とうとう…。
うちの職場で「マスクを大切にしましょう」というお達しが出た。
今の時期、どこに行ってもマスクは品薄。というか、全く、ない…

道行く人たちはみんなマスクを着けているけれど、みなさん、どこで手に入れているのだろうか?なんて思うくらい、マスクはどこのお店に行ってもない。
でも、職場では当たり前のようにマスクをいただく=装着することができる。
でも、このマスクも、このままでいくといずれはなくなってしまうみたいで。
そりゃ、そうだわなぁ。
だから。
マスクは大切にしましょうってことなのね…。
わかる。わかるけど…。
マスクは…、革製品みたいに、使えば使うほど味が出るとか…そんなものではないし、新型コロナウイルス予防のためだけに使っているわけではない。
ちなみに、「マスクなんて、まやかしだ」なんていう医師までいたりして。
それはどういうこと???
マスクが品薄な時期に、不安なスタッフを安心させるために放った言葉かもしれませんが、甚だ不適切だと思うー

内心、「だったら、noマスクで外来診療ができるんかっ」って思った。
もちろん、マスクを装着すればすべてが感染予防か、というとそうではないことは重々承知しておりますが、やっぱり、マスクは重要な感染予防アイテムには変わりありません。
今の時期、病棟でインフルエンザが流行ったこともあり、マスクの箱を設置して面会者にもマスクの着用を励行しておりましたが、そうすると、マスクを大量に持ち帰る人が増えてしまい、マスクの箱を設置するのをやめて、申し出があったらお渡しする、という形にかわりました。
マスクの品薄って悩ましい。
マスクを粗末に扱うのはよろしくない、というのは新型コロナウイルスの蔓延がどうのこうのとは全く別に、道徳的にそりゃそうだと納得できるところですが、
まるで粗末に扱っているかのごとく、使い捨て的に使用していたこれまでとは違って、在庫を気にしながらマスクを使用しないといけない今の状態にとても心がざわつきます。

昨年から、職場が変わりました。
人生、何が起こるかわかりませんなぁ、意図していたことの中にも、「まさかね~」ということは含まれているもので。
お引越ししないといけなかったので、職場も変わった、というわけです。
今も緩和ケア病棟で勤務していますが、同じ緩和ケア病棟とはいえど、場所が変わるとほんと、いろんなことが違うなぁ、とつくづく思います。
新たな発見、ああ、今までやってきたことの方がよかったなぁ、とか、こっちの方がすてきね、なんていうことがたくさん見つかりました。
職場を変わると自分の傾向としては、最低1年くらいはその職場に「心底は」なじめない、ということです。
そんなん、当たり前やーん

その職場のことを好きになれないので…

もちろん、職場ではちゃんと協働しておりますよ~

しかーし、笑顔の裏にはグレーな気持ちが渦巻いているので、ふと立ち止まって自分の置かれている状況や起こった出来事を考えてみると、何とも気持ち悪い感覚に襲われます。
この感覚は、時間が解決してくれるものと思っています。
ただ時に流されるだけではなく、時間とともに自分で解決していかなくてはならないものとも思っています。
だから、早まって「やーんぴっ」ってことはどんなことがあっても(よっぽどのことがない限り)するつもりはありません。
今よりももっといいものが見えるかもしれないしねー。
とりとめのない内容でした、読んでくださった方、すみません…

ここのブログも随分とご無沙汰…。
ご無沙汰している間、自分の人生にとって大きな出来事もあり、仕事のスタイルも大きく変わりました。
住む場所が変わったから、仕事のスタイルも変わるのは避けられぬことで…。

今も、何とか???緩和ケア病棟で勤務しています。
緩和ケアに、何とかして携わっていたい…という自分の希望…、いえ、こだわり…???
緩和ケアに携われることを感謝しつつ…。
それにしても、実感。
場所が変わると、こんなにも「緩和ケアの提供スタイル」(安易な言い回しですみません)って変わるものかと。




いろーーーーーんなことがあり、今は以前ほど、緩和ケアが「面白い」と思えておりません。
緩和ケア自体はとても「面白い」ものだと思います。しかしながら、場所によってはそうではないのだと、感じている今日この頃です。
いろいろな葛藤を感じつつも…。
また、ここで呟けたらいいなぁ、と思います。
See you!

