緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

どないしたらええねんやろか

2012-06-29 22:55:41 | 日々の「ケア」

 こんな病棟、捨てたらぁ~~~~~っ

 そう思うことは常。いえ。しばしばということにしておきましょうか。



 実は、自分が今、所属している病院、病棟というのは、自分が今まで経験してきた病院、つまり組織風土とは全くちがうものを有しております。

 「ありえへん!!!!」ということもよく、あります。


 私自身が、「普通は…。」なんて考えているから、自分がスタッフに対して厳しくなるし、スタッフからの不満を聴くばかりになるし。


 たとえば…。



 「勉強会って、せなあかんの?」
 「時間外に勉強会って無理です」

 
 ってことで、昨年の緩和ケア病棟の勉強会の年間計画は見事に玉砕でした。
 時間外にやるなんてありえないということで、出席率の悪さと「でられない」ということでスタッフに却下されてしまいました。
 何より、勉強会のために協力を求めていた緩和ケア医から「こんな出席率でやる意味がないっ」と匙を投げられてしまったというのが現状。
 年間計画を年度初めにスタッフ全員に伝えていたけれど、「私が知らないところで勉強会がされている」なんて???な意見もでてくる状態で…。




 
 病棟は、とにかく、不満の塊。
 それは、長年、不満が立派な産物になってしまうかのような歴史がありました。


 患者さんのケアを中心に考えるよりも、まず、私たちをみてほしいっ。
 そんなニーズの高い病棟です。




 確かに、スタッフの努力を認めることはとても大切なことですが、患者さんから看護師の対応の苦情がでてくるような状態で、スタッフを支持することばかりのスタンスはとれません。


 
 そうそう。
 こんな困窮する状態の時って、ほんとに解釈の行き違いが多い。

 さきほど、書いた、「スタッフの努力を認めることはとても大切なことですが、患者さんから看護師の対応の苦情がでてくるような状態で、スタッフを支持することばかりのスタンスはとれません。」と、私がスタッフに本当に話したとしましょう。


 けれど、今のうちのスタッフなら、「スタッフを支持することはできない」というメッセージだけが伝わってしまう可能性、大っ。
 


 もちろん、そんなことになるのは、本当にさまざまな原因があるとは自覚していますが…。





 前途多難な、うちの病棟です。
 
 それでもね。
 ちょっと。
 ほんのちょっと。
 蒔いた種は芽を出しつつあるんですがね。

 





 
 ほんまに、疲れますわ。
 

命について

2012-06-26 22:59:33 | 言葉

命の尊さ。

わかっているようで、
本当にわかっていないのかもしれない。

だって、
私たちは、また明日がくると思って生きているものね。


健康な者にはわからない、
患者さんの気持ちがある。

病気になった人にしかわからない気持ちがある。



「わからない」という距離は、
どのくらいなのだろう。





思わず…読みふけった

2012-06-18 00:42:35 | offの日

 久しぶりに、たかじんのそこまで言って委員会をみました。

 今日はひかりの輪代表、上祐史裕さんが出演していました。


 そのあと、一連のオウム真理教の事件の内容や松本智津夫死刑囚の生い立ちなどをネットで読みふけってしまいました。

 同じ人間なのに、どうしてこんなことをするに至ってしまったのか…。
 そんな複雑な思いでいっぱいでした。


 松本智津夫死刑囚の生い立ち(体の障害をかかえていたことなど)を読んでいたら、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人である宮崎勤を思い出してしまいました。

 そして、宮崎勤の生い立ちも読みふけって…。


 

 ああ。
 私、こんなことする時間はないはずなのに…。

 やること、山積みなんだけど、やりたくないから、逃避しちゃうんだねぇ…。
 

 

せん妄の世界での生活

2012-06-10 20:48:39 | 患者さん

 長岡さん(仮名)、男性。
 長岡さんはせん妄状態。


 せん妄が悪化しないようにハロペリドールを定期的に使ったり、夜間に眠れるように試みをいろいろ行って…。
 できるだけ、長岡さんにとってストレスになることは軽減してみて…。


