緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

時代の流れやなぁ…

2015-04-05 23:58:48 | 日々の「ケア」

 夜勤で患者さんがお亡くなりになったので、オンコールの医師に来棟してもらって、一緒に患者さんのお部屋に行きました。


 患者さんの死亡確認をするためです。




 死亡確認が終わると、医師が死亡時刻をご家族に告げます。




 その時、医師がポケットから取り出しました、iPhoneを…。

 iPhoneの時刻をみて、ご家族に死亡時刻を告げました。


 

 iPhoneで死亡時刻を伝える医師に初めて出会った~~~




 いや、ね。
 
 正確な時刻を確認することに何の問題もないのですが、iPhone???????・・・と一瞬、思ってしまいました。

 死亡時刻を告げるために腕時計を見るか、お部屋の時計を見て…というのが、自分の中の「普通」でしたから。




 わかります、正確な時刻を告げたいという医師の気持ち。


 そうですねぇ。


 iPhoneの時刻は正確です。


 
 
 腕時計で正確な時刻を伝えようと思えば、電波時計なんかがあると思いますが、電波時計を持っている人は少ないだろうし…。

 最近は感染対策から、腕時計自体が手洗いの時に邪魔になるので、病棟での業務の時にははずしている人も多いですから。
 
 ご家族の中には医師の腕時計で時刻を告げたところ、「1分、違ってます」っておっしゃる方もいらっしゃるそうで。
 (結構、いらっしゃるみたい)


 

 死亡時刻は正確に伝えるのが大切っちゃ、大切なのですが、分単位のずれは、病院で看取るのであれば問題はありません。
 

 粋な計らいとしては、「時刻がずれている」患者さんが身に着けている腕時計が示す時間を死亡時刻とした…なんてこともあります。 
 (もちろん、「時刻がずれている」というのは、多少、という範囲です)


 


 iPhone・・・・。




 時代の流れやなぁ…。




 そんな時代なんやなぁ…。



 なぁんて、ふっと、思いました。


 
 

 
 

メイクは苦手

2015-02-22 13:47:34 | 日々の「ケア」

 患者さんがお亡くなりになったあと、お顔にメイクを施して差し上げます。


 私たちはエンゼルメイクと呼んでいます。


 このメイクは、生きている時の、普段のメイクとは同じようで…違うんです。

 そもそも、私はメイクは得意な方ではありません。そんな私が自分以外の方にメイクするなんて…とずっと苦手意識がありました。
 今もあります(とほほ)


 そんなわけで、エンゼルメイクをお勉強してきました。




 お亡くなりになった方と生きている時のメイクの違いはなんといっても、お亡くなりになっているので、メイクを施すお相手がご遺体になっている点です。

 生命活動が停止すると、ご遺体はどんどん変化がみられます。
 体温は下がり、顔色がなくなってきて、乾燥も強くなってきます。


 エンゼルメイクは患者さんを患者さんらしく送り出してさしあげるために大切なのですが、それにもまして、残されたご家族のケアとしてもとても大切なものだと思います。



 このエンゼルメイクって、なかなか難しいんですよね…。

 自分の緩和ケア病棟でもメイクセットがあって、保湿剤やファンデーション、口紅などなどをそろっているのですが、どうもうまくいかん…。
 



 こんな感じで勉強会に参加してみて、目からうろこ…的に得た技がありました。




 それは、男性のメイク!

 講師の方のメッセージは、「きれいにすることが目的ではない」、「その人らしさを引き出すメイクが大切よ」と。


 ふむふむ。
 私は男性の場合は、ファンデーションはせずに自然のままにさせてもらうことが多かったんです。
 それは、男性がファンデーションなんてする機会は皆無に近くて、亡くなったからっていきなりメイクをしたら、あれれ??な容姿になってしまうからなんです。


 実際に、どんな方法でやるのかは、ここでお知らせするのがいいのかどうかわからないから割愛いたしますが…。


 ファンデーションを塗りたくるよりもずっとずっと自然な仕上がりになるんです…。
 病棟でやってみたら、結構、好評で。

 しかも、お勉強した方法は、物品がほぼ、100円均一のもので行うことが可能なんです。

 すごいわぁ。


 やっぱり、専門家はすごいなぁと感心!!!!






 ちなみに、眉毛のない方の眉毛を描くという練習もしました。


 眉毛を描くのはとっても難しいという実証例がこれ…。
 


 

  


 これってね、席のお隣さんと左右別々に描いたんです。
 そしたらこんなことに…。


 おろろーん。
 左右がちゃうやーん。
 (ちなみに、唇も左右が違います)


 


 自分の眉毛を描くのとはわけが違う。

 
 
 自分のエンゼルメイクのレベルは、まだ、その人らしさを引き出すなんてところにはまだまだ到達していないと実感。
 こればっかりは、お相手を思う気持ちでカバーなんてことは無理でしょうから…。

 これまでにたくさんの患者さんのエンゼルメイクをしてきたっていうのに…。
 




 まだまだ修行ですなぁ。

 


