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緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

大きなお世話?

2011-05-29 13:33:41 | 日々の「ケア」

 以前に、患者さんの付き添いが長くなっているご家族のことが心配だーという記事を書きました。

 付き添いが長くなるということは、患者さんの病状が思わしくないために、そばを離れることができない状態であることがほとんどです。

 
 ご家族が、患者さんとともに病院で生活されることもあります。
 当院では、付き添いの方に有料ですが、付き添い食を提供することもできますし、夜にはお風呂にも入っていただくことができます。そして、付き添いの方がごろんと横になれるベッドも各部屋に用意してますので、一般の病棟に比べれば、幾分快適に過ごしていただけるのではないかと思います…。

 カンファレンスで、付き添いが長くなっているご家族がいたので、ポンから受け持ち看護師に聞いてみました。
 「奥さんって、家のこととか、生活はどないなってんかな。あれだけ病院にいて、大丈夫かな。ちょっと、奥さんに聞いてみた方がええんちゃうかなー。」

 そこで、カンファレンスに参加していたメンバーから一言。


 「それって、大きなお世話ちゃいますん。」


 

 察するに、他人の家のことなど、首をつっこむもんとちゃう、ということだと思いました。

 正直にいうと、そう言われたことが結構、ショックだったー。
 

 
 果たして、本当に大きなお世話なのだろうか。
 これは、冷静に考えねばなりません。

 私たち看護師が、ご家族の生活を心配することは余計なことなのだろうか。
 
 確かに、私たちが心配したところで、ご家族が患者さん中心の生活を変更することが可能とは言い切れません。
 そこは、私たちにできることには限界があるということをよく、認識しないといけないことだと思います。

 でも、何か、できることはないかな?と考えることはとても大切だと思います。
 ご家族のお手伝いができることは、ゼロではないと思います。

 たぶん、ご家族から、ご家族の生活のことを心配して、それをご家族が「大きなお世話」と捉えたとしたら、それは、私たちとご家族の信頼関係が不十分か、心配に思う気持ちが普段から、態度ででも伝えきれていないのが原因ではないかと思います。
 逆にいうと、ご家族と信頼関係が築けていて、普段からご家族を思う気持ちを言葉だけでなく、何らかのメッセージを送れていたら、「大きなお世話」と捉えられることはないのではないかと思います。


 相手にとって、「負担」「大きなお世話」ということに重きを置いて、患者さんやご家族のお手伝いをしていると、かえってお手伝いできないことがあるのではないかと思います。

 

 私は患者さんやご家族のケアをさせていただくときには、ニーズを探るために、「ぶっちゃけ」で聞いてみることも大切だと思っている人です…。
 もしも、本当にご家族にとって大きなお世話となってしまったら、そこんとこは素直に謝るなり、自分のかかわり方を振り返るなりすればいいのでは…、と思っています。
 自分以外のスタッフが同じように、ご家族に大きなお世話と不快感を与えてしまったなら。
 そのスタッフが心配している気持ちがあるのなら。
 私は喜んで、そのスタッフのフォローをしたいと思います。


 
 とまあ。
 実は、「大きなお世話ちゃいますん。」と言われたことがショックだったので、この記事には私の「感情」がぎゅぎゅっと詰まってしまっています。
 ああ。私の未熟さを露呈しました。
 

 

 大きなお世話という意見をいただきましたが、受け持ち看護師はちゃんとご家族の生活のことを気にかけて、ご家族に話を聞いてくれました。
 
 もやもやは残っていますけど…。
 このもやもやにどう対処したらいいのかが、私の課題です。
 

常識

2011-05-28 05:56:19 | 言葉

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」
*アインシュタイン*

 人には常識があると考えると、その常識には「偏見」が含まれているって考えないといけないのかな…。
 18歳までか…。
 18歳以降も、偏見のコレクションは続く…。
 



「当たり前」はよくないことがある

2011-05-17 02:37:30 | 日々の「ケア」

 木村さん(仮称)は、肺がんでいろいろな合併症もあり、トイレに行く動作だけでも息苦しさが強くなってきました。
 その息苦しさの程度は、トイレを終えてベッドに戻るときには、汗びっちょりになって、顔色も悪く、息はあえぐような感じで、ぐったりされてしまうほどです。
 
 そんなに苦しいなら、ベッドで尿器を使ってやってもらうと身体的には幾分か楽になるのですが、人というのはこうしたいと思う気持ちと身体的なしんどさに関しては必ずしも一致しないことが多々あります。

