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緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

この頃の緩和ケア病棟

2013-06-23 02:18:25 | 緩和ケア病棟

 6月21日、緩和医療学会に参加してきました。
 本当は翌日も参加したかったのですが、ほかの集まりがあったもので、1日だけの参加になりました。


 自分が参加したセッションのうち、印象に残ったものがいくつかありました。
 印象に残るものをいただけただけ、学会に参加した意義があるわーと、感謝の気持ちでいっぱいです。



 そのうちのひとつ、私は緩和ケア病棟の現状と将来像というワークショップに参加しておりました。


 このセッションで何度か出てきていた言葉。
 急性期緩和ケア病棟、慢性期緩和ケア病棟。

 この言葉が気になって仕方ありませんでした。



 そうそう。
 自分がこのところ、自分の緩和ケア病棟でも感じていることが、今の緩和ケア病棟での傾向なのだなと実感したのでありました。



 何せ、患者さんと「ゆっくりと」かかわる時間なんてない。
 在院日数の短縮化、病棟稼働率をどう上げるか、などの課題と連動して考えると、このセッションで質問されていた方がおっしゃっていた、緩和ケア病棟の一般病棟化というのはどの緩和ケア病棟にも当てはまるのではないかと思えてきました。


 フットワークのよい、地域や患者さんのニーズに応えることができる緩和ケア病棟でないと、緩和ケア病棟の社会的な責任は果たせないのではないか、緩和ケア病棟の1床の価値をしっかりと考えないとと思って、これまでにやってきましたが…。


 何だか、これでいいんだろうか…と悶々としました。

 

 演者の先生は皆さん医師でした。
 ですから、看護師から見た緩和ケア病棟の現状と課題はよくわからないところがありましたが、きっと、演者の先生の病院の看護師さんはみんな、お疲れではないだろうかと察しました。
 ひょっとしたら、看護師さんのお疲れ具合がよく見えてらっしゃらないのでは…と思えたり。



 自分が属する緩和ケア病棟も、セッションで発表されていた「現状」とそんなに変わりません。
 
 緩和ケア病棟の一般病棟化と言われても仕方のない現状が存在しますが、時代の流れとしては仕方ないのかもしれません。



 
 時代とともに変化するのは、何に関しても同じことで、緩和ケア病棟も同じことなのですが、変化してもいいことと、変化してはいけないことがあると思います。
 
 ただ、自分が変化してはいけないと思っていることは、今の時代には合わない、時間もかかる、マンパワーも必要とする、エネルギーも必要とされる、そんなことが多くて、今の流れに逆行してしまっているのかしら…とさみしくなってしまいました。


 
 前に属していた緩和ケア病棟は今時珍しい?とてもゆったりとした病棟でした。
 決して暇だったのではありません。
 忙しかったけれど、緩和ケアをやっているという実感がありました。
 今の病棟との環境が違いすぎました。


 だからこそ、今の緩和ケア病棟に入職するときに考えたことがありました。


 在院日数の短い緩和ケア病棟(つまりは急性期緩和ケア病棟なのかもしれません)で、いかに自分が緩和ケアをやっていくかを模索するんだっ。


 こんなことを考えていました。




 今は、ちょっと疲れてしまっているところがありますが、それを考え直すいい機会になりました。



 さ。
 また明日からがんばろう。

 

 

 
 
 

