以前に勤務している病院で、もともとは麻酔科の医師をやっていたけど、内科を勉強し直したくて…、という研修医(女医さん)に出会いました。
頭の中が緩和ケアまみれ?な私は、元麻酔科の医師なら、ちょっとは疼痛のこととかお話しできるのかな、、なんてその先生に期待していたのですが…。
さてさて、何を専門の科とするのかを決めた!というお話をポンにしてくれた女医さん。
選択した科は、「循環器内科」。
そこで、ポンは尋ねました。
「へーー。何で、循環器内科なん?」と。
女医さんは答えました。
「だってー。がんの患者さん、診なくていいやん。」
およよーーーーっ。
何を専門とするのかなんて、がんばれば?方向転換できるものだとは思いますが、専門を「消去法」で決めちゃいますか?と思った瞬間でした。
私は、その女医さんの深いところの気持ちまではうかがっていないのでわかりません。
ただ、専門をそんな理由で決めていいの?と思ったと同時に、どれだけがん患者さんや家族さんとのかかわりをネガティブに捉えているんだろうと思った瞬間でもありました。
医師には医師なりのつらくてきつい立場があるものだと、最近になって、どんなにへそ曲がりな医師を相手にしても、そう思えるようにはなりました。
(実際に理解を示すことができている行動がとれているかどうかは、かなり、別かもしれーーーんっ)
専門とするところは。
消去法のような消極的な理由で決めるよりも、「これをやりたい」「これだからやり甲斐がある」「これだったら、少々のことでもがんばっていけそう」、何より、「これが好きだ」という理由じゃないと、本当の意味で、「専門家」にはなれないのではないかと思います。
ひょっとしたら、続けることができないかもしれないのではないかとも思います。
世の中の医療の世界には「その道の専門家です」という人がたくさん出現しております。
よくよくその専門家さんに耳を傾けてみると、本当にその道を歩みたくはないのに、「歩まされた」という方もいらっしゃいます。
その方にとっては、病院という組織から、専門家になれ!といわれてその道に進まざるを得なかったのは不幸かもしれません。
しかし、患者さんの幸せや安楽を願う者としては、専門家になるなら、それなりの覚悟をしてなるべきではないかと思うのです。
シシリーソンダースが、緩和ケアのコツのひとつは、「患者さんを好きになること」だと話していたと耳にしたことがあります。
専門家が、その専門の道を好きになれなくて、患者さんを好きになることはできるのかしら。
日々、自分にとって、いいことばかりが起こるわけじゃありません。
どんなにがんばっても、どんなに誠意を尽くしてみても、やりきれない状況に追い込まれることもあります。
患者さんや家族さんから、医療者の思いとは裏腹、不信感を抱かれたり、疎まれたりすることもあるし、「ひょっとしたら、これは徒労か?」と思うようなことも多々起こります。
体も心も、患者さんやご家族に巻き込まれ、ぼろぼろになるときもしばしばです。
そんな逆境にあっても、何とか踏ん張れる原動力は、「患者さんを好きになれること」とか「その道が好きだ」ということだけだとは言いませんが、そうあることはとても大切なのではないかと思います。
ただ、ですね。
その気持ちも、時として、萎えるときはあるんですね。
だるまさんのように、転んでも起き上がることができるのは、「与えられた仕事だから」ではなく、「やりたいことだから」がとても大切なような気がしてなりません。
結果がうまくでるかどうかよりも、そのプロセスを見つめることができるかどうかは、「続けていきたい」と思えるかどうかなのではないかと思います。
私は、緩和ケアが好きです。
自分の能力はたいしたことはないと思っていますが、それでも、続けていきたいと思います。
それは、人にも伝えていきたいと思うところです。
あの女医さんはどうしているのかしら…。
これだ!というものに出会えていることを願わんばかりです。