からからで食べることができない

2014-11-30 23:29:37 | 日々の「ケア」

 久しぶりの更新なのに、いい内容の記事じゃなくて、ごめんなさい。




 先日、患者さんから、唇を震わせるほどの勢いで怒りを頂戴しました。


 いきなりでびっくりしました。





 おそらく、これまでの私とのちょっとしたやり取りの中に気になることがあって、それがきちんと消化できないまま、月日が流れ、病状が進行してしまい、私とのやりとりがずっと気になったままだったようです。

 自分としては、手を抜いたわけでも、どうでもいいやと思ったわけでもなかったのだけど、
 「君のやることには心がこもっていない」

 といわれてしまいました。
 そのほか、怒りの火種が出てくる、出てくる…。




 

 怒りとともに発せられたこれらのお言葉。



 とにかく、聴かせていただくしかないと思って、患者さんから「怒りの砲弾」を浴びました。



 

 ここまで怒りをぶつけられたのは久しぶりです。
 

 その患者さんの、私に伝えたいことを聴いていると、「ああ、この患者さんは会社の部下にもこうやって体当たりで、大切だと思うことはこうやってつたえてこられたのだろう」と感じました。


 

 とにかく、ぶつけられることを、「それは誤解です・・・」と言いたかったけど、ぐっとこらえて聴きました。
 謝罪もしました。



 とにかく、膝を床につけて、真剣に…。





 

 さて。

 怒りをぶつけられた自分としては、このことを上司に「こんなことがあった」的なエピソードとしては伝えたのですが、申し送りの際に、このことについてどのように伝えたらよいのだろうかと悩みました。



 自分の悩みをそのまま伝えると、この患者さんが「難しい患者さん」になりかねません。
 でも、実際はこの患者さんは、難しい患者さんだとは思うのですが…。






 私は、この患者さんからのメッセージは、「これこれを、こうしてほしい」といったような、行動を統一してもらいたい、ということよりも、「自分を大切にしてもらいたい」「自分のことをもっと見てほしい」ということではないかと感じました。
 



 忙しさに流されて、患者さんにさみしいを思いをさせてしまったことを申し訳なく思いました。



 あの怒りの姿を忘れることができないくらいの怒りを頂戴しました。




 日々を、命をかけて過ごしてらっしゃる方の、真剣さは今、わかったわけでもないはずなのに。




 


 


 それにしても、このところの病棟の忙しさの状況は激しすぎて。

 










 ということは、患者さんには「言い訳」にもなりません。







 申し訳なく思いつつ、
 心の中でもやもやするものが消えません。









 

 実は、初めてでした、患者さんと真剣にやりとりしたので、おそらく、アドレナリンが「MAX!!!!」で分泌されたのでしょう、そのあと、口が渇きすぎて、食事ができませんでした。




 


 この経験のコメントは…。



 これくらいにしておこっと。



 


 とにかく、この患者さんがこの人生を歩まれる限り、自分も出来る限り、精いっぱいお手伝いをするしかありません…。
 
 自分を翻弄することが起こると、精いっぱいには、いつも、いつもはなれないのが人間ではありますが…。
 その心は忘れてはならないと思います…。



 

 とほほ。。。。とほほ。。。。とほほ。。。。

 


 




 

爪を切ってないなぁ

2014-07-24 19:51:29 | 日々の「ケア」

 昨日、自分の爪を切っていて思いました。



 そういえば、最近、患者さんの爪を切っていないなぁ。



 患者さんの指で酸素飽和度(SpO2)は測定していて、患者さんの指とは毎回のようにお付き合いがあるというのに。





 患者さんの指を、「測定」とか「観察」という目でしかみれていないんだなぁとしみじみ考え込んでしまいました。




 







 きっと、誰かが私の代わりに爪を切ってくれているんだわ…とも思いますが、おそらく、今の病棟のスタッフみんなに、爪を切るような余裕がない…。

 病棟で爪切りが出現?しているのを見かけることもあまりないし…。

 患者さんの爪を切るには、ちょっとした時間を作る必要がある。

 ちょっとした時間なのだけど、爪を切ることは、患者さんのケアの優先順位としては、かなり低くて、それよりも先にやらないことがあまりにも多すぎて、注目すらできていない。

 



 

 などなど…。


 考え込んでしまいました。



 ちょっとね、さみしいなぁと思いまして…。


 たらたらと書いちゃいました。


 




 

また、同じ話題ですみません

2014-07-07 22:19:01 | 日々の「ケア」

 昨日の、悩んでいる患者さんについて。



 今日は、カンファレンスでそのことを話し合ってみました。
 話し合いのテーマを「振って」みました。



 


 患者さんは自分の現状があまりにも圧倒的過ぎて、認識が偏っていること。
 患者さんは、かなり病状が進行しているにも関わらず、今も「治ること」をスタッフに求めていること。
 患者さんがある程度、怒りをスタッフにぶつけるのは仕方がないこと。




 こんな話がでました。







 でもね、それって、スタッフは十分にわかっているんですね。

 


 「それでも。」





 
 そう、この、「それでも」ってところの気持ちの行方をどうしていくかというところは、チームでの話し合いに必要なところだと、私は切に思います。



 病気とともに生きている患者さんの気持ちは誰だってわかっている。
 それをわかっているけれども、あまりにも患者さんの要求が自分たちが応えられるもの以上のものだと、お相手が患者さんだから、ゆえ。

