緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

大切な時間

2011-09-28 22:53:09 | 患者さん
 
 香月さん(仮称)の命の輝きは、今、消えようとしているのか…。
 いえ。
 今もしっかりと輝いています。


 香月さんのお母さんは、もう、ずいぶんと長い間、自分よりも先立ってしまう息子さんのことを思い、心を痛めてこられました。

 その香月さんは、先日、ご自分の意思で鎮静することを選ばれました。

 
 親よりも子どもが先立つことの、親の心の痛み。
 想像はできても、おそらく、その想像はとてもとても、ご両親の思いには及ばないくらいの…、そんな痛みをご両親は感じておられるのだと思っています。


 今日は、日勤が忙しくて、日中に香月さんのお部屋にうかがうことができなかったので、勤務が終わった後、お部屋にうかがいました。



 先客は、うちの主任。
 
 香月さんのお母さんがいろいろとお話をしてくださいました。
 主任と一緒に、香月さんの体にそっと触れながら、お話を聴きました。


 香月さんとの思い出話。


 ひとつ、
 ふたつ、
 みっつ、
 よっつ、
 いつつ、
 むっつ、
 ななつ、
 やっつ…。


 あふれるように出てくる思い出話。
 あはは…。
 心の底から、笑いながらお母さんのお話を聴いていました。


 
 香月さんは、フェノバールを使って、眠られています。
 以前と変わらない「おかん節」が炸裂していましたが、香月さんはフェノバールのおかげでしっかりと眠っておられるために、反応はありません。


 お母さんは、香月さんに声をかけます。
 「おい。看護師さんが来てくれてんねや、ありがとうくらい、いいやー。」

 香月さんの息遣いは、ご自分のペースを保たれています。



 香月さんがとてもとてもしんどくて、鎮静を希望されたことはご両親も了解されていたことでした。
 いざ、香月さんとお話ができないとなると、体が楽になったことは安堵できることだけれど、やはり…。
 さみしいと感じる思いは抑えきれないようでした。
 当然のことです。



 お母さんのお話を聴きながら、暗黙の了解?で、主任と私は共同作戦…を展開…?


 ほんの数日前まで、「トイレには自分で行かなきゃ」と思っていた香月さんはずっとリハビリを受けておられました。
 うわごとのように「ストレッチをしてください」とおっしゃってました。

 鎮静をされても、ストレッチは続けていました。


 主任と私は、香月さんの体の左側の腕→左側の足→右側の足→右側の腕の順で、
 主任はストレッチ、私は爪切り(爪がのびていたのでねー)、という感じで、ベッドの足元を、主任と二人で半周しました。




 
 いろいろな話をしながらの、この時間。
 お母さんは思い出話をしながら、このところ、息遣いが弱くなった香月さんの様子が、夜は特にわかりにくいと話されました。
 そうそう。お話ができていた時には、お母さんは香月さんの息遣いに耳を傾けながら、香月さんが眠れているのか、しんどいのか、ってなことを感じ取られていましたっけ…。

 鎮静をして眠っている香月さんの息遣いは、以前に比べるととても弱弱しくなっています。


 そこで。
 お母さんが寝ているソファベッドのそばまで、香月さんが横たわっているベッドをずずずずずzzzzz…と移動させて。
 ベッドの高さを、お母さんが横たわっているソファベッドの高さに合わせて…。


 きっと、お母さんの安心は、香月さんの安心…。
 残り少ない大切な夜を、少しであっても無駄にするわけにはいかんわなぁ。





 

 大切な時間は、大切にしないといけないときに存在感をより、いっそう増します。
 命が終わるときには、大切な時間は、よりいっそう、大切にしないといけないものとなります。
 
 この時間の流れには、医療・看護・患者さんとご家族との時間などなど、日々、ご本人を中心としたいろいろな時間が流れます。
 
 
 私たちも、ご家族と同じようにこの緩和ケア病棟に入院された期間の思い出はたくさんあります。
 香月さんから教えていただいたこともたくさんありました。



 私たちも、香月さんを失うのはつらい。
 香月さんのお母さんが悲しむ姿をもるのはつらい…。



 でも、
 その時々の時間が与えられた意味を、少し立ち止まって考えることができるなら、きっと。
 ご家族は、いつか、過去の日々を思い出しても、激痛だけが残ることだけは避けられるのではないか…。
 いや、そうであってほしい…。


