宅。昭和に流行った南国趣味の植栽がとんがり屋根の洋館と良くマッチしています。
今回城下を歩いて見つけた洋風住宅は、残念ながらこれ一軒だけでした(西古券)
 


■ファサードだけ洋風の看板建築風の建物。
そのデザインから当初は住宅ではなく、事務所や医院などに利用されたのではと思われます(東古券)



■県道183号線の犬山駅西交差点から西へ向かってすぐ左側にある看板建築(東古券)



■2階軒下に幾何学模様の装飾を施し、窓廻りと手摺、玄関廻りにアールをつけた表現主義風なデザイン
 
(撮影:2013/01/13) 


■隣に古い洋館がありましたが取り壊され、現在は空き地になっています(1999年撮影)
 


犬山祭本町車山蔵(愛知県犬山市)

2012-04-24 | 尾張の近代建築




車山蔵は犬山祭の際にくりだす車山の格納庫で、13町内にそれぞれの車山蔵がありますが、現在当時の木造のまま残っているのは本町と新町の2町内のみになっています。

本町の蔵は小屋組みは和風ながら、筋違やボルト締めなどに洋風建築技術が見られます。


◆犬山祭本町車山蔵/愛知県犬山市東古券779
 竣工:明治42年(1909)
 施工:市橋清次郎(棟梁)
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/04/21
 ※国指定登録文化財


小弓の庄/旧加茂郡銀行羽黒支店(愛知県犬山市)

2012-04-23 | 尾張の近代建築

私の地元犬山市には国宝犬山城があり、城下町には江戸末~明治期に建てられた町屋が多数現存しています。
また博物館明治村には、9件の国の重要文化財を含む60を超える明治~大正期の近代建築(西洋館)が全国から移築保存されていますが、もともと犬山に建てられた洋風の近代建築はほとんど現存していません。

そんな中で名鉄小牧線羽黒駅のすぐ近くに、犬山唯一の現存する明治期の擬洋風建築、「小弓の庄」(旧加茂銀行羽黒支店)という銀行建築が移築保存されています。
現在小弓の庄として再活用されている建物は、明治40年代に加茂郡銀行羽黒支店として建てられた建物で、その後東濃銀行、七十六銀行、大垣共立銀行の羽黒支店を経て、昭和5年に支店が廃止になるまで銀行建築として使用されました。
銀行廃止後は個人が購入し、昭和8年頃道路拡幅により移築された後、昭和18年からは愛北病院羽黒診療所として利用され、近隣の人々から親しまれてきました。
近年は住宅として使用されていましたが解体されるのを機に、平成11年犬山市が羽黒のまちづくり拠点施設「小弓の庄」として現地に移築復原しました。

明治期に多く建てられた、いわゆる「擬洋風」と呼ばれる和風建築に洋風を取り入れた建築様式で、唐破風の鶴の彫り物や竜の鬼瓦、漆喰の鏝絵装飾など職人の技が光る見どころがいっぱいです。
また内部も1階は吹き抜けのホールになっていて、回廊や欄間など明治期の地方銀行の特徴をよく残しています。

※小弓の庄~旧丹羽郡の犬山地区は藤原氏領の荘園で「小弓庄」と呼ばれ、羽黒がその中心といわれています。


◆小弓の庄(旧加茂郡銀行羽黒支店)/愛知県犬山市大字羽黒字古市場53-1 
 竣工:明治40年(1907)代→平成11年(1999)移築復原
 構造:木造2階建
 撮影:2012/04/15

 〈参考資料〉小弓の庄パンフレット、旧加茂郡銀行羽黒支店建物復原の概要 




■建物正面~寄棟造桟瓦葺、外壁は漆喰塗仕上げの明治期の典型的な擬洋風の銀行建築





■正面入り口の唐破風~鶴の彫物と龍の鬼瓦が見所



■壁の出隅と一階窓下の腰部分は隅石積を模した洗出し仕上げ
一・二階窓の間と軒廻りには蛇腹が廻る



■窓廻りには漆喰仕上げのペディメント、笠木、持送りのある窓台が付く



 

