緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

素敵な思い出

2016-09-27 14:05:05 | 患者さん

これは、須藤さん(仮名)が作ったもの。


あまりにも素敵なので、写真を撮らせてもらいました。




須藤さんはとてもゴージャスな生活をされているお方で、その生活スタイルにはついていけないところがありましたが、決して傲慢になることなく、自分の信念を貫き通しつつ、ポンのいうことにもちゃんと耳を傾けてくださる方でした。

人間としてもとても尊敬できるお方でした。





ADLが保たれている時間が比較的長かったので、一緒にロビーにいって、景色を眺めながら色んなお話をしたなぁ。





人生の大先輩にもかかわらず、私が友達に話すような感じでトークしても、ちゃんとついてきてくださって。


私のお話に大爆笑してくださって、「病気になってから、こんなに笑うことができるなんて、思わなかった」と感動までしてくださって。

その感動している様をみて、私の方こそ、その感受性の豊かさにびっくらこきました。






須藤さんが亡くなられた後、ご家族が病棟にご挨拶に来てくださって、須藤さんの手作りの造花の花束をいただきました。

素敵だから、おうちのインターホンの受話器に括りつけました~



ありがとう。




こりゃ、まずいわ

2016-09-10 14:37:27 | 患者さん

財津さん(仮名)とのお別れがありました。

私の担当の患者さんではなかったのですが、看取りを自分がすることになったので、ご家族といろいろとお話をする中で、思い出せることがたくさんあった患者さんでした。


財津さんは嚥下がうまくできない状態でしたので、食事はペースト状のものを食べておられました。

そして、高次脳機能障害のある方でしたが、ポイント、ポイントでの喜怒哀楽の表現に、すごーくインパクトがありましたので、とても楽しくお付き合いさせていただいてました。


忘れられないのは、食事の介助をしている時。

ペーストの食事って、食べ物の形がなくなっているので、パッと見ではそのメニューが何なのか、わからないんですね。

ペーストになっちゃうと、臭いを嗅いでも何かわからないことが多くて…。

だから、メニュー表をしっかりとみて、「〇〇だよ」って声をかけながら介助してました。



時々、財津さんは、口の中に食べ物が入ると、びっくりするくらいの変顔で「それはいらん!!!」という表現をされることがありました。

この顔がすごすぎて。

そのまま、金剛力士像にでもなりますか?ってくらいの顔でして…。

その顔を見ると、私も「うぎゃーーーっ」って表現をして、めいいっぱい、「そんなに、まずいか、すまんな、すまんな」のお返しをしてました。

最初は、その財津さんの反応をみると、その食べ物をあっさりと諦めてました。

何度かその反応に遭遇した後、私も、その「それはいらん!!!」的おかずを口にするようにしました。



どれどれ…。


栄養士さんや調理師さんには申し訳ありませんが、食べてみると、「これはくそまずいわ」というものもありました。

そんな時には、財津さんも、そりゃ、そうやろってな反応をされておりました。




食事介助でこんなにインパクトのある患者さんって、久しぶりやなぁ。

何より、あの、まずい!!の顔を見るのが、財津さんには申し訳ありませんが、ちょっと、楽しく感じていたりして…。



お別れはさみしいけど、出会いと思い出に感謝です。





この状態…なんと呼ぶ?

2015-05-22 22:09:00 | 患者さん

 スパゲティ症候群なんて言葉があったっけ。


 gooの辞書によれば、「病気の治療や救命処置のために、たくさんの管や電線などをからだに取りつけられた状態」って書いてあった。


 おしっこの管、点滴の管、気管内の管、心電図のラインなどなど…。


 
 緩和ケア病棟でも、状態が悪化して症状緩和のためにラインが多くなりがち…。



 