 そのニーズに応えられないと、
 結局のところ、スタッフの後悔やら、傷となって残ることがある…。



 
 何が言いたいのかというと…。





 申し訳ありませんが、患者さんやご家族をケアするスタッフも、実は、とってもケアを必要とする存在なのです。



 そういうことなのです…。





 もちろん、患者さんの安寧を犠牲にしてまでの、スタッフの安寧はスジが違っていると思うのですが、本当に、本当に、スタッフが、どんなにがんばっても、がんばっても、患者さんには満足をしてもらえず、罵倒されてばかりで。
 罵倒される原因は、患者さんの性格やこれまでの人生や病状に関連するので、病気が悪いのだ…という見方ももちろん、できますが…。



 正論だけでは片づけられない人の心。



 それでも、

 私たちは、患者さんやご家族を見捨てることはありません。
 絶対にありません。



 これは、言葉だけでは伝わるものではありません。
 日々の、その時々の、患者さんと私たちの時間で患者さんに受け取ってもらえるかどうかによって、ずいぶんと違ってきます。




 だから、
 自分たちのストレスマネジメントというのは、とっても大切なんだと痛感します。




 エネルギーを振り絞って生きている患者さんが生きていくのをお手伝いするには、私たちも、自分のエネルギーを注ぐ必要がでてきます。
 それは、すべてが意図的ではなく、義務としてではなく。

 相手も人、自分も人というスタンスをとりながらのお手伝い。






  

 きれいごとと、現実の、私たちが抱く疲労…これって、「ダークな」部分なのかな…。


 この折り合いを、日々つけていけるように、チームが話し合いをしながら、お互いをサポートしながらやっていくしかありませんね。




 



 



 
 

疲弊…

2014-07-06 20:29:09 | 日々の「ケア」

 ああ、疲れちゃったなぁ…と、患者さんのケアでは珍しく自分が感じること。


 ある患者さんのケアで、病棟全体が疲れ切っています。
 本当に、すごいんです。



 自分ももれなく…。
 



 どんなに一生懸命にお手伝いをしても、「もっと、もっと」と要求も増えていき、それを当然と思われているかのような…。


 あの看護師はいい、あの看護師は嫌い、あの看護師さんを呼んできて…。
 言葉の一言を使い間違うと、えらいことになる。
 お気に召さないと、烈火のごとく、スタッフに怒りをぶつけてくる。


 
 一度、お部屋にいくと、この患者さんの用事は延々と続き、30分以上かかることもあります。
 
 できるだけ、先手を取れるように、患者さんがいつも頼む用事は、言われる前にちゃんとこなせるようにはしていますが…。



 さすがに、今日は疲れました。



 病棟内で、愚痴が増えています。

 私も、今日、愚痴ってしまった。


 受け持ち看護師も疲れ果てていて、今日は担当をはずれてもらいました。



 
 ええ、ええ。

 わかっています。
 病気の患者さんが現状を受け入れられずに、うまくいかないことはスタッフが悪い、と思ってしまうことも。
 怒りは心の痛みの表れであることも。
 わがままになることだってあることも。




 しかし、なぁ。


 病気だからって、何でも許されるわけじゃない…。


 個室代は払えないけれど、有料の部屋から出たくない…とか…、
 

 みんな、いいお部屋で過ごしたいに決まっている。
 お金がないから、いろんなところを切り詰めて、我慢している人だってたくさんいるのに。


 本当に、正直に言うと、「ごね得」やなぁ、と思います。





 ほかにも、ほかにも、理不尽なことだっていっぱい、おっしゃっている…。
 



 ええ、ええ、わかっています。
 お相手は病気の方なんですから…。





 しかし、なぁ。




 ・・・ってな感じで、愚痴は止まりません。



 
 患者さんは私たちのエネルギーを吸収しながら生きておられるな、と思います。

 だから、自分たちが、どうやってエネルギーを盛り返すかが大切になってきています。




 まさに、こんな時にチーム力が問われますなぁ。




 患者さんが楽になれますように…、私たちのケアが何とかうまくいきますように…とか、
 祈らんばかりです。

 もう、祈るしかありません。
 

 

 そうそう。
 明日は七夕。



 短冊に、平和の祈りをささげてきました。
 



 

 愚痴でした…。

 


 

どうしたらよかったのだろう…

2014-05-07 19:34:22 | 日々の「ケア」

 がんで亡くなる患者さんは、病気の影響で、最期はやせ細っている方が多くいらっしゃいます。

 こんな状態を、るい痩(emanciation)と呼びます。病的に脂肪組織が減少した状態を示すそうですね…。
 言葉遊びはさておき。





 佐治さん(仮名、男性)は、私が今までお世話させていただいた患者さんの中で、ダントツ、るい痩が激しかった方だと思います。


 体幹の痩せはもちろん、顔面の痩せが半端じゃなくて…。

 2日くらいお休みを経て、佐治さんのお部屋に出向くと、
 「また、すごく痩せたんじゃない?」って、ぱっとみて、わかるくらい、るい痩が著しい患者さんでした。




 例によって?私は患者さんの看取りの場面に立ち会うことに何の躊躇いもない私ですが、佐治さんの場合には、違っていました。
 正直にいって、佐治さんの看取りに立ち会うとしたら…どないしよ?と思っていました。


