素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

退職をした元同僚と話す

2015年04月05日 | 日記
 40代の頃一緒の学年で仕事をした方が定年退職をした。超多忙な4月の立ち上げの時期から解放されて少々手持ち無沙汰だと言う。退職後の生活について話を聞きたいという。退職して6年目に入っている私だが「~をしています」というほどのこともなく過ごしてきたので「さて何を」と考えてしまった。

 退職後一番答えにくい質問が「何をしているのですか?」という類のものである。ブログを始めたきっかけもそこにある。自分のやっていることや考えていることのほんの一端でも読んでもらえれば、少しはわかってもらえるのではないかと思ったのである。

 そこで「何をしているか」ということよりも5年余の素浪人生活の中で考えてきたことを中心に話をさせてもらった。この間に退職をした方と接してきたが大別すると2つのタイプになる。

 社会貢献に目を向ける人と自己実現に向かう人である。前者はボランティア活動や新しい仲間を求めてサークル活動などに熱心に取り組むし後者は自分の好きなことや得意なこと、関心のあることを極めようとしたり逆に苦手だったことを克服しようとする。

 ここで大事なのは自分の心の声に素直になるべきだ、ということである。「~すべきだ」というべき論にとらわれることなくやりたいことをすればよい。ここが仕事と大きく違うことである。「無理していないか?」といつも自問する必要がある。

 気持ちが豊かになったり、元気が体に満ちるのを感じることが見つかった後はスイッチの上手な切り方を覚えるということである。ONよりもOFFが難しい。しかし、ONのままではすぐに消耗してしまう。何度か失敗を繰り返しながら私もようやくONとOFFの切り替えができるようになってきた。

 このような内容のことを具体例を交えてとりとめもなく喋った。もちろん思い出話にも花が咲いた。

 自分を見つめ直すいい機会でもあった。

 
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中途離脱率

2015年04月04日 | 日記
 上西小百合衆院議員と橋下徹代表の共同記者会見があった。除籍(除名)処分の言い渡しである。統一地方選挙の真っ只中のスキャンダル、維新の会や党のイメージダウンを最小限に抑えようとする素早い判断である。今、府議選に再び立候補しているライン問題で丸刈りになった府会議員と同様だと思った。彼も処分は重すぎると異議申し立てをしたように、上西さんも釈然としないものがあることが見てとれた。

 両者の稚拙な行いは弁護の余地はないが、除籍(除名)処分にいたる経過は組織としてどうなのかという疑問は残る。維新の会の除籍処分また離反の数は多すぎるように思う。代表は「私の指導力不足です」とは言うが、本当の意味で責任はとっていない。

 議員だけではなく、教育長、教育委員長、民間校長など肝いりで就任させた人たちの中途離脱も多い。学校で言えば中途退学率、企業では離職率などはトップの指導力、組織の体質などを測る大切な目安となる。何を言っているかよりも何をしてきたかを冷静に分析する必要がある。中途離脱率の高さはリーダー性において問題ありと言わざるを得ない。

 大阪市議選、府議選の結果は注目に値する。

 
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朝ドラ「まれ」始まる

2015年04月03日 | 日記
 実在の人物の一代記は知らなかった歴史を掘り起こすという面の面白さはあるものの物語のフィクション性において必然的に制約があるので展開の意外性は期待できない。新しく始まった朝ドラ「まれ」は「てっぱん」「あまちゃん」「ごちそうさん」路線でドラマとして楽しめる。役者の布石が肝だと思うが、私好みの顔ぶれが多く、これからの展開に期待できる。

 舞台の能登半島の景色も懐かしい。大学生になって友人3人と初めて本格的な旅行に行ったのが能登半島である。車の免許をとったばかりの友人の車で3泊4日の名古屋→福井→金沢→輪島→七尾→福井→名古屋と強行軍であった。思い出のアルバムを引っ張り出した。
 「暑い」「忍耐」「バテた」という言葉がアルバムに10数個書いてある。当時は学生の身分でホテルや旅館に泊まるという発想はなかった。以前に書いたが鉄道であれば夜行列車の座席か通路もしくは駅のベンチや構内である。車だったので基本は野宿。テントとシュラフを積み込んでいた。

 一日目の福井ではお寺の境内にテントを張らせてもらおうと住職に頼んだところ本堂を使って良いことになり仏様と一緒に寝ることになった。ラッキーなスタートを喜んだ。2日目の福井、金沢、輪島は過酷であった。猛暑だが、当時の車にはエアコンはついていない。しかも能登半島の道路は未舗装で砂ぼこりがもうもうと立つので窓を開けることができない。昼に食べようとスイカを1個買っていたが、能登金剛に着いた時は煮たっていて食べられてものではなかった。今思えばよくぞ熱中症にならなかったと思う。崖から眺める日本海の美しさは鮮明に覚えている。朝ドラでも随所に見ることができるが変わっていない。


 ニ日目の輪島では小学校の校庭にテントを張らせてもらった。教育大生ということで宿直室によばれ当直の若い先生と話をした。内容は記憶にないが、のんびりとした古き良き時代であった。輪島から禄剛崎を経て七尾までの景色も圧巻だった。特に貝付島(別名軍艦島)はインパクトがあった。
  3日目の宿泊は福井に戻ったが公園の遊具になっている土管となった。台風が接近してきていたことは後で知ったのだが、強風が土管の中を吹き抜けていたことも良き思い出。
 『日本大地図』で当時のルートをたどってみたが若いから出来たという感じである。

 そんなことも思い出しながら毎朝、「まれ」を楽しんでいる。
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天気が崩れる前に花見を!