 そうそう、金本さん(仮名)の体からもたくさんのラインがにょにょにょんと出ています。



 でも、かつての??スパゲティ症候群とは違ったお姿。



 もちろん、治療のためのラインも致し方なく出てます。



 おしっこの管、点滴の管(これは必要な時だけ)、胃管(鼻から胃までの管)、持続皮下注射のライン、酸素の管…。



 これくらいなら、なんてことないのですが…。






 金本さんがお風呂に入る日。
 私が担当でした。



 お風呂にお連れして帰ってきたのですが、そのあとにひどく時間を要しました…。



 それは…。




 金本さん、人生を歩んで60年以上、彼は「ハイテク?電子機器」をこよなく生活の友とされているお方だったのです。



 iphone、ipad、ポケットモバイル?、ノートパソコン…などなど。


 この電子機器たちはいつもコンセントにつながれています。

 枕元にはこれらの機器がずらりと並び、その機器のラインときたら…。

 顔には前述の酸素のチューブ、胃管のほかに、ヘッドフォン。
 




 体から出る、そして体を取り巻くラインの数が半端ない!!!!



 ラインの多くは、機器が落ちないようにベッド柵にぐるぐると固定(実際はからまっている感じ…)されており、お風呂に入るために外したベッド柵にライン類を元通りにするのにすんごい時間がかかってしまった…。




 おそろしや…。



 元通りにするのに一応、少しはこれはこれくらいの位置…と記憶しておいたのですが、数が多すぎて間に合わない…。



 すると、やや(いえ、かなり)こだわりの強い金本さんは、


 「違う!」「あ!それは電源とったらあかん!!!!!」


 お叱りを受けること多々…。



 

 お風呂の後に機器類のラインを戻すのがどんなに大変だったか…。


 ・・・・ということが主旨ではないのに、ひどく時間がかかったことを伝えたくて、こんなに書いてしまった。





 閑話休題。




 以前なら…、昔なら、今の金本さんみたいな状態は見られなかったこと。



 60歳代の金本さんでこんな感じですから、これからの患者さんは、このような状態になる方もたくさんいらっしゃるのでは…、と思いました。



 もちろん、こんなに体がラインに取り巻かれることになるのも、患者さんがベッド上で生活しているからというのもあります。





 この状態、なんと呼ぶ?



 セルフスパゲティ状態?

 
 ラインライン状態?


 ラインフル状態?


 ライン・ベイスド・ライフ?


 

 はー、なんのこっちゃ。




 携帯電話やパソコンがベッド上の生活を余儀なくされる患者さんにとっては欠かせないアイテムであることには間違いありません。



 

お別れのタイミング

2015-02-08 19:15:59 | 患者さん

 3連休でした。やったー。


 連休直前の勤務は夜勤でした。




 岡田さん(仮称)は私の受け持ち患者さん。
 予後は週単位または日単位のところにきてるとみてました。


 ここのところの衰弱の早さが急に早くなってきたので、もしかしたら、自分の連休中にお亡くなりになるかもしれない…そう思いながらいつものように担当していました。



 担当の患者さんの消灯がほぼ終わったところで、岡田さんとの「もしかしたら」のお別れに備えて、手を洗うことにしました。


 以前にも記事にしたことがありますが、岡田さんの手からは臭いが…。


 いつもきれいにしていても、自分で動けるときの生活のように、頻繁に手を洗うことのなくなった手には、「きれいにしなきゃ」と迫られる臭いがいつもより早くついてしまうような気がします。



 岡田さんに声をかけてもほとんど反応は返ってきませんが、「夜にすみません…」と謝りながら、じゃーぶじゃーぶ洗いました。





 午前4時半。




 仮眠をとっている私を、相方が起こしにきてくれました。




 「岡田さんの呼吸が変です」って。





 私、ぼちぼち眠っていたんだけど、はっと目を覚ましました。
 


 ああ、きたか~~~と思いました。







 そして、数時間後、岡田さんは旅立たれました。






 お亡くなりになるタイミング。

 これをまたもや考えさせられました。



 岡田さんが亡くなったタイミングは、ご家族がどうしても離れるわけにはいかない予定を見事に外してのものでした。

 そして、私にまで気を遣ってくださったのではないかと…思いました。



 手を洗ったりしたから、準備がどどーっと整っちゃったのかな…。



 ・・・などなど、いろいろ考えさせられました。



 


