陶子の心の窓

今日わたしの心の窓は開いていたかな?あなたはいかがでしたか?

文庫本も値上がり。うん、確かに。

2023-01-10 18:41:19 | 

先日の新聞の記事によると、文庫本が手に取りやすいというのは以前のこととか。
確かにその実感があります。

わたしが文庫本を読み始めたのは中学生くらいの時でしたが、そのころはだいたい380円とか、400円前後のものが多かったように記憶しています。ちょっと分厚いもので560円とか。

その後、少しずつ値上がりしましたが、だいたい高いと思うものでも800円くらいまでで収まっていたと思います。

それが、この数年で1000円を超える文庫本も珍しくなくなってきました。

理由は文字が大きくなってページ数が増えたこと、紙の値段が上がっていることなどです。

昔は文字が小さかったですね。それでも読んでいましたが。
字が小さいままでも、字体が少しずつ変わって読みやすくなっていった時期もありますが、世の中高齢化が進んでフォントが大きくなりました。
さらに、余白も多く取る文庫本スタイルのワイド版も出てきたりして、本自体が重くなった印象です。

文庫本は持ち歩くのに便利なこともありますから、できれば軽量がいいです。

思うに、日本の本は立派です。文庫、新書などはもっと紙の質を落としてもいいと思います。いい紙だとそれだけ厚みがあって重くなります。
海外のペーパーバックのように、軽くて気軽に手に取りやすい価格に抑えて欲しいです。
…と言いつつ、このエネルギー不足、資材不足になっているご時世ならどこの国でも本は値上がりしているのかもしれませんが。

それでなくとも紙の本はかさばるので厄介だと思われがちですが、欲しい本があれば買いたいし、気に入った本は持っていたいと思います。心の糧として。

 

Comment

どこまで行けるか、カラマーゾフの兄弟

2023-01-04 06:56:40 | 

思い立ったのは何年も前。亀山郁夫さんの新訳で『カラマーゾフの兄弟』を見つけて、これなら読めるかもしれないと期待したのですが、そのままになっていました。

年末に本を入れ替えるため、押し入れの箱に眠っているカラマーゾフを発見。再読チャレンジしています。

今回は読むだけではなくて、読み進めるごとに登場人物の名前を書きだしていって線で結び、系図のようなものを残しながら読んでいます。

簡単に手書きですが、これがかなり役に立っています。

本には登場人物をしるした栞が入っているのですが、これでは関係までは掴みにくいのです。
どんな人かを知るには便利です。

昨夜やっと1冊目の200ページを超えました。一族がゾシマ長老の元に集まり、フョードルを台風の目のようにして罵り合う場面です。

あ~、いやだいやだ。読んでいるこちらも面食らって、しまいには辟易。

けれど、ものごとの核となるいちばんよくないものはずー--っと奥深くにあるものだということです。これは放送大学の面接授業でダンテの『神曲 地獄篇』を受けたときに先生がおっしゃっていたことです。嫌になってしまわずに、怖がらずにひとつひとつ解決(地獄篇では”対決”でした)して、最後に嫌なこと、最大の問題点と言ってもいいことにたどり着くのだそうです。

カラマーゾフには2つの物語があるということなので、これはまだ序章にすぎないのだと思います。

『カラマーゾフの兄弟』は以前日本のドラマでも放送されていましたね。わたしは見ていませんが。
もし、見ていたらそれがとっかかりになって読み進めやすかったかもしれません。
あるいは誰か感情移入できる登場人物がいたら、ぐんと読みやすくなりますが、今のところそういう人はいません。。

ともあれ、気長に読み進めていこうと思っています。
本のいいところは、あれ?と思ったら戻れるところ。何度でも読み返すことができるところ^^

 

 

 

Comment

今読んでいる本

2022-05-30 17:27:26 | 

昨日、本を買いに行きました。

札幌市内、大きな本屋はたくさんありますが、わたしが好きな本屋はジュンク堂です。
品ぞろえがいいし、レジが各階にないせいなのか、ゆったり広めで静かです。落ち着いて本を探すことができます。
そういえば、あまり派手なポップが立っていたりすることもないです。だから、惑わされずに落ち着いて欲しい本が探せます。

