山梨県北杜市にある山高神代桜を観た後は、岐阜県本巣市にある根尾谷淡墨桜を観に行きました。
走行距離は、中央自動車道と東海環状自動車道を通って273kmです。根尾谷に入るまでは順調に行けました。ところが残り6kmという所で、国道157号が大渋滞です。
これでは日が陰るまでに現地に着かないと思い、川の反対側の道へ迂回しました。しかし残り2.8kmという所でやはり渋滞です。運よく側に車を停められるところがあり、歩くことにしました。
何とか4時過ぎに現地に着きましたが、淡墨桜は山陰にあるので、写真はまさに淡墨色になってしまいました。
見る方向を変えて、ご覧いただきます。
岐阜県観光連盟のサイトをもとに、淡墨桜についてご説明します。
『樹齢1500余年を誇る孤高の桜。継体天皇お手植えの桜と伝えられ、薄いピンクのつぼみが、満開になれば白に、そして散り際には淡い墨色になることから淡墨桜と名付けられたと言われています。
樹高17.3m、幹回9.4mの大木は、山梨県の「山高神代桜」と福島県「三春滝桜」と並んで日本三大桜のひとつに数えられ、国の天然記念物に指定されています。』
サクラの品種はエドヒガンです。
根元の部分は苔むしていました。
満開のサクラの花色は、多少ピンク色を残した淡墨色でした。
ここからはおまけの写真です。車の大渋滞をよそに、歩いて現地へ向かいました。赤い橋が人が通る吊り橋で、その上流に車が通る橋が架かっています。見たところ車はまったく動いていませんでした。
橋を渡っていると土手に何やら動くものが見えました。国の特別天然記念物のニホンカモシカです。夢中で草を食べていました。
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次は帰路に撮った写真です。根尾谷は根尾谷断層でも有名なところです。断層の前後で地面の高さが2~3mほどズレているのが分かります。
この断層崖は、国指定の特別天然記念物に指定されています。これで2時間ほどの間に、天然記念物を3つも見たことになります。
Wikipediaをもとに、根尾谷断層の概要をお知らせします。
根尾谷断層は、1891年(明治24年)に発生した濃尾地震の地震断層です。
この地震により、数十kmに渡って地表地震断層が現れました。断層の総延長距離は約80km、活動一回あたりの最大左横ずれ変位量は8m、最大上下変位量は6mです。濃尾地震は、マグニチュード8.0という日本史上最大の内陸地殻内地震(直下型地震)でした。その地震断層である根尾谷断層も日本最大の地震断層となりました。
根尾谷淡墨桜を観てきました(完)
2022/04/09
走行距離は、中央自動車道と東海環状自動車道を通って273kmです。根尾谷に入るまでは順調に行けました。ところが残り6kmという所で、国道157号が大渋滞です。
これでは日が陰るまでに現地に着かないと思い、川の反対側の道へ迂回しました。しかし残り2.8kmという所でやはり渋滞です。運よく側に車を停められるところがあり、歩くことにしました。
何とか4時過ぎに現地に着きましたが、淡墨桜は山陰にあるので、写真はまさに淡墨色になってしまいました。
見る方向を変えて、ご覧いただきます。
岐阜県観光連盟のサイトをもとに、淡墨桜についてご説明します。
『樹齢1500余年を誇る孤高の桜。継体天皇お手植えの桜と伝えられ、薄いピンクのつぼみが、満開になれば白に、そして散り際には淡い墨色になることから淡墨桜と名付けられたと言われています。
樹高17.3m、幹回9.4mの大木は、山梨県の「山高神代桜」と福島県「三春滝桜」と並んで日本三大桜のひとつに数えられ、国の天然記念物に指定されています。』
サクラの品種はエドヒガンです。
根元の部分は苔むしていました。
満開のサクラの花色は、多少ピンク色を残した淡墨色でした。
ここからはおまけの写真です。車の大渋滞をよそに、歩いて現地へ向かいました。赤い橋が人が通る吊り橋で、その上流に車が通る橋が架かっています。見たところ車はまったく動いていませんでした。
橋を渡っていると土手に何やら動くものが見えました。国の特別天然記念物のニホンカモシカです。夢中で草を食べていました。
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次は帰路に撮った写真です。根尾谷は根尾谷断層でも有名なところです。断層の前後で地面の高さが2~3mほどズレているのが分かります。
この断層崖は、国指定の特別天然記念物に指定されています。これで2時間ほどの間に、天然記念物を3つも見たことになります。
Wikipediaをもとに、根尾谷断層の概要をお知らせします。
根尾谷断層は、1891年(明治24年)に発生した濃尾地震の地震断層です。
この地震により、数十kmに渡って地表地震断層が現れました。断層の総延長距離は約80km、活動一回あたりの最大左横ずれ変位量は8m、最大上下変位量は6mです。濃尾地震は、マグニチュード8.0という日本史上最大の内陸地殻内地震(直下型地震)でした。その地震断層である根尾谷断層も日本最大の地震断層となりました。
根尾谷淡墨桜を観てきました(完)
2022/04/09
私も10年以上前にここに行きました。大阪からだと、JRで大垣駅まで行き、ここで樽見鉄道に乗り換えて樽見駅まで行き、そこから歩いてそんなに遠くない所でした。
私が行った時も運よく、見ごろの時でした。
長距離ドライブが多いですね。
え〜〜〜@@ノノ
山梨の神代桜を見たあと、何と岐阜の淡墨桜ですか‼️
ど根性ですね〜
(分からなくもないですが、私は車の運転、特に渋滞が死ぬほど苦手なので無理です‥)
最後は徒歩で2.8㎞‥
でもその甲斐あって、本当に薄墨色の淡墨桜が見られて良かったですね!