■建物背面の出隅部分には漆喰塗の鏝絵の装飾が施されている





■一階吹き抜けの玄関ホール~上部には回廊がめぐり、二階和室の欄間を見ることができる



■二階和室欄間の透かし彫り




小牧高等学校旧講堂(小牧市)

2011-03-22 | 尾張の近代建築

小牧市建築散歩~その2

小牧城のそびえる小牧山のすぐ東側に位置する愛知県立小牧高等学校(旧制小牧中学)に現在も戦前の講堂が残っています。
建物は鉄筋コンクリート造ですが、コンクリートの庇の上に瓦葺きの大屋根を載せているのが時代を感じさせます。
外観デザインはシンプルですが、随所に戦前の昭和モダンな幾何学的装飾やモチーフが見られ、現代建築とは一味違った細部の意匠が楽しめます。

小牧高校の前身は大正13年に開校された旧制愛知県立小牧中学校ですが、愛知県内の県立旧制中学のRC造建築としては、瑞陵高校と津島高校、西尾高校の講堂が現存しています。

 

◆愛知県立小牧高等学校旧講堂(旧制愛知県立小牧中学校講堂)/小牧市小牧1丁目
 竣工:昭和4年(1929)
 設計:愛知県建築部営繕課
 施工:秋田義工
 構造:RC造平屋
 撮影:2011/02/27

 


建物北側正面玄関




奥の白いドアは控え室入り口、その隣が講堂出入り口になっている




控え室の台形の窓~特注の真新しいサッシに交換




建物東側~コンクリートの庇の上に寄棟の大屋根が架かる




東側出入り口の上にあるアールデコ風の装飾




建物南側~東西に2つの出入り口



  
建物南側の窓と出入り口~上部にキャタピラーの様な凸凹の帯飾りが廻る




建物西側~右側の出っ張った部分が控え室

 



 

 

 

 






  


旧塚原毛織洋館(小牧市)

2011-03-20 | 尾張の近代建築

小牧市建築散歩~その1

名鉄小牧駅のすぐ南側に昭和初めの本格的洋館が残っています。
この地で毛織物業を始めた塚原嘉一によって昭和9年に建てられたもので、本宅は和風建築の3階建ですが、隣に併設された事務所は洋館建築で、木造2階建てのモルタル塗り、石積み状に目地を切った外壁の窓上に装飾を施し、玄関ポーチ上には手摺を廻した本格的な洋館仕様になっています。

当時は7000坪の敷地に本宅、事務所、工場、工員宿舎、裁縫女学校校舎などが建てられましたが、昭和51年に工場は閉鎖され、現在塚原毛織の建物としては、本宅、事務所、門、倉庫が現存しています。

 

◆旧塚原毛織事務所/小牧市中央2丁目
 竣工:昭和9年(1934)
 構造:木造2階建
 撮影:2011/02/27

 


 
旧塚原毛織本宅の和館と事務所として使われた洋館




軒には玉飾りのパラペットを廻し、窓の上には半円形の装飾、中央にはマル嘉の紋が掲げられている




玄関車寄~上部は手摺を廻しバルコニーに、玄関扉も木製で当時のまま




玄関扉の上にはレリーフ状の見事な装飾が施されている

 

 

 



 


上之郷公民館(一宮市)

2011-03-06 | 尾張の近代建築

◆上之郷公民館/一宮市瀬部上之郷

 竣工:不詳(大正~昭和初頃?)
 構造:木造平屋建て
 撮影:2011/02/20

県道江南木曽川線の江南市と一宮市の境、瀬部上之郷の信号交差点に昔ながらの戦前の公民館が残っています。
建築年代は不明ですが、外観のデザインから大正~昭和初めにかけて建てられたと推測されます。
当時の地方の公民館建築は木造下見板貼りの比較的装飾の少ないシンプルなデザインが大半ですが、上部の外壁をドイツ壁風にし、特に玄関周りのデザインは細部にも設計者のこだわりが感じられます。
外壁は一部トタン張りに建具もサッシに変わっていますが、建設時の状態を良く保ちながら現在も大切に使われている様子です。