買った本はもちろん、先日記事にも書いた、ルソー著『孤独な散歩者の夢想』です。今回は光文社古典新訳文庫の方。
それ1冊だけだと寂しいのと、好奇心がめらめらしてきて、書棚を舐めまわすように見始めてしまいました。
こうなると、読みたくなる気持ちが高まるばかりなんですが、「ものごとには限度というものがあるんだから!」と自分で自分をいなして、全部で3冊にまとめました。3冊までならOKとしているんです。

さて、何から読みましょうか。

帰りのJRで無作為に取り出したのが、『チャリング・クロス街84番地』。
ニューヨークに住む本好きな女性とロンドンの古書店との往復書簡が織りなす作品です。

ニューヨーク在住の女性がロンドンの古書店あてに手紙を書いて、欲しい本を送ってもらいます。
その後の手紙に、本を受け取った旨を伝える表現が、落手、安着、来着…と、毎回違っていて感服です。
原作はどのように表現されているかわかりませんが、翻訳者の語彙の豊かさなのでしょう。読んでいて、ワクワクします。

わたしは日本語教師として外国人に日本語を直接法で教えています。
直接法とは、日本語を日本語で教えるということです。既習の語彙と文型を使って教えます。
今教えているのは初級クラスです。なので、写真、イラストなどを駆使して簡単な言葉を使わなければなりません。説明しすぎて学生を混乱させてもいけません。授業の準備、教案づくりはそこが悩みどころです。

そんな反動もあって、自由自在な日本語と豊富な語彙を目のあたりにすると、心底嬉しくなってしまうのです。

この『チャリング・クロス街84番地』に出てくる本は、イギリス文学が好きな方ならもっと楽しめると思います。でもそれほどでなくても、本を通じて、遠く離れた見知らぬ者同士がだんだん親しみを覚えていくのを見守っていくのがおもしろいです。

 

 

 

 

 

Comment

生活スタイルが変ですが。

2022-05-24 03:59:16 | 

このごろは、夜中に起きるのがルーティンになっています。

それもそのはず、眠たくなるのが夜の9時前なのだから。

だいたい8時を過ぎると、テレビの音が煩わしくなって寝室に向かいます。そして読書。3,40分もすれば眠たくなり、消灯です。

そんなに早く就寝すれば、その5~6時間後に目が覚めるのは当然ですね。

起き出して、シンクに洗い物があればそれを片づけ、お湯をわかし、その間に翌日(もう当日か)分のお米を研いでおきます。

それから、寝る前に読んでいた本の続きを読んだりするわけです。目覚めた後は、頭がスッキリしているので読書も進みます。

寝る前に読んでいたところがイマイチよく飲み込めなかったときは、思いっきりキリのいいところまで戻って読み直しますが、スッキリ状態のおかげでよく理解できるのです。

最近読んでいる本は、ルソー著『孤独な散歩者の夢想』です。

ルソーと言えば、わたしは高校時代の倫理で習いました。「自然に帰れ」ですね。

私の頭の中には「自然に帰れ byルソー」の刻印しかなかったのですが、何年も前に図書館で手にしてパラパラしてみたところ、あまりにも人間味あふれる文章が連なっていたので驚愕。借りて読みふけったものでした。

それから何年も経って、先月ふと「ルソーさんの、あの本は・・?」と思い出したのです。けれどタイトルが思い出せないっ!!
読書好きの友人に尋ねてみると「ああ、『孤独な散歩者の夢想』ね」。…さすがです☆

友人に感謝し、さっそく書店でタイトルを検索。本って油断していると絶版になってしまうことも多いようなので、気になる本は手元に置きたいと思うようになりました。
ですが、さすがはルソーさん。ありました。

(青柳瑞穂 訳/新潮文庫)

図書館で借りたのとは表紙が違うと思いましたが、まあいいかと即購入。読み始めたのでした。

ところが、何かが違うのです。

内容は、ルソーさんが悩み、傷ついてそれに対するネガティブな心象風景を書き連ねているのは記憶しているままではあるのですが、その表現がカタい。図書館で借りたのは、もっと現代の私にもそれほど考えなくても届くような直截的な言い回しだったはず。

そこで、本のタイトルをインターネットで検索してみました。すると、出てきました。これでした。

(永田千奈 訳/光文社古典新訳文庫)

