緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

やっぱりネガティブ

2008-10-19 22:45:35 | 

 ネガティブ星からやってきた、ネガティブ・どっすんうじうじ星人、とは私のことか…。
 本当に、最近、落ち込みやすい。今に始まったことではないのですが、相変わらずな自分に、がっかりです。
 

 周りの人は、私がとてもそつなく仕事をこなしているように見えるらしいですが、当の本人は、「どうしてもっと、仕事を楽しめないのかなー。」と頭をかかえている状態。
 この仕事、役割は自分には向かないわーとまで考えてしまう今日この頃。

 でも、こんなどっすん落ち込んだ時にこそ、何気ない人とのかかわりに励まされたり、ありがたく思ったりするんです。
 
 私は、「認めてもらいたい」とか、「よく見てもらいたい」「失敗しちゃだめだ」とかとか、自分は傷つきたくない気持ちがとても強いのだとわかっているのですが。友人からは、理想が高すぎる、といわれます。理想、リソウ、りそう…。困ったもんだ(意味不明)。

 つまり、気にしーな上に、気が弱いところがあって。なのに、無頓着な言葉を発するから、後悔して。

 
 …とまぁ、やっぱりいつもの通り、ネガティブ星人は、stableです。
 
 この気持ちは、明日に持ち越さないように、お風呂で洗い流してきます。
 

感謝の言葉を受け取るのになれていない私たち

2008-10-15 22:07:18 | 日々の「ケア」
 
 私の属する緩和ケア病棟では、主に、「緩和ケアを主体とした」治療を受ける方が入院されることが多いので、対象となる方は、残りの時間が限られている方が入院されることがほとんどです。

 この時期、つまり、がんを治したり、がんと闘ったりすることが困難な体調になる時期には、それまで以上に患者さんの気持ちも複雑になります。
 
 これまでの自分の生き方、人とのかかわりの中で「もっと、こうすればよかった」という後悔。
 どうして、何も悪いことをしていない自分がこんな目に合わないといけないのか、医療者はもっと、もっと「こうすべきだ!」という怒り。
 病気は、きっと、これまでに自分が人を大切にしてこなかった、自分を振り返ることがなかったせいだ、などという罪悪感。
 死ぬのが恐い、夜寝たら、もう目が覚めないような気がする、といった不安、恐怖感。
 これまで必死に周りの人に尽くしてきたつもりなのに、病気になった途端に周りの人との接点がなくなり、淋しくて仕方ない孤独感。
 さまざまな気持ちになります。

 ケアをさせていただく者から考えると、これらの気持ちは「何とか和らげたい」と思うものであります。つまり、患者さんは「つらい気持ちにある」と考え、あの手この手を考えながら、ケアを提供させていただきます。

 このような時期に、後悔、怒り、罪悪感といった心境になることは、状況を考えると、まずは「当然である」と私たち、医療者は受け止めます。ですから、患者さんの怒りやいらだちを「不合理なもの」と短絡的に受け止めることはまず、ありません。

 よくよく考えてみると、後悔、怒り、罪悪感といった気持ちは、一般的にいうと、「負の感情」でしょう。この時期には、そうなる方が大半だと私たちは思っております。

 ところが。

 今、入院されている患者さんに、死を受容し、不満ひとつをいわず、感謝の弁を医療者に向けてくださる方がいます。

 どうしてこんなことを言うかというと…。

 あまりにも患者さんが私たちに感謝しすぎるからです。
 この方は、部屋に行くたびに、今にも涙されんばかりに「ありがとう…」と感謝の意を表明してくださいます。
 うちの医師は、手を握られ、感謝され、「私は金正日よりも幸せだー」という患者さんに対して、「多幸感」があるのではないかといったくらいです。