 なぜかというと…。




 顔の痩せ具合が強くて…。
 大したことのないように聞こえるかもしれませんが、私にはこれが大問題のように思えていました。





 で、ねぇ。




 そんなことを考えていると、神様は意地悪です。
 佐治さんの看取りの場面を私にくださったのです。




 えええええっ。




 佐治さんのやせ細ったお顔、どうしたらいいの????
 しかも、夜勤だしーーーっ。





 やせ細った佐治さんのお顔は、頬や顎、眼窩のあたりが頭蓋骨の輪郭がくっきりとわかるくらいのものでした。
 痩せた患者さんというのは、目を閉じることができません。
 むりくりに閉じようとしたらわかるものですが、目を閉じるだけの瞼の余裕がないのです、痩せがひどすぎて。



 エンジェルメイクというものがありますが…。


 (エンジェルメイク=亡くなった患者さんに顔などにメイクを施し、できるだけその人らしい姿にして差し上げること…をいいます)
  ↑ ↑   学術的に、こんな説明でよろしいかどうかはご勘弁ください。  ↑ ↑


 
 
 こんなにやせ細ったために瞼を閉じることができない患者さんの目を閉じるにはどうしたらよいのか…。


 困りました。



 普通なら、ここまでるい痩の進行していない患者さんならば、
 ①ひたひたに浸したガーゼを目を閉じた状態で目の上にしばらく置いておく。
 ②眼球と瞼の間のところにうすーく綿やティッシュを詰める。


 という手があると思うのですが、こんな手ではびくともしない。




 文献では、「二重瞼用接着剤を使って瞼を閉じています」というのがあったわ、と想起して、アイプチを使ってみましたが、すぐに瞼は開いちゃう。

 で、アロンアルファを使うことにしたのです。
 
 おかげで、無事に目は閉じたものの…。





 眼球を覆うだけの瞼の余裕がなかったために…。
 目を閉じようと瞼をひっぱってしまったためにまつ毛が奥に引っ込んでしまった…。
 しかも、上と下の瞼の接着面は、まるで「波のような」線になってしまい…。




 人のお顔というものは、目を閉じた状態でまつ毛がないというのはとても不自然な状態だなと、あらためて思い知らされました。


 少しでも自然な状態で眠っていただきたい…。


 そう思ったポンは、上と下の瞼のところにマスカラを使って立体感を何とか、かんとか出せるようにラインを作ってみましたが…。






 結果は散々。
 




 目を閉じている佐治さんの姿がどうしても不自然に見えて仕方ありませんでしたが、私にはこれ以上、どうすることもできませんでした。

 夜勤帯の時間に、おそろしいくらい時間をかけてみたけれど、ぱっとせず…。
 メイクにあくせくしている間、相方には一人でナースコールの対応をしてもらって、とっても負担をかけちゃうし…。





 もちろん、ご家族にはエンバーミングの情報も提供しましたが、全く、望んではおられませんでした。






 

 佐治さんのお姿を見たご家族はポンにお礼を言ってくださいましたが、本当のところ、どうだったのだろう…。
 このことがとても気になりました。
 



 どうしたらよかったのかなぁ。
 メイクで「ふっくら」みせるにも、このるい痩では限界があるし…。




 ひょっとして、目は閉じずに開いたままにする方が、よっぽどましだったのかしら…とか…今更ながらに、ずっと考えています。



 「エンジェルメイクは、テクニックではなく、グリーフケア含むケアの一環としてあること」

 

 確かに、それはそうだけど、ある程度のテクニックは必要であると今回のことで痛感しました。


 


 エンジェルメイクについて、もっと勉強しないといけないなぁ。


 
 
 それまでの人生を重ねてきたご本人が、できるだけご本人らしくあるためにも…。
 なにより、ご本人にとって大切な人であるご家族が、できるだけ穏やかにご本人を天国に送り出せるような気持ちを少しでももっていただけるように…。




 


 
 


 


 

日々の葛藤は続きます

2014-05-01 23:24:20 | 日々の「ケア」

 看護師さんは、いつも忙しそうにしていると、患者さんにもご家族にも、そういった印象があるようです。



 確かに。
 暇ではありません。

 申し訳ありませんが…。




 緩和ケア病棟では、急性期の一般病棟に比べると、多少は余裕があるように思われますが、そんなにたっぷりと時間があるわけではありません。




 でも、
 できるだけ、患者さんの生活のペースに合わせていこうと思って、日ごろからお手伝いをさせていただいて…・・・・・・・いるつもりです。





 ある患者様。




 認知症や精神疾患も抱えておられる女性の患者さんなのですが、とにかく、マイペース。




 

 いつものことですが、ある患者さんがどんなにマイペースでも、ほかの患者さんもいらっしゃいますので、ナースコールは誰か一人の患者さんのペースを考えて鳴ってくれることはまず、ありません、100%、ありません。
 それでも、なんとかやりくりをするのが私たち看護師のお役目っ。