そうそう、こっちこっち。

こちらの方が、断然わかりやすかったです。その分、新潮文庫よりもページ数多めだったような気がします。

新潮文庫の方は読み終わったので、近々光文社の方も再読しようと思っています。

ルソーさんは思想家であり、作家でした。ネタバレになりますが、自分の子供を孤児院に入れたことで世間から非難されていたそうです。それで、辛く感じることが多々あり、思いを記していったのがこの本と言うわけです。
第一の散歩から第十の散歩までありますが、いじめや人のうわさ話など、それぞれのテーマが現代にも通じるものがあって共感することも多いです。
そして、弱音を吐露するだけではなく、その辛さを自身でどう昇華させていったかまでが書かれています。

全ての人間を俯瞰して書かれたものではなく、世間から非難されたルソーさんの独断と偏見が多々ちりばめられてはいますが、真をついているものも多いと思いました。

SNSで誹謗中傷されて傷ついている人にぜひ読んでほしいです。

 

・・・

 

夜9時なんてまだまだ宵の口なのに、眠たくなっちゃって夜中に起き出して。

そんな変な生活スタイルですが、実は楽しんでもいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Comment

年末年始にやりたいこと

2021-12-29 10:34:05 | 

洗濯機を回している間に本棚の整理をしました。

読み終わったものを出し、棚をサッとひと拭き(ちなみに、ひと拭きするために使ったものは布製マスクのハギレ。使い終わったらそのままゴミ箱へ)。
押し入れの中の小さな段ボール箱に入っている”蔵書”と入れ替えました。

蔵書、というと大げさですねww 要するに昔読んだ本&積読された本ということです。
わが家は徒歩圏内に図書館もBOOK OFFもないため、本は購入して読むことが多いです。
世間で節約と言えば、図書館で本を借りることがトップ3に入るのではと認識していますが、ないものは仕方がありません。交通費をかけていくのも大変ですし…。「お金さえ出せば読みたい本を自分のタイミングで読める☆」と割り切っています。返却期限に追われることもありません。それだから積読になってしまうということもありますが…。

蔵書の中には自分で買ったことすら忘れているものもあります。大型書店に行って「ブック・ハイ(←勝手に命名)」になってしまい、欲しい本の隣にある本にも惹かれ、さらに時間は有限であることを忘れて爆買いしてしまうんですね。その後忙しくなって読むひまが無くなってしまい、積読へというパターンです。でも、時間が経って改めてそれらの本と対峙しても、やっぱり読みたい欲求が出てきます。だから、「読まない本は売りましょう」とはならないんですよね。読み終わった本についても、好きなものはもうしばらく手元に置いておきたい派です。

人は忘れてしまう生き物ですから。

この年末年始のために読もうと用意した蔵書は4冊。3冊が海外文学で、もう1冊は五木寛之さんの『大河の一滴』です。平成11年3月に文庫化されたもの(最初に世に出たのは1998年4月)です。これだけ見ても22年前!と思いますが、何気に目次をたどってみると今にも通じそうなことが書いてあります(22年前にも読んだはずなのに、何を言っているのか私)。

世の中が急速に進んでいく今、どうしたらいいのかと途方に暮れそうになりますが、今の私には正解を求めるよりは、いろいろな考え方があると認識することが第一歩かと思っています。

また、至極当然のことですが、読書は文章をひたすら読むこと。
自分の考えをまず置いて、筆者の考えや物語に没頭しなければ進めません。日常の中ではこれがなかなかできません。仕事から距離を置ける年末年始こそ没頭したい。

人と会う機会の多い時期でもありますが、いつになく読書したい欲求が高まっています。

Comment

後味いいとは言えないけれど…

2020-11-05 15:16:58 | 

昨夜読み終えた『母の遺産 ー新聞小説』。

 

著者である水村美苗さんのことは、辻邦夫さんとの往復書簡『手紙、栞を添えて』で知っていましたが、作品を読んだことはありませんでした。先月本屋さんでたまたま見つけ、購入したわけです。

美津紀という50代の女性が主人公で、自らの更年期の不定愁訴に苦しみながらも母親の最後を看取るまでの様子がつづられています。最初はそれを通して人が年老いていくことは具体的にどういうことなのかを今の自分より先取りしてみているような感覚で読み進めていましたが、だんだん美津紀の母が結婚に至った顛末があったり、祖母が当時の新聞小説『金色夜叉』を読んだことで人生が変わったのではないかというエピソードがあったりして、ひどく考えさせられていきました。