 お別れはさみしいけれど、お見送りをさせていただけたことを心から感謝したくなるお別れでした。
 


 本当に、ありがとうございました…。


 



 


 

あけましておめでとうございます

2015-01-04 19:17:59 | 患者さん

 あけましておめでとうございます。
 


 「よいお年を」と同じく…、仕事がすでに始まっているポンは今日もご挨拶をいっぱいしました。



 さてはて。



 お正月なので、病院で年末年始を過ごしている患者さんには、普段、なかなか会うことのできないご家族の面会もあります。



 今日は、ひょっとしたら、これからの自分の目標になるかも?な出来事があったので、そのお話を披露させていただきます。





 ある患者さんのご家族がイギリスからおいでになってました。お孫さんだそうです。かわいいお顔をしたメンズー。
 

 イギリスにいる患者さんのご家族と患者さんはスカイプでお話をされていました。盛り上がっているようでした。

 お孫さんは、日本語は話せません、英語だけです。
 患者さんは英語を話せません、日本語と台湾語を話されます。
 イギリスにいるご家族は、日本語を話せません、台湾語と英語を話されます。

 (ややこしい)


 じゃ、このお二人はどうやってコミュニケーションをとっているのかというと、身振り手振り+スカイプで台湾語の話せるイギリスのご家族が英語でお孫さんに伝える、というやり方でお話されていました。


 この患者さん、どうしても毎日、排便処置(坐薬や浣腸を使って便をだすこと)をしないといけないお方。

 でも、今日はお話が盛り上がっているので、排便処置をするいつもの時間を、ちょっとずらすことにしました。



 午前中に処置をしないと夕方遅くまでずれこむこともあるので、できれば昼近くの時間には処置をさせていただきたいと思っていました。


 そのあたり、心得ておられて、ナースコールが鳴り、「お願いしまーす」と言われたので、準備をしようと思いました、が。




 彼にいったん、退室していただこうと思いました。

 さて。
 さて。



 どうやって、お孫さんにスカイプでのお話の中断の理由を説明しようかしら…。



 うーーーーむ。


 
 こんな時に、いい言葉が思い浮かばないっ!そこそこ、英語を読むことはできても、英会話のボキャブラリーは相当ひどい。
 あらためて、自分の情けない英語力を自覚。



 困ったー。



 排便=defecationとか、stoolとかの言葉が思い浮かびましたが、お孫さんに対して「べん」という言葉を使いたくなかった。
 別に、ありのままに伝えたらよかったのかもしれないけど、もしかしたら、もしかしたら、英語の使い方を間違って「くそをだすのだ」みたく、失礼な言葉になったらどないしよ、どないしよ、とか、一瞬のうちに考えあぐねました。



 
 で、とっさに言いました。





 「She will have a very important event from now!!!!」

 




 お孫さん、「OK!!!!」と言って、お部屋から出て行ってくださいました。




 やたーーーっ。

 何とか通じたー。



 
 使った言葉や文法がどうとか、しらん、しらん。でも、通じたからよかった。


 

 こんな些細なやり取りでどきどきしててどないすんねん!ほんま、情けないなぁ…。


 実は、今の病棟でこんなことを感じたのは初めてのことじゃないんです。
 
 話せる?チャンスはいっぱいあったのに、ボキャブラリーの貧弱さと勇気のなさでちーっとも話すことができなかった…。






 そう。

 この体験で思ったこと。




 英会話、やってみよ。




 でした。



 


 今年もよろしくお願いいたします。

 


見えるお方

2014-08-13 01:11:25 | 患者さん

 「見えるお方」に出会いました。
 見えるお方とは、単に霊感が強い人では片づけられないくらい、違う世界が見えるお方。


 この手の話、
 ポンは、全く信じていないわけでもないし、とっても信じているわけでもありませんが(いや、信じている方かな)、「見えた」ってお話は普通に聴くことができます。
 これまでも、この手の話を耳にする機会がありました。