 だから、患者さん・家族さんとの時間は、どの場面をとってみても、大切にしなきゃなんないんですね…。
 与えてもらっている時間と、自然に思えることができればいいですね…。

  

 

 何が言いたいってね。
 
 私は、香月さんとそのご家族と、今の時間を持たせていただいていること自体に、感謝したいんです。
 
 

 
 

 香月さんは、次の日に亡くなられました。

 

複雑な人間関係

2011-09-28 04:46:45 | 日々

 世の中には、
 いかんともしがたい人間関係というのは存在するものなのですなぁ。

 関係の修復よりも、
 ひょっとしたら、お互いが、その時を何とか過ごすことだけでも「よし」とする方がいい時も、あるものですなぁ。
 
 ああ。
 複雑。
 

ツイ友?

2011-09-25 15:09:15 | 触れ合ってくださる人々

 友人の勧めで、最近、ツイッターを始めました。

 こんなどんよりした気分ですが…。


 思わず、嘆きをつらつら書いていたら、励ましのツイートをいただき、とてもありがたくて…。

 
 とても温かいお言葉をいただきました。
 
 もう少し、考えてみよう…。
 もう少し、借りれそうな力をちゃんと借りてみよう…。
 もう少し、これは前を向いてやる行動なんだと自分を言い聞かせてみよう…。

 
 どないにも、こないにも、私には決断が必要なようです。
 

モチベーション

2011-09-24 06:20:50 | 日々の「ケア」

 緩和ケアをやっていこうと思う、モチベーションって、何なのだろう?


 そう思うことが多い、今日この頃。


 たぶん。
 私は、愚痴ったり、落ち込んだりしつつも、きっと、打たれ強いのだと思う。
 そして、自分にいいようにいい加減なところがあるから、緩急がある程度あって、それはそれ、これはこれって、自分の中で割り切れるところがあって。
 だから、結局のところは持久力があるのだと思う。

 この場面、この出来事。
 しんどかったこと、患者さんやご家族から苦情があったこと。ああすればよかったと思うのに、できなかったこと。

 それに対して、
 自分はどうあればよかったのかな。
 いったい、みんなはどんなケアをしているのかな。
 文献ではどんな風に述べられているのだろう。

 自分の経験と、自分以外のところで語られていることを比較したり、あてはめてみたりして。


 自分がこう変われば、これからのこと、これまでのことは変わるかもしれない。
 いえいえ。変わるなんて、言い過ぎかもしれないけど、ちょっと、心がけを変えるだけで、目の前で起こっていることの、自分の受け取り方が違ってくるかもしれない…。

 

 そう思っていろいろやってきたのだけどねー。



 目の前で起こっていることに対する受け取り方はさまざま。










 自分が思う、緩和ケア病棟でのケアって…。


 ちょっと、話は変わるかもしれないけど。

 本気で、緩和ケアをやりたいのか。
 そこのところで、モチベーションは変わってくるのではないかな。


 一般病棟のケアと比べると、緩和ケア病棟でのケアは、とてもゆとりがあるように見える。
 緩和ケア病棟でも、そんな「ゆとり」を求める声が、ポンが属する病棟では多く存在する。

 「ゆとり」

 それって、何?

 自分たちが満足いくケアを行える時間が確保できること。
 ケアをする自分たちがしんどい思いをしないようにできること。
 
 

 それは、本当のゆとりなのかな。
 まるで、自分たち中心じゃないのか。


 緩和ケア病棟は、一般病棟からみると、時間の流れがとてもゆったりしているようにみえる。
 だけど。


 今、この瞬間を逃したら、次はない。きっと、今やらないと、後悔が残る…。
 今、この時にしっかりと患者さんやご家族としっかり話をしないといけない。
 今、どんなに忙しくても、できるだけ、今までと同じようにケアをしないと、この「今」という時間が損なわれてしまう。「これまで」の時間が壊れてしまう。


 そんなことが多々あるのが、緩和ケア病棟だと思う。



 「時」を大切にしつつ、ある程度未来の時間単位での予測をしなくてはならないこともあるのが緩和ケア病棟。
 それって、ひょっとしたら、救命救急が必要な事態と同じことではないかと思う。