 明らかに、誰が見てもしんどそうだ、と感じる時期が、がん患者さんにやってくる時があります。

 そんな時、ご家族はどうしても、患者さんのそばで付き添って、見守られる時間が長くなります。
 

 「病院にいて、患者さんを見ていると自分もしんどくなってしまう。
 だからといって、家でちょっと休もうと思っても、患者さんが今、どうなっているのかと思うと気が気でない。」

 という気持ちを持つご家族が多くいらっしゃいます。


 患者さんがしんどいのだから、家族が付き添うのは当たり前。

 医療者が、そんな考え方を持つのはよくないと思います。


 当たり前。


 その医療者の感覚には、医療者が抱く「当たり前」の思いがあります。
 実際には、医療者の当たり前は目の前のご家族には当てはまらないことがあります。



 どのようなご家族であっても、病院に来て、患者さんを見守ってくれたり、声をかけてくださったりすることは、「ご苦労様」というに値することだと思っています。


 患者さんがどんな状態であろうと、ご家族にも、ご家族の生活があります。
 ご家族の「できるだけ」普通の生活なしにして、患者さんを気遣ったり、見守るという思いやりは、ほんの少しであっても、心の余裕や患者さんへの思いなくしては無理なことではないかと思います。


 前置きが長くなりましたが。


 

 患者さんの付き添いが長くなっているご家族は、看護師としては「気にかけなきゃ」いえ、「気にかけたい」家族さんのランク(???)の最上位の一つであります。


 私は常々、ご家族には、患者さんがどんな状態であろうと、できるだけ、ご家族が普通の生活が営めることは、とても大切なことだと伝えています。 
 患者さんの生活のすべてに自分の生活を合わせてしまう。
 それは一部のご家族には可能なことであっても、ご家族もご家族なりに社会的な生活をしている限りは、患者さんに自分の生活のすべてを注ぐということは非現実的だと思っています。

 だから、
 付き添い続けているご家族がいると、とても気になる。



 患者さんのためにある「家族」かもしれなけど、「家族」である「あなた」の生活、そして、「あなた」は大丈夫ですか?と。

 

 そこんとこ、気にかけるのが看護師の役割!!だと思っています。

 

 さてはて。
 看護師としてのポンは、そう思っているのですが、気にかけ方は、職種によっても違うみたいです。
 *病院では、医師、看護師以外にもたくさんの職種が患者さんのお手伝いをしています。


 次回は、ちょっと、そのことについて書いてみたいと思います。
 
 


 

欲まみれ

2011-05-15 22:33:45 | 言葉

 「ああなってほしい、こうなってほしいと願うのが人間であり、欲から逃れるのは簡単ではない。
 だがそこに苦しみの原因がある」
 *仏陀*

 ああ、今、自分が苦しいのは、「欲」のせいか…。
 納得できます。
 「欲」なしでは生きていけないから、望み過ぎないことが大切なんだね…。

年齢は関係ない

2011-05-14 17:29:25 | 日々の「ケア」

 がん患者さんの高齢化は進んでいます。
 がんが見つかった時点で、治療はできないといった状態の患者さんも多くいらっしゃいます。

 ポンの病棟でも、80~90歳代の患者さんは多く入院されています。
 
 
 がんによって何に苦しむかは、人それぞれです。
 がんのできる場所、どんな症状がでているか、患者さんの病気の受け止め方、患者さんが病気のことを知らされているかどうか、ご家族がどんな風に患者さんのお手伝いをしているのか、患者さんの性格、年齢、性別などなどによって、違ってきます。


 この世に絶対というものはほとんどないと思いますが、100%ありえる、そして絶対といえるのは、人は必ず死ぬということです。

 人は死ぬとはわかっていても、壮年期の方の死を思うことと、90歳・100歳生きたかたの死を思うこととは違う思いがあるのではないでしょうか。
 
 このところ、90歳代の方にも出会う機会が多いのですが、ご家族から「もう、この年まで生きてこれたのですから、十分ですわ。」という言葉をよく耳にします。

 ご本人も、ご家族も、何年生きてきても「最後は苦しまないようにしてもらいたい」というご希望はもっていらっしゃいます。

 
 けれど、人の苦しみというのは、年齢を問わず、身体的な症状にとどまるものではありません。

 人は必ず、自分の命の限りが見えてきた時点で、心の痛みを感じるものです。
 心の痛みとは、便利な言葉です。けれど、自分の命の限りがみえてきた時期の痛みというのは、心の痛みと説明するにはあまりにも拙いものになってしまいます。
 それが、スピリチュアルペインといわれるものだと思います。


 普段、当たり前にできていたことができなくなるということは、自分そのものを揺るがす痛みになります。



 高齢の患者さんからよく聴かれるのは、
 「人の世話にばかりなって、こんなんなら死んだほうがまし。」
 「下の世話をしてもらうのがつらい。」
 「みんなに迷惑をかけている。」などなど、です。


