散歩者goo 

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昨日記20210905 日()30.8 22.0 69 大雨一時曇

2021年09月13日 16時17分15秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日、プチ断食を予定していたが忘れていた。
昼になって気づいた。
しかし、朝から腹が持たれ気味で食欲がなく、しかも体重が1㎏以上増えだした。
そこでこの日の朝食の副食を抜き、パンに蜂蜜と牛乳と野菜ジュースだけにした。
通常は、これに副食(温野菜=キャベツ、ワカメ、鰹節、鶏胸肉90g、みそ、大根、シメジ、タマネギ、人参、カボチャ、ブロッコリー<鰹節、わかめ、味噌以外は各20g>をどんぶりに入れ水150ccを加え電子レンジ650wで12―15分加熱後+ 120cの水を加え数分加熱する。)が加わる。
昼前に、この日がプチ断食の予定日ということに気づいた。
昼前に散髪に行った。(カットのみで1000円)
最近昼食は、食事関連家事を省略するため、副食をなくし、缶詰、カレー、ハンバーグの3食メニューのローテーションにし、ずいぶん時間が節約できている。
しかし空いた時間有効に使えているかというと、今まで通りなので省力化の意味がなく問題である。
ただ、全体的に副食製造の時間の減少や準備片付けが楽になった。
昼食後町内会の敬老の日の催し物中止や引き換え景品交換の案内を出すための、コメントを作成し、封筒に添付して、該当する家に配布したりするための準備作業をした。
そうしたことをやり終えてからは、ボーっとTVを見たり、昨日記を書いたり、とりあえず必要な副食作りを行った。



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昨日記20210903 金(菅首相総裁選不出馬表明 筋肉疲労)24.1 21.7 92 大雨一時曇

2021年09月06日 18時09分05秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昼前に菅総理が総裁選不出馬を表明し、TV報道や情報番組はこのニュース一色になった。
このニュースを受けて、記録のためブログを書いた。
前日の予想通り、この日は足腰や背筋の筋肉痛や疲労に見舞われた。
筋肉痛はひどくはないが全身の筋肉が披露しているのが分かった。
ネットでコアトレーニングのやり方とか調べた。
ついでに疲労回復について調べると、筋膜リリース関連でフォームローラーの使い方があった。
フォームローラーは筋肉の疲労回復にもよさそうだ。
そこでネットで調べると多くの商品が出てきたので、千円以下の一番安い商品をネット注文した。
この日は終日筋肉痛や筋肉疲労でさえない日だった。

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昨日記20210902 木(筋肉疲労)28.2 22.3 88 雨

2021年09月06日 17時44分03秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昼にジムに行き、コアトレーニングとヒートエクササイズのレッスンを受けた。
この日のコアトレーニングのインストラクターは、いつもジムで受付をしている若い女性だった。初めからいつもと違う状態で、立ったままの左右の手で逆の足のつま先にタッチする体の前屈や、バックランジしながら左右の肘を逆方向の足の膝にタッチする運動や、開脚中腰のままの状態を維持し、左右に移動する運動など、非常に足に負荷のかかる運動を行った。
できるだけ忠実に運動を行ったが、厳しかった。
その後普通のマット上での腹筋運動に戻ったが、すでに足腰の筋肉は非常に疲れていた。
コアトレーニングの終了後の15分後からスクワット中心のヒートEXが始まった。様々なスクワットを繰り返し、前後左右のランジを行った。
まともに実行すれば地獄の特訓になる。
参加者は中高年だが、みんなよくついているなと感心する。
特に中高年の女性は強い。
中高年の男性陣は、スクワットでも少し体を下す程度で、足への負担をかなり軽くしているようだ。
この2つのレッスンでこの日の足は疲労で震えていた。(足が笑う状態)
これから数日間筋肉痛に悩まされるだろうと思った。
(予想は、的中した。)
ジムの帰りにスーパーにより食材を購入して帰った。
夜は、足の疲労を感じながら副食作りを行った。
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昨日記20210901 水(ネット回線の契約 財布の落とし物 中学・工業高校・会社の思い出 )追 32.3 24.7 65 曇

