かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

名古屋聖マルコ教会聖堂(名古屋市東区)

2012-11-24 | 名古屋の近代建築

名古屋聖マルコ教会は、主税町カトリック教会のすぐ北側、国道41号線を西へ入った所にあります。
昭和31年(1956)に建てられた聖堂は、明治44年築の主税町カトリック教会ほどの歴史(それでも半世紀)はありませんが、ベージュの壁に赤い屋根の清楚な外観は、訪れる者を優しい雰囲気で迎えてくれます。


◆日本聖公会名古屋聖マルコ教会聖堂/名古屋市東区白壁1-32
 竣工:昭和31年(1956)
 構造:木造
 撮影:2012/11/03


 


魚半別邸(名古屋市熱田区)

2012-11-23 | 名古屋の近代建築

熱田区の七里の渡し跡の向かい側に、市の文化財に指定されている旧三菱重工熱田荘の建物があります。
元々は明治29年に料亭「魚半」として建てられた典型的な町屋造の建物で、現在はグループホームとして再利用されています。
その魚半の別邸として建てられた洋館と和館が、すぐ北側の道路沿いに並んで当時のままの姿で残っています。
特に大正13年に建てられた白のタイル貼りの瀟洒な洋館は、2階の窓の鎧戸や手摺、バルコニーのアイアンワークが見どころです。

◆魚半別邸/名古屋市熱田区大瀬子町
 竣工:洋館/大正13年(1924)、和館/昭和3年(1928)
 構造:洋館/RC造?2階建、和館/木造2階建
 撮影:2012/11/03


■建物東側~白いタイル貼りのモダンな外観



■建物南東側~煙突もある本格的な洋館



■金属製の鎧戸と手摺



■手摺は植物をモチーフにした幾何学的デザイン



■バルコニーの土台部分に正方形の装飾を施しています



■洋館の北側に並んで建つ和館



■すぐ南側にある七里の渡し跡。周囲は宮の渡し公園として整備されています。


旧豆田郵便局/旧農商銀行(名古屋市瑞穂区)

2012-11-21 | 名古屋の近代建築

名古屋市立瑞穂ヶ丘中学の南側、旧郡道の千種街道沿いに明治末期に建てられた旧農商銀行の建物が現存しています。
農商銀行の建つ千種街道は当時の主要郡道で、呼続橋から北に向かい瑞穂区を南北に縦断、昭和区の滝子・荒畑を経て東海道と飯田街道を結んでいました。

明治40年頃になると、農商銀行のある北原町の北側には五中(現瑞穂ヶ丘中学)と八高(現名市大)が、西側には日本車両製造、砲兵工廠兵器製造所等の工場が建設されたため、千種街道の整備が進み、農商銀行もこの地域の開発の機運にのり、同じ頃に開設されたと思われます。
建物は明治期の銀行建築の定番ともいえる土蔵造で、郡道沿いの北側部分を銀行として、南側に居住部分が接続しています。

銀行として使用された後、昭和40年(1965)頃まで豆田郵便局として使用されましたが、現在は空き家になっているようです。
名古屋市内では貴重な現存する明治期の銀行建築で、これからの保存活用が望まれます。


■建物西側~旧郡道沿い西向きに玄関があります



■建物北側~1階部分に庇があるので2階建に見えますが、内部は吹き抜けになっています



◆旧豆田郵便局(旧農商銀行)/名古屋市瑞穂区北原町1-1-2
 竣工:明治末頃
 構造:土蔵造平屋建
 撮影:2012/11/03 


栄湯(名古屋市瑞穂区)

2012-11-17 | 名古屋の近代建築

 雁道通商店街の南側、堀田通3丁目の交差点を東に入った通り沿いに、栄湯という大正期に建てられたモダンな銭湯が現存しています。通りに面して東西に長い建物で、ファサードはスクラッチタイルが貼られ洋風の雰囲気ですが、屋根は瓦葺で正面には千鳥破風が二つ並んでいます。玄関周りは現代風に改装され、外壁のスクラッチタイルもかなり貼り直されている様子ですが、建物向かって左側半分は木製の窓枠など開業当時の面影を残しており、レトロな雰囲気が漂います。