『金色夜叉』は明治30年から讀賣新聞で連載されたそうです。当時まだテレビもなく、それほど娯楽もなかった時代でしたから、新聞小説は大きな楽しみだったでしょう。貫一とお宮の設定も「祖母」にとっては自分のことのように思われるものだったとのこと。

ちなみに、昔はお金持ちの家のご主人と妾や下女との間に子どもができることはよくあったんですね(現在再放送中NHK朝ドラ『澪つくし』でもそうです)。蛇足ですが、夫の母方の親せきの間では、自分のルーツを知りたいブームが起きており、戸籍を取り寄せていますが、子の欄に「認知」という言葉がよく出てきます…。昔のドラマで「どこの馬の骨だかわからない」なんて台詞がありましたが、こういう背景があるのかもしれません。

以下、ネタバレになります。

美津紀の祖母の母親は芸者で、祖母は生まれたときから芸者になるように育てられました。19歳で金満家の妾となったと思ったら、その妻が結核で亡くなり、妻の座を得たのです。だから、美津紀の母親は多額の遺産を二人の娘(美津紀とその姉)に残せたのでしょう。

受け取った遺産。
美津紀は夫と離婚し、これからの自分のために使うことにしました。夫が浮気をしているのを知ったから、というのが直接の理由であり、引き金ですが、本当は新婚旅行でのちょっとした違和感がずーーっとしこりのように頭から離れなかったんですね。これは違う環境で育ってきた人間同士、必ずあるものとも言えますが。

母の遺産でこれから生活するための住居を用意し、自分の体調と折り合いを付けながら仕事をしていく。
数千万円という遺産もこの先何十年生きるのかと計算していくと、決して多い金額ではないのです。
それでも、違和感を抱えながら生きていくことより、きちんと決着をつけた美津紀に清々しさを感じます。

だけど、やっぱり重くのしかかるのは「老いていくこと」です。
美津紀の夫は浮気している女性と一緒になり、一緒に年を重ねていくことができるでしょう。
でも、彼女は一人です。それが渋い後味となって残りました。

この小説は、いろんな要素が詰まっていて、それぞれを独立させてまた別の小説を書いてほしいくらいでした。また、日本語の表現の幅がとても広く自在なので、本当に引き込まれました。私は普段日本語を教えているので、できるだけ短く・易しい言葉を使ってということを心がけています。そうすると、なんとなく自分の日本語が安易で幼稚なものに思えてしまうことがあるんです。特に今は人と会っておしゃべりする機会が減っていますので、それに関しては危機感を持っています。だからとにかく本を読もうと、目についた本を購入しています。
本、スペースとりますけどね。服を買うよりずっといい。

 

Comment

最近読んだ本

2020-10-09 10:34:46 | 

わたしは情報収集に関してかなりアナログな方だと思う。
電子書籍は持っていないし、ネット検索しても必要と思えば手帳やそこら辺の紙にメモするし、量が多ければプリントアウトしてしまう。
紙媒体の新聞・書籍にいたっては、このご時世においても、これからもなくてはならないもの、なくしてはならないものだと思っている。

紙媒体って潔い。印刷されて世に出回ってしまったら「あ!あそこ、間違えた!!」とか、誤解を招く表現をしてしまっても取り返しがつかず、自分で後処理するしかないからだ。だから校正・編集などに携わる人がいるのだと思う。そうやって書き手から離れた文章は、様々な角度から厳しく修正されて世の中に出てくるわけだから、こちらもどっしりと構えて安心して読み進めることができるんだ。

2011年の東日本大震災のように価値観を変えてしまうような大きな出来事を経験してから、本の奥付がすごく気になる。この本はいつ書かれたものなのか、その後改訂されているかなど。
withコロナ時代になって、今年出版された本はいくらかでも読んでおきたいと思っている。またそれとは反対に、コロナ以前に書かれた本も、自分なりの視点でコロナ以前・以後を比較しながら読み進めるのも興味深いこと。

後者の観点で読んだ本が、三浦しをんさんの『むかしのはなし』。

 誰もが知っている、かぐや姫や花咲か爺さんなどの昔話を現代風にアレンジした短編が7編。
だけど、それらの話がどこかリンクしている。ここからはネタバレになるけれど、それはあと数か月後に地球に隕石が落ちてくるということ。そうなることはわかっているから地球から脱出するためのロケットが用意されている。でも、そのロケットに搭乗できる人数は限られている…。それを知った上で登場人物はどう生きていくのか。