 今の病院では見えるお方に出会ったのは初めて。
 いや、もしかしたら、いらっしゃったのかもしれないけど、お話をする機会がなかっただけかもしれません。




 中村さん(仮名)、男性。
 彼は、見えるお方でした。

 彼は躁うつ病の持ち主でしたが、何か、違ったものを感じさせられる人でした。



 ある日、スタッフから、彼は霊感が強いらしいということを耳にしたので、率直に尋ねてみました。

 「中村さんって、見えるん?」
 

 彼は、「うーん、そんなにでもないけど…。見える方かなぁ。」



 
 緩和ケア病棟には、彷徨っている人が多くいるとは聞いたことがあったので、彼に聞いてみました。


 ポン:「病棟には彷徨っている人がたくさんいるって聞いたことあるけど、やっぱり、ここも、おるんかな?」


 中村さん:「そうやなー。僕は病室とロビーしか行ったり来たりしたことがないけど、ざっと20人くらいはおるかなぁ。」



 


 「見える方」ちゃうやん。
 見えとるやんかっ。


 ポン:「その人たち、どんな感じ?」

 中村さん:「みんな、自覚がないねん。未だに、看護師さーん、せんせーって追いかけとるで。」



 


 その手の話、聞いたことがあるっ。




 この話をして以来、彼は「この手の話」をさらりと話してくれるようになりました。



 中村さん:「ポンさーん。昨夜はしんどかったわー。おばあさんが急に肩に手をぐっと回してきてな、離れへんねん。」

 ポン:「えええっ、それはしんどかったなぁ。大変やったなぁ。」




 ってな感じでして。




 中村さんは自分の病気の状態はとってもよくわかっておられたので、こうも言っておられました。


 「僕は、彷徨ったりせーへんのちゃうかなって思う。」



 うーーん。それって、どんな感覚?感じなのかよくわからないけど、きっと、すごいことなんだろうな。




 そして、中村さんはその話をしてそんなに日にちが経たない間に逝かれました。
 たまたまですが、中村さんの看取りに立ち会い、死後の処置やらメイクやらをさせていただくことになりました。


 ちゃんとお別れをすることができたのはありがたかったですが、無礼かもしれませんが、小さ目ですが、声に出して彼に話しかけたことは。



 「お疲れさん。天国に行ってや。彷徨ったらあかんで、彷徨わへんってゆうてたやろ。天国で、美味しいもん、いっぱい食べてな。ありがとね。」




 でした。



 忘れられない出会いとお別れでした。

 



 

とっても素敵な方からもらった、とっても素敵なスイーツ

2014-05-12 20:25:57 | 患者さん

とってもかわいいでしょ…。


これね。
大切な…そして、とっても素敵な方々からいただいたスイーツ。


インコちゃんのスイーツなんだなぁ。



賞味期限は5月8日でした。




賞味期限の切れたスイーツをいただいた理由は…。





いただいた方々はインコちゃんの大ファン。
おうちでもインコを飼っておられます。
病棟でもインコちゃんに会えるんだな、これが。
かわいいのっ。





んでもって、
インコ好きなもんで、
このインコちゃんのスイーツを買ってみたものの、
あまりにも可愛くて、
食べることができなかったそうです。



で、
自分たちは食べることができないから、
ブログをやっているポンにぜひとも受け取っていただきたい…ということで、
遠慮なくいただきました。


もちろん、
皆さん、賞味期限切れのものを私にプレゼントすることをとてもとても、
申し訳なく思っておられました。



なんの、
なんの。




少々の賞味期限切れくらいはどってことないさ、
という「食べ物観」(????????)を私が持っていることは、
有名な??(どこでやっ、病棟かっ!!、そうやっ)話で…(不明)。





今日、
早速、
食べたよー。


おいしかったでー。



ありがとう。



送り主さまやそのご家族みなさんの命や人生がずっと輝き続けることを祈りながら…。


ごちでしたっ。





思い出のハッカ油

2014-03-02 23:13:39 | 患者さん

 先日、遺族会がありました。


 私が気になっていた患者さんのご家族も参加してくださるとわかり、お会いできるのを楽しみにしておりました。


 なぜ、気になっていたかというと、患者さんがとても若かったから。
 そして、最後の結末があまりにも急すぎて、私も看取りの場で大泣きしてしまったからです。




 斉藤さん(仮名)は子どもさんを連れて参加してくださいました。
 まさか、お子ちゃまも来てくるなんて思ってもいなくて、お子ちゃまに会えたのも嬉しかったです。



 
 そこで、とても不思議なお話を耳にしました。


 
 そのお話の内容をお伝えする前に…。
 

 患者さんである斉藤さんは病気の進行で黄疸がひどくて全身のかゆみに悩まされ、入院された時には体中傷だらけでした。
 かゆみっていうのは、緩和するのが難しいなぁと感じる症状のひとつです。


