緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

話を聴くこと

2009-01-31 23:52:14 | 日々の「ケア」

 人の話を聴く時、特に、話の内容が陰性感情が含まれている時には、なるべく、自分の価値や判断を相手に押し付けることにならないように気をつけています。
 
 患者さんやご家族の話を聴いていて、「うまく聴けたなー」と思えるのは、実のところ、私はとても少ないのが現状です。
 
 もともと、私は「自分は本当に、つらい状況にある人の話しをちゃんと聴けていたのだろうか?」という疑問を持っていました。
 それは、「患者さんやご家族は、話したいと思うことをちゃんと、伝えることができていたのだろうか?」という疑問です。

 今のポジションでさまざまな方の介入をさせていただくようになったのは、少なくとも以前(若かりし日々に比べて、ってことかなー)に比べると、話を聴けるようになったから、というところが大きいと思っています。

 話をしていただくべき人の状況が困難であれば困難であるほど、そして、信頼関係がうまく築けていなかったりすればするほど、話を聴くときには、緊張しますし、その分、話を聴いている間、自分のことばかりを考えてしまいます。
 そして、挙句の果てには、せっかく話をしていただいた内容が記憶に残らず、スルーしてしまうこともあるくらいです。

 おそらく、こういった態度は、話して下さっている人には大なり小なり、伝わっていると思われます。
 
 話をしてくださる人が、
 「話を聴いてもらえた」
 「話をできてよかった」
 「話をしたら、気持ちがすっきりした」
 そんな話の聴き方ができるように、まだまだ鍛錬したいと思います。

 その極意は、相手からも、自分からも逃げないこと、でしょうか。
 

立ち止まって考えてみよう

2009-01-25 22:09:22 | 日々の「ケア」

 入院されている患者さんには、ご家族を含めて、どの方もケアは必要とされていると思います。
 日々、ケアを行っていると、患者さんやそのご家族のケアに必要とされる時間や「密度」によって、スタッフの注目度と労力と必要性をどれだけ感じているかというのが患者さんによって違ってくるものだと思います。

 勿論、それは、患者さんの重症度によることが多々あります。
 患者さんの病状の進行は、患者さん自身だけでなく、ご家族の心身の状態にも大きな影響を与えます。
 
 医師や看護師などのスタッフが、時間をかけて、患者さんやご家族のお話を聞き、日々のケアを行っていても、人の最期というものは、そう簡単に受け入れられるものではありません。
 悲しみや怒り、後悔、自責、諦め、無力感といった気持ちを抱くのは、当然なこと。少しでも穏やかに、少しでも笑顔で、少しでもありのままの姿でいられるように日々、患者さんやご家族のそばにいつづけようと思っています。

 一見、心身ともに「落ち着いている」と思える患者さんやご家族がいます。
 「この患者さんには時間をかけてかかわらなくちゃ!」「このご家族のお話はちゃんと聞いておかなくちゃ!」という患者さんがいると、スタッフ全員はそこに必死になります。
 カンファレンスの時間は、自ずと、「ケアが必要だ!」と思っている患者さんやご家族についての話し合いに割かれます。

 ところが、スタッフがへろへろに疲れるくらい、必死に「ケアが必要だ!」と思っている患者さんやご家族にかかわっているうちに、一見、落ち着いていると思える患者さんのケアへの注目度が下がってしまうことがあります。

 ある患者さんやご家族に必死になってケアをしている時こそ、注目度が下がってしまう患者さんがいるのではないかと思います。

 スタッフは、意識的に一見落ち着いて見える患者さんを注目していないわけではありません。自分を含めて、患者さんの状況の全体を見渡すだけの余裕がなくなってしまうのです。

 自分の役割は、患者さんの状況の全体を見渡して、ケアの必要度が顕在的な患者さんやご家族だけでなく、潜在的な必要度も見極めることだと思っています。

 けれど、最近の私ときたら、まるで目が曇っているかのように、目に映っている目の前の現象がケアが必要だと判断できていないときがあります。
 

 日々、患者さんの状況の全体を見渡すだけの余裕を持て!自分に言い聞かせておる次第であります。
 「ちょっと待てよ…」と、立ち止まって考えてみること。
 これが、患者さんの状況の全体を見渡せるための秘訣かもしれません。
 

自分に重ねて

2009-01-23 18:40:41 | 日々

 スーパーに買い物に行った時に、たまたま出会った、なじみのある顔。
 病院の病棟の掃除担当のおばちゃんだった。

 「おつかれさまです。」と声をかけた私。
 
 実は、スーパーで職場の人を見かけたその時は、常に「逃げちゃお~~」と思う私です。だってですね、かごの中を見られるのって、ちょいと恥ずかしいからー。

 でも、今日は何だかわからないけど、「堂々と?」おばちゃんに声をかけました。
 
 おばちゃんは、自分のかごの中身が「たいしたものではない」ということを話しつつ、ご自分の事情を笑顔で話し始めました。
 ご家族のことでした。聞いていると、家から逃げ出しても、誰からも「そりゃそうだよな」と同情してもらえそうな事情の中、必死にご家族のお世話をしていらっしゃることがわかりました。