 名古屋市内では現存する戦前の古い銭湯は大変少なくなってしまいました。そんな中、建物によく手を入れて現役の銭湯として営業している栄湯の姿は嬉しい限りで、一日でも長く営業を続けてくれることを願うばかりです。

■玄関廻りはリニューアルされコインランドリーも増築されています。
訪れたときは午後2時ころでしたが、玄関にはもう暖簾がかかり元気に営業中の様子でした。
 


■スクラッチタイルと幾何学的な窓割りが昭和モダンな雰囲気です



◆栄湯/名古屋市瑞穂区船原町2-6 
 竣工:大正13年(1924)
 構造:木造2階建
 撮影:2012/11/03




名古屋市立大学周辺の一部洋館住宅(名古屋市瑞穂区)

2012-11-13 | 名古屋の近代建築

名市大(名古屋市立大学)の滝子(山の畑)キャンパス周辺の中山町~亀城町~太田町界隈には、大正~昭和にかけて建てられた一部洋館住宅が点在しています。

名市大の滝子キャンパスは、かつては明治42年(1909)から旧制第八高等学校(八高)の校地だった場所で、戦後は新制名古屋大学の一般教育を担当する瑞穂分校として継承され、昭和40年(1965)からは現在の名市大経済学部のキャンパスとして使われています。
八高が設置された当時は「山の畑」の地名通り、郊外の畑や林の広がる丘陵地帯でしたが、大正中期頃からの名古屋市域の急速な拡大により、郊外住宅地として開発されました。

現在も昭和のたたずまいを残す閑静な住宅街には、新しい住宅やマンションに混じって戦前の和風住宅や一部洋館住宅を見ることができます。


■洋館部分は建て替えず、外壁や窓を改修して大切に使われています



■真ん中に2軒分の玄関、洋館も同じ間取りで2部屋設けた洋風文化住宅。向かって右側の洋館は、ドイツ壁に窓枠も当時のままです。





■軒下の装飾が時代を語ります



■窓枠は木製で当時のままです

撮影:2012/11/03

 


東海学園講堂一般公開(名古屋市東区)

2012-11-12 | 名古屋の近代建築

11月3日に行われた「歩こう文化のみち」で東海学園講堂の一般公開があったので行ってきました。
ちょうど講座を開催中で講堂内部の写真は遠慮しましたが、内部の意匠など普段は非公開の部分が見学できました。
外観の重厚さとは対照的に、内部の明るい色遣いが印象的で、良い意味で男子校らしくない雰囲気なのに驚きました。 


■講堂玄関



■玄関内部



■2階への階段



■2階ホール~右手扉奥に講堂があります





■東側通路



■3階への階段
 


愛知県庁本庁舎一般公開(名古屋市中区)

2012-11-11 | 名古屋の近代建築

今年も文化の日恒例「歩こう文化のみち」が開催され、中区~東区の近代化を伝える建造物の一般公開がありました。
今回は愛知県庁本庁舎の一般公開に初めて行ってきました。
屋上にお城の天守閣のような瓦屋根が載る外観は結構派手ですが、以外に内部はシンプルで、名古屋市庁舎とくらべると装飾も控えめですが、貴賓室の造りは豪華で見どころです。


■本庁舎玄関~10時頃に到着しましたがすでに多くの見学者が訪れていました



■各階のエレベーターホールでは愛知県の事業を紹介するパネル展示を実施



■屋上も一般公開されていました



■架設の展望台が設置され屋上からの景色が楽しめます



■展望台からの風景~すぐ北隣には市役所本庁舎の塔が間近に見えます



■屋上から中庭を望む





■階段室の造形




 

 

 


■玄関ホールの照明
 

■天井の装飾
 


■貴賓室~照明、暖炉、金物など室内は華やかさを演出した豪華な造り
 

 



 
撮影:2012/11/03



中村伝統建物群~その5(名古屋市中村区)