 それと、感覚的に思うのが、黄疸がひどくてかゆみを訴えておられる患者さんの体って、体温が上昇しているわけでもないのに、体熱感が強いんじゃないかなぁ?ということです。
 体がほてるほど熱くて、かゆみがつよくて…。
 


 斉藤さんのかゆみを何とかしようと思ってヨモギローションを考えましたが、市販のヨモギローションにはアルコールの成分が含まれているので、傷がある皮膚にはきついかなぁ???と思い、購入を躊躇しました。

 それで、スタッフのみなみなに聞きながら、思いついたのが、『ハッカ油』。


 ハッカ油のすーすー感はきっと、かゆみにもいいだろう、皮膚にも何とかいけるやろ、と思い、氷水にハッカ油を数滴落として使うことにしました。
 
 

 氷水+ハッカ油で体を拭いた途端、言葉をほとんど発することのなかった斉藤さんが、

 『ああああ、きもちいいいいいいいぃぃぃ~~』

 と声をだしてくれました。


 


 というわけで、斉藤さんといえば、ハッカ油をよく使ったなぁ、という思い出もありました。





 さて、ここからが斉藤さんのご家族のお話。



 お葬式を終えて、家に帰った斉藤さん。
 
 おうちに帰って部屋の整理をしていたら、なんと、ハッカのにおいがしたそうです。
 自分たちの服や体を臭ってみても、臭わない。

 で、子どもさんもリビングでハッカの臭いがしたそうです…。
 「僕も臭った」と言ってました。




 ふむー。

 世の中は目に見える世界だけではないということ、信じていないようで信じている私。


 

 斉藤さんのご家族にも伝えましたが、それって、ぜーーーったい、斉藤さんが天国に行く前に、おうちに寄ったのだと思います。
 
 

 これって、斉藤さんと斉藤さんのご家族の絆の深さゆえじゃないかしらと思います。







 こんな話を聴きながら、斉藤さんのご家族みなさんが、周りの人にとっても支えてもらって、何とかやってますという笑顔をみれただけで、とてもほっとしました。



 ちなみに、あれからハッカ油は病棟に常時置かれております。

 



 

ばけて出てきてでも、会いたい気持ち

2014-02-14 20:02:46 | 患者さん

 ご遺族が病棟を訪れてくれました。


 何度か病棟に顔を出してくれていたのですが、ポンが不在のときばかりで、ようやく、お会いできました。



 このご遺族さん…、つまり、お母さん、20歳代の患者さんを亡くされました。




 日勤でとっても忙しかったけど、これは、ちゃんとお話を聴くタイミングだわと思って、ロビーのソファにどっかり座って、お話を聴くことにしました。




 患者さんに付き添っている時からいつも笑顔だったお母さん。
 その日もいつものような笑顔でした。
 普段の生活を送っていらっしゃるように見えましたが…。

 あまりにも若い年齢で子どもさんを失うことの心の痛みは、痛いほど伝わってきます。



 
 「まだまだ、しんどいんやないの?」



 そう聞いた途端、お母さんはぼろぼろ涙を流し始めました。



 「泣いてばかりで、みんなにそんなんじゃあかんっていわれるし、あの子もあんまり泣いてたら、ばけてでてくるんじゃないかと思って…。」
 と、お母さん。


 「うーん。でもなぁ、ばけてでも、でてきてもらいたいんとちゃうん。」
 と、ポン。




 そしたら、お母さん、
 「そうやねん。出てきてくれるもんなら、会いたいわ…。」



 そら、そうやろ。
 そうやろ。


 