夢占い

2013-06-08 09:25:48 | 

最近、
夢占いを見るようにしてて…。

見た夢をすぐに忘れてしまうから、
起きたら携帯ですぐにチェック。

で、
今日の夢は…。

なんと、
足の裏に違和感があって、
見てみたら、
足の裏に指が生えていた、というもの。

げげ。
気持ち悪くて、どうやって誰に相談しようかと迷っていた夢でありました。



で、占いの内容は…。

「夢の中で足に異常があれば、足止めを食らった状態、自分自身の理由で先に進めない状態」だそうな。

えー。
わたしゃ、しっかりと先に進んでおりますぞ。


・・・・・・・・。
いやいや……。
心当たりがあるでしょ、ポンさん…。



そうです、そうです…。



いやいや。
まだまだなのですね、
私。


古巣へ

2013-06-07 21:41:50 | 

 今日は、転居前の自治体の役所に用事があったので、久しぶりに古巣である、元、自分が勤務していた緩和ケア病棟に顔を出しました。


 退職して相当経つというのに、持って帰ることができていないものがあったというのもあって、病棟を訪問しました。

 病棟のスタッフに会うつもりはありませんでした。
 病棟に入らずに用事を済まそうと思っていました。



 どうも、古巣に対するイメージが…。
 温かいものもあれば、鋭い棘が心の中心部をぐっさりと刺してえぐられるようなイメージもありまして…。
 病棟に入ること自体が怖かったというのが自分の感覚でした。



 今の自分をしっかりと育てていただいた場所だというのに、なんて残念なことなんでしょう。
 
 自分の中では、どうしてもトラウマのような感じの場面が、人が…、忘れられず、病院に近づけば近づくほど、病棟に行こうかどうか、とても迷いました。




 たまたま。
 駐車場に車を止めようとしたら、私がかつて所属していた部署とは違った部署の上司に出会いました。

 上司は目を細めて私を歓迎してくれました。
 「ひかれるかと思ったでー」と冗談まで行ってくれて。


 そして、ほんの少しの間でしたが、他愛もない内容でしたが、お話をする時間をいただきました。



 本当に嬉しかったです。



 これで、少し、勇気がでた私。



 古巣である緩和ケア病棟に足を踏み入れました。




 ドアをくぐった途端、緊張しました。



 古巣の環境は変わっていませんでした。
 

 日勤のメンバーと久しぶりだねーなんていいながら少しお話をしながら、感じたことがありました。





 私は、もう、ここのスタッフじゃない。





 当たり前のことですけどね。
 でも、何か、後ろ髪をひかれるようなものが常にあったのですが、何か、ぷつんと切れたものがありました。


 切れたという表現はあまりいい言い方ではないかもしれません。

 完全に切れることはないにせよ…。
 自分の中の、どこかが…、ぷつんと切れました。





 ここには大切な意味があるような気がしました。




 古巣の景色の中にある、痛いものに触れたから、というのも大きな要因でした。


 やっぱり、私、ちっとも成長していないじゃないの。
 そんな気持ちと。
 そこんところとしっかりと決別すべきタイミングだったんじゃないの。
 そんな気持ちがあります。



 


 結論としましては。



 あまり、痛い部分まで過去を振り向かないようにしようと思いました。
 これから、自分に用意されている「道」を前を向いて歩んでいこうと思いました。


 
 ああ。
 他愛もない内容でした。
 すみません。
 

その後

2013-06-06 23:53:56 | 患者さん

 あの痛恨の夜勤を終えた後の数日で、患者さんが5人ほど、亡くなりました。
 あの夜勤はあの夜勤だったんだ…、と思えるものがありました。

 そう、前回の記事に登場した患者さんはほとんど亡くなられました。

 そんな夜だったのですね…。



 お別れは重なるときはとてもびっくりするくらい重なります。
 そんな時、私たちはよく、「何かに引っ張られるような」という感覚を持ちます。
 誰かが引っ張るとも感じると時すらあります。


 
 正直、心の中では、「神様、そんなに慌てて連れて行かなくても…」と思うこともしばしばです。
 でも、本当のところなんて誰にもわからないし、理解しようとしなくてもいいことかもしれませんが、そうやって患者さんが立て続けに旅立っていかれることには何か意味があるのかもしれません。
 