2012-11-10 | 名古屋の近代建築

大門地区には風俗店などに改装され当時の面影のない建物も多数ありますが、比較的当時の遊廓建築のたたずまいを残す建物も残っています。

■旧料理旅館紫水~廃業してからかなりの年数がたちます。現在は医療法人の所有になっているようで看板が立っています。





■旧ビジネス旅館牛わか~近代和風の遊廓建築。現在は蕎麦屋として営業されているようです。




■旧牛わかの西隣にある数少ない洋風ファサードの遊廓建築。現在洋風の遊廓建築はほとんど現存していません。





■ピアゴ中村店北側の建物。1階の格子窓の下に市松模様のタイルが貼られ遊廓建築の面影を残す。





■大門地区南橋の和風住宅。外観は改装されていますが玄関のつくりなどに近代和風の廓建築の面影があります。


旧ツルノヤ・旧春福(名古屋市中村区)

2012-11-09 | 名古屋の近代建築

中村伝統建物群~その4

◆旧ツルノヤ・旧春福/名古屋市中村区寿町
 竣工:大正12年(1923)
 構造:木造2階建
 (工匠:灰野作太郎 頭:伊藤松次郎)
 撮影:2012/09/22

大門地区の西端、スーパーのピアゴ中村店の西側に通りに東面して建つ中庭のある典型的な近代和風の廓建築。
東南角にある洋風ファサードの待合室が人目を惹きますが、大正12年の開業時はツルノヤという店名で、待合室の壁面に英字で「TSURUNOYA」の屋号が残ります。
棟札によりかかわった工匠が確認できる数少ない遊廓建築で、和風の遊廓建築の特徴をよく残しています。

同じ通り沿いのすぐ北側に大観荘がありましたが、現在は取り壊され大手チェーンのドラッグストアになっています。



■和風の建物に看板建築風の洋風ファサードをくっつけていています
  


長寿庵(名古屋市中村区)

2012-11-08 | 名古屋の近代建築

中村伝統建物群~その3

◆長寿庵/名古屋市中村区寿町28
 竣工:大正12年頃(1923)/平成4年(1992)修復
 構造:木造2階建
 撮影:2012/09/22
 ※名古屋市都市景観重要建築物

大門通りに面して建つ長寿庵は、かつての遊廓の中庭から南側を残し住宅として改修した建物です。
改修にあたって花魁の座った張り見世や赤色の漆喰などを復元、1階の連子格子や2階の高欄など当時の廓建築の特徴を残しています。




■建物南側玄関脇に美人画を飾り当時の張り見世の雰囲気を再現。
 張り見世とは娼妓が往来に面した店先に居並び、格子の内側から姿を見せて客を待つシステム。



■絵ではなく本物の娼妓が格子の奥にずらりと並び、夜な夜なにぎわった時代は今や遠い昔です



 


松岡健遊館本店/旧一徳(名古屋市中村区)

2012-11-07 | 名古屋の近代建築

中村伝統建物群~その2

べんがら亭(旧稲本楼)の建つ通りを挟んですぐ南向かいにも、純和風の遊廓建築をデイサービスセンターに転用した建物があります。べんがら亭と同様、当初は遊郭「一徳」として建てられ、戦後は料理旅館として営業を続けてきましたが、2001年に「デイサービスセンター松岡健遊館」という高齢者のための通所介護施設として生まれ変わりました。

どちらの建物も遊廓から料理旅館に転用され、現在は昔の廓のたたずまいを残しながら、地域のお年寄りの憩いの場として活用されています。通所介護施設(デイケア・デイサービス)はお年寄りの集まる大きな広間や入浴施設が不可欠で、どちらも備えた遊廓建築はデイサービス施設としてぴったりだったのでしょう。また地元のお年寄りにとって、若いころからなじみの深い木造の古い建物は、懐かしさと心の安らぎを与えてくれる場所で、そういう意味でも遊廓建築がお年寄りの憩いの場所として活用されるのは、まさに近代建築と地域の理想的な関係と言えるかもしれません。
なかには若いころお世話になり、現在はデイサービスでお世話になっているおじいちゃんもいるかもしれませんね(^_^;)
 