 せん妄自体は完全に改善はみられていませんが、「様子をみていいだろう」という状態にあります。


 
 ところで。
 この長岡さんのせん妄、実に面白い。

 長岡さんは、実に見事に、現実である病院での生活と、せん妄の世界での生活を両立させておられます。



 長岡さんはこれまでに電気工事の仕事を一生懸命にされた方。
 その分、ご家族との関係性は薄かったようですが…。

 そのあたりは、ご家族も何とか了解できるところのようです。



 長岡さんは、かなり体力が落ちておられて、うとうと眠りつつも、話しかけると返事はある、くらいの覚醒状態です。




 そんな長岡さんに話しかけてみると、長岡さんはしょっちゅう、仕事をしておられます。
 そして、さらによく話を伺ってみると、私たちの目の前で長岡さんはベッドの上で横たわり、現に存在しておられるのですが、長岡さんの生活は「今、ここ」にはありません。


 ある日、長岡さんに話しかけてみると、鮎釣りにでかけているところでした。
 その次の日、話しかけてみると、畑にでかけるとのことでした。
 その次の日、話しかけてみると、昨日は忙しくて、畑仕事ができなかったとのことでした。
 そして、またしばらくして話しかけると、近所の建築屋さんと話をしているとのことでした。




 長岡さんのお部屋に行くと、私は必ず、こう声をかけます。
 「今日は忙しい?」

 長岡さんは、「いや。」と答えてくれます。



 ご家族によくよく話を聴いてみると、長岡さんはまだ元気に仕事をしていた時期のことを話しておられるようなのです。
 
 そして、よくよく、長岡さんとご家族に話を聴いてみると、長岡さんの「せん妄の中での生活」は少しずつ、時間の経過すらあるようで…。



 ポンは長岡さんの話を聴くたびにいつも思います。

 お、お、面白いっ。
 なんて感動的なせん妄っ。



 終末期のがん患者さんにせん妄が生じたときには、患者さんが今までとは人が変わったようになってしまって、ご家族がとてもつらい思いをすることが多いものです。
 長岡さんの場合には、せん妄に対する理解が得られています。
 それは、
 ・長岡さんの経過が長期に及んでいること
 ・ご家族にできるだけのことはしたという気持ちがあって、患者さんのそばにいる時間があること
 ・経過がゆっくりなので、ご家族に心の準備の時間があること
 ・これまでに家族のつながりは深くなかったけれども、今の状態をきっかけに家族の絆が生まれていること

 こんな幸いな要因があって、ご家族は長岡さんのせん妄にゆったりと向き合っておられます。



 長岡さん。
 あまりにもナースコールの線や点滴のラインをいじくりまくるので、見るに見かねて、ご家族が延長コード(コンセントに差し込むやつね)を使ってもいいかどうかと尋ねてこられました。
 これに関しては、コードが電源につながっているということで、いくら電気工事をされていた長岡さんといえども、危ないかな、と思って、ポンから、別の提案。


 思いっきりいじくれるような「紐」をベッド柵にくくりつけてみては…?


 長岡さんの作業に見合う「紐」は何がいいかな?
 皮膚を傷つけたりするものはだめだし…。


 このことをスタッフに相談しましたところ、点滴のラインのチューブ状になっているところだけを切り取って、その周りにビニールテープを巻いて、2本を縄状に編むのはどうかな?と提案がありました。
 スタッフに作成をお願いして、その「紐」を柵に括りつけました。

 長岡さんはそれを必死に触っておられます。


 
 さてはて。

 長岡さんは、ご家族や医療者からみると、「現実の」病院での生活を送っておられます。
 これは、客観的な世界。
 しかしー。長岡さんはせん妄の世界、長岡さんが健康だった時代で生活をしておられます。
 
 この2重の生活。
 
 ポンはなんだか、長岡さんの器用な生き方に関心してしまっております。
 
 長岡さんに「しんどい?」って聴いたら、「しんどい」っていいつつも、「うちはすぐそこだから、大丈夫。」ってしんどいながらも、何とかなるって長岡さんは教えてくれます。