 ご家族の事情にいろいろなことがある、というのはよくあることです。私がどうして今日、こうやってブログにまで書いているかというと。
 おばちゃんの普段からの笑顔があったからでした。

 おばちゃんは、朝早くから、病棟をお掃除してくれます。必ず、笑顔で「おはようございます。」ときちんと挨拶をしてくれます。
 おばちゃんは、病棟にひょこっと入ってきた虫退治に困っていると、必ず、笑顔で手を貸してくれます。そして、虫の説明までしてくれます。
 おばちゃんはいつも笑顔です。

 どうして、この人は、こんなに笑顔でいられるのだろう…。

 おばちゃんは、言いました。
 「普段から、(ひどいことを)言われなれてるから、少々のことなら気にならないわ。」
 
 おばちゃんの話を聞きながら、自分のことを省みざるを得ませんでした。


 逃げたいけど、逃げられない。
 逃げたいけど逃げられないから、逃げない。
 けれど、逃げないのは、自分の意思。
 逃げようと思えば、いつでも逃げられるのに、逃げないのは、自分の意思。


 逃げたいな、と思っている自分と、おばちゃんの逃げない生き方を重ねずして話を聞けなくて、ずっと、考えていました。

 おばちゃんが「ぼちぼち」とやっていけることを祈りつつ、さて、自分はどうしよう?と考えさせられた一場面でした。

 そう。
 私は迷っています。
 
 自分は、今のままでいいのかどうかを。
 

さみしいコール

2009-01-12 13:51:56 | 日々の「ケア」

 緩和ケア病棟に限らず…、のお話です。
 
 しばしば、ナースコールを頻繁に鳴らす患者さんに遭遇します。ナースコールは、患者さんが私たち看護師に「用事」があるから鳴らすものです。
 
 その「用事」というものは、時々、患者さんが思う「用事」と看護師が思う「用事」がずれている?時があります。
 看護師が妥当だと思いやすい「用事」としましては、『点滴が終わった』『痛いんです…』『おしっこをしたいのですが…』などなど。看護師が患者さんのもとにいって、何らかの行動をとれる「用事」は「用事」として認めやすいものです。

 しかしながら、患者さんの中には、コールを鳴らしてくださるのだけど、「なんのために呼んでくれたの?」と思ってしまうようなコールを下さる方がいらっしゃいます。
 一見、用事がないように思われるのですが、実は、そこには患者さんの「不安」や「さみしさ」というものが隠れていることがしばしばです。
 
 先日、夜勤の時に、連日のように夕方になるとコールをひっきりなしに鳴らす患者さんを担当していました。
 コールを受けて、患者さんのもとにいくと、「来てくれたん?さみしいわ。」と話されます。うちの緩和ケア病棟は全室個室なので、ひとりで過ごしている患者さんがさみしいと思うのも無理はありません。看護師がそばを離れるとまたすぐにコールがあり…。

 しかーし!「さみしい!」と訴える患者さんひとりのそばに、夜勤をしながらずーっとそばにいることはできません。
 ここんとこ、「業務をこなさなければならない」という思いに迫られると、看護師は「いーーーーーーーーーーっ!(いらいらのことね)」となるものです。
 本音は、「あたしゃ、あなた1人を相手にしている暇はないのよ。患者さんはあなただけじゃないのよぅ!」
 看護師さんなら、誰もが経験したことがあるのではないでしょうか、こういうことを。

 さて。
 先日の「さみしいコール」の患者さんに何とか対応しなければならなかった私が、どうすりゃいいかなーと、うーーーーーんと考えました。

 で。

 患者さんのもとに行く度に、歌を2曲ずつ歌いました。そして、歌い終わると患者さんに、「次の上演は、10分後です。それまでしばらくお待ちください。」とお伝えして、他の患者さんのもとに行きました。(実際に患者さんのもとに再び訪れるのは、15~20分後なのですー)
 患者さんは、「うわー、上手ー☆」と手を叩いて喜んでくれました。
 おかげさんで、コールがやや減りました。
 
 さっさと眠前の点滴を使えば眠りについてもらえるのですがね…。どうも、それをすると、自然な「おやすみなさい」じゃない気がしてね…。
 眠前の点滴をする定刻の20時まではなんとか患者さんのお相手をして、その後は、点滴でぐっすりと休んでもらいました。

 それにしても、即興で歌おうにも、自分の歌のレパートリーがあまりにも貧弱さなので、(自分に)びっくりしました。
 レパートリーは最初から枯渇気味でしたので、血迷って「ドナドナ」まで歌ってしまいました。心の中では…、「これって、めちゃ、さみしい曲やん!!」と呟きながら…。そして、歌詞もうそっぱちさ!
 

 急性期の過激に?忙しい病棟では、こんなことすらもやる余裕がないことは承知しております。
 

 

あけましておめでとうございます

2009-01-04 19:24:20 | offの日

 あけましておめでとうございます。
 昨年もずっと「ぼちぼち」でしたが、今年もぼちぼちといかせていただきます。

 どれだけの方が、ここを覗いてくださっているのかしら…、と思いながら、毎回綴っております。

 ま、とにかく、ぼちぼちといきます。
 
 本年もよろしくお願いいたします。