 その、
 ある患者様。



 とってもマイペースな方で、お薬を飲んでもらおうとしても、なかなかこちらが「これをしましょう」といったことをしてはもらえない。
 こちらがよかれと思ってやらせていただいたことでも、ちょっとでもしっくりこないと、納得がいくまで???ナースコールが鳴り続ける。
 


 いつものように食後のお薬を飲んでもらおうとお部屋に伺ったところ、患者さんはそのタイミングでトイレに行かれました。
 (切羽詰まっていない排泄なら、後にしてほしかったという気持ちが自分には確かにありました・・・)


 ですから…。




 トイレに行くなら、ゆっくり用を足してもらおうというつもりで、
 「また、後で来ますわぁ」と、
 声をかけたのですが、



 その患者さん。





 「あなたはそうやって、いつも人を待たすのね」 from トイレ。




 



 私は、いつも待っているつもりでいたのですが、この患者さんからすれば、待たされていたようでした。

 ほかにやらないといけないことがその時にはたくさんあったのだけれど、この患者さんの印象は非常によくないわぁと思ったので。



 待つことにしました。
 トイレから出てくるまで。

 ポン:「いつも待たされてるんじゃ、〇〇さんに申し訳ないので、たまには、待ちますわぁ。」


 

 


 内心は、
 「いつも、待っているのはこっちなんじゃーーーっ」と思いましたが、「たまには待ちますわぁ」の声かけに、患者さんはにかっと笑ってくださいました。





 
 患者さんとのやり取りのコツを、一場面を切り取ってコツとしてしまうことには問題があるかもしれませんが、こういう患者さんに出会うと、いつも、「自分は焦っていた」「ほかの患者さんのことがとても気になっていた」ということが反省として残ります。


 自分はそんなつもりはないように、その患者さんの前でふるまっていても、患者さんは鋭敏に自分の状況を読み取るものなのだなぁ…と、
 そんなことはよくわかっているつもりでも、なかなかそのふるまいを改めることができない自分と、その時の状況に落胆してしまうことがしばしばあります。






 ある後輩ちゃんが言いました。


 「私、患者さんに優しくあればそれでいいと思うんですけど…。」




 
 患者さんの都合、思い。
 私たちの業務、思い。



 
 ここのところのすり合わせは、緩和ケア病棟じゃなくても、どの病棟でもある種の葛藤として存在するものだと思います。


 

 実は、この1年間、ずいぶんとここのところで自分の中でいろいろと悩んできました。





 

 いつも優しくいることができない自分。
 これを「この状況だから当然」と思うのか、「この状況だからつらい」と思うのかによっては相当な違いがあります。




 私は、いつだって、「この状況だからつらい」と感じた感覚を、患者さんの思いに応えることができるように考えていきたいと思う人であります。






 でも、自分たちのキャパを超えてしまっていることの見極めは大切ですけどね。



 
 とても悩ましいです。

 









  
 

生きるって大変なことやわぁ

2013-10-04 16:09:14 | 日々の「ケア」

 終末期のがん患者さんのお世話をさせていただいていると、必ず死というものに向き合わなくてはなりません。

 それは、患者さんやご家族が向き合うという意味もありますし、
 なにより、私たち、医療者も同じように死と向き合わなくてはなりません。



 
 いろんな文献を読みながら、自分のこれまでの経験を思い出しつつ、そして、目の前にいる患者さんの生き様から学ばせていただきながら、
 自分の命の限りが近づいてきていることが確実になった人の心の在り様ってどんなだろう?ということを感じとらせていただいてます。


 自分が感じ取っていることは、目の前の患者さんが経験し、感じていることとは比べ物にならないくらい、些細なものであることは自覚しています。




 私は、目の前にいる患者さんにはなれない。
 だから、患者さんのことはちゃんと理解することはできないだろう。


 この気持ちも大切だし、


 私は目の前にいる患者さんにはなれないけれど、
 患者さんの気持ちを知ろうとすることはあきらめないでいよう。


 この気持ちも大切だと思います。



 「こんな状態で生きていて、何になるっていうんですか」
 「こんな状態なら、死んだ方がましです。みんなに迷惑をかけてしまって」
 「こんなにナースコールを鳴らしてしまって、みなさんに迷惑をかけていることはわかっています。だけど、押さずにはいられないんです」
 「何も悪いことをしていない私が、何でこんな目に合わないといけないんですか」
 


 こんな患者さんのお気持ちを聴かせていただくことは多々あります。


 教科書的には、こんな患者さんの気持ちを聴くときには、
 「そんな風に感じておられるのですね」と言うとよいですよ、と書いてあります。
 
 確かに、その一言は患者さんの気持ちを受け止めるうえでとても大切ですが、じゃ、その先は何と会話すればいいんでしょう。


 これがとても悩ましいのです。




 教科書にはこう答えようと書いてありますが、私はそんなときの会話は、患者さんと自分の関係性や状況などなどを考えると、『患者さんを思う気持ち』、『患者さんを思いやる気持ち』があるのなら、正解は決められないと思っています。