 長岡さんが2重の生活をしておられるのなら、私たちだって、長岡さんの2つの生活を長岡さんのペースに合わせて、行き来しなきゃね。


 
 こんなに、せん妄に対して興味と感心を湧かせてくれたのは、長岡さんが初めてです。
 

 

ぼやいた後・・・

2012-06-03 03:32:59 | 
 今日はせっせと勉強会の資料を作っていました。


 どーも、たっぷりとぼやいた後って、自分の性格上、なんだかもやもやしてしまう…。
 

 前回の記事の内容っていかがなもんかと、現状に対して「三行半」という風に思いたくない私がそう囁きます。


 とほほ。


 今の組織では、変わらないものがあまりにも大きくて、変えられないものになりつつあります。
 今まで、何とかしたいと思ってもがいてきたのだけど、ことごとくうまくいかなった失敗経験が自分のエネルギーを奪いつつあることは間違いありません。


 それでも、今の自分があるのは、苦しんでいる患者さんがいるから…といいたいところですが、
 それ以上に、がんばろうとしているスタッフがいるからというのが大きくなってきています。


 今日、作っていた勉強会の資料は、私の役割だから、というよりは、やる気のあるスタッフに心を動かされたから。
 一般病棟のスタッフが緩和ケアをがんばろうとしてくれている。
 うちの病院全体では、緩和ケアに関心が低いという現状があるので、そんな中、やりたい!と思ってくれているスタッフがいて、奮闘しているとなると、私も動かないわけにはまいりません。


 自分としては、がんばろうとしているスタッフに助けられていて、感謝の気持ちを抱いているのですが、何よりも、このスタッフのやる気をここで台無しにするわけにはいかないという思いもあります。


 
 今、目の前にある課題を何とかクリアしようとするための勉強会を開きたいと思っています。
 そして、できるだけスタッフとコミュニケーションもとっていきたいと思います。いろんな声を聞かせてもらおうと思っています。
 課題がうまくクリアできればとても嬉しい。
 だけど、結果が出せなくても、課題に取り組むプロセスから生まれる、今までとは違う何らかの成果を期待して…。


  
 ぬぉぉぉぉおおおぉぉ~~

 何かが生まれることをお祈りしよう…。
 (神頼みかいっ!)

 
 

最大級並みのぼやき

2012-06-01 23:05:22 | ぼやき

 
 プロとして、その誇りと使命を請け負うことなく、日々の「やっつけ」仕事が最善とする姿勢は、専門職として最低だと思う。
 患者さんからの苦情は、「やっつけ仕事」がきっかけのことが多い。


 現状でうまくいかないことは、自分以外の誰かに問題がある。
 自分には問題はない。



 そう思うことはとても危険。


 
 楽な仕事、なるべく手間のかからない仕事がいい。
 仕事の手間は「とてもしんどいからこれはだれかがなんとかすべきこと」とあまりにも自分不在のアピール。

 このタスクをこれこれの感じで、いつまでの期限でお願い。
 そのお願いは通ることはまずなし。


 これこれがうまくいってないので、必ず守ってほしい。
 そのお願いは無残に葬られる。


  
 




 緩和ケア病棟では、特に、
 そんなスタンスでは、患者さんのケアはできない、そう、ポンは思う。



 これまでのうちの緩和ケア病棟の在り方に、そろそろ、マイ・ボルケーノ爆発っ状態な毎日。
 何度も、いろいろな試みはやってきたけれど、万策尽き果てまして。
 そして、ようやく、今の環境は自分には合わない、と気持ちとして決断することができました。


 だからといって、馬車馬のポンとしましては、日々の時間が仕事に追われてにっちもさっちもいかない状態。



 
 もう、限界っ。



 ごめんなさい。
 こんな愚痴を言わずにはいられなくて。





 小さな灯火のような希望は見えていますが、自分にとっての逆境があまりにも手ごわすぎて、それに対する手立ては、そこから逃れるしかないといった状況に追い込まれてるポンでありました。