ポジティブな人とネガティブな人、どちらが好きかと言われたら
もちろん、ポジティブな人だと答えるだろう。
だけど、体験にもとづかない、「体力のないポジティブ」は
単なるネガティブよりも性質が悪い。
私はかつて「ポジティブ」を間違って理解していた。
無知なゆえのポジティブもしくは傲慢とも言うべき姿勢を身に付けていた。
「どんなことであれできないことなどない」と本気で信じていた。
経験不足で頭で考えていたのだと思う。
私がかつて取っていた態度は「ポジティブ」ではなく、
「強引」であったような気がする。
「これはこうに違いない!」という強引な思い込みを基とする
「ポジティブ」であった。
若くて、世界が小さいころにはまだその論理でも通用したが、
世界が広くなるにつれて、それは敗北することになる。
今は、どうか。
ネガティブを踏まえたポジティブを心がけている。
ネガティブは何も悪いことではない。
可能性という面では、確かに悪いことが起きるかもしれないし
その可能性を踏まえて準備はしてしかるべきだ。
だけど、わからないことは断固として「ポジティブ」にとらえることだ。
それは経験的に、「わからないこと」を否定的にとらえているよりも
肯定的にとらえているほうが成功する確立が高まるということを
知っているからだ。
1つ欠点を見つけたら、3つは長所を見つける。
そう思っているのだけれど、時々それを忘れて、
物事をネガティブに捉えてしまう自分がいる。
もちろん、ポジティブな人だと答えるだろう。
だけど、体験にもとづかない、「体力のないポジティブ」は
単なるネガティブよりも性質が悪い。
私はかつて「ポジティブ」を間違って理解していた。
無知なゆえのポジティブもしくは傲慢とも言うべき姿勢を身に付けていた。
「どんなことであれできないことなどない」と本気で信じていた。
経験不足で頭で考えていたのだと思う。
私がかつて取っていた態度は「ポジティブ」ではなく、
「強引」であったような気がする。
「これはこうに違いない!」という強引な思い込みを基とする
「ポジティブ」であった。
若くて、世界が小さいころにはまだその論理でも通用したが、
世界が広くなるにつれて、それは敗北することになる。
今は、どうか。
ネガティブを踏まえたポジティブを心がけている。
ネガティブは何も悪いことではない。
可能性という面では、確かに悪いことが起きるかもしれないし
その可能性を踏まえて準備はしてしかるべきだ。
だけど、わからないことは断固として「ポジティブ」にとらえることだ。
それは経験的に、「わからないこと」を否定的にとらえているよりも
肯定的にとらえているほうが成功する確立が高まるということを
知っているからだ。
1つ欠点を見つけたら、3つは長所を見つける。
そう思っているのだけれど、時々それを忘れて、
物事をネガティブに捉えてしまう自分がいる。