 これをどう、考えるか。

 私は、ぴんときました。

 「私たち、医療者は、残された時間が限られた時、普通は患者さんは何らかの負の感情を抱くものだ」と思い込んでいる、いえ、そんな経験が積み重なっているせいで、この患者さんの言葉のそのものを受け取れなくなっているのではないかと。
 例えば、この時期の患者さんがステロイドで多幸感があるとしても、感謝の気持ちを伝え続ける状況というのは、患者さんが不快でなければ、何の問題もない。
 むしろ、その状態を「何かあるのかな?」と思う自分達の考え方を改めないといけないかもしれないとも思いました。

 カンファレンスで、私は言いました。

 「私たちって、感謝の言葉を受け取ることになれていませんよね。」

 臨床心理士さんも言ってくれました。
 「患者さんの気持ちは素直にありがとう、と受け取ればいいのではないでしょうか。」

 各いう私も、感謝され続けると、猜疑心を持ってしまいそうなのですが…。

 自分の今の「立場」上、スタッフの意見を聴いていると、客観的にそれを見ることが(珍しく)できまして、「素直に患者さんの気持ちを受け取ろう」と発言できました。

 勿論、患者さんがそのような言葉を私たちにくださる以前に、スタッフの皆がさまざまな介入をしていることは当然のことです。

 この機会に、自分達の介入を「OK]とすることを実感することも、これからのケアに必要なのかもしれないということをひしひしと感じました。

 今日は、その患者さん、「ラスト侍」をみて、日中の時間をエンジョイされてました。
 このような時間は、目を細めたくなる、とても大切な時間だと思います。
 
 日々の小さなことから、「自分は自分だ」「自分は生きているんだ」「自分は関心を向けられているんだ」という感覚を持っていただけるようにケアさせていただきたいと思っています。

 この患者さんに、感謝。
 


 

比較してみると

2008-10-10 00:35:17 | 

 緩和ケア病棟で勤務ができて、よかったな、と思えることは多々あります。

 細かいことをいうとキリがないのですが…。

 少なくとも、緩和ケア病棟で勤務する前の自分と、今の自分とでは違っていることがあります。

 それは。

 つらい症状緩和のためみ、自分がすべきことの焦点が定まったこと。
 治療方針の決定のために、患者さんや家族とのコミュニケーションがとても大切なことを実感したこと。
 薬剤の匙加減を知る前に、その薬剤の情報(エビデンス)と自分の経験としっかりと照らし合わせること。
 予後の予測は立てにくくとも、経過の予測は立ててその経過の速度に合わせて、患者さんや家族にかかわること。
 
 今、認定看護師の卵さんが実習に来られてますが、自分の見解を伝えながら、患者さんのケアの方針を考えているうちに、前記のようなことを思い浮かべました。

 これって、自分が成長しているって証???????
 と、思いたい。

 でも、日々の患者さんや家族とのかかわりの中では、その思いが「がっしゃーーーん」と崩れることも多いものですが…。
 
 患者さんへのかかわりが、自分自身が良かれと思った結果と反して、複雑になったときこそ、自分を、自分自身の関り方を振り返る、とてもいい機会だと思えるようになったのは、緩和ケア病棟での勤務のおかげです。
 
 医療者の全ての人が、緩和ケア病棟じゃないとがん患者さんへの自分ケアの振り返りができないのか、というとそうではないのかもしれません。
 私の場合、「苦悩を与えてもらっているという」感覚とともに、「その苦悩があってこそ、その苦悩があっていいのだ」という感覚が生まれてきています。

 
 「~あるべき」論では、なかなか上手くいかないことがたくさんあります。
 私の目指すところは、「柔軟性」のある介入ができることです。
 
 自分自身がネガティブなので、これを克服するにはまだまだ時間がかかりそうですが。
 

 

10月ですね

2008-10-06 00:04:14 | 日々
 
 すっかり、秋が来ました。肌寒さが私には心地いい…。

 10月からは認定看護師の卵さんが実習にやってきます。彼女達の不安はとても大きそうですが、受け入れる私もちょっと不安…。
 うちの緩和ケア医と師長に、私は宣言。

 「私は虚勢を張りますからー。」
 
 張れるだけの虚勢があれば、まだましよ、とか、云々…、ぶつぶつ。
 寒くなってきたけれど、私のネガティブの花は満開!です。