お久しぶりです。
ポンです。
生きてます。
緩和ケア、相変わらず…、日々、奮闘しています…。

毎日、殺人的な暑さが続きますね…。
患者さんのお部屋によっては、エアコンをオフのまま過ごされている方がいたりして…。
エアコンをつけていても、27℃設定だったりして…。
直接的、そして間接的な温度差を感じつつ…。
描いた眉毛が、部分的になくなってしまっているのが気になる今日この頃です。

前回の更新から約、1年にもなるんだなぁ、ずいぶん、ここ、放置したまま…。
個人的に、迷路に迷い込んだみたいに、混乱し続けているような、安定を求めて、日々、変わらない生活を渇望しているような…、そんな生活をしておりました。
スペシャリストの道はすっかりと卒業して、ジェネラリストで生きていく道を模索中。
駆り立てられるものが見つからないままに、とりあえず、日々出会う、患者さん一人一人に丁寧にケアをしていきたいと思っている自分ではありますが、
病棟の動乱に揺さぶられるかのように、日々をいたずらに過ごしています。
こんな、自分のブログなんて、だれも来ないだろうと思っていたら、解析をみてびっくり。
どなたか…、とても心優しいどなたか…が、ここを訪れてくださっているのだと思うと、嬉しくて、涙がでます。
立ち寄ってくださった方。
本当にありがとうございます。






まだ、緩和ケアを愛していますが、ジェネラリストで生きていくからには緩和ケアだけで生きてくというのは難しくなるだろうなぁ、というこれから。
さあ、これから、何をして生きていこうかな、くらいのレベルで自分の人生やら、キャリアやらを考えています。
近況でした。

だんだん、寒くなってきました。
もう、10月が終わると思うと、ちょっとコワイ...、なんて、毎年言っているような気がします。
来月は、いつもよりも、ちょっぴり、忙しい月になりそう。
うちのセンセにむちゃぶりされた「発表」が待っている…。
スライドの、「す」の字も準備していない。やらなきゃ、と思いつつも、気がのらないなぁ。
・・・・という、気がのらないことの、とても多い日々を過ごしております。
とりあえず、体を壊さないように、ぼちぼちといくとしましょ。

これは、須藤さん(仮名)が作ったもの。
あまりにも素敵なので、写真を撮らせてもらいました。
須藤さんはとてもゴージャスな生活をされているお方で、その生活スタイルにはついていけないところがありましたが、決して傲慢になることなく、自分の信念を貫き通しつつ、ポンのいうことにもちゃんと耳を傾けてくださる方でした。
人間としてもとても尊敬できるお方でした。
ADLが保たれている時間が比較的長かったので、一緒にロビーにいって、景色を眺めながら色んなお話をしたなぁ。
人生の大先輩にもかかわらず、私が友達に話すような感じでトークしても、ちゃんとついてきてくださって。
私のお話に大爆笑してくださって、「病気になってから、こんなに笑うことができるなんて、思わなかった」と感動までしてくださって。
その感動している様をみて、私の方こそ、その感受性の豊かさにびっくらこきました。
須藤さんが亡くなられた後、ご家族が病棟にご挨拶に来てくださって、須藤さんの手作りの造花の花束をいただきました。
素敵だから、おうちのインターホンの受話器に括りつけました~

ありがとう。

財津さん(仮名)とのお別れがありました。
私の担当の患者さんではなかったのですが、看取りを自分がすることになったので、ご家族といろいろとお話をする中で、思い出せることがたくさんあった患者さんでした。
財津さんは嚥下がうまくできない状態でしたので、食事はペースト状のものを食べておられました。
そして、高次脳機能障害のある方でしたが、ポイント、ポイントでの喜怒哀楽の表現に、すごーくインパクトがありましたので、とても楽しくお付き合いさせていただいてました。
忘れられないのは、食事の介助をしている時。
ペーストの食事って、食べ物の形がなくなっているので、パッと見ではそのメニューが何なのか、わからないんですね。
ペーストになっちゃうと、臭いを嗅いでも何かわからないことが多くて…。
だから、メニュー表をしっかりとみて、「〇〇だよ」って声をかけながら介助してました。
時々、財津さんは、口の中に食べ物が入ると、びっくりするくらいの変顔で「それはいらん!!!」という表現をされることがありました。
この顔がすごすぎて。
そのまま、金剛力士像にでもなりますか?ってくらいの顔でして…。
その顔を見ると、私も「うぎゃーーーっ」って表現をして、めいいっぱい、「そんなに、まずいか、すまんな、すまんな」のお返しをしてました。
最初は、その財津さんの反応をみると、その食べ物をあっさりと諦めてました。
何度かその反応に遭遇した後、私も、その「それはいらん!!!」的おかずを口にするようにしました。
どれどれ…。
栄養士さんや調理師さんには申し訳ありませんが、食べてみると、「これはくそまずいわ」というものもありました。
そんな時には、財津さんも、そりゃ、そうやろってな反応をされておりました。
食事介助でこんなにインパクトのある患者さんって、久しぶりやなぁ。
何より、あの、まずい!!の顔を見るのが、財津さんには申し訳ありませんが、ちょっと、楽しく感じていたりして…。
お別れはさみしいけど、出会いと思い出に感謝です。

