昼から梅田の家電量販店に行った。
8月27日の夕方に仮契約した通信会社からの契約書類が届いたので、キャンセルするためだった。
家電量販店に行ってみると、売る場の様子が全く変わっていて、契約した通信会社のブースがない。
驚いてその上下の階も探したがない。
別の通信会社の担当者に聞くと、月末で撤収したという。
NTT傘下のプロバイダーであり通信回線の大手のはずだ。
NTT系列は、NTTやドコモやOCNがあって紛らわしく、それぞれで各会社の商品を販売している。
最近ドコモとNTTは一体化したが、ドコモは盛んにスマホ回線をせんでんしているし、NTTはフレッツ光を宣伝していて、OCNもOCN光を宣伝している。
8月下旬に家電量販店のブースにはOCNのブースがあった。
スマホがOCNのシムフリーを使っているのでOCNに一本化するとどうなるのか相談したのだ。
ところがOCNシムフリーのキャリアはドコモであり紛らわしい。
8月下旬の相談では、とりあえず契約してくれという。
その後、工事見積に行くという。
そうして月曜日には、早々とOCNからの書類が届いたが、工事金額その他も決まっていないので、それなら一旦解約しようと思った。
更に前回相談の際、OCN担当者の名刺ももらっていないし、説明に使った金額の概要を書いたメモすらもらっていないし、工事日程も未定なので、そうしたことも含め、一旦解約したうえで正式に決めようと考えていた。
しかしこの日、家電量販店に行き前回相談した場所に行くと、OCNのブースはなくなっていたので、
別の通信会社の担当者に話を聞くと、工事見積が出てないのであれば、見積もりに来た時点でキャンセルできるという。(契約ということであれば重要な要件がないので、当然だろう)
8月の説明では、工事代金は数万円で、工事完了後それ以上の金額の家電量販店の金券が発行されるという話だった。
とにかく、交渉相手がいないのでは話にならないので、帰ることにした。
この話には、家電量販店の金券の話もあるので、家電量販店でもフォローしてほしかった。
とりあえず、OCNからの連絡を待つことにした。
帰宅時、家の近くのファストフードに寄り読書した。
その後、ファストフードから交番に出かけた、
実は、この日家から梅田に出かける前に初めて、前日に財布を落としたことに気づいた。
すぐに、前日夕方に行ったいつも行くファストフードで落としたことに気づいた。
ファストフードに確認の電話を入れると、確かに財布の遺失物があったというが、その日のうちに私が取りにいかなかったので、交番に届けたという。
そこで警察署に確認したところ、交番で預かっているという話だった。
警察との打ち合わせで、夜8時過ぎに取りに交番に行くということで話がついた。
交番に行くと、そんな話は聞いていないという。
そこで事情を聴かれ、交番から本署に連絡してもらい、私がファストフードから一番近い交番に誤っていったことが分かった。
小学校の校区内にある交番は初めに行った交番だったので、てっきりその交番と勝手に勘違いしていた。
最初に行った交番で、様々な書類の手続きをしてから、財布が届けられた交番に向かった。
ファストフードから財布を届けた交番は母校の中学校の入り口の前にあった。
私が中学校を卒業した時には、交番はなかったし、その地域は別の小学校の校区だ。
しかし、交番には私が卒業した小学校と同じ校区の名前がついていた。
巡査に聞くとこの交番は出来て30年以上になるというが、私が中学校を卒業したのは、60年以上前だ。
私は母校の中学の確か3回生で、当時は非常に荒れた中学校で先輩たちは、少年院に行ったものもいた。
他の中学校との間で、やくざ並みの喧嘩があり、警察が出動したこともあった。
しかし、学校ぐるみで進学の補習授業をした成果が表れ、私たちの同期生が公立私立の有名校に大量に進学し、大きな話題になったそうだし、我々も驚いた。
当時、普通高校に行きたかったのだが、経済的理由で工業高校に行かされ、非常に悲しい思いをしたことを思い出す。
そのため中学3年生の後半は、勉強に身が入らず受験勉強らしいことをあまりしなかった。
というのも、勉強机は今私がいる3畳の間の兄のものしかなく、私は昔の小さな和机(高さ50cm程度)を使い畳に座って居間で勉強するので、勉強らしい勉強はできなかった。
(居間には父母がいて、母はこうもり傘張りの内職をしながらテレビを見ていた。)
同級生たちは、みんな塾通いもしていて成績がどんどん上がっていくのを横目で見ながらうらやましく思った。
我が家では、普通高校は大学進学するものと決めつけていた。
私は大学も行きたかったが、経済的理由で反対された。
当時の私には、普通卒業後、親の援助なしで大学に行く手立ては思いつかなかったし、相談相手もいなかった。
むしろ、親父は田舎の実家に住むか、別に家を建てて船を購入し、親子で漁師をするのが夢だったようだ。
