散歩者goo 

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昨日記140409水(小保方氏の記者会見  ジム・筋トレ)

2014年04月10日 12時18分46秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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昨日午後からSTAP細胞問題で、小保方晴子氏の記者会見が2時間半にわたって行われ、TVでも、中継で報道された。
私も食後、その記者会見を見ていた。
その直後から、専門家やジャーナリスト・評論家から様々な意見が出された。
今朝の、情報バラエティーや新聞も含め意見の傾向を見ると、収束していないという感じだった。
科学者の立場からすると、論文作成上の問題点に対する疑義は晴れないというのが、実情だろう。
科学に係わらず、文科系も含め、論文にはオリジナリティーが求められ、コピペは論外だ。
コピペと引用は違う。
学術文献(本も含む)の場合は、引用や参照は、必ず末尾に出典を記す。
それをしてなければ、剽窃、盗用ということになる。
画像は、その実験に使われていない画像も使用されていることが問題視されているが、科学的な論文では当然問題視されるのだろう。
挿入した画像に区切りのラインを入れ注釈すれば、問題は無かったという話しも出ていたが、100%の厳密さを求められる学術論文に於いては、問題と判定されても仕方ないだろう。
会見後のマスコミの議論の中で、200件も再現できたという話を疑問視する専門家もいた。
多分その専門家の考えでは、STAP細胞が万能細胞であるという証明を含めて、初めて1回の再現が出来たと考えるのかもしれない。(万能細胞である証明が無ければ<マーカーのみでは不十分?>再現にならない。?)
又、その細胞が、幹細胞ではないものからSTAP細胞になったという証明も必要かもしれない。
一方小保方氏の話は、万能細胞を示すマーカーが現れたことで、STAP細胞が出来たと表現している可能性があるのではないかと私は想像している。

そのような細かな定義づけを合わせて議論しないと話が混乱する。
STAP細胞の議論は、高度に専門的な話も入るので、科学的な手法とかの話は理解できるが、更に専門的な話は我々素人(他の科学技術分野も含め)の理解できる範囲を超えるので勝手な憶測は止めよう。
ただ、専門家の人たちは、この問題を素人にも分かりやすく説明して欲しい。

バラエティーの中の対話で気付いたことだが、文科系の人は、科学アレルギーのようなものがあって、やたら理工学系の人たちは文科系には理解しえない特別の議論をしているふうに扱っているが、それは間違いである。
理工科系といえども、物理、化学、数学、医学、生物、各種工学・・・それぞれの分野の研究スタイルは全く違う。
当然論文のスタイルも違うだろう。
だから、理工科系の中でも、分野が違うと全く分からないことが多い。

ただ考え方の基本は、科学的手法ということで、科学的な真理は、再現性があるということだけである。
再現性の無い学説は間違いで、再現性のある学説は真理である。
ただしその学説の論証過程も100%再現性が無ければならない。
学説で、間違いでも真理でもない状態や仮説は、今の学問レベルでは分からない(証明できない)ということになる。

今回の問題をきっかけに、人々の関心が科学技術に向くのは、いいことである。
ただし、学問的な議論と、感情論や情緒的議論とは相容れないということは理解しておく必要がある。
いくら本人が努力し、世間で言う悪意が無く、200回STAP細胞(マーカーのある細胞?)ができても、そこに科学的厳密さが無かったり、マーカーの細胞を1つ作るたびにその実験(手順がら結果と評価まで)を文書化(記録)してなければ、単なる物語でしかないのであり、実験記録が無ければ物語(実際に作ったという事実)が科学的に正しいと証明する手立てはないのである。

これから、この話がどう展開するのか全く予断できないが、この後に続く理工科系の人達に、いい教訓を与えたと思う。


さて、昨日は、小保方氏の記者会見を見た後、ジムに行き筋トレをした。
一昨日、時速9.8kmで約5km近く走っているので、足の疲労が気になりインタバル練習は行わず、上半身の筋トレのみをおこなった。
トレーニングを終えて、ロッカールームでよく見かける人と一緒になった。
その人(A氏)はトレッドミルで、かなりのスピードで走るので、以前から気になっていた。
そこで、初めて声を掛けていろいろ質問した。
A氏は、40代でジムに通い、現在60代半ばで、現在時速10.5から10.7km/hで走っているという。
どうりで速いはずである。
今からでは、私がいくら時間をかけてトレーニングしても、とても時速10.5kmで走れないだろうと思っている。
それでも、今年中にはなんとか時速10kmを超えたいと願って奮闘している。

帰宅後、天満橋の書店に出かけた後、カフェで読書した。
書店では、カルロス・クライバーのベートーベンの5番と7番が収録されているCD付きの本を買った。
この本は、シリーズ物の第一巻の特別価格で800円と安い。(クラシック プレミアム)

どちらの曲も、最も好きな曲の一つで、5番を聴くと背筋が伸び、体に芯が入るような気がして若いときのロマンチシズムが体の中に充満し、困難や苦悩に負けず前進しようという気になり、芸術的哲学的感性が呼び覚まされる。
7番は、非常に起伏が激しく、特に最終章のリズミカルな音楽のうねりに圧倒され飲み込まれ、生命力がよみがえる気がする。
いずれの曲も、自分の感性が鈍ったなと思ったときに聞きたくなる曲である。
同時に、これらの曲は、指揮者やオーケストラでも表現が随分違う。
以前FMでも放送しており、名演奏だったので、これから時間の空いたときにゆっくりと楽しみたい。

対岸の桜はもう散り始めているが、それでも街灯の明かりに照らされ、桜並木がはんなりと大川端に浮かび上がり、この時期のみの美しい春の夜を味わうことが出来た。
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