すみません、前回・・・、相当・・・まえーーーにアップした記事に、「更新しません」なんて書いてしまった。
更新しないのは、「スペシャリストの資格の更新」でして、これからも、緩和ケアに従事することを続けていくつもりであります!
ジェネラリストで生きていくことに、不安も感じつつ、お気楽さも満喫してます。
そして、このままではいけない、という焦りも感じるのは、性分でしょうねー。
ちょっとずつ、また、綴っていこうと思います。
ここにちょいとでも立ち寄ってくださった方々。
本当にありがとうございます。




随分とご無沙汰してしまった…。
今、自分はスペシャリストとしての道をあきらめ、ジェネラリストとしての毎日を歩んでおります。
スペシャリストとして、役割を期待されることもちらほらあるのですが、資格の更新期限を迎えること、つまり、賞味期限切れになるまでは、仕方ないと思って活動しています。
スペシャリストと語るには、とても申し訳なく思う毎日。
日々の業務ではスペシャリストを強く意識することなく、没頭できているのですが、ふと、自分の資格や資格が物言う役割を考えると心が痛む毎日です。
悩んで、何年が経つのでしょう…。
もう、更新はしません。
これだけは確実です。

すっかり、書くことをさぼってしまっている毎日…。
そして、スタッフとしての業務に没頭する毎日…。
スタッフとして働けることに感謝しつつ、焦りを感じている毎日…。
そろそろ、自分の「在り様」に決着をつけようとしている毎日…。
まだまだ、自分の気持ちなどをちゃんと語ることが難しいのだけど…。
日々の出会いとお別れは大切にしたい気持ちには変わりはありません。

ジョギングを始めてどれくらいになるかなぁ。
今も、ぼちぼちと続けています。
昼間に走るのは日焼けしちゃうから、ぜーーーったいに嫌っ。
太陽の下で走るだけの体力に自信もないし。

というわけで、走るのは夜。
夜に走っていると、ちょこっとハプニングに遭遇します。
今日は踏切で、非常停止ボタンを押しました。
走っていると、踏切のど真ん中で「カンカン」と音がし始めたので、逃げるように走り切りました。
走りきったところで、がっしゃーーーん!!とすごい音がしました。
振り向くと、原付に乗った女の子が転倒してました。
自分のバイクに乗っていた彼らしき男の子が駆け寄ってました。
転倒した勢いはあったけど、女の子はすぐに立って踏切の外に出たんだけど、原付が。
しゅるしゅるしゅると滑って、踏切の中でバイクが止まった。
あれれ~~~~

なんとなく、女の子、大丈夫かなぁ?なんて思いながら走るのを止めて眺めてたけど、大丈夫そうだから走り去ろうとしたところ。
よーくみたら、バイクが線路の上に止まってる。
あれれれれ~~~~~~~~~~~~~~~


やばいやんっっ!



電車が来たら、電車がえらいことになるーーーっ。
すぐに踏切に戻って遮断機の棒にへばりついて、彼の方に、「非常停止ボタン、押した方がいいよ!!!!」と叫びました。
彼は、「どこにありますかね?」と返事。
へ????どこ??
え?私が探すの?と焦った。
一瞬、怯んだけど、パッとみたら、ボタンがあった!!!!
思いっきり非常停止ボタンを押した。
そしたら、踏切の50m手前くらいで電車が止まった。
あ。思ったよりも早く止まった。と思った。
「カンカンカン」と音がしている中、踏切の中に入って、彼にバイクを動かそうと言って、動かしてもらおうとしたんだけど、その彼も焦って、アクセルふかしちゃうもんだから、バイクがロデオみたいにぶーーーん!と動いてまた、バイクが「こけた」。
彼に「エンジン、切った方がいいよ!!!」と指示をして、押してもらって、バイクは無事に踏切の外に出た。
よかったーーーと安心したんだけど、電車は止まったまま。
こりゃ、あかん、運転手さんに事情を説明しにいかないと!と思って、電車の方にダッシュで走った、走った。
タオルをふりふりして、電車から線路に降りてきた運転手さんに声をかけて、事情を説明。
彼の方が私について走ってきたけど、おろおろしてるから、私が「すみませんでしたー」って謝っておきました~。

運転手さんはとっても優しい方で、「いいですよ、いいですよ」と言ってくださった。
電車が遅れてしまうから、「いいですよ」じゃないんだけど。
優しいお方でした。
彼女にはひどい怪我もなく、無事。
電車も無事。
よかったー。



ところで、踏切の非常停止ボタンというのは、踏切の左にあるのね、と気が付いた。
車から降りて、すぐに押せるように左側にあるんだろうね。
初めて知った。
(無知です)
その後…。
あまりにも胸がどきどきして、心臓が口から飛び出るかと思った。
体が変に緊張してしまったので、今日はそれ以上は走れませんでした。
走って出た汗と、緊張して出た汗と。
汗まみれ。
・・・・・・というハプニングに遭遇しました。
焦った~~~~~~。
疲れた。
もう、寝ます。