 
 緩和ケア病棟とはいえ、20歳代の患者さんに出会うことはそう多くありません。
 ですから、余計に印象に残りますが、この患者さんのことは忘れられないものがあります。


 こんな若い人を、病気は哲学者に変えてしまうのかしら。
 そう思った時もありました。
 
 この患者さんなりに、精いっぱい生きている姿を見せてもらいました。
 

 


 

 まだまだ、周りの人には、泣いてばかりで、そんなんじゃあかんといわれるとお母さんはおっしゃってました。


 「そんなんじゃあかん」
 大切な人を亡くした方に対してよくいう言葉かもしれませんが、これほどつらい言葉はないのではないかと私は思います。
 泣きたい時に泣けることこそ、まだまだつらい時期には必要なことですから…。



 『泣きたい時には、泣ける場所でしっかり泣いてね。それが弱いってことには全然、ならへんねんで。前に進むためには…、前に進むって、ちょっと言葉が違うかもしれんけど、今を生きるには、泣くことはとっても大切やねん。泣いてええねんで。』




 お母さんはとっても安心して帰られました。


 いえ、ほんのつかの間の安心でしょうけど。
 




 今度、お母さんと患者さんのご兄弟(子どもさんね)に会う予定を立てようと思っています。
 
 私も会いたいから。
 お話をしたいから。



 


名前を呼んでもらえなくたって、私はそばにいますからっ

2014-02-01 00:22:45 | 患者さん

 以前の記事に書いた患者さん、松並さん(仮名)。



 徐々に体力の低下が目立ってきて、今までに増して、ご家族がお部屋に滞在する時間が長くなってきました。




 松並さんのお部屋に行くと、少し調子がいいときには、担当のご挨拶に行くと、松並さんは、手を振って歓迎してくださります。


 
 嬉しいことに、ご家族にポンを紹介してくださりました。





 「六文銭の看護師さん。」




 ふぁ~~~~~っ。
 




 私、そないゆうほど、幸村に詳しくないから~~~っ。




 ちょっと、たじたじしながら…、私もご家族にご挨拶。



 
 ただ、体力が落ちてくると、記憶や注意力など、認知機能も健常な時に比べて低下してきますので、患者さんの会話はおぼろになります。
 ですから、ポンの名字は松並さんには残っておりませんでした…。



 松並さん、「六文銭の看護師さん」とご家族に私を紹介してくださったあと、私の名前を考え込んでおられました。



 

 こんな場面、今までに何度も経験しております。
 自分の名字を呼んでもらえないことは、ほんの少し、残念ではありますが、顔を覚えてくださっているだけで、それだけで光栄ってもんです。
 でも、自分の名前を呼んでもらえることに、多少は嬉しさもあります、本音ではー。
 でも、そんなこと、些細なことです。



 この場面に遭遇した時には、いつも同じセリフを言ってます、最近。




 『あああああ、ええねん、ええねん。大したことでないことは、覚えんでもええねん。私、また来ますからーーーっ。』





 患者さんにとっては私の言葉は何の支えにもなってないかもしれません。

 だって、患者さんにとって、記憶力が落ちてしまったり、自分の言いたいことがうまく伝えられなかったり、会話がうまくできないことは、とてもつらいことですから。
 
 患者さんが、自分の名前を呼ぼうとして必死に自分のエネルギーを振り絞ってくださっていることは十分にわかっているつもりです。



 でも、私には、自分の名前を想起して呼んでもらうよりも、もっともっと大切なものが患者さんにはあるから、自分の存在は二の次やん☆って思うことが多々あります。



 患者さんにとっては、想起したいことが想起できないことはとてもつらいことではあると思いますが、それでも、想起しづらい状態にあっても、なんとなくでも、患者さんの記憶からさほど離れることなく、すっかり密着することは無理でも、体力の低下した患者さんとの「可能な」距離を保ちつつ、そばにいれたらいいなと思います。



 


 おかげさんで、幸村自体への所縁よりも、松並さんのおかげで幸村への愛着が増しそうな、今日この頃です。





 

