散歩者goo 

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ケアレスミスと英語嫌いの思い出

2014年04月18日 16時20分01秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
いままで、ブログの日付間違いといった、ケアレスミスをどれだけ繰り返したか。
それでなくても、反省のたびにこの話も何度も書いたが、小学生時代のみならず大人になっても、傘の置き忘れは数知れず親にも怒られた。

ケアレスミスで思い出されるのは、中学時代の英語である。
私が英語嫌いになったのも、ケアレスミスに関連している。
というのも、中学1年生の時の担任は英語の先生だった。
ところが、中学入学時に学校から学級委員に指名されたのに、その後の成績が悪く、ましてや担任の担当科目の英語が特に悪く、ほとんど誰も間違うようなことの無い問題まで間違えていた。
例えば、冠詞のaやtheを常に忘れたり、複数名詞のsをつけなかったり、単語を覚えなかったりといった調子で、英語の点数だけが極端に悪かった。
担任はかんかんに怒って母にも父兄面接の時に苦言を言っていて、母からもしかられた。
挙句の果て、難聴が原因かもしれないので聾唖学校へ、転校してはどうかとまで言い出した。

私は乳児の頃に慢性中耳炎になり、右耳の聴力がほとんどなくなっていた。
しかし生活には、全く支障が無く、当時クラシック音楽に絡んだラジオドラマの影響でクラシック音楽が好きになり、中学2年生の頃から、音楽は5の成績を取ることが多く、音楽を聴いていて、ピアニッシュモの曲を聞き取るのに不便を感じたことも無い。
即ち、実生活でも右耳の聴力が悪いため、英語が聞き取れないということは全く無かった。
それ以降も私の右側で話をされるときや、音の方向を探るとき以外は、実生活になんら支障も無い。
ましてや聾学校転校の勧告なんて、何でそんなことを言うのか、想像できなかった。

しかし、そういうことがあっても、ケアレスミスは治らず、なかなか英語が分からないという思いは治らず、他の教科と比べ英語だけが2か3だった。
それでも、2年生以降は、覚えないと仕方ない思い、勉強して英語は、3レベルになった。

当時、英語が苦手になるには、それなりの理由があった。
英語以外の教科は、すべて考えれば正解にたどり着け、その理由がはっきりしていた。
しかし英語は、理屈も無く単に覚えるだけで苦痛だった。(国語の書き取りも同様)
例えば当時、英語に関しては、なぜ「a」とか「the」とか複数の「s」がいるのだろうとか、「be」動詞になぜam,is,areがあったり、その意味とか、「have」の意味は何だろうとか、なぜ一つの単語でいろんな意味があるのだろうかとか、つまらぬことを考えていた。
更に、単語を並べれば凡そ意味が分かるので、少しぐらいの間違いはいいのではないか、と本気で思っていた。
今から考えればバカみたいな話だが、英語も理科、数学と同じように考えて、得られる筋道の通った正解が欲しかったのだ。

当然のことだが、当時中学生の私は、哲学や構造といった考え方は全く無かったので、文法構造の持つ約束事が、人類の間で自然発生した意思疎通・表現のための法則・構造であるといった考えは全くなかったが、そうしたことを知っていれば、多少興味が沸き勉強したかもしれない。
(英語は様々な言語が交じり合って成立していて、言語学上、歴史や文化人類学的な要素が絡む。民族的にも歴史時代以降もアングロサクソンの形成からそれ以降も多く血と文化が交じり合っている。<ケルト ゲルマン ノルマン・バイキング>)

そんなわけで、英語もすべて一つずつ日本語に置き換えて直訳すると、日本語になるのではないかという誤った幻想を持っていたのと、暗記が苦手だったので、いつまでたっても英語だけは、成績が悪かったという、ケアレスミスに絡む英語に対しての悪い印象がある。

ケアレスミスの話のついでに、新しい昔からケアレスミスが多いという言い訳が加わってしまったようだ。
ただ、このようなケアレスミスは、加齢の影響がどの程度加わっているのか、私も分からない。
人の名前を覚えられないし、良く忘れるのも加齢ではなく若いときからである。
そのため、営業系列の仕事には就きたくなくて、技術系を選んだ。

だが、不思議なことに人の名前や遺跡名や様々な固有名詞が山のように出てくる、考古学や古代史が私の主な趣味の一つで、様々な考古学、古代史の人名・遺跡名や固有名詞を数多く覚えているし、又覚えていなければ学術誌は読めないし、読んでも分からなくなる。

英語も40代で英語留学したときは、それなりに読み書きできるようになっていて、大学に入学することは考えていなかったが、もう一がんばりすれば、留学先の英語学校併設の大学にも入れる程度までは英語の読み書きが出来ていたので、自分が思っているほど、記憶力は悪くないと思うようになった。
(その後十数年間英語に全く触れなかったので、いまや小学生低学年の英語力になった。)

近年脳科学の発達もあって、記憶に関連することもいろいろ分かりだした。
そうしたことも合わせて考えると、私のケアレスミスは、海馬の関係する短期記憶力とかの問題ではなく、注意力の問題かも知れないと思っている。
私の場合、特に大きなことや興味があることに関心が集中すると、それに集中して、別のことを忘れてしまう傾向がありそうだ。
その場合記憶が無くなったのではなく、記憶は残っているが、必要なときに思い出していなかったのである。

昨日記の日付の間違いは、前の文書の冒頭のコピペをやったときに多く発生している。
ブログを書くときは、基本的にすべてオリジナルで、コピペはしないし、他人の文章を引用しなない。(引用するときは明記している。)
ところが、冒頭のタイトルや日付や気温といった、定型的なものだけは修正して使う。
たまに修正を忘れケアレスミスになるのだ。
コメント

昨日記140417木(ケアレスミス ランニング失敗・筋トレ )

2014年04月18日 11時57分00秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 24.2/12.6℃
昨日は、昨日記の日付を間違えていた。
このようなケアレスミスは、私のブログの信頼性を多いに損なっているだろう。
いままで、日付間違いといった、ケアレスミスをどれだけ繰り返したか。
それでなくても、反省のたびにこの話も何度も書いたが、小学生時代のみならず大人になっても、傘の置き忘れは数知れず親にも怒られた。
又、私が英語嫌いになったのも、中学1年生の時の英語テストで繰り返されたケアレスミスが原因でもある。
このようなケアレスミスは、私のブログの信頼性を多いに損なっているだろう。
これに関連したことを、後のブログに掲載する。

夕方からジムに出かけた。
火曜日から3連続のジム通い。
火曜日のランニングは、本当に苦しかった。
その上、16日は夜、インクルーシブ・カフェにも参加し、夜11時前の食事となった。
更に16日は、インタバルで時速13kmの限界速度で何度も走ったので、足が疲れていないか心配だったが、家に居る範囲では、足の疲労は感じられないので、ジムでランニングしても大丈夫だろうと、判断した。

ところがいざ走り出すと、数分で足が急にだるくなり、5分で息が上がり走るのを止めた。
明らかに昨日の疲れが出ているのだ。
その後筋トレをしたが、筋トレは問題なく終えた。
足に関しては、15日に限界近いスピードで約5km走り、筋肉にかなりの負担をかけていたので、筋肉が疲労し回復していないのが、足のだるさに現れていると思った。
息の上がる問題についが蓄積したため弱り、うまく機能していないと想像している。

筋肉や臓器は、トレーニングしても一気には強くならない。
時間をかけて、徐々にバランスをとりながら、時にオーバーワーク目のトレーニングの後は、しっかりと疲労を取り体力を回復して、再びトレーニングするのがいいのだろう。


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