スパゲティ症候群なんて言葉があったっけ。
gooの辞書によれば、「病気の治療や救命処置のために、たくさんの管や電線などをからだに取りつけられた状態」って書いてあった。
おしっこの管、点滴の管、気管内の管、心電図のラインなどなど…。
緩和ケア病棟でも、状態が悪化して症状緩和のためにラインが多くなりがち…。
そうそう、金本さん(仮名)の体からもたくさんのラインがにょにょにょんと出ています。
でも、かつての??スパゲティ症候群とは違ったお姿。
もちろん、治療のためのラインも致し方なく出てます。
おしっこの管、点滴の管(これは必要な時だけ)、胃管(鼻から胃までの管)、持続皮下注射のライン、酸素の管…。
これくらいなら、なんてことないのですが…。
金本さんがお風呂に入る日。
私が担当でした。
お風呂にお連れして帰ってきたのですが、そのあとにひどく時間を要しました…。
それは…。
金本さん、人生を歩んで60年以上、彼は「ハイテク?電子機器」をこよなく生活の友とされているお方だったのです。
iphone、ipad、ポケットモバイル?、ノートパソコン…などなど。
この電子機器たちはいつもコンセントにつながれています。
枕元にはこれらの機器がずらりと並び、その機器のラインときたら…。
顔には前述の酸素のチューブ、胃管のほかに、ヘッドフォン。



体から出る、そして体を取り巻くラインの数が半端ない!!!!
ラインの多くは、機器が落ちないようにベッド柵にぐるぐると固定(実際はからまっている感じ…)されており、お風呂に入るために外したベッド柵にライン類を元通りにするのにすんごい時間がかかってしまった…。
おそろしや…。
元通りにするのに一応、少しはこれはこれくらいの位置…と記憶しておいたのですが、数が多すぎて間に合わない…。
すると、やや(いえ、かなり)こだわりの強い金本さんは、
「違う!」「あ!それは電源とったらあかん!!!!!」
お叱りを受けること多々…。
お風呂の後に機器類のラインを戻すのがどんなに大変だったか…。
・・・・ということが主旨ではないのに、ひどく時間がかかったことを伝えたくて、こんなに書いてしまった。
閑話休題。
以前なら…、昔なら、今の金本さんみたいな状態は見られなかったこと。
60歳代の金本さんでこんな感じですから、これからの患者さんは、このような状態になる方もたくさんいらっしゃるのでは…、と思いました。
もちろん、こんなに体がラインに取り巻かれることになるのも、患者さんがベッド上で生活しているからというのもあります。
この状態、なんと呼ぶ?
セルフスパゲティ状態?
ラインライン状態?
ラインフル状態?
ライン・ベイスド・ライフ?
はー、なんのこっちゃ。
携帯電話やパソコンがベッド上の生活を余儀なくされる患者さんにとっては欠かせないアイテムであることには間違いありません。

夜勤で患者さんがお亡くなりになったので、オンコールの医師に来棟してもらって、一緒に患者さんのお部屋に行きました。
患者さんの死亡確認をするためです。
死亡確認が終わると、医師が死亡時刻をご家族に告げます。
その時、医師がポケットから取り出しました、iPhoneを…。
iPhoneの時刻をみて、ご家族に死亡時刻を告げました。
iPhoneで死亡時刻を伝える医師に初めて出会った~~~

いや、ね。
正確な時刻を確認することに何の問題もないのですが、iPhone???????・・・と一瞬、思ってしまいました。
死亡時刻を告げるために腕時計を見るか、お部屋の時計を見て…というのが、自分の中の「普通」でしたから。
わかります、正確な時刻を告げたいという医師の気持ち。
そうですねぇ。
iPhoneの時刻は正確です。
腕時計で正確な時刻を伝えようと思えば、電波時計なんかがあると思いますが、電波時計を持っている人は少ないだろうし…。
最近は感染対策から、腕時計自体が手洗いの時に邪魔になるので、病棟での業務の時にははずしている人も多いですから。
ご家族の中には医師の腕時計で時刻を告げたところ、「1分、違ってます」っておっしゃる方もいらっしゃるそうで。
(結構、いらっしゃるみたい)
死亡時刻は正確に伝えるのが大切っちゃ、大切なのですが、分単位のずれは、病院で看取るのであれば問題はありません。
粋な計らいとしては、「時刻がずれている」患者さんが身に着けている腕時計が示す時間を死亡時刻とした…なんてこともあります。
(もちろん、「時刻がずれている」というのは、多少、という範囲です)
iPhone・・・・。
時代の流れやなぁ…。
そんな時代なんやなぁ…。
なぁんて、ふっと、思いました。