親父の生家には、当時だれも住んでいなかった。
おじさんは、我が家の近くで、優雅に年金暮らしをしていた。
親父の実家は、網元をしていたのでそうした思い出が残っているのだろうし、田舎に帰れば幼馴染の漁師達たちがいるので、簡単に漁師を始められると思っていたようだ。
私が中学生のころから、盛んに父が漁師にならんかと言っていたが、私は相手にしなかったが、高校進学を控え不安定な気分だった。
母は(父親と同じ県の出身で、当時としては珍しく、親の看病のため女学校中退、<田舎では女学校進学自体が珍しかったらしい。>していた。)私の考えを尊重し、父親ともめていたようだが、母は大阪に残るということで、必死に抵抗したおかげで私は高校進学できた。
当時高校進学率は母校の中学では6割程度のように記憶しているが定かでない。
全国平均では、もっと少なかったと思う。
高校受験では、公立校が優先され、滑り止めとして私立を受験するのが普通だった。
友達たちは先に私立を受験し、合格者が次々と出ていた。
私のように公立の職業高校(工業・商業)を受験する者の中には、私立と併願なしの者もいた。
当然、私は卒業した工業高校一本で受験し、失敗すれば中卒で就職ということになった。
受験する工業高校は新設校で、しかも大阪府内全域からの募集だった。
受験レベルは、全く不明のまま受験対策もほとんどせず、ある意味準備せず受験したが、合格できた。
中学校では、進路はどこに行ってもいいということで受験相談にはほとんど乗ってもらえなかった。
皆真剣に先生と進路相談しているのに、取り残されて不安だった。
受験勉強らしいものもやっていないので、模擬テストの順位は徐々に落ちていった。
高校に入学したときは、中卒で働かなくてもいいということでホットしたが、普通高校に行きたかったので、嬉しいという感覚は全くなかった。
高校入学後も、勉強になじめず力が入らなかった。
高校では、極端に成績が悪くなると勉強し、クラス内の順位を上げるという繰り返しで、とてもクラス内の中の上までは行けても、上位には行けなかった。
同級生の中には、貧しくて成績優秀なものも多くいて、校長?が支援し、工業高校でありながら、1割程度が大学に進学した。クラスメイトで阪大工学部にストレートで入学したK氏は、一度大手電機会社に就職後、いろいろあって退社し、一般公募で大学の教官になり定年退職しているが、彼は、博士論文を審査する人を審査する役職を文科省から、委託されていた、という話を聞いた。
変わっているのは、大学受験したものの中に、文科系の学部に入学したものも多かったことだ。
それ以外にも、就職後国立大学の原子炉関係の助教になったり、国立大の音響施設長をした者もいて多くの論文の共著に名前を連ねていて、研究成果が海外でも引用されている
と言っていた。
私は、高校で勉強していない分、サラリーマン時代には専門分野についてもよく勉強しそれなりの実力も付けたと思っていた。(今も科学技術・工学には非常に興味がある。)
就職試験では、同級生はほぼ全員志望する会社に合格しているが、いろいろ私自身の面接の手違いや先方のミス(片耳難聴は不可)もあり志望した会社には行けず、先生からも不思議なのでその理由を聞かれた。
その後学校から紹介された町工場を受験することになった。
町工場なのに受験生がいっぱいいるのに驚いた。
受験時町工場は嫌なので、胡坐を組んだりわざと態度を崩していたが、当時町工場のタバイ製作所に合格した。
すぐに高校に、あの会社にはいきたくないといったが、代わりの会社は推薦しないといわれ、あきらめた。
いつ辞めてもいいと思いながら働いていた。
入社後、半年ほど現場を一通り経験し、設計に配属されたが、残業は多く単調な作業で嫌だった。
当時の、上司はこの会社に在職しながら夜間大学出た若者が多かった。
技術部長の粟野氏は、現役の航空機工学の大学教授だった。
ダバイ製作所の発展は、粟野部長なしには考えられないと思っている。
例えば、オールステンレスの塗装なしの本体、鉄骨や木骨なしのモノコック構造の製品、キャピラリチューブによる冷却の採用、PID制御装置の共同開発、加湿装置での純水化(スケール対策)や活性炭の活用、無接点リレーの開発、継電器の各メーカの寿命比較試験、フェイルセーフ設計の徹底・・・・数えればきりがなくいずれも当時とすれば革新的な技術だった。(例えば、浄水器の技術を先取りしていて、当時取引のあった会社が大手浄水器メーカになっている。)
その後多くの先輩たちが辞めてゆき、代わりに大卒の社員が各設計チームの上司となった。
私はこの会社で、技術的にも人間的にも多くの勉強をさせてもらい、10年後に退社するころには大企業の設計者や研究者たちと対等に議論できるようになっていた。
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