 さらに、高齢の方になると、がんの告知をされていない方も多くいらっしゃいます。
 そうすると、周りから聴くことと、自分の体の状態にギャップがでてきて、さらにつらさが増します。
 ご家族が、「もう年なんだから…」と捉えることで患者さんのつらさが強くなってしまうこともあります。
 さらに、さらに、高齢の方は、一度がんの告知を受けていても、その説明が記憶に残っていないこともあり、医療者としては悩ましく感じるところです。

 
 90年生きてきたから、100年生きてきたから、死ぬことに悔いはないと思っていらっしゃる方は少ないのではないかと思います。
 認知症があるない、は関係なく、つらいものはつらい…。

 
 がんにかかったことによるつらさというものは、年齢には関係がない、とひしひしと感じる今日この頃です。
  

成長中!

2011-05-04 04:13:25 | 緩和ケア病棟

 病棟にいる赤ちゃん金魚たち。
 すくすくと育っております。

 生まれて1ヵ月以上になるのですが、もう、それぞれに大きさに差が出ています。
 きっと、食い力の違いではないかと…。
 
 実は、あれから3回も卵を産んでくれまして…。
 うちの病棟の水槽だけでは飼い切れなくなったので、別の部署でも飼ってもらっております。

 みんな、赤ちゃん金魚には、愛情の視線を送ってくれるのですが、最近…、親金魚ちゃんの注目がなのです…。
 餌やりも忘れられていたりして…。

 
 いやいや、親金魚ほどみてると楽しいもんはないと思うんやけどねー。
 
 
 親金魚ちゃんには、「もうそろそろ、無秩序な家族計画を、やめにしてくれないか…」と、言い聞かせております。
 

道を師匠に

2011-05-01 23:31:55 | 日々の「ケア」

 いい年になると、「叱られる」という機会がなくなる気がします。
 特に私は、職場で新人の頃、そしてまだまだ一人前と周囲の人からみてもらえない時代?には、それはそれは、相当なお叱りを受けたものです。

 
 私自身、新人の時代には、決して、出来のいい看護師ではありませんでした。
 たまたま、私の義姉が同じ職場に勤務していたということもあり、なぜか、うちの母親が私の仕事のことを知っていたりして…。
 「あんたー、大丈夫?」なんて声をかけられたときにゃーーー。

 とほほ。
 でした。

 そんな時代は、誰しも経験しているはずですが、経験を積むに従って、いえ。年数を経るに従って、その時の気持ちというのは薄れていくのではないかと思うようになりました。
 経験は、確かに、素晴らしい財産です。
 そこから生まれてくる、教科書には載っていない感性や堪といったものは、その人だからこそ持っているともいえるものもあります。

 
 そこんとこを、大切にしたい…。

 そう思うのですが。


 
 過去に苦労して得たものや、成功体験というものは、必ずしも「今」に役立つとは限らない。

 そう思うことが多々あります。



 こうすればうまくいく。
 これは、こうすればなんとかなる。そういうものだ。


 そんな思い込みは、自分が経験していないことや時代の流れにのった新しいことについていくことを阻むものではないかと思います。


 
 特に、ベテランさんとなると、他人から意見をされるのがとても苦手なように思います。
 決して、その人自身を攻撃しているのではなく、ケアの内容や患者さんにとってどうなのか?といったところから議論したいと思うのですが、ハナッから拗ねてしまって、お話にならないことが多々あります。

 そして、意見をしたものがスケープゴートにされ、インフォーマルな場で、ひそひそと噂話が繰り広げられて…。
 自分の耳に戻ってきたときには、自分が全く言葉にしていないことが言葉にされたなんて言われ…。
 唖然としたことが何回もあります。

 
 どーして。
 患者さんの話はゆっくりと耳を傾けられるのに、同じスタッフ同士には耳を傾けられない?そう思うこともしばしば。

 そこには、感情というものがいつもはびこっていて、自分にとって本当に必要なものを受け取ろうとすることを拒んでいるのだと思います。
 
 
 意見をする方も、言葉を選んだり、タイミングを計ったり、配慮が必要だと思います。
 特に、職責のある者は、言葉というものを慎重に選んだ方がいいのだと思います。


 ただ。




 私が言いたいのは…。


 師匠というのは、「人」ではなくて、「道」だということ。

 自分から学ぶ姿勢、謙虚な姿勢、自分以外の異なった考え方を否定的に捉えてしまうと勿体ないことが多い。


 それに尽きます。