いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

さみしい人

2005年02月18日 | 考える
tokyo24さんの「素直になれない。」にトラックバックしています・・・



「きっとあなたはこれからも人に心を開かない、
 そんなさみしい人だね」

友人から言われた一言。

そうかもしれない。
思い返してみれば「心を開く」なんて
したことがないかもしれない。

かつては試みたような気がする。
だけど、僕の意見には同意してもらえなくて、
余計にさみしい思いをしたのだ。

そういうものを積み重ねて、
徐々に心を閉じていったような気がする。

表面的には仲良くできるけど、
心の中の中まではどうしても許すことができない。

きっと僕はこれからもそうだろう。

だけど、
誰かと同じ時間を同じ気持ちで過ごすことはできないかもしれないが、
独りだと思い知らされることはないような気がする。

誰になんと言われようとも、
「瞬間的には」人と分かり合えると思う。
しかしあくまでも「瞬間的」という条件がつく。

「心を開かない」ということは
自分を守ることであり、関係を良好に保つ秘訣でもある。
僕はそれ以上のうまいやり方を知らないのだ。

だから僕に心を開けなんて言わないで欲しい。
そういう風になるには、もっと時間がかかる。
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マスクマン、現る!

2005年02月17日 | 考える
風邪ひいた。

すごく鼻水が出る。
昨日はもう1リットルは出ただろうか・・・(んなこたーないか)

会社の同僚に進められるままにマスクを買ってみた。
99.9パーセントもチリを通さない、すばらしいマスクだ。
マスクなんて、小学校の給食当番の時以来だな・・・

そうして早朝、ちょっとうきうきしながら
外に出たら、自分の吐く息で眼鏡が真っ白。

・・・・何も見えまっしぇーん!
むかついてつけるのやめました。

やっぱり自分は何かつけるのは嫌いだな!(負け惜しみ)
ていうか、鏡を見るとマスクをつけた自分は、まんま変質者。
怖え~。
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メール受信拒否

2005年02月16日 | 考える
デーモンさんから、メールが来た。
というか、友人に送ったメールが帰ってきたのだ。

notfound-そんな宛名の人はいません。

んな、ばかな。
昨日、一昨日とメールを送ってきていたのに。

その人はこっちの都合も考えずに
やたらとメールを送ってきてた。
深夜に携帯に何度もメールを送ってきたこともある。

「福祉とか、医療事務とか人を助ける仕事がしたい」
と、言っていた。

だけど、まず君が助けるべきなのは自分自身だろう。
みえみえなんだよ。
気をひきたいがために、着拒否しているのは。

自分が好意を持っているからといって、
ずかずかと入り込み、好意を押し付けてくる。
そして、それを受け入れてくれないとなると
突然にすべてを拒否する。

悪いけど、そんな人に関わっている暇はない。
「知り合い」という距離が君と僕にはふさわしい。
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故障せず

2005年02月15日 | テニス
一緒にテニスをやっている仲間が
故障していく。

やれ、腕が痛いの、腰が痛いの・・・
自分は故障がない。

なぜか。
そもそもスポーツを始めようと思った動機が、
お金がかからず、なおかつ歳取ってもできるスポーツという
条件で探したからだ。

んで、ラケットも反発力がある、
腕の力をさほど必要としないラケットを選んだ。

テニスをする上で一番重視したことは
「長続きする」ということだった。

だから、絶対に無理はしないし
準備体操も念入りにやる。
打ち方も強烈にドライブをかけるようなことはせず、
スライスを多用する。

学生のころはバスケットをやっていて、
不摂生だったために膝を壊してしまった。
その反省が生きているのだろう。

故障しないで安定して能力を発揮し続けるのも
ひとつの能力のような気がする。
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だめ応答

2005年02月14日 | 考える
不用意な一言で失敗する。
しかも本人は気付いてないから始末が悪い。

しかし今回は教えてもらえました。
こういうやりとりです。

日曜のテニスにAさんが来ることは知っていた。
Aさんとは2年ぶりにあうことになる。

自分が乗ってきた電車にAさんも乗ってきた。
A:「久しぶり!」
S:「あ、こんにちは!」
A:「Sさんも○○?」
S:「ええ、そうじゃないとこんなところいませんよ」