◆松岡健遊館本店(旧料理旅館松岡・旧一徳)/名古屋市中村区日吉町13
 竣工:大正12年頃(1923)
 構造:木造2階建
 撮影:2012/09/22
 ※名古屋市都市景観重要建築物


■北側の通りに面したデイサービスセンター玄関



■1階は大広間を改装しデイルームとして活用~部分的に赤色の漆喰を用いた塀や、2階の手摺に廓建築の面影を残します



■南側の通りにも玄関があります




べんがら亭/旧稲本楼(名古屋市中村区)

2012-11-04 | 名古屋の近代建築

中村伝統建物群~その1

◆べんがら亭(旧稲本楼・旧日本料理稲本)/名古屋市中村区日吉町22
 竣工:大正12年頃(1923)
 構造:木造2階建
 撮影:2012/09/22
 ※名古屋市都市景観重要建築物


中村日赤の旧玄関車寄を見た後、すぐ東側に位置する旧中村遊廓の「中村伝統建築群」を訪れました。名古屋市中村区日吉町、大門町、寿町、羽衣町界隈は、旧中村遊郭のあった場所で、この一角は現在も当時の面影を残す遊廓建築が残っています。

名古屋の遊興地区と言えば明治8年に建設された大須の旭廓でしたが、防災、風紀上の問題から大正12年に現在の中村区大門地区に移転され、中村遊郭が誕生しました。昭和12年頃の最盛期には、妓楼の数も140軒を数え、各廓が和風・洋風・中国風と意匠を凝らし、設備の豪勢さでも日本一を誇っていました。

現在は当時のままの外観を維持する建物は数えるほどになってしまいましたが、ほぼ正方形の区域の四隅に取り付く斜めの進入路など、今でも当時の計画的な町割りを見ることができます。各妓楼は木造2階建で、採光や通風のため中庭を中央に設けたロの字、もしくはコの字型の平面を持つのが特徴で、グーグルマップなどで見ると現在も十数軒の遊廓建築が確認できます。

稲本楼は大門地区の北端に位置する中村遊廓を代表する建物で、通りに面したべんがら塗りの派手な赤壁と中国風の門は、この建物がかつて普通の町から切り離された、遊廓という「非日常の世界」に存在していたことを雄弁に物語っています。この門から一歩中に入ると、そこはまさに現世を忘れることができる、この世の極楽浄土という別世界が待っていたのです。

しかしこの世に別世界を築いてきた中村遊廓も、昭和33年の売春防止法の施行により終焉を迎えます。稲本楼は日本料理店に転業しましたが2009年に閉店、現在は「デイサービス べんがら亭」として再利用されています。地域に密着した歴史的建造物を、駐車場やマンションにせず地域の高齢者のための福祉施設として再利用する方法は、高齢化が進む時代のニーズにもあっており、これからの近代建築の保存再生のひとつの形になることを願わずにはいられません。


■玄関より向かって左側の建物がデイケア施設として利用されています





■中国風の玄関~門柱の板には「来る者は拒まず、去る者は追わず」と刻んであります


※旧稲本楼に関しては、かの建築探偵、藤森照信先生の「建築探偵東奔西走/朝日新聞社」に詳しく、迷路のような通路や中国趣味の内装などカラー写真付きで紹介しています。興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。


名古屋市演劇練習館アクテノン/旧稲葉地配水塔(名古屋市中村区)

2012-10-28 | 名古屋の近代建築

名古屋市には戦前に建てられた配水塔が現在も2つ残っています。千種区にある旧東山配水塔(昭和5年)と中村区の稲葉地公園にある旧稲葉地配水塔です。

旧東山配水塔は、現在災害時の応急給水施設、東山給水塔として再利用されていますが、旧稲葉地配水塔は、演劇練習館という非常にユニークな形で生まれ変わり市民に活用されています。

稲葉地配水塔は、名古屋市西部への配水を目的として昭和12年に竣工しましたが、昭和19年に大治浄水場が完成し、給水がポンプ圧送に変わったため、わずか7年で配水塔としての役目を終えました。その後は昭和40年に中村図書館に転用されましたが、平成7年名古屋市演劇練習館として二度目の再生を果たしました。