◆玄関周りは「公」マークや車寄の柱の「◎」の形の装飾、縦長の換気口と木製の持ち送りなど見所がいっぱい





◆東側入り口~上部の小窓は木製枠で一部模様入りのガラスも当時のままです



◆幾何学模様のアールデコ風金属製持ち送り



戦前に建てられた地方の公民館も老朽化のため建て替えが進んでいます。
上之郷公民館は大正、昭和の公民館建築の面影をとどめる貴重な近代化遺産で、これからも町の記憶として末永く保存活用されることを願います。

 





 


稲沢町の洋館(稲沢市)

2011-03-02 | 尾張の近代建築

稲沢市建築散歩~その4

美濃街道沿いに発達した旧市街地の南側、戦前からの住宅地に昭和初めに建てられた洋館建築が現存しています。
大正から昭和にかけて建てられた和風住宅に洋室や小さな洋館を付けたスタイルのいわゆる一部洋風住宅ではなく、半切妻の屋根やドーマー(屋根窓)、ハーフチンバー風の外壁など全体を洋風意匠でまとめた昭和初めの洋風住宅の特徴を良く残す洋館建築です。
さすがに外壁や窓、ドアなどは改修されていますが、良く手入れが行き届いた外観は美しく、とても築80年以上が経過した建物には見えません。

周りの住宅の建て替えが進む中、昭和の初めに建てられた住宅を現在も大切に使っている様子が良く分かり、住む人のこの建物への並々ならぬ思いや愛情が伝わります。

◆稲沢町の洋館/稲沢市稲沢町前田
 竣工:昭和2年頃(1927)
 構造:木造平屋建て
 撮影:2011/02/20

 





◆ちょっと見はそんなに古い建物には見えませんが・・・じっくり細部を観察すると
現代住宅には無い大正~昭和に建てられた洋館ならではの味わいが感じられます

 

 

 

 


旧稲葉郵便局(稲沢市)

2011-02-27 | 尾張の近代建築

稲沢市建築散歩~その3

旧中部電力稲沢営業所から美濃街道を200メートルほど西に向かうと、左手にレトロな洋風建築が建っています。
5年ほど前はじめて訪れた時も使われている様子は無く行く末が心配でしたが、今回も全く同じ状態で残っておりまずは一安心。
ファサードは看板建築風で、凸状に飛び出した部分に残る〒マークから当初は郵便局として建てられたものと思われます。

◆旧稲葉郵便局/稲沢市稲葉3
 竣工:戦前
 構造:木造2階?
 撮影:2011/02/20

 




◆郵便局が移転した日から時が止まっています




◆郵便局の〒マークの跡が残るファサード




◆木製の窓枠は当時のままです





◆美濃街道沿いにはまだ古い町並が残っています

 


旧中部電力稲沢営業所(稲沢市)

2011-02-23 | 尾張の近代建築

稲沢市建築散歩~その2

名鉄国府宮駅の西側一帯、特に美濃街道沿いの中本町界隈はかつて中心街としてにぎわった頃の昭和の面影が残っています。そんな古い町屋や商店が点在する街道沿いに、ひときわ目を引くモダンなビルが建っています。

この建物は昭和の初め頃、稲沢電気(株)の本社として建てられたもので、その後東邦電力、中部電力稲沢営業所と変わり、現在は稲沢市の所有になっています。
茶色のスクラッチタイルで覆われた外壁は今も美しく、美濃街道を行きかう人々でにぎわった往時の街角の姿を伝えてくれます。

◆旧中部電力稲沢稲沢営業所(稲沢電気本社)/稲沢市稲葉3-13
竣工:昭和8年頃(1933)
構造:RC造2階、一部3階
撮影:2011/02/20



◆建物南東側より~引きが無い為わたしのカメラのズームレンズの広角ではおさまりません



◆建物南西側~隣の町屋もかなり古いです



◆建物北側~裏側なのでタイルは省略、一部3階になっているのがわかります



◆建物正面2階庇~くし目のあるスクラッチタイルと彫塑的装飾が良くマッチしています



◆正面東側に設けられた玄関


◆丸みを持たせた庇のデザインは当時流行の表現主義風




◆美濃街道を挟んだ向かい側の酒屋さんがすごく良かったのでちょっと紹介



◆これぞ由緒正しき伝統的酒屋看板なのだ!