2021年09月05日 20時51分04秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昼から梅田の家電量販店に行った。
8月27日の夕方に仮契約した通信会社からの契約書類が届いたので、キャンセルするためだった。
家電量販店に行ってみると、売る場の様子が全く変わっていて、契約した通信会社のブースがない。
驚いてその上下の階も探したがない。
別の通信会社の担当者に聞くと、月末で撤収したという。
NTT傘下のプロバイダーであり通信回線の大手のはずだ。
NTT系列は、NTTやドコモやOCNがあって紛らわしく、それぞれで各会社の商品を販売している。
最近ドコモとNTTは一体化したが、ドコモは盛んにスマホ回線をせんでんしているし、NTTはフレッツ光を宣伝していて、OCNもOCN光を宣伝している。
8月下旬に家電量販店のブースにはOCNのブースがあった。
スマホがOCNのシムフリーを使っているのでOCNに一本化するとどうなるのか相談したのだ。
ところがOCNシムフリーのキャリアはドコモであり紛らわしい。
8月下旬の相談では、とりあえず契約してくれという。
その後、工事見積に行くという。

そうして月曜日には、早々とOCNからの書類が届いたが、工事金額その他も決まっていないので、それなら一旦解約しようと思った。
更に前回相談の際、OCN担当者の名刺ももらっていないし、説明に使った金額の概要を書いたメモすらもらっていないし、工事日程も未定なので、そうしたことも含め、一旦解約したうえで正式に決めようと考えていた。
しかしこの日、家電量販店に行き前回相談した場所に行くと、OCNのブースはなくなっていたので、
別の通信会社の担当者に話を聞くと、工事見積が出てないのであれば、見積もりに来た時点でキャンセルできるという。(契約ということであれば重要な要件がないので、当然だろう)
8月の説明では、工事代金は数万円で、工事完了後それ以上の金額の家電量販店の金券が発行されるという話だった。
とにかく、交渉相手がいないのでは話にならないので、帰ることにした。
この話には、家電量販店の金券の話もあるので、家電量販店でもフォローしてほしかった。
とりあえず、OCNからの連絡を待つことにした。
帰宅時、家の近くのファストフードに寄り読書した。
その後、ファストフードから交番に出かけた、

実は、この日家から梅田に出かける前に初めて、前日に財布を落としたことに気づいた。
すぐに、前日夕方に行ったいつも行くファストフードで落としたことに気づいた。
ファストフードに確認の電話を入れると、確かに財布の遺失物があったというが、その日のうちに私が取りにいかなかったので、交番に届けたという。
そこで警察署に確認したところ、交番で預かっているという話だった。
警察との打ち合わせで、夜8時過ぎに取りに交番に行くということで話がついた。

交番に行くと、そんな話は聞いていないという。
そこで事情を聴かれ、交番から本署に連絡してもらい、私がファストフードから一番近い交番に誤っていったことが分かった。
小学校の校区内にある交番は初めに行った交番だったので、てっきりその交番と勝手に勘違いしていた。
最初に行った交番で、様々な書類の手続きをしてから、財布が届けられた交番に向かった。
ファストフードから財布を届けた交番は母校の中学校の入り口の前にあった。
私が中学校を卒業した時には、交番はなかったし、その地域は別の小学校の校区だ。
しかし、交番には私が卒業した小学校と同じ校区の名前がついていた。
巡査に聞くとこの交番は出来て30年以上になるというが、私が中学校を卒業したのは、60年以上前だ。