◆名古屋市演劇練習館アクテノン(旧稲葉地配水塔)/愛知県名古屋市中村区稲葉地町1-7
 竣工:昭和12年(1937)
 設計:名古屋市水道局
 構造: RC造地下1階、地上5階建
 撮影:2012/09/22
 ※名古屋市都市景観重要建築物


■建物北側正面~古代ギリシャの円形神殿を思わせるスケール感のある外観は、地域のランドマークとして抜群の存在感


■水槽の周縁部を16本の円柱で支える



■建物入口



■建物南側







旧稲葉地配水塔は、配水塔としてはわずか7年の命でした。
70年以上の時を経た現在、「演劇練習館アクテノン」という新たな命を吹き込まれた配水塔は、地域のランドマークとして多くの人々に親しまれ、幸せな余生を送っています。
これからも時代を超えて、人々の記憶に残る建物として、末永く愛されていくことでしょう。


旧ヱビス湯(名古屋市中川区)

2012-10-24 | 名古屋の近代建築

下之一色の中心街本町通沿いに、すでに廃業(2003年頃)した旧ヱビス湯の建物が現在も残っています。外観は新元湯と同様の洋風銭湯ですが、とにかく建物のスケールが大きく、下之一色でも最大級の大きさの銭湯だったと思われます。

この大きなヱビス湯に、大勢の入浴客が連日訪れたわけで、漁でにぎわう当時の下之一色の様子を彷彿とさせるものがあります。もう二度と暖簾が架かることのないヱビス湯の前に立ちながら、7軒の銭湯が建ち並んでいた頃の下之一色の町を訪れ、銭湯めぐりができたらどんなに素晴らしいだろうと、かなわぬ夢に思いをはせるのでした。

2004年頃まではアールデコ風の栄湯も営業していたらしいですが、現在建物は取り壊され駐車場になっています。栄湯が営業中の頃の様子が、「レトロタウン下之一色の名古屋型銭湯」というブログに詳しいので、興味のある方はどうぞ。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091090930684.html?_p=1 


◆旧ヱビス湯/愛知県名古屋市中川区下之一色町西ノ切57
 竣工:昭和4年(1929)
 構造:木造2階建
 撮影:2012/09/22


■もう暖簾が架かることもないヱビス湯の玄関


■右から書かれた屋号が過ぎ去った時代を語っているようです


新元湯(名古屋市中川区)

2012-10-23 | 名古屋の近代建築

下之一色の南端、新川の堤防道路の脇に、この地域で唯一営業する昔ながらの戦前の銭湯が残っています。大正13年創業の新元湯で、多くの銭湯が廃業するなか、下之一色の最後のボイラーの火を今も守っています。 

元々下之一色には戦前から銭湯が多く、最盛期には町内だけで7軒の銭湯があり、どこの銭湯も漁のあとで汗を流す漁師で大盛況だったそうです。当時銭湯は漁師たちの社交場でもあり、風呂に入って疲れを癒しながら、その日の漁獲高など漁の情報交換の場として、銭湯は欠かせないものでした。

現在はほとんどの銭湯が廃業し、ここ10年ほどで、延命湯(明治34年)、栄湯(大正14年)、アルプス湯(昭和9年)など、戦前の銭湯もすべて取り壊されました。新元湯のほかには、本町通にあるエビス湯が廃業後も取り壊されず、かろうじて往時の姿をとどめています。
 

◆新元湯/愛知県名古屋市中川区下之一色町南ノ切54-1
 竣工:大正13年(1924)
 構造:RC造平屋建
 撮影:2012/09/22


■洋風の外観の新元湯。名古屋でも初期のRC建築の一つで、アールデコ風の意匠の装飾が見られます。









■建物上部の装飾





■営業日が決まっていますので、入浴希望の方はあらかじめ確認してからお出かけください。
 

今回は営業時間外の訪問だったため、入浴できず内部の見学はかないませんでした。
新元湯は銭湯マニアには有名な銭湯らしく、検索をかけるとたくさんの訪問記事がヒットします。
内部のレトロな下駄箱、脱衣場、タイル装飾なども紹介されていますので、興味のある方は「新元湯」で検索してみてください。