 だから、私はいつもこう言ってしまいます。




 「生きるって、大変やなぁ。」
 「自分と付き合うって、大変やなぁ。」




 患者さんは言います。



 「そうなんよぉ…。」




 最近、病棟が激しく忙しくて、自分の気持ちの余裕が崩壊しつつある今日この頃。


 

 終末期のがん患者さんのお手伝いをしていると、自分自身を振り返らざるを得ないことが、趣深くもあり、もどかしさも感じます。



 生きるって、大変なことやわぁ。


 

 
 

自分が励まされている

2013-05-10 04:08:09 | 日々の「ケア」

 今の病院に入職して5ヵ月が経ちました。

 今はぼちぼちと業務に慣れてきました。

 

 相変わらず、自分の今後の行く末というのは見えないままなところも多々あるのですが、ちょっとずつ、今の病棟…いえ、病院が見えてくるようになりました。
 

 今までは日勤だけの仕事のパターンでしたが、夜勤をするようになって、業務の合間にスタッフちゃんといろんなお話ができる機会ができました。
 夜勤の時って、なんでしょ、お相手のいろんな話を本音でもって聴くことができるとってもいい機会だと思っています。


 特に、若い子(あ~~、私はおばちゃーん)と一緒に仕事をするときにはお話をするのが楽しみになっています。

 「もっと、私、がんばらないと」と思ってくれているスタッフちゃんが多くいてて、本当に嬉しい限りです。

 
 ただ、今の病棟は残念ながら、その気持ちをしっかりと育める病棟には届いていないような気がしてなりません。
 いくら自分が属している病棟とはいえ、とっても病棟に対して失礼な評価かもしれませんが、本気でそう思います。
 
 10人いたら、10人分の知恵しか活かせていないと思っています。
 10人いたら、もっともっと、10人よりも多くの何かよいものが生まれるはずと信じているからそう思います。


 
 この前の夜勤の時にも病棟で一番フレッシュなスタッフちゃんと一緒にいろんなお話をしました。
 
 彼女は、「自分はだめだ、緩和ケア病棟でいてていいんだろうか」とずっと悩んでいて、自分のケアが「イケテナイ」と日々落ち込んでいたのでありました。
 そんな彼女の話を聴いてみると、実に彼女は自分のことをしっかりと見つめることができていると思いました。
 「イケテナイ」理由がちゃんとわかっているから、後は彼女がどうするかだけだなって思いました。
 


 ポンとしましては、今の緩和ケア病棟を辞して、一般病棟で経験を積んでみることもいいのではないかという提案もしました。
 彼女の悩みの根幹は、「自分には看護の基礎が足りないのではないか」ということだったからです。


 ポンはできるだけ、彼女と夜勤をするときには、基本的な知識や技術、緩和ケアでは普通にやっていることだけど、一般病棟ではこうするかもしれないということなどなどを伝えるようにしました。


 ポンが伝えている内容って、なんてことない内容なのですがね。
 それでも、彼女は「へーーーー」と言いながら聴いてくれます。
 おい、そこんとこを、「へーーーー」と言いながら聴くのか?
 おいおい・・・ってこともありますが…。

 かわいいですわ…、初々しくて。



 そして、今、彼女はもう一度、緩和ケア病棟で基礎からちゃんとお勉強ができるようにがんばってみる、という気持ちになってくれています。
 「ポンさんと、もうちょっと一緒に仕事をしてみます」と。


 へ~~~。
 なんと、うれしいお言葉。
 

 人を支えつつ、実は自分がぼろぼろな状態ではあるのですが…。
 でも、働きたいと思える職場を作らないとと、前の職場を辞めるときに心に誓ったことです。
 ほんのちょっとからでもいいから自分からできることはやらないとと心がけてきた…つもりです。

 だからー。
 なんと嬉しいお言葉でしょ。
 


 そんなお言葉を頂いている自分の方こそ、かなり励まされているところがあります。
 
 
 ちょっとずつ、ちょっとずつ、歩んでいくことにします。
 

初の看取り

2013-02-26 21:03:11 | 日々の「ケア」

 前回の記事にも書きました、看取りのこと。

 今の職場に来て、初の看取りをさせていただきました。
 今日が看取りでした。

 
 自分の受け持ち患者さんでした。
 いろいろな意味で、村田さん(仮名)との出会いとお別れは、自分の看護師人生の中で印象に残るものとなりました。


 週末、たまたま土日が日勤だったので、ずっとお手伝いさせていただいたのですが、お体の状態が変化していることがわかりました。
 
 そして、昨日から夜勤でお手伝いさせていただき、午前3時あたりから、「お別れの時間が来ている」と確信しました。
 朝になって、ご家族にお別れの時間が近づいているかもしれないから、病院にいらっしゃらないご家族に早く来てもらうための連絡をすることを検討しましょう、と言っていた矢先。

 医師から病状の説明がなされ、ご家族がお部屋に帰ってしばらくしてからのこと、村田さんは息をひきとりました。
 私は、「お別れの時」を、今日一日のスパンで考えていたので、朝の時間帯にその時間が来るとまでは思っていなくて、これは予想が大きく外れました。