私は母校の中学の確か3回生で、当時は非常に荒れた中学校で先輩たちは、少年院に行ったものもいた。
他の中学校との間で、やくざ並みの喧嘩があり、警察が出動したこともあった。
しかし、学校ぐるみで進学の補習授業をした成果が表れ、私たちの同期生が公立私立の有名校に大量に進学し、大きな話題になったそうだし、我々も驚いた。
当時、普通高校に行きたかったのだが、経済的理由で工業高校に行かされ、非常に悲しい思いをしたことを思い出す。
そのため中学3年生の後半は、勉強に身が入らず受験勉強らしいことをあまりしなかった。
というのも、勉強机は今私がいる3畳の間の兄のものしかなく、私は昔の小さな和机(高さ50cm程度)を使い畳に座って居間で勉強するので、勉強らしい勉強はできなかった。
(居間には父母がいて、母はこうもり傘張りの内職をしながらテレビを見ていた。)
同級生たちは、みんな塾通いもしていて成績がどんどん上がっていくのを横目で見ながらうらやましく思った。
我が家では、普通高校は大学進学するものと決めつけていた。
私は大学も行きたかったが、経済的理由で反対された。
当時の私には、普通卒業後、親の援助なしで大学に行く手立ては思いつかなかったし、相談相手もいなかった。
むしろ、親父は田舎の実家に住むか、別に家を建てて船を購入し、親子で漁師をするのが夢だったようだ。
親父の生家には、当時だれも住んでいなかった。
おじさんは、我が家の近くで、優雅に年金暮らしをしていた。
親父の実家は、網元をしていたのでそうした思い出が残っているのだろうし、田舎に帰れば幼馴染の漁師達たちがいるので、簡単に漁師を始められると思っていたようだ。
私が中学生のころから、盛んに父が漁師にならんかと言っていたが、私は相手にしなかったが、高校進学を控え不安定な気分だった。
母は(父親と同じ県の出身で、当時としては珍しく、親の看病のため女学校中退、<田舎では女学校進学自体が珍しかったらしい。>していた。)私の考えを尊重し、父親ともめていたようだが、母は大阪に残るということで、必死に抵抗したおかげで私は高校進学できた。

当時高校進学率は母校の中学では6割程度のように記憶しているが定かでない。
全国平均では、もっと少なかったと思う。
高校受験では、公立校が優先され、滑り止めとして私立を受験するのが普通だった。
友達たちは先に私立を受験し、合格者が次々と出ていた。
私のように公立の職業高校(工業・商業)を受験する者の中には、私立と併願なしの者もいた。
当然、私は卒業した工業高校一本で受験し、失敗すれば中卒で就職ということになった。
受験する工業高校は新設校で、しかも大阪府内全域からの募集だった。
受験レベルは、全く不明のまま受験対策もほとんどせず、ある意味準備せず受験したが、合格できた。
中学校では、進路はどこに行ってもいいということで受験相談にはほとんど乗ってもらえなかった。
皆真剣に先生と進路相談しているのに、取り残されて不安だった。
受験勉強らしいものもやっていないので、模擬テストの順位は徐々に落ちていった。

高校に入学したときは、中卒で働かなくてもいいということでホットしたが、普通高校に行きたかったので、嬉しいという感覚は全くなかった。
高校入学後も、勉強になじめず力が入らなかった。
高校では、極端に成績が悪くなると勉強し、クラス内の順位を上げるという繰り返しで、とてもクラス内の中の上までは行けても、上位には行けなかった。
同級生の中には、貧しくて成績優秀なものも多くいて、校長?が支援し、工業高校でありながら、1割程度が大学に進学した。クラスメイトで阪大工学部にストレートで入学したK氏は、一度大手電機会社に就職後、いろいろあって退社し、一般公募で大学の教官になり定年退職しているが、彼は、博士論文を審査する人を審査する役職を文科省から、委託されていた、という話を聞いた。
変わっているのは、大学受験したものの中に、文科系の学部に入学したものも多かったことだ。
それ以外にも、就職後国立大学の原子炉関係の助教になったり、国立大の音響施設長をした者もいて多くの論文の共著に名前を連ねていて、研究成果が海外でも引用されている
と言っていた。