この本は平成20年に出版されたものだけど、生死にかかわるような極限状態に地球規模でかかわっていることが今のコロナとちょっと似ている。細かいことを言えば、コロナは気を付ければ感染を防げるけれど、隕石が落ちてくるのは“計算違い”でもない限り避けようはない、というのは違うけど。

ただ、極限状態になった時、どう考えるか。どう人に接するか…。そんなもろもろのことを自分だったらと考えるきっかけをくれる本だ。

昔話を現代風にアレンジした面白さと、地球の危機を共有しているという共通項を同時に味わえる。
また、これは三浦しをんさんの作風なのかもしれないが、作品によって女性目線・男性目線の使い分けも見事。私自身、ジェンダーの概念が薄まりつつある現代の風潮を嫌でも感じているのか、今となっては昭和な小説よりなんとなく「こちら側」がしっくりくる。
そんな私的発見もあった。

Comment

読みかけの本

2020-01-28 07:07:20 | 

Q:20~60代で1か月に紙の本を読まなかった割合はどのくらいか(テレビ東京モーサテクイズより)。

A:50%

電子書籍、タブレットが浸透してきているということですね。
タブレットか・・。辞書や分厚い参考書なら便利だと思います。

わたしは読みたい本は相変わらず紙の本です。外出した際、時間・気力があれば大型書店へ足を運びます。
背表紙を見て、手に取って装丁を楽しんで。パラパラとめくって、ピン!ときたら即購入です。「今読んでいる本があるから、また今度…」としていたら、次に巡り合えることはないことが多い。だから買っておきます。

ピン!ときてせっかく家に連れて来たのに、そのまま埋もれさせては本がかわいそう。
埋もれさせないために気を付けていること、2つ。

その1。家で読む本にはカバーをかけない まず、現在どんなタイトルの本を読んでいるのか、いつもパッと見てわかるようにしておくのです。

その2。読みかけの本があってもどんどん読み始める。多読です だから、カバーをかけてはいけない。忘れちゃうから。テレビでいろんな番組を見るように、いろんな本を読みます。途中で読まなくなる本も出てきます。それはそれで仕方がない。TVドラマでも”脱落”しちゃうこと、あります。

あ、Book off に売るとしたら、読了した本よりも、途中でやめちゃった本という選択肢もありますね。
読了した本は、登場人物が、場面設定が、著者の感覚が…といった「何か」が自分の感覚に合っていたということかもしれません。何年も前に読んだ本を読み返してみる楽しみもあります。
読了できなかった本は、何か合わなかった、つまらなかった…ということですから、持っていても、やっぱり途中で読まなくなってしまいそうです。それもまた自分の感性。

世の中には古今東西、まだまだ本がたくさんあるのです!

人生は短し、読め読め、私。

 

 

 

 

 

Comment

中古品でもとってもキレイ

2019-11-06 16:42:36 | 
ひょんなことから読んでみたムーミンシリーズ、『ムーミン谷の仲間たち』。


すっかり独特の物語に引き込まれてしまいました。
次は何を読もうか。

で、数あるシリーズの中から任意に選んだ2冊目は・・『ムーミン谷の十一月』です。
理由は、今、11月だから^^

今回はamazonの中古品から購入いたしました。
「当たりか、ハズレか・・」ドキドキしながら開封してみたところ、当たりでした☆

ほぼ新品です!

これまで興味をそそられて古本を購入したことは何度もありました。
私が定義する「ハズレ」とは、汚れているものはもちろんですが、一見キレイでもニオイが吸着しているものです。
そのニオイとは、だいたい煙草=ヤニのにおいだと思われます。

最初はそれと特定できなかったんですが、読んでいると無意識レベルで気になってくるんですよね。
書店で購入した新品ならそういう無意識レベルのノイズ的なにおいは皆無です。

せっかくの読書タイム。プチ・ストレスなしに楽しみたい。
私のささやかなわがままです。

一方、煙草を嗜む方にとっては、好きな銘柄をふかしながらの読書もまた至福のひと時だと推察するのです。
それを否定する気は毛頭ありません。
ただ、好きではないニオイを気にしながら好きな本を読むというちぐはぐな感じ。
それがいただけないだけです。。