 お部屋でとても混乱していたご家族(奥さん)。
 しばらく、奥さんと一緒にご本人のそばにいさせていただきました。
 

 なんと、駆け足で逝ってしまったのかしら…。
 もう少し、ほんの少し、時間がほしかったなぁ…。

 
 心からそう思いました。


 奥さんとはいろいろとお話をしてきました。
 「悔いがない」、そう言い切れるようにがんばりたいとまでおっしゃっていた奥さん。

 私から見ても、スタッフの誰から見ても、奥さんをはじめ、ご家族みんながとてもがんばって村田さんのお手伝いをしておられました。
 そして、そのことをしっかりと言葉にしてお伝えしました。



 村田さんとの出会いは、人生や人が持つ信念、家族、夫婦、親子などなど、いろんなことを考えさせられ、時に「大変やなぁ」と思ったり、時に微笑ましく思ったことがたくさんありました。


 村田さんとそのご家族に心から感謝したいです。




 そして…。
 看取りに対して思うこと…。



 受け持たせていただいている患者さんとのお別れはとてもさみしいものがありますが、自分が看取らせていただくことに言葉にはできない思いが自分の心の中にいっぱいになっています。

 自分の勝手な感覚かもしれませんが、何かしら、つながりのようなものがあるような気がしてなりません。


 お別れがつらくて悲しいものなのに、その反面、有難さが含まれた嬉しい気持ちがあります。
 なんでしょうね、この感覚。


 

 村田さんとの出会い。
 とても嬉しかった。
 
 最後に奥さんが私の手を握って挨拶してくださったことが一生、心に残りそうです。

 村田さん。本当にありがとうございました。

 

看取り、なし

2013-02-10 23:04:36 | 日々の「ケア」

 今の緩和ケア病棟で勤務して、2ヵ月以上が経ちました。

 私、いまだに、看取りをさせていただいたことがないんです。
 前の職場ではそんなこと、とても珍しいことで…。
 

 もうすぐ、看取りになりそうだ…、そんな患者さんを受け持たせていただくことも多々あるのですが、なんでしょ…。
 私、なんとなく、自信(自信っていうと変ですが…)があるんです、
 この方をお見送りするのは、私じゃないって。

 
 前の職場では、亡くなった患者さんに「がんばって」湯灌をしていたのですが、今の職場では湯灌はしません。
 ですから、もうすぐ看取りだわ…って患者さんを受け持たせていただくときには、私がお見送りをするんじゃなくて、私の次の勤務のスタッフだし、自分の思いも込めて、手浴や足浴をするようにしてます。

 
 先日、初の夜勤で、もうすぐお別れ…って患者さんがいらしたのですが、これまた、勤務の最初から、お見送りは私じゃないって自信がありました。
 やっぱり、私じゃなかった…。


 
 なんとなく、なんとなくですが、その理由があります。

 それは、お見送りをしてもらいたい人が他にいるんだってことです。
 受け持ち看護師が勤務の時に看取りになるってことはよくあることです。
 「ああ、〇〇さんが来るのを待っていたのね」なーんてことってよくあることです。

 
 私じゃないっていうのは、お見送りをしたもらいたい人が他にいるんだってことといいましたが、個人的には…。
 自分がお見送りをさせていただくほど、今の職場で本当に、本当に、患者さんやご家族、病棟の雰囲気とか、空気とか…すべての患者さんと自分を包み込んでいるものに溶け込んでいないのではないか…、だから、そんな場面に居合わせることができていないのではないかって思うのです。
 
 考えすぎかもしれません。
 
 でも、この感覚って、言葉にできないんですよね。

 この感覚は気のせいかもしれませんが、自分の中ではそうなんじゃないかって信じているところがあります。


 
 今はまだ、受け持ち患者さんもいないし、夜勤もやり始めたところだし。
 自分自身がまだ、スタッフとして一人前とはいえない。

 だから、かな。



 病棟での自分の感覚は…。

 何かの表面をさらっと撫でているだけ…、そんな感じです。
 
 
 もちろん、日々の患者さんのお手伝いを御座なりにしているわけではありません。
 日々、がんばってみても、患者さんの姿、患者さんの存在、自分のケアが点でしかなくて、全く線としてつながってこないのです。
 患者さんやご家族、そしてスタッフとか、病棟のもろもろの雰囲気すべてと、「深いところで」ちゃんとつながっている感覚がないのです。
 緩和ケア病棟であっても、その場所が変わると、感覚としてはこんなものなのかしら???
 うーん。



 だから、看取りがないんじゃないのか…なーんて。

 やっぱり考えすぎかな。
 



 そら、しゃーないわ。
 働き始めて間もない職場やしねー。


 
 まだまだ、これからです。

 

計画を実施しようっ

2013-01-30 23:14:00 | 日々の「ケア」

 新しい職場で勤務し始めて2ヵ月足らず。
 たった2ヵ月だけど、少しずつ今の病院や病棟の姿が見えてきました。


 たまたまですが、認定看護師さん達がお話をしているところで居合わせていたポン。
 思わず、これまでに病棟で勤務していて感じていたことを伝えることができる場が訪れました。
 ラッキー。

 
 