 
 前回の記事に登場した、異常なほどの悪寒戦慄を呈していた患者さん。
 青木さん(仮称)、女性。

 青木さんはあの夜勤の数日後、本当に、びっくりするくらい急に旅立たれました。

 私には青木さんとの思い出があまりにもたくさんありすぎて、まだまだ明日も明後日も一緒に過ごせるとしか考えられなくて、今でも信じられない思いがあります。ご家族も同じようなお気持ちでした。
 青木さんは何度も何度もピンチを脱してきたお方でしたので、今回も大丈夫じゃないかという思いが私にも、スタッフみんなにもありました。



 青木さんは病気によって、食べたいものを思うように食べることができない状態でした。
 でも、食べたいものがたくさんある。
 
 あれはおいしいなぁ、これもおいしいなぁ、って食べ物のお話を一緒にたくさんしました。

 
 
 お酒も大好きだったので、担当医の許可をもらって、食べたいものを食べることができない状態なら、せめて…、たまにはいい思いもしてもらわなくちゃ、普通の生活で感じるような喜びを感じてもらいたいわーと思って、焼酎を買ってきて、病室で一緒に飲んだこともありました。
 (病室での飲酒は~~。緩和ケア病棟ではお酒を飲めるのをいいことに、ポンのケアの常套手段であります)
 焼酎を一口のんだ青木さんたら。
 まるで、ほんまもんのおやじのように、「あ゛~~~~~~っ」とい声をだして、とっても喜んでくださっていた姿が今も忘れられません。



 青木さんと一緒に口にしたかったものがいくつかあります。
 一つ目は、もちろん、焼酎っ。
 そして、お好み焼き。
 そして、そして、小倉マーガリン。

 

 小倉マーガリンは、あんこが大好きな青木さんが食べたことがないというので、一緒に食べたいねーってずっと話していたもの。


 ああ、本当に一緒に食べたかった。

 

 
 青木さんを思って、青木さんを偲んで、焼酎を飲んで、お好み焼きも食べました。
 ただ、小倉マーガリンはコンビニとかでよく目にするコッペパンなのだけど、それになかなか出会えないんだなぁ。
 

 今度、必ず、食べてみようっ。
 



 たまたまですが、青木さんのお部屋は数日間、空いていました。
 たまたまですが、忘れ物を取りに来られたご家族が空いている部屋を訪れ、涙ながらの語りを聴かせていただきました。
 
 




 まだ、あの部屋に青木さんがいてくれているような気がしてなりません。


 何とか、小倉マーガリンを、天国にいる青木さんに届けることはできないかしら…。
 真剣に考え込んでいます。

 


 

痛恨

2013-06-01 22:50:23 | 患者さん

 同じようなことを、いったいどれくらい経験すればわかるのだろう…。





 その夜勤は自分の感覚でいうと、「とってもひどかった」。

 患者さんの就寝の準備のお手伝いが終わり、ちょっとお菓子を口にして、夜勤の相方と他愛もない話ができたのは1時間もなかった。



 ナースコールが止まなかった。
 さあ、仮眠だわと思って体を横たえていた間もナースコールが鳴り続けていた。
 白衣のポケットでPHSが震え続ける。
 眠ろうと思っていたけど、胸の振動で思わずPHSを取り出して、どのお部屋から鳴っているのか確かめる。
 ああ、〇〇さん、やっぱり眠れなくて呼んできたんだ…。
 そう思いながらも休憩する時は休憩しなきゃと思い、相方に託して目を閉じた。
 
 1時間も経たない間に、相方が自分を起こしに来た。

 「ナースコールが重なっているので、ちょっと、対応を手伝ってもらえませんか」



 対応を手伝うのは私の担当の患者さん。

 
 ラウンドの時間ではなかったけど、なんとなく気になって訪室した時、患者さんが窒息しそうなくらい、痰があふれていた。
 吸引して痰を取るのだけど、止めどもなく溢れてくるといった状態だったそうな。

 なんとなくでも訪室して患者さんをキャッチしてくれた相方に感謝しながら、対応した。
 

 そこから、定時のラウンドをしようと思うのだけど、ナースコールが止まず、思うようにラウンドができない。
 できるだけ患者さんには夜間は眠ってもらいたいと思うから…、患者さんもそう望むのなら、薬剤を使ってでも眠っていただく。
 けれど、薬剤は自分たちが思うように…、いえ、患者さんが希望するようには眠りの時間を与えてはくれない時もある。