さて、当たりの中古本が届いたことだし、今晩も機嫌よく読書しよっと😉 📚

Comment

読書週間だ

2019-10-27 05:30:58 | 
日めくりを見ると、今日(10月27日)は読書週間とありました。
今日から読書週間です。
最近、ちらほら読んでいるのは『ムーミン谷の仲間たち』。

放送大学の面接授業でテーマになっており、当初受けてみようかなぁと思って購入したのです。
ムーミンは子どものころテレビアニメでよく見ていただけで、特別思い入れがあるわけではありませんでした。
でも、こうして原作を改めて読んでみると思いがけない発見がありますね。とても興味深い。
この挿絵の場面にあたるところを昨夜読みました。
ミィの後ろに描かれている赤いドレスの女の子は「見えなくなった」ニンニ。
彼女がどうして「見えなくなった」のか。。
それはいやらしい(作中で使われていた形容詞。たぶん、ネチネチと意地悪なという意味だと思います)おばさんに嫌味を言われ続けて暮らしていたから。
それをムーミンママがおばあさんが書き残していてくれた薬の作り方のノートを見て、ニンニに効く薬を作ってやり、温かく見守ってあげるんです。
すると、だんだん足元から姿を現していくんですが・・。

これ以上書くと、ネタバレになりますね。
周りの温かい目は必要です。
今までずーっと気持ちがちぢこまった状態でいたわけですから。
でも、それだけではダメなんです。
それがきちんと描かれていました。
大人になってもムーミン好きの人が多いのは、そこに理由があるのでしょう。
わたしも好きになりました☆
Comment

やっぱり図書館ね

2018-12-10 16:46:53 | 
先日探していた『エチカ』。
図書館に行って探してみたらありました。上下2冊ずつ。
さすが、図書館です^^ 



中をパラパラと見てみると今どきの大きな活字仕様ではありませんが、2009年に再版されているのでほどほどに行間もあるので読みにくいことはありません。トライしてみることにしました。

『エチカ』を知ったのは、NHKの「100分de名著」の放送です。
本でも、音楽でも、映画でも、なんでもそうですが、私は自分が知る前に人の評価やうんちくなど、あまり読んだり聞いたりしないようにしています。先入観なしに受け入れたい。
でも、そればっかりだと知りえないこともあります。
その番組もたまに見るともなしに見ることがあって、おかげで背中を押されたように読めた名著もあります。
今回の『エチカ』もその部類に入りそうです。

番組で紹介されていたように、『エチカ』は最初から読んでも挫折しそうです^^;
全体は5部構成になっています。
 
 第一部 神について
 第二部 精神の本性および起源について
 第三部 感情の起源および本性について
 第四部 人間の隷属あるいは感情の力について
 第五部 知性の能力あるいは人間の自由について

どこから読むのがおススメかと言うと、第四部 人間の隷属あるいは感情の力について からだそう。下巻からです。
それではと、素直に第四部から読み始めました。

これまで哲学本はボチボチ・・としか読んでいません。ニーチェの語録とか、ショーペンハウアーくらい。友人に借りたライプニッツのモナドロジーはまったく歯がたちませんでした
でも、『エチカ』はわりとわかりやすいほうです。ちょっと無理してる?…う~んちょっと難しい、正直。。
でも難しいけど、とっかかりがないわけではない。こんな私でもね。

序言があり、言葉の定義がされ、細かく定理が提示されてそれに対する証明が記されています。
こういう形式だと、何か気になるキーワードが見つかったらそこから読み始めてもいいと思うんですよ。
何か行き詰った感覚に陥った時に辞書的に引いて読んでもいい。そんな構成になっています。

スピノザは『エチカ』で善と悪について次のように定義しています。

 ・善とは、それが我々に有益であることを我々が確知するものと解する
 ・これに反して、悪とは、我々がある善を所有するのに妨げとなることを我々が確知するものと解する

この「有益であること」、何を思い浮かべますかね。
私は「自分がやりたいこと」「自分が好きなこと」としました。なぜなら、自分がやりたいこと、好きなことにかかわっている時間は自分にとって幸せな時間です。前向きな考え方ができているでしょう?
そう考えると、人のやりたいこと、好きなことを妨げるのは悪です。もちろん、自分の好きなことを自分が妨げるのも悪です。
だから、やりたいこと、好きなことを堂々とやればいいんだ!と思える。そして、人のやりたいことを邪魔しようなんて思わない。
この善悪の定義がしっかり理解できただけでも『エチカ』を読む意義はありますね☆

