患者さんのご家族から、よく、このようなことを耳にします。
「本人は嫌がっていたけど、ちゃんと病院に連れて行ったら、もっと早く見つかったかもしれない。」
「本人が痛いって言っていた時から、何かあったんや。どうしてちゃんと気づいてやれなかったのか。」
「こんなことになるなら、もっと、家族みんなで旅行にでもいけばよかった。」
これらの中には、「後悔」の気持ちが含まれています。
患者さんのご家族なら、何とかして楽にしてあげたい、何とか役に立ちたいと思うのは当然のことと思えます。
そのご家族のケアをするために、私たち看護師の「出番」があるのですが…。
実は(というほどでもないかもしれないですが。)、
私たち医療者も「後悔の気持ち」をよく感じるのです。
それは、病院での日常生活の中でのほんの些細なことであって、時が経って振り返ってみれば、とても大きなことであります。
先日、「あの時を逃さなくてよかった。」という経験をしました。
西庄さん(仮称)は、がんがいろいろな骨に転移して、自分ではまったく動けない状態になっていて、ベッドでの生活を余儀なくされていました。
遅くまで残って仕事をしていたある夜、西庄さんに用事があって、その日の夜勤さんと一緒に患者さんのお部屋に行こうと歩いておりました。
西庄さんの部屋の前で「あれれ?」と思う声を耳にしました。
「きーーーーっ!」「い~~~~~っ!」
明らかに、「何があったのですか?」と尋ねずにはいられない声でした。よく聞いてみると、ずっとベッドにいることがとてもストレスなので、いらいらして仕方ない、だから、そばのいた夫に当たってたんです、とのことでした。
苛立ち。
さて、こんなとき、どうする?
苛立ちを精神的に不安定になっていると、時間帯が夜間であったことから、睡眠薬や抗不安薬を使用して、眠ってもらうこともできます。
でも。
この場面はどう考えても、そんなことを患者さん(心身ともに)が要求しているとは思えない…。
私はベッドの上で端坐位になることを提案してみましたが、胸椎の転移の加減で、その体位は返って疼痛が悪化するので無理…、と患者さんから断りがあり…。
そして、リクライニングの車椅子に移乗していただくことにしました。
「車椅子に乗りますか?」
と声をかけると、今までいらいらーーーーーーーっとしていた西庄さんは、本当に「がらっと!」という言葉がふさわしいくらい、曇った表情から、子どものようなとても可愛らしい笑顔に変わりました。
ベッドでの生活を余儀なくされていた西庄さんは、緩和ケア病棟に入院してから、緩和ケア病棟がどんな構造になっているのか、病院の中はどうなっているのかというオリエンテーションを十分に受けられれずに、1週間を過ごされていました。
ご主人さんと夜勤の担当看護師とともに、緩和ケア病棟と病院内をぐるぐる回って、約1時間ほど、散歩ができました。
実は、大切な痛み止めなどは点滴や皮下注射で行われていたため、ポンプ類を散歩に持っていくのは至難の技と思われました(夜間帯は看護師の人数も少ないですし)。ベッドから車椅子に移動するときにも、チューブが邪魔になって、少ない人数で移乗するのは大変だー、と思いました。
そこで、思い切って、車椅子に移乗する時から、すべてのチューブをはずして散歩に行ってもらっちゃいました。
約1時間、痛みが増強することなく、患者さんの苛立ちは完全に和らぎました。
その翌日から、西庄さんは意識がなくなりました。
ご主人さんは言いました。
「あの時が、車椅子に乗れる最後のときだと思いました。車椅子に乗れて、本当に良かったです。」
本当に良かった…。
そう思えたのは、私たちスタッフも同じでした。
もし、あの時、夜勤で人の手がないからということで、翌日にしましょうと声をかけていたなら、西庄さんのいらいらを和らげることができないばかりでなく、車椅子に乗るという大切な時間を作ることすらできなかったと思います。
けれど。タイミングを捉えて、いつもどんぴしゃにケアをできているかというと、そうでないときもあります。
私たち看護師の満足が、必ずしも患者さんやご家族の満足につながるわけではありません。患者さんやご家族は、どうしたいのか、何を望んでいらっしゃるのか。
そこんとこを実現するための行動を起こすタイミングと、患者さんの病状や体力、気持ちなどをうまく見極めることが必要だな、と思った出来事でした。
私たちも後悔したくありませんから。