 夜だからって眠らなくてもいい。
 熟睡できなくても、うとうとでもできていればいい。
 長時間眠れなくても、短時間眠った後は適当に起きておきます、そんな患者さんもいらっしゃる。

 起きている患者さんからコールがある。
 エアコンを入れて、エアコンを切って。窓を開けて、窓を閉めて。
  
 そして、トイレに一人で行くには足取りが不安定で危ないから、必ず看護師が付き添ってトイレに行っている患者さんがトイレで目覚める。
 付き添っている最中にほかの患者さんからコールがある。
 「体の向きを変えてほしい」と。

 気になる患者さんは痰が溢れていないかしら…。
 呼吸困難が強い患者さんは眠っているかしら。
 あの患者さんの体位交換をしないと…。

 もうとにかく、カルテを書く暇もなく、病棟中を歩き回った。小走りした。


 そして、自分の休憩時間を返上しているうちに、相方の休憩時間となった。
 2人夜勤のこの病棟では、相方が仮眠をとっている間は1人で対応したり、ラウンドしないといけない時間がある。
 自分も休憩するのだから、それはお互い様ではある。

 
 相方が休憩している間、ナースコールは10分と開かずに鳴り続けた。

 
 ある患者さんからコールがあった。
 ひどく震えている。
 ぱっと見て、熱が上昇しているくらいは誰でもわかる。
 ただ、熱の原因が気になる。ひょっとしたら、ずっと懸念されていることが起こっているのだろうか。
 熱や血圧、腹部の観察をする。
 穿孔しているわけではないかもしれないけど、気持ち悪いくらいの悪寒戦慄だった。
 その患者さんが震えている間、肩をさすり、手を握っている間、またナースコールがなる。
 患者さんのそばにいたいけど、「ごめんね」と告げてナースコールをとって、別の患者さんのもとへ。



 別の患者さんは、薬剤を使って眠っていたのだけど、目が覚めた。
 足が冷たい。温めてほしい、と。
 そそくさと湯たんぽを準備して、足をさすっていたら、足の指が痛いから、足の指をギュッとさすってほしい…。
 そうおっしゃるから、足の指を一本ずつ指で握ってマッサージをしていた。
 そしたら、またほかの患者さんからコールがあった。
 
 いかなきゃ…。

 でも、この患者さん、昨日、ナースコールのコードを首に巻きつけ、死のうとした患者さん。
 そばにいてるとうとうと眠るけど、離れるとまたナースコールが鳴るのはわかっていた。 
 そばにいてあげたい。
 だって、この患者さんがこうやってそばにいてほしいって言ってくれる時間、この患者さんがいてる時間はそんなに長くないとわかっていたから。


 でも、行かなきゃ。
 また、戻ってくるねと告げて、コールのあった患者さんのもとへ行く。
 「おしっこさせてください。」
 これが用事だった。

 この患者さんは薬剤を使って眠るのを好まない患者さん。
 でも、まだ比較的にこの夜は眠れている方だったけど、下半身の浮腫がひどくて、下肢のポジションが定まらない夜を過ごしていた。
 とりあえず、この患者さんの排尿をお手伝いする。
 排尿のお手伝いだけでなく、ポジションを修正してみる。