中高記念館(稲沢市)

2011-02-20 | 尾張の近代建築

稲沢市建築散歩~その1

国府宮神社の参道脇に明治時代に建てられ、高等小学校に使われた洋風建築が保存されています。

建物は明治13年に建てられたもので、明治20年から中島郡高等小学校として使用され、その後稲沢町役場、稲沢高等小学校、稲沢町農会などを経て、昭和15年「中高記念館」として竣工しました。
昭和38年に現在地に移築された後、昭和51年~53年に架けて保存修理が行われ原型に修復されました。

尾張地方では唯一現存する明治期の学校建築として貴重な存在で、現在は市の所有となり、稲沢市の文化財として保存されています。

◆中高記念館(旧中島郡高等小学校校舎)/稲沢市国府宮2丁目7-17
竣工:明治13年(1880)
構造:木造2階
撮影:2011/02/20
※稲沢市指定文化財





◆建物全景~木造下見板貼り、2階の窓から上や車寄部分は一部漆喰塗り
ペンキもきれいに塗り直され大切に保存されています




◆建物中央に張り出した車寄が洋風建築らしさを演出




◆2階バルコニーの洋風の手摺とペディメントの「中高」のロゴが明治の学校建築らしいデザイン






  


 


江南市建築散歩~番外編

2011-02-11 | 尾張の近代建築

江南市の街角で見つけたちょっと気になる古い建物たち。
決して文化財には登録されない無名の建物ですが、いつもの場所にちゃんと建っているとほっとする、そんな町の記憶を語る愛すべき建物たちです。


◆木造下見板の洋風建築
大正から昭和にかけて建てられたどこの町にでもある木造の洋風建築ですが、最近はめっきり少なくなりました

撮影:2006/05/04(高屋町)


撮影:2011/02/06(布袋町)


撮影:2006/06/18(宮田町)


◆このあたりでは珍しい煉瓦造りの蔵を改築したモダンな住宅
住む人のセンスの良さが偲ばれます

撮影:2006/05/04(高屋町)


◆和風住宅にちょこっと洋風の応接間をくっつけた戦前のモダン住宅

撮影:2007/02/27(石枕町)


◆まさに町のお医者さんと言う呼び方がぴったりの昭和レトロな医院

撮影:2006/05/05(寄木町)


 


宮田西元杁・遺構(江南市~一宮市)

2011-02-06 | 尾張の近代建築

江南市の北を流れる木曽川流域には明治から昭和のかけて造られた近代土木遺産が現在も多数現存しています。
宮田町に残る宮田西元杁は、江戸初期の宮田用水の元杁を明治43年に改築したもので、明治中期~末期にこの地方でたくさん造られた、「たたき閘門」と呼ばれる人造石を使用した明治特有の工法で造られています。

人造石とは愛知県三河出身の服部長七が、日本古来の「たたき」に改良を加えた日本版コンクリートと呼べるもので、当時は輸入品のセメントが超高価だったので、安価な人造石工法は各地の土木工事で重宝されました。

宮田西元杁はその後廃止され、用水路自体がコンクリートで固められ閘門も完全に失われ、全く当時の面影を見ることができません。
ただ閘門に使われた服部人造石は、現在も当時となんら変わることない堅牢な状態が維持されており、明治の近代化を支えた先達の創意工夫に、あらためて日本のもの造りの原点を見る思いでした。


◆宮田西元杁・遺構/江南市宮田町~一宮市浅井町
竣工:明治34年(1901)
構造:たたき閘門(服部人造石工法)
撮影:2011/02/06







自然石と石灰に風化花崗岩と水、砂を混ぜ練ったものを交互に積み固めると
コンクリート並みの超堅牢な構造物が出来上がる(昔の人はすごい!)









用水に架かる橋の親柱には「明治34年改築」の銘が刻んであります
一宮市側に唯一残るモダンな洋風建築が当時の様子を今に伝えます