私は、高校で勉強していない分、サラリーマン時代には専門分野についてもよく勉強しそれなりの実力も付けたと思っていた。(今も科学技術・工学には非常に興味がある。)
就職試験では、同級生はほぼ全員志望する会社に合格しているが、いろいろ私自身の面接の手違いや先方のミス(片耳難聴は不可)もあり志望した会社には行けず、先生からも不思議なのでその理由を聞かれた。
その後学校から紹介された町工場を受験することになった。
町工場なのに受験生がいっぱいいるのに驚いた。
受験時町工場は嫌なので、胡坐を組んだりわざと態度を崩していたが、当時町工場のタバイ製作所に合格した。
すぐに高校に、あの会社にはいきたくないといったが、代わりの会社は推薦しないといわれ、あきらめた。
いつ辞めてもいいと思いながら働いていた。
入社後、半年ほど現場を一通り経験し、設計に配属されたが、残業は多く単調な作業で嫌だった。
当時の、上司はこの会社に在職しながら夜間大学出た若者が多かった。
技術部長の粟野氏は、現役の航空機工学の大学教授だった。
ダバイ製作所の発展は、粟野部長なしには考えられないと思っている。
例えば、オールステンレスの塗装なしの本体、鉄骨や木骨なしのモノコック構造の製品、キャピラリチューブによる冷却の採用、PID制御装置の共同開発、加湿装置での純水化(スケール対策)や活性炭の活用、無接点リレーの開発、継電器の各メーカの寿命比較試験、フェイルセーフ設計の徹底・・・・数えればきりがなくいずれも当時とすれば革新的な技術だった。(例えば、浄水器の技術を先取りしていて、当時取引のあった会社が大手浄水器メーカになっている。)
その後多くの先輩たちが辞めてゆき、代わりに大卒の社員が各設計チームの上司となった。
私はこの会社で、技術的にも人間的にも多くの勉強をさせてもらい、10年後に退社するころには大企業の設計者や研究者たちと対等に議論できるようになっていた。



「思い出・生き方・生活住環境」(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方・生活住環境」ホルダーに収納しています。)(自分のメモとして)
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昨日記20210831 火()34.0 26.8 57 晴時々曇

2021年09月05日 17時43分12秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後からジムに行き、コアトレとヒートエクササイズのレッスンを受ける。
夜はTVを見て過ごした。
自発的に何かをしようという意欲のない無気力な一日だった。
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昨日記20210830 月()34.4 27.6 63 晴一時曇

2021年09月05日 17時36分06秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日は、食材の買い出しや副食製造といった、食事関連の家事全般と、遅れている昨日記の投稿にほとんどの時間を費やした。
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昨日記20210829 日(Bさんのこと チャドクガの被害?)33.8 27.0 63 晴

2021年09月04日 17時48分24秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
FBで現代美術家のBさん(80代半ば?)が亡くなられたことを知った。
具体美術関連の方々とも展覧会をされたりしていた。
私がギャラリーをしているときにはグループ展をしていただいた。
それほど深い付き合いではなかったが、会えば雑談をしていた。
石油関係の大企業で責任ある仕事をしていたBさんが、なぜ現代美術を始めたのか、といった話も伺った。
10年ほど前?一時期FBで、伴さんがマスコミで大きく取り上げられた犯人が有名人の息子だとして、その犯人の家族(TVにもコメンテーターとして登場する)を、ざまあみろ的に口汚く非難していたので、ネット上で家族の名前を明かして誹謗中傷するのは行き過ぎだと、注意した。(週刊誌でも名前は明かされた。)
するとネット上で、普段の上品な紳士の風体から想像もつかない汚い言葉で罵りの返事が返ってきた。
その犯人の親とは知り合いだったらしいことは分かったが、あまりに激しい返信なので、FB上で知人関係にした。(誰か、PC操作に弱い伴さんの代わりに返信した可能性があるのではと疑ったりもした。)
その後、展覧会の会場で顔を合わすこともあったが、気まずく会釈するだけの間柄になった。
それ以外、伴さんのSNS上の発言で、「やっぱり(下町の区)の住人やからなあ」という言葉に、私も近い区に住んでいるので、差別的な感じを感じ一言「差別的です」とコメントした。
すると「そんなつもりはないねんけど」と返信があった。
そのとき私は、つまらぬことを言ったと後悔し、Bさんに悪いことをしたと思った。
最近は、過去の話は別にしてもう少し展覧会で会ったときは、今まで通りの関係でいようと思っていたところだったが、コロナ禍でギャラリー回りすることもほとんどなくなり、Bさんに会う機会はなく、亡くなられたのが残念だった。
展覧会の帰りに、すでに亡くなって久しいオンさんとBさんと3人で甘党喫茶に行ったことがある。
歯科医だったオンさんもBさんもお酒は飲めなかったのだ。
オンさんは神戸の東門画廊を経営していたという。(堀尾さんと共同?)
その頃の、面白い話をたくさん聞かせてもらったことを思い出す。
当時から活躍していた榎中さんは、今も美術館等で展覧会をし、世界的に活躍している。
具体美術以外にも、70年代80年代の関西の現代美術シーンは、面白かったらしい。

