緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

ばけて出てきてでも、会いたい気持ち

2014-02-14 20:02:46 | 患者さん

 ご遺族が病棟を訪れてくれました。


 何度か病棟に顔を出してくれていたのですが、ポンが不在のときばかりで、ようやく、お会いできました。



 このご遺族さん…、つまり、お母さん、20歳代の患者さんを亡くされました。




 日勤でとっても忙しかったけど、これは、ちゃんとお話を聴くタイミングだわと思って、ロビーのソファにどっかり座って、お話を聴くことにしました。




 患者さんに付き添っている時からいつも笑顔だったお母さん。
 その日もいつものような笑顔でした。
 普段の生活を送っていらっしゃるように見えましたが…。

 あまりにも若い年齢で子どもさんを失うことの心の痛みは、痛いほど伝わってきます。



 
 「まだまだ、しんどいんやないの?」



 そう聞いた途端、お母さんはぼろぼろ涙を流し始めました。



 「泣いてばかりで、みんなにそんなんじゃあかんっていわれるし、あの子もあんまり泣いてたら、ばけてでてくるんじゃないかと思って…。」
 と、お母さん。


 「うーん。でもなぁ、ばけてでも、でてきてもらいたいんとちゃうん。」
 と、ポン。




 そしたら、お母さん、
 「そうやねん。出てきてくれるもんなら、会いたいわ…。」



 そら、そうやろ。
 そうやろ。


 

 
 緩和ケア病棟とはいえ、20歳代の患者さんに出会うことはそう多くありません。
 ですから、余計に印象に残りますが、この患者さんのことは忘れられないものがあります。


 こんな若い人を、病気は哲学者に変えてしまうのかしら。
 そう思った時もありました。
 
 この患者さんなりに、精いっぱい生きている姿を見せてもらいました。
 

 


 

 まだまだ、周りの人には、泣いてばかりで、そんなんじゃあかんといわれるとお母さんはおっしゃってました。


 「そんなんじゃあかん」
 大切な人を亡くした方に対してよくいう言葉かもしれませんが、これほどつらい言葉はないのではないかと私は思います。
 泣きたい時に泣けることこそ、まだまだつらい時期には必要なことですから…。



 『泣きたい時には、泣ける場所でしっかり泣いてね。それが弱いってことには全然、ならへんねんで。前に進むためには…、前に進むって、ちょっと言葉が違うかもしれんけど、今を生きるには、泣くことはとっても大切やねん。泣いてええねんで。』




 お母さんはとっても安心して帰られました。


 いえ、ほんのつかの間の安心でしょうけど。
 




 今度、お母さんと患者さんのご兄弟(子どもさんね)に会う予定を立てようと思っています。
 
 私も会いたいから。
 お話をしたいから。



 


名前を呼んでもらえなくたって、私はそばにいますからっ

2014-02-01 00:22:45 | 患者さん

 以前の記事に書いた患者さん、松並さん(仮名)。



 徐々に体力の低下が目立ってきて、今までに増して、ご家族がお部屋に滞在する時間が長くなってきました。




 松並さんのお部屋に行くと、少し調子がいいときには、担当のご挨拶に行くと、松並さんは、手を振って歓迎してくださります。


 
 嬉しいことに、ご家族にポンを紹介してくださりました。





 「六文銭の看護師さん。」




 ふぁ~~~~~っ。
 




 私、そないゆうほど、幸村に詳しくないから~~~っ。




 ちょっと、たじたじしながら…、私もご家族にご挨拶。



 
 ただ、体力が落ちてくると、記憶や注意力など、認知機能も健常な時に比べて低下してきますので、患者さんの会話はおぼろになります。
 ですから、ポンの名字は松並さんには残っておりませんでした…。



 松並さん、「六文銭の看護師さん」とご家族に私を紹介してくださったあと、私の名前を考え込んでおられました。



 

 こんな場面、今までに何度も経験しております。
 自分の名字を呼んでもらえないことは、ほんの少し、残念ではありますが、顔を覚えてくださっているだけで、それだけで光栄ってもんです。
 でも、自分の名前を呼んでもらえることに、多少は嬉しさもあります、本音ではー。
 でも、そんなこと、些細なことです。



 この場面に遭遇した時には、いつも同じセリフを言ってます、最近。




 『あああああ、ええねん、ええねん。大したことでないことは、覚えんでもええねん。私、また来ますからーーーっ。』





 患者さんにとっては私の言葉は何の支えにもなってないかもしれません。

 だって、患者さんにとって、記憶力が落ちてしまったり、自分の言いたいことがうまく伝えられなかったり、会話がうまくできないことは、とてもつらいことですから。
 
 患者さんが、自分の名前を呼ぼうとして必死に自分のエネルギーを振り絞ってくださっていることは十分にわかっているつもりです。



 でも、私には、自分の名前を想起して呼んでもらうよりも、もっともっと大切なものが患者さんにはあるから、自分の存在は二の次やん☆って思うことが多々あります。



 患者さんにとっては、想起したいことが想起できないことはとてもつらいことではあると思いますが、それでも、想起しづらい状態にあっても、なんとなくでも、患者さんの記憶からさほど離れることなく、すっかり密着することは無理でも、体力の低下した患者さんとの「可能な」距離を保ちつつ、そばにいれたらいいなと思います。



 


 おかげさんで、幸村自体への所縁よりも、松並さんのおかげで幸村への愛着が増しそうな、今日この頃です。





 

 私は、松並さんの笑顔を見たいとがんばりつつ、松並さんがどんな表情をしていても、どんな状態であっても、松並さんのおそばにいるつもりです。