阪下さん(仮称)は、咽頭がんの患者さん。気管切開をされていて、頚椎に転移がみられています。手足の麻痺もあります。お腹には「胃ろう」というものがあって、栄養はそこから注入しています。そして、コミュニケーションはできることはできるのですが、終日、うとうとされていることが多くて、複雑な内容の話をするのは無理かな?と思われるところがありました。
その阪下さんとの会話は、看護師が尋ねたことを、頷きやら、首を横に振ってもらうやらでやることが常でした。
スタッフの多くが、阪下さんの意識はぼんやりしているので、こちらのいうことがどこまで理解してもらえているのかな?と疑問を持っていたと思います。
私もそのうちの1人なのですが、それでも、阪下さんは時々、おや?っと思うような言葉を発することがあります。
ある日、坂下さんが胸痛をおっしゃりました。急いで、心電図をとったのですが異常が見られませんでした。心電図は異常なかったよーと阪下さんに伝えにいったところ、もう、すっかりと胸痛はおさまっているようでした。
そこで、私は阪下さんに聞きました。
「阪下さん、胸は痛くないの?大丈夫?」
そしたら、阪下さんのお返事ときたら…。
「ポンさんへの、恋煩いかな…。」


これには、阪下さんの奥さんと大笑いしました。
その阪下さん。とても痰が多くて、少なくとも、勤務帯のうちに2~3回は首のところにある気管切開したところから管で吸引して痰をとらなくてはなりません。口の中にもたくさん痰がたまっているので、どうしても両方から痰を吸引しなくてはならない状況が続いています。
阪下さんはうとうとしているし、口の中はがびがびに乾燥しているし、こりゃ、どうしたものかなと思って、前の病院からの処方を見直していると、理由がわかりませんが…、アミトリプチリンが使われていました。
おお、こりゃ、日中もうとうとするわけやわい、んでもって、抗コリン作用で口も渇くわけやわいなーと思って、医師にアミトリプチリンを中止してもらいました

そして、口の中の感想の対策として、医師が麦門冬湯(うー、あっているかな?漢字)を処方してくれて…。
日中のうとうとも、口の中の感想もいい感じに良くなってきたぁ。

奥さんは、以前よりも阪下さんと会話できることをとても喜んでくれました

ところが、このところ、阪下さんが、口の痰を吸引することやら、胃ろうからの注入すら拒否されるようになりました。
みんなで阪下さんをなだめながら、処置をさせてもらってました。
ほんとは、ポンとしましては、ずっと気になっていました。
阪下さん、いつか、ストレスがたまって、血を吐くことにならへんかな?と思っていました。
いわゆる、ストレスによる潰瘍ができるかも、ってことです。勿論、プロトンポンプインヒビターを使用して、薬剤による潰瘍の予防は施しております。
阪下さんの状況を考えてみますと、私たちの想像を絶するくらいのストレスがあると思うんですね。
気管切開のところや口から吸引される…。これは、無気肺や感染などを予防するためには必要だとしても、阪下さんにとってはとても苦痛なことです。気管切開のところから吸引するときには、阪下さんのお顔は真っ赤っかになります。必死に吸引に耐えてくれています。
体のために必要な処置なのですが、吸引するということは、阪下さんの意に反するところがたくさんあるのではないか…。
それで、阪下さんは処置を拒否されているのではないか…。
ある日の朝、阪下さんに話しかけたところ、いつもに増して、お返事が「文章になって」返ってきました。
お、これは会話できるチャンスかも?と思って、尋ねてみました。
「阪下さん、このところ、自分の思いに反して吸引されることが多いと思うけど、ストレスがたまってるんとちゃいますか?どないですか?」
そうしたら、阪下さんは、単語ではなく、私もびっくりするくらいの文章で自分の気持ちを語ってくれました。
「朝、5時から痰をとられるのはかなわん(=耐えらない)。」
「喉の奥に管をこつこつと当てられながら吸引されるのはかなわん。」
阪下さんの口元に自分の耳を近づけて、必死に話を聴きました。阪下さんの発する言葉は明瞭に聴き取りにくいので、聞き返すことも何回かありましたが、阪下さんは必死に話してくれていたと思います。
話を聴いていて、実は、私、涙がでそうになりました


そうか、そうか。やっぱり、それほどのつらさを感じていたのか…。そりゃ、そうだわな。しんどい「吸引」を毎日耐えていたんだね…。
吸引されることがどれほどつらいことか。
手足の麻痺があるから、手で管を振り払うこともできない、気管切開されているから、やめてくれーと声を出すこともできない…。
話を聴きながら、心で何度も、ごめんね、ごめんね…と叫び続けていました

しかし。体の調子を整えることも大切で、阪下さんの要望のすべてに応えることがベストではないことは確かです。
そこで、阪下さんの話をしっかりと聴いたあと、折衷案を阪下さんに提案させていただきました。
すぐさま、スタッフと介入の方法を話し合い、実行いたしました

そして…。
その後、私が阪下さんのお部屋に訪れたとき、私がそのことに触れなくても、阪下さんはお答えくださいました。
「だいたい……、うまくいってる………、治療(=処置のこと)。
医療者が患者さんの体の安楽のために行うことは、患者さんの気持ちまで楽にするとは限りません。
患者さんの体の安楽も大切、気持ちの安定も大切。そんな葛藤は、医療の場面では日常茶飯事に出会うことです。
医療者が思う、「患者さんにとってのよかれと思うこと」が医療者の「医療者よがり」にならないようにするためには、話し合って、患者さんやご家族の意向を聞きだして、如何にして折衷案を模索するかしかないと思います。
患者さんがつらい処置に耐えられるのは、患者さんがその処置がいかに必要かを理解して、その処置を患者さんが「医療者に任せられる」と安心でき、常に患者さんの意向を確認しながら、処置の方法を患者さんの意向に合わせて、微調整できるからだと思います。
つらい処置に耐えられるのは、自分の「意思」が反映されているからです。
忙しい業務の中では、「痰の吸引」は業務の1つとしてしかみなせない環境が存在することは確かです

でも、私の立場としましては、忙しい業務の隙間を埋めるようなことが求められ、それを実行できるように患者さんやご家族だけでなく、スタッフにも働きかけることが求められていると思っております。
今回のことは、そんな、隙間を埋める役割を果たせたかな、と思っています。
ああ。随分と長く書き連ねてしまった…。
これからも、阪下さんとのお付き合いは続きます…。