 命の尊さ。
 命の重み。
 命が育むその人の人生とその人の存在。
 その人が必要としている家族などの大切な存在。

 それらを大切にすることは、医療のどの分野においても、決して一致しないことがあるはずがないと、私は思う。



 

 そこで、自分たちとゆとりを求めるのはいかがなものか。
 
 患者さんやご家族はゆとりのない状態で緩和ケア病棟を訪れる。


 だから、医療者にゆとりがなければならない。
 その論理はわからないでもないが、緩和ケア病棟に入院したいと希望している患者さんやご家族のニーズに応えるにあたり、自分たちのゆとりを求める姿勢はいかがなものか。





 緩和ケア病棟というところは、決して、たっぷりの時間があって、ゆとりを持ちながら、余裕綽々のケアを行うところではない。
 緩和ケア病棟は、緩和ケア領域の「救急救命センター」のようなところであるときも多々あるところだと思う。




 緩和ケアをしっかりと理解していないと、結局のところ、モチベーションは底をついてしまう。
 

 緩和ケアって、ゆったりと、どの患者さんにも、ご家族にもゆったりと接して、私たちにも時間がたっぷりあって…。
 
 そんな楽園みたいな病棟が、この世にあるはずがない。
 残念ながら、今のシステムではありえない。



 自分が思う緩和ケア病棟は、そんな感じ。



 だけど、「ゆとり」がないから、私たちはケアをできません、と、スタッフから声が上がった。




 この病棟、どうなるのだろう?
 本当にそう思った。



 緩和ケアを、とてもゆとりのある病棟だと思って、ゆとりがあって当然と思っている姿勢にびっくりした。
 

 自分たちのゆとりを前提に、患者さんやご家族のケアを考えていたら、おそらく、必ず頭打ちがくる。
 それを、組織や管理のせいばかりにしていては、その組織やチームの未来はないだろう。

 ゆとりのない医療は、今の現状。
 その現状は決してよいものとは思えないが、今、ここにないものを求めて、自分たちができないと根を上げるような状態で何が生まれるのだろうか。
 ないものねだりでは、前進はないと思う。

 ないものばかりだけど、あるものをいかに活かしていくのか。
 今、ある資源をどう活用するのか。


 そんな視点がないと、モチベーションは育まれず、モチベーションは誰かが変われば自分のものになる。
 そんな誤解が生まれてしまうのだと思う。







 自分のモチベーションが育まれないのは、自分以外の人が原因である。





 本当にそうなのだろうか。
 


 





 私は、自分の芯から、緩和ケアをやりたい。
 


 でも、やろうとすると、どうも、軋轢しか生まれないみたい。


 


 私は、緩和ケアをやりたい。
 緩和ケアというと、「がん」患者さんというイメージがあるが、緩和ケアの概念は、その患者さんにも当てはめることで。
 
 とにかく、患者さんとそのご家族の声に耳を傾け、一緒に考えていくケアをしたい。



 

 今の自分の属する場所に限界を感じつつ…。
 


 自分の在り方を、今後の自分を見つめなおしているポンなのでありました。


 

 

死ぬ時のうまい仕組み

2011-09-18 12:53:12 | 言葉

「誕生のメカニズムがこれほど巧妙にできているなら、死ぬ時もうまい仕組みがあらかじめプログラムされているのではないだろうか、いや、備わっているはずだと。」 
 対本宗訓

 多くの患者さんの看取りをしてきたけれど、死ぬ時のうまい仕組みってなんだろう?って思う。
 よくわからないなぁ。正直なところ。

 死がまさに近づいてくると、苦しさは感じないとは聞いたことがあるし、確かに、意識がなくなってくると、そうなのかもしれない。
 でも、それまでの道のりがとても険しいから…。

