自選ブログ集の「哲学・・・・」のタイトルを強調する作業の過程で『怠惰の原因と目標・動機付け(「やりがい」「いきがい」)』を読み返していた。
確かにこのブログを書いた覚えはあるし、当時よく怠惰に悩まされその原因を真剣に見つめ直し、怠惰を克服する意味で書いた。
今も同じ状況が再三起きているが治っていない。
このブログを書いたことは忘れていて、今読み直して当時の状況がよみがえってきた。
正しい分析をし、正しい解決策を提示していると思う。
にもかかわらず、6年前に考えたことをすっかり忘れ、相変わらず成行き生活を繰り返しているのは、なぜだろうと考えている。
ところで、この状況を一般の独居老人としてあてはめて考えると、独居老人で他者と接する機会がほとんどない場合、何もしなければ自分で健康寿命を短くする結果になると考えている。
具体的に言うと、隣近所と付き合いの薄い独居老人の場合、引きこもりになっても誰も心配しないし迷惑もかけないので、近隣から気に掛けられる(心配したり注意して見守ったり声掛けしたり)ことはなく、その気になれば都会の片隅でひっそりと陰に隠れて、買い物やゴミ出し以外は、家に引きこもった状態で生活できる。
特に、近年近所付き合いや地域活動(町内会等)といった結びつきが希薄になっているので、一層引きこもりが容易になる。
(無論私にはそうした気持ちはない。)
そうした独居老人がうつ病にでもなり引きこもり願望が強くなれば、そうしたことが一層現実に可能になる。
引きこもりになり他人との接触がほとんど立たれると、運動不足で健康障害が発生する可能性があり、健康障害の為運動しなくなる、といった負のスパイラルが発生し、健康寿命を短くすることになる。
こうしたことを自発的に防止するのが、承認欲求であると思っている。
引きこもりは、本人の内面問題であり、本人に承認欲求がなければ他者や社会への関心も無くなり、他者との交流や係わる意欲が無くなり引きこもりとなって、それに伴い人間としての本能的活動意欲も薄れると考えられる。
引きこもりにならない為の周囲の積極的支援(おせっかい)も必要であろう。
ここでいう承認欲求は、他者承認のことである。
私は、今まで他人から自分を認めてもらう欲求が自己承認欲求と思っていたが、それは間違いのようだ。
心理学的には、承認欲求には、他者証人と自己承認があるという。
他者承認とは、他人から認められたいという欲求である。
自己承認とは、自分の存在が、どれだけ理想とする自己像に近いか、又は、今の自分が満足できる状態に近づいているかをいう。
承認欲求が有効に機能するためには達成感が不可欠である。
即ち、承認欲求が動機づけであり、承認欲求を満たされることで達成感が得られ、自己満足し次の承認欲求への意欲(動機づけ)がわくものと考えられ、こうしたことが日々生活の中で積み重なりプラスのスパイラルとなって、活力のある日常生活が送られているものと考えられる。
逆に承認欲求が満たされなかったり否定されたりすると、達成感はなく失望感、挫折感を味わい、その時性格的に慎重な人(生まれつき及び後天的環境により形成された性格)は、そうしたことがトラウマとなり新たな承認欲求=意欲が失われる可能性もあると考えられる。
楽天的な性格の人は、失敗してもトラウマになることなく別のことを考え、先に述べたように新たな承認欲求を満たすこと(新たな動機付け)を考えると思われる。
ところで引きこもりは、孤独の結果自分の意思の有無にかかわらず他者との交流を絶った状態で、自動的に社会との交流も絶った状態となる。
独居老人というのは、一人暮らしではあるが、他者との交流や社会との交流の有無は人により違う。
逆に親族や他者と同居していても、親族や同居人との交流すらほとんどない老人もいると聞く。
そういう意味で独居老人だから孤独とか、同居人がいるから孤独でないとは言い切れない。
こうした問題を構造的に見た場合、引きこもりは、独居老人のみならずあらゆる世代の共通問題である。
近年では、若者のみならず中高年の引きこもりも注目されている社会問題である。
引きこもりは孤独と共通のものであるが、引きこもりはその状態を継続している状態を指す。
今まで孤独と引きこもりの関係を考えたが、孤独とは他者との関係がない状態を言うが、自分の意思で孤独になる場合もあれば、他者との関係で孤独になる場合も有、時間的経過は問わない。
引きこもりは、孤独が継続している状態である。
よく似た言葉に、孤立がある。
孤立は一人だけの状態であるが、自分の意思にかかわらず切り離された状態を指す場合が多い。
そういう意味で孤独と孤立は違い意味を含んでいて、人間が孤立した状態というのはより一層支援が必要かもしれない。
即ち孤立の場合は、本人が他者との交流(承認欲求有)を求めていてもそれを拒否されている場合も含むのだ。
いずれにせよ、孤独・孤立・引きこもりの人に対しては、周囲からの積極的働きかけ支援が必要であり、支援が受けられなければ、孤立・孤独・引きこもりの人達は、精神的肉体的に不健康になりやすく負のスパイラルに陥ることになるが、こうしたことは社会的に見ても負担増になることは間違いなく、本人にとっても社会にとっても不幸なことである。
それ以外に孤独・孤立・引きこもり予備軍の人がいる。
すべての年代において、社交性の強い人から孤独な人迄様々な社交性の人が分布していることは、容易に想像できる。
孤独に近い人たちの中には、孤独・孤立・引きこもりの対象者ではないが、社会とある程度係わりを持っているが(仕事をしている、遊び仲間がいる、団体に所属し活動している。)うまく適応できない人もいる。
特に老人の場合、知的肉体的能力の低下に起因するものや病気が原因の孤独・孤立・引きこもりも多いと想像される。
そういう意味では若者からミドルまでの人と高齢者とは、孤独・孤立・引きこもり対策は、共通部分もあるが違ってくることも多い可能性がある。
これから高齢者の、孤独・孤立・引きこもり対策について考えていきたい。
今後まとまり次第投稿する予定だ。
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