日本語の授業で「日本語を話す」会話をするための教材をつくる、という課題が出ています。
日本語を学習するのは、日本語を母語としない圧倒的に成人です。具体例をあげると、留学生。
日本で勉強するためにビザをとって日本にやってきたわけですから、それなりの学力があります。でも、まだ日本を話せない。
そういういろいろな国から日本にやってきた留学生たちが20人集まっている教室で行われる授業を想定する、ということも課題の条件に入っています。
発表日が近づいており、ほぼ完成しました。あとは発表の時みんなにわかりやすく伝えられるように練習すること。なにより自分が自分の作った教材を熟知しておくこと。発表した後、みんなからの質問と先生からの質問や指摘があるのです。
先日、発表を終えた人たちはかなり参っていました。質問されること=ダメ出しされることという感覚があるようです。・・・うん。わからなくもありません。でも、それ以上に怖いのは関心が向けられないことではないでしょうか。
一生懸命考えて作ったものなのに、それに対して何の反応もなかったら…。私だったら悲しいなぁ。。
質問があるということは2つパターンがあると思うのです。ひとつは単純に説明がわからないから、もうすこし説明してくださいというもの。そしてもうひとつは、説明はよくわかったけれど、こういう場合はどうなりますか?というような、質問者が自分の感覚に引き寄せて考えた結果でてくる疑問。
二つ目の疑問要素が強い質問は手ごわいけれど、こういう質問が引き出せる発表者の教材はオリジナルのアイデアが盛り込まれていて興味深いものでした。11名の発表者がおられましたが、私は2人の発表者に対して質問しましたよ。「もっと知りたい」と思わせる素敵な教材でしたから☆
ところで、その課題やテスト勉強、その他もろもろ忙しくしていると、猫を飼っている仲間が「うちの猫に(作ったものに)おしっこかけられたー」と言うのです。たぶん、ヤキモチを焼いたのではないかと。忙しくてかまってあげられない日が続いているんですね。動物は正直です。人間だったら、「わたしと勉強とどっちが大事なのよっ!」と詰め寄られる、あのパターンですね^^;
どちらも大切です。
人間はたくさんエネルギーを持っていて、その人をとりまくいろんな環境があります。「どちらか」なんて言えないなぁ。。
「どちらも」「どれも」「ぜんぶ」大切なんです。
そして、大切なものをさらに優先順位をつけて「今なにをすべきか」と考えています。
あ~~、それにしてもやることがたくさんあって気が休まらない。あとひと月、かなぁ