 私はまだ、死ぬ時のうまい仕組みと聞くと、うーん…、うーん…、って考えてしまう。
 

元気をもらった~

2011-09-12 01:18:01 | offの日

 土曜日から、大学の編入時代の同級生とお泊りで同窓会?をやってました。
 
 いつも、ホテルで泊まるときには、夕食は部屋で買ってきたものを食べて、お酒も飲んで、わいわいやってます。

 かなりかなりっ、愚痴も聞いてもらった…。
 本当に感謝、感謝な時間でした。

 また明日からぼちっとがんばれそうです。
 

この時期のmyイベント

2011-09-10 08:22:17 | 

 あっという間に9月が来てしまいました。
 
 この時期が来ると、看護学校での講義が始まります。

 講義資料はある程度、前年度のものがあるので、それをパワーアップさせて、準備はぼちぼちできているのですが…。



 去年、講義をさせていただいたときには、講義の時間帯が、一日4時限のうち、昼の休憩を挟んでの2時限・3時限で講義をさせていただきました。
 この時間での講義って…。


 かなり、時間のむだーーーっ。


 昼の休憩時間を入れると、時間のロス。
 そして、往復で3時間以上はかかりますから、その日一日の病棟でのお仕事は「ぱ~~~~~」になるんですねぇ。
 
 でも、休憩時間中に、ほかの講義で来ていらっしゃる講師の先生のとの出会いも捨てたもんじゃないのですが…(名刺の出番っ)。
 (地元の医療関係者との出会いは、どの領域の方であっても、特に大切にしたいものです…)
 それにしても、毎日かつかつのポンですから、業務を優先として考えてしまうところがあって…。
 

 今年は。
 看護学校の先生が、ポンがより一層忙しくなったということへのご理解を下さって、早い時点から、「いつ頃の講義がよろしい?」と聞いてくださったので、無駄な時間を浪費しなくてすみそう…。


 
 ところで。
 学校の終了時間は、勤務終了時間よりも早いわけで。


 病棟に何もなければ。
 ああ。
 何もないことを願いたい…。

 何もなければ。
 講義が終われば、直帰!ということで、自分の時間に充てたいと思いまする。


 学生ちゃんとの出会いも、大切にしたいと思います。
 私の緩和ケアに対する志を、しっかりと伝えてこようと思います。
 あ、もちろん、知識もね。


 将来、緩和ケアをやってみたい、緩和ケアは必要なんだと思ってくれる人を、ひとりでも増やすために。


 

台風

2011-09-03 19:43:21 | offの日

 台風がきたので、今日、予定となっていた研修などなどが中止になりました。
 
 このところ、とても心身ともにきつい日が続いていたから、ちょっとは休め、という意味でもあるのだろうか…、と思いながらお休みしてました。

 それにしても。
 お休みするなら、台風をきっかけでなくてもいいものを…。
 青空の下で、お休みしたいものです。


 
 台風での被害ができるだけひどくならないことを祈りつつ…。
 

あかん

2011-09-01 22:59:22 | ぼやき

 チーム医療とはいいますが、チームでケアするって難しいですね。

 
 緩和ケア病棟の師長を拝命して1年も経っていないのですが、これまでいろんなことがありました。

 専門看護師としての活動に時間を割くというよりも、病棟師長としての役割に時間を取られる毎日でした。

 
 残念です。
 少しずつ、病棟の風通しの悪い風土が、変化してきたと思っていたのですが。
 できるだけ、スタッフの意見を全体の意見に反映するように話し合いを持つようにして、「緩和ケアって…」ということを少しずつ、伝えてきたつもりでした。


 残念ながら、
 相変わらず、陰口、仕事に対するプロ意識が足りない不満が病棟に蔓延っています。
 
 まだ師長になって、1年も経ってないじゃないか…。


 そう思いたいところですが。


 残念なことに、個人的な攻撃を受けるようになってしまいました。




 今日。
 そんなことがありました。

 個人的な攻撃であっても、そこが、話し合いの余地があるのなら、イライラする内容であっても、話し合いの余地があるのですが、「ポンはずし」が始まりました。
 ほかのスタッフがいてるところで堂々とでした。
 

 相当、ショックでした。
 

 専門職の技量のお話というよりは、人としてのお話でした。


 攻撃をしかけてきたスタッフ以外は、何をしていたのか?というところですが…。
 そんなことがあまり議論できない脆弱さが今の病棟にはあります。

 

 ぼちぼち、やっていこう…。

 そう思っていたのですが、どうやら、限界のようです。
 

 職場を選ぶことも必要かもしれない…。
 

 自分の今後のことを腰を据えて考えないといけない、と真剣に考えさせられた一日でした。