緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

へんてこな分数?

2008-08-31 02:13:08 | 日々の「ケア」

 それぞれの病院では、入院患者さんの食事摂取量はどうやって表現しているのでしょう?
 おそらく、主食と副食を分けて、目分量で数字にして表していると思います。それ以外の表現方法をとっている病院に出くわしたことは、まだありません。
 
 例えば、主食8割、副食3割、といった具合に。
 これ、まったくの目分量+観察した人の主観が入っている表現であります。別に、食事量は大体がわかればいいので、この表現で困ることはないのです。

 が。(でた!いつもの言い回し。)

 これを申し送りなどで表現すると、ちょっと混乱が起きるようです。
 主食8割、副食3割といった時には、「主食8割、副食3割」とは申し送りをしません。
 どういうかというと、
 『8分の3』、なのです。

 分母は主食、分子は副食ということです。

 8分の3なら、そう違和感がないのですが、2分の1と言ったら、どうでしょうか?

 2年近くうちの病院で勤務していた医師が「え~~~?」ってびっくりしていたのは、2分の1といったら、主食2割、副食1割ではなく、
 「食事量の全体の半分」と捉えていたからでした。

 納得。それは当然だ。

 ある医師はいいます。
 「そんな間違った分数を使うべきではない!混乱のもとだ!そんな分数は存在しない!」

 でも、存在しているのです、「馴れ」で。

 医師だって、私たちが表現している食事量が理解できていると、そう違和感を感じないらしいですが、違和感を感じると、とことんとんとん違和感を感じるみたいです。
 
 どうして、こんな表現をするのか、深くつきつめて考えたことはありません。ただ、私たちの言い回しにびっくりしていた医師の気持ちは理解できます。
 新人の医師たちには、ひょっとしたら、あらためて説明しないとわからないことかもしれませんね。

 「分数表現」をしない病院ってあるのかしら?

 医師たちの混乱を知っていながら、そこんとこは、概ねの食事量がつかめたらいいことなので、医師に「馴れてもらえばいいや」と思っているポンなのでありました。
 こんな些細なことよりも、もっと馴れてもらいたい事柄があふれておりますから。
 

人は生きてきたように死んでいく

2008-08-23 22:30:40 | 日々の「ケア」
 
 健康な時には、あまり気にもしなかったこと、それほど強くは意識しなかったこと、思ってもみなかったことが、一気にあふれ出す時期があります。
 それは、人が最期を迎える時期ではないでしょうか。

 緩和ケア病棟では、ほぼ、残りの命が健康な時以上に「限られた命」と直面せざるを得ない方々をサポートします。
 ですから、さまざまな人間関係に出会う機会が多いのです。

 「私は、いままで1人で生きてきた。自分のことはすべて自分でやってきた。」
 「私たち、夫婦は、お互いに夫婦なりに、誰の手も借りずにやってきた」

 …と、言える人って少ないかと思いますが、こう思っている方も少なくはないようです。自分達の人生を、誰かに干渉されたくない、自分達の思うように、生きていく、それはそれで「生き方」としては、その人らしさとして尊重すべきものです。
 だた、人が最期を迎える時は、そうはいかないものだと思います。
 
 「自分ひとりでは生きてはいけない」、そう感じるのが最期を迎える時だと思います。

 家族というものを見渡してみると、多くの家族が、患者さんの最期を迎えるにあたって、実に多くの「もやもや」を抱えていることがよくわかります。
 患者さんをお世話させていただいていると、スタッフの誰しもが感じます。
 「本当に、家族って、いろいろなことがあるな」
 「どうして、こんなに家族って、いろいろなことが起こるのだろう」

 いろいろなこと、というのは、単刀直入にいうと、「いざこざ」です。お互いをうまく受け容れることがでいない関係性です。

 私たち、医療従事者は、とかく、苦しんでいる患者さんを守ってあげたくて、患者さんのケアにあまり積極的ではない家族に否定的な考えを抱きがちです。
 でも、冷静に考えてみると、「本当にそうなのだろうか?」と思えてきます。

 
 「人は生きてきたように、死んでいく。」


 まさにこの言葉通りで、人の最期を迎える過程というものは、その人の人となりを表していると思います。
 どんな最期であっても、いい、悪いという判断や批評をケアに持ち込むべきではないと思います。
 
 できれば、1人の人の命が終わろうとしている時に、家族がいざこざなく、いい関係を持てて、関係を修復できればいい…、その思いを持つことは大切なことです。
 でも、それを願う医療者が、家族にいい家族であることを強要してしまうことも多々あると思います。

 家族の、家族なりの歴史やつながり、感情などをよく知らずして、「いい家族であってほしい」と思うあまり、家族の関係の修復をケアの目標にすると、患者さんも家族も、そして医療者までもが疲労してしまうことがあります。
 そして、大切なことを見失うことがあるかもしれません。

 私たち医療者が患者さんやご家族にかかわれるのは、その人たちの人生のほんの少しです。
 これを心に留めて、まずは、患者さんや家族の在り様そのものをうけとめるべきだと思います。

 すなわち、「どうして、この事態が起こっているか」を、ニュートラルに見つめることができること…。

 「この家族って、本当にいろいろあるわねー」と、ため息をつきたくなるときこそ、ふと立ち止まってみたいものです。
 
 それが、ケアのコツであるかもしれないと思います。
 

 

ぎょぎょ!

2008-08-14 23:52:30 | 日々

 最近、仕事が忙しくて、帰りが22時を超える日が続いております。

 勿論、車を運転して帰る時間帯は、辺りは真っ暗。

 いつもの道を運転して帰宅しておりましたら、わき道から車が一台、にょにょ!っと出てきて、その車は停止しました。
 先に直進できるのは、どう考えても私の車でした。
 わき道から走ってきた車は、私が直進しようとしていた道に大幅に飛び出て、車線の半分を占領するくらいのところで停止しました。

 「あっぶないなーーー」

 思わず、車の中で私は「柄悪い人」になっておりました。

 センターラインを超えて、相手の車を避けようとしたときに、相手の車の運転手が、ライトの灯りでみえました。

 「やつ」は私の方をみておりました。
 
 その瞬間、私がぎょ!!!!っとしたのは、「やつ」の顔が真っ赤かーーーーーー!だったことでした。

 よっぱーな「やつ」は、酔っていたので、停止線でうまく停止できなかったようです。

 「こわい…」

 酒飲み運転だけは、ぜーーったいにやめましょう…、危険すぎます。
 
 私の住んでいるところは、田舎ですから、居酒屋に車で来店している人も多くみかけます。
 酒飲み運転で、人に迷惑をかける…、もしかしたら命を奪うことになりかねないのですから…。
 
 ぜーーーったいにやめましょう。
 「やつ」を車から引きずり降ろし、地べたに座らせて、説教でもしてやりたいと思ったポンでありました(そんな勇気はありませんが)。