素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

文楽・錦秋公演へ

2011年11月05日 | 日記
 三浦しをんさんの『仏果を得ず』に触発されて、10月29日~11月20日の錦秋公演のチケットを買い求めた。互助組合の補助制度を利用すると半額なので大いに利用させてもらった。

 第一部の『鬼一法眼三略巻』である。解説によれば、名作ながら上演が絶えていた演目で、昭和41年(1966)東京国立劇場開場の際に復活され、大阪では20年ぶりの半通し上演とのこと。

     5つの段は、それぞれに見せ場の趣きが違い、楽しむことができた。特に、豊竹咲大夫さんが1時間強を、鶴澤燕三さんの三味線で、一人で全部語った『菊畑の段』は圧巻であった。プログラムの中に掲載されているインタビューで、咲大夫さんは“間”の大切さを話されていた。

 『・・・この頃感じているのは、変な細工をせず文章の通りにきちんと語れば、きちんとした浄瑠璃になるということです。それから、字のないところをいかに語るか、心を砕くようになりました。鬼一で言えば「暇(いとま)をくれる。出てうせい」と言うところがあるんですが、「暇をくれる」と「出てうせい」の間が勝負なんです。「出てうせい」でお客様がびっくりしてくださるように語らなくてはいけません。なかなかそうもいきませんが(笑)。・・・』

 味わい深い言葉です。あらゆる話芸に通じることです。2週間後、2部の演目が入れ替わって昼公演になるので行く予定をしている。半額補助のおかげである。

 楽しみが あれば困難 乗り越える。  人の持つ 治癒力信じ 過ごす日々。 満月を 笑って見たい 霜月は。 
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今日は“器”に縁のある日でした

2011年11月04日 | 日記
 近所の方から大和文華館の開館50周年記念特別展『乾山と木米~陶磁と絵画~』の招待券をいただいた。特に予定もなかったので出かけることにした。大和文華館に行くのは初めてである。

  

 思っていたよりもゆったりとした空間の中に建てられていた。外門から本館まではゆるやかにカーブするスロープをのぼっていく。道の両側には赤松の古木をはじめたくさんの木々が植えられていて目を楽しませてくれる。山茶花の花が真っ盛りであった。

 尾形乾山(1663~1743)と青木木米(1767~1833)は、活動期は100年の隔たりはあるがともに京焼の名工らしい。陶磁だけではなく絵画、書にも優れた作品を残していて、その代表作品が展示されていた。私には骨董の知識も見る目も皆無であるが、乾山の作品に“遊び心”を感じ木米よりも人物に興味を持った。

 家に帰ってから調べてみた。
  
 京都の呉服商、雁金屋の三男として生まれ、権平と名付けられる。六歳年上の兄は尾形光琳である。貞享4年(1687年)父の遺言により、室町花立町・本浄華院町・鷹ヶ峰の三つの屋敷と書籍・金銀などの諸道具を、光琳と折半で譲り受けた。

 遊び人で派手好きで遺産を放蕩に費やした兄・光琳と対照的に、乾山(けんざん)は莫大な遺産が手に入っても、内省的で書物を愛し隠遁を好み、霊海・逃禅などと号して地味な生活を送った。

 元禄2年(1689年)、仁和寺の南に習静堂を構え、参禅や学問に励んだ。この仁和寺門前には野々村仁清が住んでおり、乾山は早くから光悦の孫の光甫や楽一入から手ほどきを受けていたこともあり、仁清から本格的に陶芸を学んだようだ。

 37歳の時、かねてより尾形兄弟に目をかけていた二条綱平が京の北西・鳴滝泉谷の山荘を与えた為ここに窯を開く。その場所が都の北西(乾)の方角あたることから「乾山」(けんざん)と号し、出来上がった作品に記した。正徳2年(1712年)50歳のとき京都市内の二条丁子屋町(現在の二条通寺町西入北側)に移住し、多くの作品を手がけた。作風は自由闊達な絵付けや洗練された中にある素朴な味わいに特徴があり、乾山が器を作り光琳がそこに絵を描いた兄弟合作の作品も多い。