2015年04月02日 | 日記
 週間天気予報を見ると明日からはずっと曇と雨マークが続いている。今日はジムの休館日、午後からのんびりと自転車で買い物ついでに花を愛でながらひとまわりしてきた。
 寝屋川の起点には芝桜、チューリップ、桜、竹林の取り合わせがいいスポットがある。
 そこから心地よい春風を受けながら山根街道から星田の集落を抜けて妙見の桜並木へと出る。花のトンネルが見事にできていた。
  多くの家族連れが花見を楽しんでいた。ここへ来る間でも公園で遊ぶ小中学生の姿を多く見かけたが、夏や冬とは違い春の休みはどことなく解放感がある。迎える側は昨日から体制づくりのための会議、会議また会議で花見どころではないだろうが児童、生徒のほうはひと時のしばりのない生活である。
  妙見宮の参道入口にある桜はひときわ大きく立派である。
 そこから下流の景色も気に入っている。 花筏もそろそろ流れ始めていた。花の季節は短い。
 ソメイヨシノの華やかさは主役の座をしめているが、我が家に通じる最後の坂道には古来からの山桜の並木がある。葉がある分、花がやや控えめになるが楚々とした趣があって捨てがたい。
    こういう時、自然と口ずさむ歌は♪港が見える丘♪

港が 見える丘
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エイプリルフール

2015年04月01日 | 日記
 4月1日はエイプリルフール。でもその起源ははっきりしていないようだ。諸説あるが、主だったものは5つ。
★その1:横暴な国王に反抗するため

 16世紀の西欧では、3月25日が新年で、4月1日まで春の祭りを行っていたが、1564年、フランスのシャルル9世が1月1日からを新年とする暦を採用した。
これに反発した人々が4月1日をウソの新年として馬鹿騒ぎをするようになった。ここのことに憤慨したシャルル9世は、騒いでいた民衆を片端から捕まえて処刑した。ショックを受けたフランスの人々は、この事件への抗議の意味を込めて、毎年バカ騒ぎを続けるようになった。

★その2:バカな魚という意味

 フランスでは、4月1日は『「バカな魚」という意味のPoisson d'Avril(ポワソン・ダブリル)』と呼ばれている。4月にはものすごく魚が釣れることから来ている。その大漁祝いとして、ウソをつくようになった。ちなみに4月に釣れるバカな魚は、サバ(maquereau)である。
 この名残で、フランスの子供たちはエイプリルフールになると、紙で作った魚を友だちの背中に貼り付けてからかいあうそうだ。

★その3:ノアの方舟関連

 キリスト教旧約聖書のノアの方舟の話に関連した説である。大洪水で海を漂う方舟からノアがハトを放ち陸を探そうとしたが、何も見つけられずハトが戻ってきた。その日が4月1日。そのことからムダな日=ウソをついていい日となった。

★その4:悟りの境地から戻ってくるから

インドの修行僧たちは、春分の日から1週間、過酷な修練を行い、4月1日に修行が終わる。すると、せっかくの悟りの境地から、迷いの多い現世に戻ってしまい「つらい修行がムダになる」とし、そのことを笑う意味で、この期間があけた日を「揶揄節」と呼び、人に無駄なことをさせてからかったということから、エイプリルフールになった。

★その5:道化師の無礼講がはじまり

 古代ローマの『さかさま祭り』が起源という説。この日は道化師(FOOL)が聖職者になって、無礼講のどんちゃん騒ぎが行われた。そこから「ウソをついてもさかさま」という日に変化していった。

 日本にエイプリルフールが伝わったのは江戸時代。当時は『不義理の日』と言われていた。当時は不義理を働く(ウソをつく)のではなく、ふだん義理を欠いていたことを手紙などで詫びる日でした。江戸時代のウソに対する厳格な価値観がうかがえる。今のように「ウソをついてもいい日」となったのは大正時代から。

 平成が進むに連れ、昭和の時代よりもエイプリルフールの存在は小さくなっているように思われる。「罪のないウソ」を笑うにはそれなりの大らかさと真実の重みが必要である。これらがだんだん世の中からなくなりつつあるのかなあなんて思いにとらわれる。

 別段「ウソをついてもいい日」なんかは消えていってもいいが、江戸時代の『不義理の日』は復活してもいいなあと思っている。

 今日の午前6時58分に世界最高齢女性の大川ミサヲさんが老衰のため亡くなられた。117歳だった。3月5日の誕生日の時、祝福を受ける姿をニュースの映像で拝見した時は、その元気さに120歳の壁を破るかもしれないと思った。

 英国の神経生物学者で、英国医学研究協議会の主席執行官を務めていたコリン・ブラックモアさん(70)は「人間の寿命が120歳を超えることは珍しく、医学、科学技術が進歩しても、この上限を突破することは難しい」と指摘している。医学技術の進歩は高齢者の健康と生命の改善に対する効果が顕著だが、寿命の上限の突破することは難しい。という仮説が定着しつつある。

 大川さんが突破したらこの仮説に大きな疑問符がついたのだが、10日ほど前から食が細くなり、静かに息を引き取ったという。この報に接したとき「やはり120歳の壁はウソではない」とあらためて思った。

 

 





 
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