番組でも言われていましたが、善悪の定義って「していいこと・悪いこと」ととらえがちです。
だけど、それは親や先生、周りからの刷り込みに過ぎない。周りの価値観を頼りにしていると、自分がいつまでも表に出てこられない。
しかも、周りの価値観っていうのも定義のしようがないような。。

そんなふうに人生過ぎていくのってもったいなくないかな。

だから、スピノザ先生がバシッと善悪についてこうですよと言っていることにノッてみるとちょっとものごとの見え方が変わってくるというかね^^
哲学って面白いです。

ちまたには生き方に関するハウツー本がたくさんありますが結局のところ、原石は哲学にあるんでしょうね~。
手元に置いておきたい本です。本屋さんで取り寄せちゃおっかな☆




Comment

欲しい本が品切れです

2018-12-07 05:50:39 | 
スピノザ著『エチカ』を読んでみたい。
書店に行ってみたけど、ないのです。
大型書店にある書籍探索機で調べてみると、在庫×の取り寄せ扱いになっていました。
ちょっと難しい本だし、取り寄せてもらっている間に気持ちが覚めちゃうかもしれないと思い、amazonで見てみることにしました。
すると、amazonでも品薄状態です。
中古本も新品で買うのと同じくらいの価格ですし、新品は配送料を含めるとけっこうなお値段になります。
現在、出版社の方で重版してないようです。
Kindle版なら入手できそうですが、私は電子書籍は持っていないし。

読書好きの友人が話していたことを思い出します。
「本は絶版になっちゃうこともあるから」。
興味のある本は買って読もう。

『エチカ』は図書館で探してみよう。
Comment

本の読み方が変わりそう

2018-10-22 06:05:41 | 
言語学の勉強に四苦八苦しています。
テキストに出てくる言葉がわかりそうでわからないから。
言葉の研究は、科学のそれと違って答えが一つではないし、仮説がたくさん出てきて、わかりそうでわからない言葉の説明のオンパレード。
自分の感覚や経験にひきつけて理解できたらいいんだけど、私の感覚が研究者の感覚に近いわけでなく。そりゃそうだ、そんな感覚を持っていたら私も今頃は学者だよね。経験だって…。

だから、「はい、そういうものなんですね」ととりあえず素直に読み進めることにしました。
字面を追うだけの読み方はツライ。
でも、ひとつひとつわかろうとしていたら、それこそ投げ出してしまうでしょう。
完璧主義をやめて、2回でも3回でも読めばいいや☆とゆるっと向き合うことにしました。
ただ、自分の感覚のひきだしを増やす機会をつくろうとも考え、教科書や授業で配られるハンドアウトに載っている参考文献にあたってみるのはどうかと考えました。
そこで、図書館へ行ってきました。

図書館には参考文献として挙げられている本はあまりなかったけれど、今私を悩ませている問題を解決してくれそうな本をいくつか見つけ、借りてきました。

いちばんヒットしたのは『チョムスキー入門』。
チョムスキーの唱える生得主義、そしてそれを説明する原理だの、パラメータだのいう言葉がぜんぜん実感が伴わなかったのだけど、この本を見たら、だいぶ理解可能な範囲に収まってきたような気がする!
この本、すべてのページに写真やイラストがあって、チョムスキーが主張することがコラージュしてあるんです。
彼がどんな顔をしているか、彼が主張していることがどんなイメージなのか、具体像があることでかなりの助けになります。

ところで、このノーム・チョムスキー氏。
かれは1928年生まれで、現在もMITマサチューセッツ工科大学の名誉教授でいらっしゃるとか。
とても興味深いのは、言語学者としてだけでなく、社会評論家としても有名であるということ。

私は知りませんでした。言語学を勉強しなければ永遠に知らなかったかもしれない。
そうなんです、いくら世の中便利になって分厚い百科事典を所有していなくてもインターネットさえあればなんでも調べられる、と言っても、その単語を知らなければ糸口がないんです。


もとい。『チョムスキー入門』のなかで「う~~む」となったところを抜粋いたします。

  バベルの塔は聖書の中で、言語によって分けられた人類を象徴しています。
 しかし、むしろ言語の違いは豊かさの源泉であって、必ずしも苦しみや混乱の原因ではありません。
 むしろ、争いは、集団アイデンティティやショービニズム(狂信的排他主義)など別の要素によって引き起こされます。


ここ数年で世界が変わってきたのはまさにこれだと思うのです。

そして、この文章の次にコラージュされているコメントがこれ。

  遍文法が適切に理解されるなら、人類と言う種が圧倒的な共通点で結ばれていることを理解するのに役立つな。



そうですか☆じゃあ、また頑張って「普遍文法」の理解に励むわ!!