 享保16年(1731年)69歳の時、輪王寺宮公寛法親王の知遇を受け、江戸・入谷に移り住んだ。元文2年(1737年)9月から初冬にかけて下野国佐野で陶芸の指導を行う。その後江戸に戻り、81歳で没した。


 その足で午後は、門真の小学校に勤務・退職された酒井則行さんの展覧会にまわった。酒井さんは大の歴史好き。特に縄文時代の生活に強く関心を持ち、擬似体験を試みて来た。その中で縄文土器づくりにも挑み、2009年3月には「縄文土器模造品66考古展」を開く。現在、「縄文土器再生」をテーマに実用的模造品制作に励んでいて、その成果を自らの手で民家をリフォームした“元町ギャラリー”で展示されている。

    西三荘の駅前から徒歩5分、古い歴史を感じさせてくれる住宅街の中にある。
  門をくぐると縄文土器のお出迎え

     写真や博物館の展示品をもとに模造品をつくっていくが、写真でも展示物でも裏のほうがわからないので、自分で想像してつくるそうだ。それがまた楽しいと話されていた。縄文人のデザインは現代にも通じると釉薬をつけて焼きあげたランプや花器などの実用品は味わい深いものがあった。

 一見の価値あり。

今日はほんまにたくさんの“器”を見た。白洲正子さんの「花日記」を久しぶりに開けた。“器”を生かす花の写真に添えられた文が今日の経験とあいまってより心にしみてくるのである。

    


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霜月とは名ばかりの暖かさ

2011年11月03日 | 日記
11月に入ってから暖かい日が続いている。午前中は用事のため自転車で走る。暑くも寒くもなくちょうど良い。ユリノキやソメイヨシノの葉の色が変わっていなければ晩秋に入ったとは思えない。
  帰りの長く続く坂道ではうっすらと汗ばむ。ちょうど準備体操代わりになったので、午後はジムでたっぷり汗を流すことにする。

 有酸素運動の時読むものを用意していくのだが、今日はこむずかしいものは読みたくない!という内なる声があった。昨日、りそな銀行の方が届けてくれた『R'style 5l』(アールスタイル・ファイブエル)というりそな銀行の情報誌がちょうど良いと持って行くことにした。11月号の表紙は内田樹さん。木村政雄編集長スペシャルインタビューを受けている。

 木村さんの「内田先生の定義する大人とは、一体どういうものなのですか?」という問いに対して

「汚れていたり、弱かったり、卑劣だったり、卑猥だったり・・・そういう部分をたくさん抱え込んでいて、それでも何とか折り合いをつけてやっている人たち。汚れていることを市民としての欠格であると思わない人たち、ということでしょうか。自分の中にある汚さや弱さを許せない人がいますよね。こういう人たちは、どうしても他人に対しても非寛容になる。結果的にそれは、外国人や障害者に対する差別、すべての人間はピュアで健全であるべきだという考え方に繋がっていきます。“こども”はそういう意味で危険な存在です。大人というのは、集団からできるだけ脱落者や犠牲者が出ないように、力のあるものは力を出し、知恵のあるものは知恵を出して、気分よく共生するかたちをつくることができる人のことだと思います。」
と答え、『弱さに対する寛大さ』に尽きるとしめくくっている。

 「そうなんだよな」と思いながらウォーキングをした。薄いマガジンなのでもう1冊『大阪今昔歩く地図帖』を持って行った。彩色絵はがきや古写真、古地図がたくさんありながめているだけで楽しい。もともとレトロな建築は好きで大阪市内で残っているものを巡ったことがあるが、今は建て替えられてなくなってしまったものを見ることができる。この本を衝動的に買ったのは、多分に朝ドラ“カーネーション”の影響である。今、昭和7~8年の心斎橋の百貨店が舞台の中心になっているがセットがなかなかよくできている。実際は?という興味に応えてくれるのである。
  
  
 