さて、この日は昼過ぎまでTVで将棋や囲碁の番組を見ていた。
将棋や囲碁は見だすと次の一手が気になりやめられない。
悪い癖だと思っている。
囲碁将棋は、父に教えてもらい始めた。
その後、以後は友達に教えて、よく遊んだ。
中学高校も同じだった親しい友達の消息を聞くと、よく碁会所に通っているという。
私と遊んでいるときは、それほど囲碁好きではなかったのだが。
それにしても、初めてTVで囲碁講座を見たときには、定石や手筋の考え方の巧みさや奥深さに感心させられ、改めて魅了された。
しかしのめりこむと、いくらでも時間を潰すので意識的に避けるようにしている。

夜寝る前に、裏庭で水シャワーを浴びてから寝ている。
この日もいつも通り裏庭に置いてある風呂用の椅子に立ってシャワーを浴び始めると、太ももの内側に何か止まった気配がしたので、シャワーを浴びせたが離れない。
仕方なくシャワーを浴びせながら手で払おうとした瞬間、払った指先と太ももに激痛が走った。
それでも逃げないのではじくようにして取り除いた。
はじくときにプルンとした感じがあった。
その後も激しい痛みが続いた。
指先に必死に水を浴びせながらこすり合わせ、太ももの内側も手で激しくこすった。
そうした作業をしながら、原因を考えた。
蜂か、チャドクガかいずれかと考えた。
以前チャドクガには数回被害にあっている。
一回は、大阪城公園の清掃作業の時、2回目は我が家のツバキに発生した時だ。
激しい痛みがある。
シャワーでさんざん水を流し何度も洗った。
居間に戻ってみると太ももの痛かった部分は、みみずばれになっていた。
多分チャドクガではないかと思っている。
シャワーを終えた後、殺虫剤を大量に周辺に吹きかけた。


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菅総理 自民党総裁選不出馬表明(20210903)

2021年09月03日 20時45分37秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
昼(20210903)に菅総理自民党総裁選不出馬のニュースが飛び込んだ。
ニュースや情報番組は、この話題一色になった。
夕方7時のNHK ニュースでは最新の世論調査で、内閣支持率がさらに低下したことが報じられていた。
内閣支持率の低下が止まらないことも影響したのかもしれない。
東京の感染者はここ一週間近く下がり傾向でだが、それでも内閣支持率が低下したことが影響したのかもしれない。
マスコミや政治評論家の話では辞任の原因は、一つは、総裁選に絡み各派閥の若手から菅総理では衆議院選挙が戦えないという声が大きくなり、派閥の支持が見込めないといったこという。
さらに、それと連動して、来週にも行う党役員人事に各派閥からのなり手がないということが大きく影響しているという。
総裁選前に、党役員人事を一新し菅政権への求心力を高めるのが菅総理の狙いだった。
しかし、内閣支持率の低下や横浜市長選の敗北や、総選挙の獲得議席予測で、自民が数十議席議席減の予測が出ていて、このまま菅総理についていくと総選挙が大敗するので、総裁選には菅氏以外の人を選ぼうという空気が膨らみ、派閥の中には、菅氏から声がかかっても役員になるなという指示を出すつもりという一部派閥幹部の話も報道されていた。
特に党員投票は、半分の票になるので、いくら国会議員票をまとめても、党員票で人気がなければ勝てない。
こうした状況では総裁選に立候補しても勝ち目はないと判断したのではないか。

自民党総裁選はフルスペックの議員票半分と党員票半分を合わせて行われる。
総裁選が終わる9月下旬(29日?)まで、マスコミは、大々的にこのニュースを取り上げるので、自民党として総選挙に向け、現在の内閣支持率の低下を吹き飛ばす非常に有利な材料になることは間違いない。



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