春は、出会いの季節ですが、お別れの季節でもあります。
自分が「見送る立場」にあると、とても切ないものがあります。
当然、見送る立場を、痛いくらいに意識しないといけないとなると、「見送られる立場」の方に対する、尊敬や愛着などなどが心全体に充満している状態です。
ありきたりな言葉ですが、残念で仕方ありません。
職場を去る理由は、おめでたい理由だけではありません。
病院と、そして、看護部と、その人を取り囲むさまざまな環境と、うまく折り合いがつけられなかった結果として、「退職」という選択をされる方がいらっしゃいます。
見送る立場にある自分は、今回ほど、その人が、辞めるという選択をする前に、もっと、もっと、私にできることはなかったのだろうかと考えあぐねています。
今さら、考えても仕方のないことかもしれません。
けれど、考えずにはいられません。
事態が少しでも改善する方向性はなかったのかと考えることもあれば、過ぎたことなのに、誰かに対する愚痴めいたことも、振り払っても、振り払っても頭の中にまとわりつきます。困ったものです。
私も、かつては、見送られる立場にありました。
自分の安住の場所めいたものを求めて、職場を去った経験があります。
見送られる立場であった過去の自分を考えると、職場を去るという決断をせざるを得ないときもあり、その決断を下した時には、周りのことよりも、自分のことを最優先に考えざるを得なかったことを思い出します。
冷たい言い方ですが、職場がその人の未来や幸せのすべての保証をしてくれるわけではありません。
職場を去ると、決断を下した方に送る言葉は、いつも、
「あなたの決めた道を、振りかえることなく前に進んでください。」でした。
いろんな状況が絡んだ上の今回のお別れでしたが、今回も、同じ言葉を送りました。
俯いてばかりはいられません。
私も、前に進むしかありません。