 尿器を手に、尿器にたまっている尿を処理している間にもナースコールが鳴る。


 足が冷たいと言っていた患者さんのコール。
 
 尿の処理を済ませて、その患者さんのもとへ。


 足の痛みを訴えつつ、両手を広げておられた。
 思わず、その両手を私の両手で握ってみた。
 そしたら、すかさず、私の二の腕に手を伸ばし、患者さんの手が私の二の腕を握った。
 「気持ちいい」。
 私のたわわな二の腕を握って、その触感で「気持ちいい・・・」とおっしゃる。
 そのまま、少し身をかがめて、そのままの姿勢でいた。
 「気持ちいいの???」なんていいつつ、その患者さんを眺めていると、患者さんがうとうとし始めた。
 人力、いわゆる、人のぬくもりを感じると眠り始める。
 そんな患者さんを薬でねじ伏せるように眠らせるのはどうか…といろいろなことを考えながら、とにかく、患者さんのそばにいた。
 でも、その時、またラウンドの時間がやってきていた。
 点滴をしている患者さんも多くいて、このままずっとそばにいるわけにはいかない。
 またほかの患者さんが尿の管が入っているのに、「おしっこ」と訴えて、目覚め始めた。

 そして、トイレに行きたいという患者さんのコール。


 思わず、コールが重なったので、仮眠をしている相方を起こして、対応をお願いした。
 一人では手に負えなかったので。


 気が付けば、朝の5時。


 カルテはほとんど記録できていない。
 ナースステーションに帰って、ちょっと椅子に座ったら、コールが鳴る。

 ラウンドにかかる時間が1時間を超える。



 そうしているうちに、夜が明けてきた。
 私もへろへろになっていたけど、相方もへろへろになりながら、お互いに声をかけあいながら、患者さんのもとに駆け付けた。





 お腹もすいてきた。
 でもナースコールが鳴る。
 

 患者さんの用事を済ませて、もうそろそろ、何か食べたいなと思ったころ、容赦なく、ナースコールが鳴る。
 それが6時前。


 胸のポケットで震えるPHSとナースステーションで鳴るナースコールの音を聴いて、思わず、身がよろけた。
 自分の体が壁にぶつかった。



 

 それでも患者さんのところにいかないといけない。
 
 そして患者さんのところに行く。
 患者さんは自分のペースでいろいろ頼まれる。
 自分がこの順序でやった方がいいと思われることを全く無視するかのように、思い通りに!
 この時点で思わず、イラっときた。
 



 その自分にがっかりもした。






 そこから、気になる患者さんのもとに行き、対応している合間にナースコールの対応をしながら、朝が来た。





 さすがに、心身ともに、萎えた。



 頭がもやもやしたまま、申し送りを終えて、書けていないカルテに挑みながら、居眠りをしてしまう。
 能率が全く上がらない。
 

 のらりくらりしている間に、昼の12時が過ぎた。
 カルテに書きたいことがあるけれど、頭の中で整理ができない。
 14時を超えた。



 ようやくカルテを書き終えて帰ろうとしたところ、患者さんが亡くなったと聞いた。



 夜。 
 そう、足が痛い、自分の腕を握って気持ちがいい…と言っていたあの患者さんが亡くなった。
 



 もう、思考能力とか感覚はマヒした状態に近かった。

 あの患者さんの姿を見ていたら、もうすぐお別れが近いとわかっていた。
 私たちからしたら、そばにいてほしいなんていわれたら、ほかの患者さんの対応があるので、ずっとその患者さんのそばにいること自体が無理で。
 でも、人のぬくもりで安心するのならそばにいたい…。
 でも難しくて…。
 残り少ない時間なのだから、そばにいてあげたかった…。
 

 亡くなったという話を聴いた途端、その夜勤のいろんなことが思い浮かんだ。
 それまでの患者さんの姿も思い浮かんだ。


 たった一夜のことだけど、それまでの患者さんとのお付き合いもあったけど、この夜、その時その一瞬を自分なりにでも大切にできなかったことが自分の胸をえぐる。



 その、亡くなった患者さんにお会いすることもなく、病棟を引き上げてきてしまった。



 私の限界でした。
 
 こうやって、後で後悔することがわかっているのだから、その一瞬を大切にしないととわかっていながら、ちゃんと大切にできないまま、患者さんは去っていきました。




 悲しさと悔しさと空しさがこみあげますが、あの時間はもう、戻りません。