一番美しいタイミングのようですね。
根元は苔むし、歳月を感じさせます。
カンサンさんの情報だと、電車でも行けるようなので、行くとしたらそちらをチャレンジしてみたいです(^^)
オマケに天然記念物をあと二つゲットして、大満足だったことでしょう。
お疲れ様でした!
薄墨桜、40数年前なぜか父親と二人で訪れたことがあります。その時と同じように桜は元気で頑張ってましたか。懐かしく拝見しました。
おはようございます。
何年も前のことですが、根尾の薄墨桜を見に行って、渋滞に巻き込まれ泣く泣く引き返したことがありました。
この時間だと到着しても写真は無理だと思ったからです。
と言うことは交通事情はひとつも解消されていないと言うことですね。
桜に時期以外には菊花石を探しに何度か根尾は訪れています。
何とか写真が撮れてよかったですね。
それにしても、山高神代桜に根尾谷淡墨のはしごとは、すごいですね!
私の住む場所から近いカタクリの里に、根尾谷淡墨桜を紹介している、
子供を植えたのか、一本の薄墨桜があり、
薄墨を楽しませてもらっています。
さすが本家本元は、天然記念物(@_@)、
樹齢の深さを感じます。
そして、樹齢1500余年なのに、花を咲かせるのに、驚きます(@_@)
濃尾地震(マグニチュード8.0)ですか、
日本で地震が起きるのは避けられないことを
忘れてはいけないですね。
ニホンカモシカに、根尾谷断層、
天然記念物3つとは、良いことあるのでは^^
山梨県北斗市から中央自動車道を通って、273kmの移動ですか~。
まるで長距離トラックの運転手さん並みの移動距離ですね。
私も20数年前に、甲府から岐阜県羽島市の親戚に移動した経験があります。
岐阜県は岐阜市、高山市、大垣市など仕事で行ったことがあります。
本巣市だけは行ったこともなく、当時は根尾谷淡墨桜さえ知りませんでした。
これだけ見事な桜が見れるなら、行っておけばよかったと後悔しています。(笑)
旅慣れたshuさんだけあって、渋滞を避け徒歩で2.7km移動とは流石です。
そのご褒美でしょうか?
2時間ほどの間に、天然記念物を3つも見ることが出来ましたね。(^.^)
これも有名な桜ですね。
形の良い木ですが、やはり柱に支えられていますね。
根本の苔にも年代を感じます。
日陰で見ると、文字通り薄墨色ですね。
丁度満開で、美しい桜を見せて頂きました。
根尾谷断層は初めて知りました。
そんなに地面がずれるとは恐ろしいですね。
人口の多い所だったら大変なことになったでしょうね。
2時間ほどの間に…とありますが、273kmを2時間で走られたのですか?
高速道路にしても速すぎるように思いますが。
凄いフットワークですネ!
私は電車で往復しましたが正解でした。
道路は狭く大渋滞しており、途中の無人駅から電車に乗り換えて見物して来たと言う人に出逢いましたヨ。
私が行った頃は、宇野千代さんが淡墨桜を世の中に紹介して
薄墨サクラの保護基金が出来た頃でした。
淡墨桜もエドヒガンザクラなのですね。
ピンクがかなり薄いので別品種かと思っておりました。
日本3大桜の中では三春の滝桜が色が濃く、枝垂れ桜で豪華に感じますネ。
淡墨桜に向かって歩いている途中で、1両編成の電車(気動車)とすれ違いました。樽見鉄道の樽見行の電車(気動車)です。
私が歩き始めたのは、終点の樽見の一つ手前の水鳥(みどり)駅の近くからです。
もう少し早ければ、14時49分発の樽見行に乗れたのですが、残念でした。
でも、そのお蔭さまでカモシカを観ることができました。
山に出かけることが多いので、長距離ドライブが多くなりました。
高速道路の運転はさほど疲れませんが、渋滞があると疲れますね。
計画では3時に現地に着くはずでした。駐車場は500台停まれるし、さすがにその時間になれば空くだろうとの予測でした。
ところが大渋滞。すぐにUターンして別の道へ迂回しましたが、それでも3kmほど歩きました。
淡墨桜の満開時の花色は白色と聞いていました。淡墨色に見えたのは陽が山陰に入ったからでしょうね。
淡墨桜の隣に淡墨二世と書かれた桜の巨木がありました。大正12年に植樹されたもののようです。
この樹がすでに淡墨桜の背丈と同じように育っていました。大正12年というと今から99年前です。
二本の樹を眺めると、あらためて歴史の大きさを感じてしまいました。