 緩和ケアにとって、介入のアウトカムを問うことも大切だけど、チームがどれだけ協働することができるかもとても大切、ということを病棟のみなさんにどうしても伝えたかった。
 アウトカムだけでなく、プロセスを大切にしたい、と。
 緩和ケアは拭いきれない苦悩や死と向き合わなければならないからこそ、プロセスは大切にしたい。
 チームがどうあるべきかを大切にしたい。
 ずっとそう思っていました。



 伝える機会はいつかな?と思っていたけど、きたーーーっ。
 認定看護師さんに伝えることができたことがありがたかった。



 そして、ちょいと計画を立ててみました。
 

 明日から、計画を実施する予定です。
 

 この職場に来て心に決めていることは、自分がいかにちゃんとケアができるかだけではなくて、チームのみんながちゃんとケアができるように、ほんの小さなこともでもいいから、自分から何かやっていこう、ということです。


 
 みんなが自分のいいところを発揮できる病棟を目指したいです。
 

近況報告っ

2012-12-20 21:43:53 | 日々の「ケア」
 
 久々の更新です。
 12月はお初ですね。
 すっかりとご無沙汰してしまって…。


 職場が変わった今も、緩和ケア病棟で勤務させていただいていることには変わりありません。
 ですから、自分がすべきことには何ら、変化がないのですが…。


 施設が変わると、緩和ケアの「提供の仕方」というのは、こんなにも違うのねーというのが今の実感。


 入職して1ヵ月も経っていないのですが、これまでの経験のおかげか???そのあたりがちらほら見えてきます。

 とても素敵なところ、残念なところ…。
 その両方が見えてきました。




 今の緩和ケア病棟で勤務するようになって、一番に感じたこと。


 処方がシンプルじゃないっ!
 特に、向精神薬がいろいろ使われていて、これまでに自分が使ったことがない薬剤が多いので、今、勉強中です。
 毎日、混乱しています。


 それと、鎮痛薬の使用量が半端なく多い。
 これはなんでなんだろ?と今は首をかしげておきます。


 ここのところは、緩和ケア医の「色」なのだと思いますが、まずは薬剤のスペックを少しずつ、覚えていって、自分が使った「感覚」をつかみたいと思っています。

 


 
 スタッフのみなさん、とても一生懸命にがんばっておられるので、自分にできることは何か、少しずつ考えていこうと思います。


 何より…。
 スペシャリストとしての更新審査に合格してしまいました。
 「してしまいました」と表現したのは、もしも、脱落していたら、「緩和ジプシー」でも目指そうかと思っていたからなのですが…。
 そうもいっていられなくなりました。


 
 毎日、帰宅は21時くらいで、病棟がこれまでにないくらい、忙しい時期に就職してしまったみたいです。
 とほほ。

 ほぼ、普通のスタッフと同化しているように周りのみなさんには見えているようですが、実は、詳細がわからなくて、必死なのです…。
 その日の業務分担を見るまでも、見てからも、常に、「今日を終えられるのかしら」って気分でどきどきしています。


 もう少し、スタッフ業務に専念するつもりです。

 
 

 
 

今日、この日

2012-11-08 22:23:06 | 日々の「ケア」

 病院を辞めましたが、まだ、スタッフからメールをもらったり、会って話をする機会があったりで、病棟の情報が入ってきます。


 今日は、私が辞めるときに一番気になっていた患者さんがお亡くなりになりになったそうです。
 
 メールをもらった時に、そのメールを何度も何度も読み返し…。
 やっぱり、涙が止まりませんでした。









 その患者さんの旦那さんとはいろいろとお話をさせてもらう機会が、緩和ケア病棟に来られる前からありました。
 最後までお手伝いをさせていただきたいと思っていましたが、私の方が時間切れでした。



 今回、辞めるにあたって、病棟の患者さんやご家族には辞めることを伝えずに辞めてしまいました。
 本当はご挨拶をさせていただくのがよかったのにと思いつつ、「あれ?そういえば姿をみないね」という感じでいいわと思い、ご挨拶をせずに辞めてきてしまいました。





 けれど、この患者さんの旦那さんだけはとても気がかりだったので、ご挨拶をしながらも、たくさん、お話をさせていただいた経緯があります。



 今日、患者さんは旅立たれました。
 スタッフからのメールの内容によると、医師も病棟に泊まり込み、お手伝いをしたようだったので、きっと、(予測はしてましたが)とてもディープなお付き合いをさせていただいたのではないかと推測しています。


 旦那さんから、「ポンさんに最後までいてもらいたかった」というメッセージをいただいて、とめどなく涙がでました。


 ああ、ちゃんとお手伝いをしたかった。
 そばにいさせていただきたかった。



 仕方のないことがたくさん溢れているのですが、それでも自分を責めずにはいられない気持ちになってしまいました。



 ごめんなさいという言葉はそぐわないような気もしていますが、何ともいえない気持ちが体に充満して、溢れだしています。



 今日は、この患者さんと、その旦那さんとの出会いに必死に感謝しながら、患者さんとご家族に「本当にお疲れ様でした」という気持ちを込めて、一日を終わろうと思います。



 本当にありがとうございました。