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寝屋川公園で「INOU」を試す

2011年11月02日 | 日記

午前中、久しぶりにジムに出かけた。3日間休館していたので大変にぎわっていた。心配してくれていたスタッフやメンバーの方に報告かたがたマラソン談義に花が咲いた。その後、筋力トレーニングから有酸素運動のメニューをやってみたが、「つらさ」を感じないでこなすことができた。体のほうはもどったように思える。

 運動に限らず何でもそうだが「疲れ」を感じても「つらさ」は感じてはいけない。「つらい」けど頑張るというのが一番よくないことである。体の内なる声をよく聞き「つらい」と感じたら即やめるべきである。その原因を考え、対策をたてることをしていかなければいけない。

 このことは、マラソンへの取り組みで大事にしてきたことの1つである。

「満足しましたか?」という問いには「98%の満足かな」と答えた。

2%の1つは、30km以後歩きを入れながらの走りになったこと。もう1つが「INOU」である。マラソンのスタートからゴールまでを「INOU」で記録しようと考えていた。いろいろ試した末に手首に装着して走ることにした。ぶっつけ本番になったが思っていたよりも操作も重さも苦にならなかった。電池寿命の目安が約6時間となっていることも6時間以内にゴールする励みになった。無事に記録はできたのだが、それをアップロードして編集する過程で不慣れなため操作を誤り、データーを消去してしまった。あきらめるしかない。もう少し、事前に使っておくべきであった。

 データーが消えてしまっても、42.195kmを記録できたという事実こそが大切である。

今日の午後、「INOU」に慣れるために、練習場所であった“寝屋川公園4kmコース”を動画撮影してみようと思い立った。どういう感じになるかは使ってみないとわからない。“TRY and THINK”である。

 今回はデーター処理まではできた。映像のほうは自転車で思い切り走ったので雰囲気だけはわかるという感じ。下手をすると酔ってしまいそう。ちょっとあせってしまい、GPSで位置をとらえる前に走り出したので最初の部分のトリップ記録が地図には出ていない。映像はスタートからゴールまで映っている。「INOU」と友達になるにはもう少し時間がかかりそう。 

http://www.inouatlas.com/trip/detail/7761/  ←クリックを

 自転車を必死にこいで15分弱で走りきったのだが、このペースは女子で1位になったリディア・シモンさんのペースとほぼ同じ。4kmを自転車で走っただけでもゼイゼイハーハ-なのにと思うと一流のランナーのすごさを実感した。

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体のケアしております

2011年11月01日 | 日記
 大阪マラソンに一緒に参加した代表幹事のY君のアドバイスにしたがって、まだ今日も足の筋肉に張りが残っているが、午前中の用事は自転車でまわることにした。1時間強は乗った。坂もさほど苦にならず走ることができたので回復してきているように思う。

 一緒にといってもY君は4時間を切ってのゴールであるから走りのレベルが違う。時速10kmを上まわるペースというのは私にとっては目一杯の速さである。せいぜい30分が限度だろう。姿はなくても彼の存在は心強かった。

 勤務時間にしばられていない我が家の夕食タイムは日没時間とともに変動する。17時には暗くなってくる昨今は、18時までには夕食が終わる。その分夜が長くなる。食後の一服が終えても19時である。11月に入ったといっても暖かいのでウォーキングをすることにした。ケア第二弾である。入念にストレッチをしてから出かけた。

 風は強かったが、秋独特の冷えはなかった。三日月を少し過ぎた月がきれいだった。今日のような月からは『光と陰』という言葉を連想してしまう。世の中の動きには常に相反する二者が存在する。パチンコ店放火事件の裁判をめぐる弁護士と検事、被害者側の論理。円高による影響。TPP参加への賛成、反対の立場。東日本大震災による路線価の下落。羽田空港の国際化にともなう便利さと騒音問題の浮上、地球の人口が70億人に達したことなど最近のニュースで考えさせられたことをとりとめもなく思いながら歩いた。

 30,31,1とジムが休館日だったので、明日心配してくれたスタッフの人たちへの報告がてら再始動してみようと思っている。 

 
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