チョムスキー氏は数多くの本を書いています(というか、彼の名前の本、いわゆる対談形式や講義形式の本もたくさんありますが)。
社会評論家としての著書もとても気になるところです。

Comment

没頭できて良かった。

2018-05-27 19:56:20 | 
先日『1Q84』を読み終わりました。
最後はきっかりハッピーエンド、とはいかない感じがよかったと思います。
物語の途中、かなり没頭しました。

村上春樹氏はこの世の中のわけのわからなさを描きたい方なのでしょう。
現在読んでいる『ねじまき鳥クロニクル』も、『1Q84』と角度を変えてわけのわからない状況に主人公を引きずり込もうとしているみたいです。

実際、この世の中は小説ほど極端ではないにせよ、思うようにはいかないことのほうが多い。
いや、むしろ、ほんとは筋が通っているのかもしれないけど、人それぞれの性格や考え方、都合なんかがその人の世の中の見え方にバイアスをかけてしまうのかもしれません。

そうしているうちに、その人なりのわけのわからない世の中に迷い込んでしまうのかな。

『1Q84』の世界から1984年に戻った青豆と天吾。でも、戻ったつもりが第3の別の世界かもしれない、なんて、皮肉な終わり方ですが、それが真実なのかも。
ちょっとヘンがほんとの姿。
ラストにすべて総括されるのではなく、途中途中で「ふむふむ」「なっとく」な部分がありました。
その部分は人それぞれで、解を見つけるのは読者にゆだねているのでしょう。

世の中がどうだ、こんな世の中だから・・など、よく言われることではありますが、そんなことではないっ!どんな世の中でもどう生きるか、そこなのですね。村上氏が言いたいことは。

そんな風に思いながら『ねじまき鳥クロニクル』を読み進めております。
Comment

大事に大事に読んでいます

2018-05-14 14:37:49 | 
日本から持ってきた持ち物。
そのなかに読みかけの小説『1Q84』の5、6もあります。


持ってきても、忙しかったりそんな気になれなかったりで結局読まないかもしれないと思っていました。
でも、持ってきて良かった。
ガラリと気分を変えて没頭できるものがあるのは、いいことです。
気分転換がはかれるし、リラックスできる。

読む時間はいつも、夜寝る前。
ベッドに入ってから瞼が重くなるまでです。

物語もいよいよ終わりに近づいてきました。

牛河さんも”説得”されてしまったし…。

牛河という登場人物は、
頭のいい人なのに、外見が奇妙で人から敬遠されるのだけど、むしろ本人はその方が安心できる。
頭のいい人なのに、世の中の表通りを歩けない人生。
そして、頭がいいからこそ、”説得”されてしまう。

そういう人もいるんですね。
いえ、小説の中だけかもしれません。もしかしたら、実在するかもしれません…。

でも、私がよく知っている人は
外見はナイスだけど頭がよくなかった。
外見がナイスだから好感はもたれるけど、本人は心のどこかで不安があった。自信がもてなかった。
だからいつも心のどこかにさみしさを抱えていたと思う。
頭が良ければ。せめて子どものうちに一つでも多く知識を蓄えていたら、不安を乗り越える知恵もわいてきたかもしれないのに。
弱い自分を律して、ちがう自分になる勇気を持てたかもしれないのに。

その人は自分がどんなに素晴らしい宝物を持っているのかを自覚しないで自らを放棄してしまった。

そんな人もいました。

そんな風な人生を歩むと神様の予定表には記されていたんでしょうか…。

人が生きるか死ぬかは紙一重。

小説にはそんな表現が出てきます。

私だっていつどうなるか。
今までだって、すごくすごく危うい一瞬があったかもしれない。
これからだってどうなるかわからない。

本を読んでいると、ストーリーから外れていろんな思考の小路に入り込むこと、よくあります。


Comment