痛い。痛すぎる回答。
せっかく気を使って話しかけてくれたのに。
Aさんは来るメンバーを知らないとのことだったが、
私はAさんも来るメンバーを知っていて聞いてきているのかと
思ってしまった。

私は結構こういう対応をしてしまうらしい。
言ってはダメなことを言ってしまう。
最後の言葉は以下のように言うべきなのに・・・
「そう、今日は一緒だね、よろしく!」
と。

なぜそういう応答をしてしまうのか
自分でもわからない。
きっと子供なんだろうな。
猛省しています・・・
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僕がなくした微笑

2005年02月13日 | 考える
テニスに行くため電車に乗っていた。
前の席に母親とその子供二人が乗っていた。
姉と弟。
年のころは7歳と5歳くらいだろうか。
姉は弟の顔を少し見つめ。

ほほえんだ。

そのとき、気づかされた。
僕が失ったものを。
そのほほえみは形容しがたいものだった。
たとえるならば天使のような。

弟の存在を認め、存在自体を喜んでいるような、
そういうほほえみであった。

僕は誰かの顔を見つめ、
微笑むなんてことはもうずいぶんの間していないのだな・・・

子供が持っている、いろんな能力、
(無邪気とか、夢とか、想像力とか)
そういうものをなくして僕は大人になったようだよ。
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人生の意味

2005年02月12日 | 考える
横Gを感じながら、クルマで攻め込む山道の途中で、
朝、幸せそうに寝ている君の顔を見ているときに、
楽しみにしていた映画を誰にも邪魔されることなく観ている途中に、
はらぺこで、やっと食事にありつけて、最初の一口を食べた瞬間に、
くたびれて、風呂に入って背伸びをしている瞬間に、
手と手をつないで、同じ時間を共有していると感じている瞬間に、
自分の行動に対して、「ありがとう」と言われたときに、
落ち込んでいるときにやさしい言葉をかけられたときに、
もう戻らない君の笑顔を思い出して微笑むときに。
・・・・・
そのときに、人生に意味があるかと問われたら、
きっと僕は
「この瞬間のためだけでも意味はあるのだ」
と答えるだろう。
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不信と共に

2005年02月11日 | 考える
きっと友達を心底信じられない。
長く誰にも心を許さず生きてきたからなのか、
それとも、生まれついての性格なのか。

不信を抱きしめて孤独に生きる。
だけど、そんな小さな小さな心は
君の暖かい一言で崩れ落ちる。

冷たく固まった心をたった一言が潤し、
僕は自分の生き方を恥じ入る。

長く独立している間に膨らむ不信は、
他人に対してではなく、きっと自分に対して。
自分に対しての大きな不信が、今日も僕を蝕んでゆくけれども、
そのたびに君の一言が、その不信を打ち砕く。

その力に支えられて、今日も生きる。
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説教癖

2005年02月10日 | 考える
ただ聴いて欲しい話だと思うのだけど、
仕事のことを愚痴られると、
自分の道程と比較してしまって、生易しいことだと感じてしまう。

自分の方がもっと辛い道を歩いてきたのだ。
そんなことで、苦しいなんていわないで欲しいと
思ってしまう。

だけど、本当はそれは間違いで、
苦しみは人それぞれで自分にとってどうなのかが問題で、
その人が苦しいと感じれば客観的事実は意味を失い、
その人の「気持ち」だけが真実となる。

わかってはいるけど、
やっぱり弱音を吐いている君は弱いと思うし、
そんなこと、朝っぱらから聴きたくもない。

もっと強くなろうよ、と言いかけて
今日もだまる。
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blogスタイルの確立

2005年02月09日 | 考える
最近、自分のblogスタイルがわかってきたような気がする。
現実世界において僕は「自分の話」を聴いてもらえないし
そもそも話そうとは思わない。
(話すには長くなり、相手がそれを望むとも思えないし)

だからきっと、「王様の耳はロバの耳!」ばりに
言いたいことを誰にも気兼ねすることなく
かけるこの場は、自分にとってある意味癒しの空間
と位置づけられるかもしれない。

きっと僕は自分の意見の是非を問いたいのではなく、
ただ、自分の中に留めて置けない思いを
この場で吐き出しているのだろう。

現実世界で誰かが僕のすべてを受け止めてくれるのならば、
きっと僕の[blog]は終わるだろう。
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