 私は、松並さんの笑顔を見たいとがんばりつつ、松並さんがどんな表情をしていても、どんな状態であっても、松並さんのおそばにいるつもりです。



 



良薬は、患者さんが好きなお話

2014-01-06 23:48:17 | 患者さん

 松並さん(仮称)は、骨転移の痛みにずっと悩まされていました。


 骨転移の痛みに対して、放射線療法ができる病院で放射線療法を受けて帰ってこられた松並さん。


 このところ、痛みが少しばかり、ましになったみたいです。
 レスキュードーズの回数が減ってきました。



 
 よくあることですが、痛みが和らぐと、心の痛みが露呈されてきました。


 「私には痛み止めよりも、こうやって、やってもらっている方がいい…。」




 お話を聴きながら肩に手を回したり、背中をさすっていると松並さんはこんな風におっしゃいました。



 


 がん性疼痛に対しては、基本的に薬物療法がきちんと行われていることが大切なのですが、人間のつらさにとって、薬物だけでなんとでもなるということは、つらさが強くなるほど、あまりないと思っています。
 薬物プラス、必要なものがあります。

 そうそう、松並さんもその通りでして…。



 松並さんの痛みは骨転移によるものですから、完全に緩和されたわけではありません。
 少しは残ってます。
 でも、「しのげる」くらいには落ち着いてきました。





 そこででてきた、痛みと同様な、いえ、痛み以上の?つらさ。

 
 『さみしさ』



 一言でいうと、さみしさと片づけられますが、さみしさというのは誰かがいてくれれば解決するような、そんな簡単なものではありません。



 しかも、私たち看護師も、多忙が業務がゆえ、ずっと松並さんのそばにいるわけにも参りません。
 あ、松並さんも、それは望まれておりませんでした。





 で。
 (いつも、『で。』の言い回しやな)




 検温の時にふと、松並さんが言っていた言葉。


 「昨日、息子が来てくれて。歴史の話を2時間くらい、したんよ。それはそれはいろんな話をしてね。息子があらためて私の部屋を整理してて、お母さんって、こんなにいろんな本を読んでたんやって感心してたわ。私、歴史が好きなんよ。おかげで、痛みもしんどいのも忘れてた。」




 これを聞いた、ポンは、
 「息子さん、ナイスっ!!!」と思いました。
 


 
 こういう「痛みを忘れられる時間」というのは、疼痛マネジメントにはとても大切だと思います。
 自分としては、こういう時間は、「本来の自分」に戻れる時間だからこそ、痛みも忘れられるのではないかと思っているからです。




 で。
 (また、きたっ)



 ポンもちょっくらがんばりました。



 実は、ポンは歴史にはからっきし弱い。
 ホンマに。
 学生自体には散々でしたのよ。



 でも、大人になって、自分が住んでいる場所やら、旅行した場所やらで歴史に触れる機会もあって、なんとなく、触れた「歴史」を、自分のキャパを総動員して、松並さんとお話しました。



 その一部分が…。





 真田幸村。


 実は、ちょいと真田幸村に所縁があるところに住んでいたこともあって、以前、マニアックなお店で幸村の扇子とヘアピンを購入していたポンでありました。
 そうそう、幸村といえば、六文銭。

 そんな話を松並さんと延々話をしておりました。




 そして、ありがたーいお言葉をいただきました。





 「ああ、こうやって歴史の話をしてたら、すごく調子がいい…。」




 緩和ケア病棟に入院する当日、自分はもう、死ぬんだと思って涙を流した松並さん。
 よくあることですが、入院してみると、緩和ケア病棟は「単に終わりの場所」ではないことに気づいていただける。。。。

 松並さんもそんな感じ。



 痛みには薬だけじゃないのよん。
 
 そんなことを松並さんに体感していただけました。
 
 思わず、私の方が、歴史の話をしながら…、
 「これが緩和ケア病棟なんですよ~」とアピールしてました。


 松並さんも、超(言い過ぎ?)納得。




 また、今後、松並さんとの歴史的?つながりのお話をお伝えできればと思っています。
 続きがあるのですー。


 


お気遣い、ありがとう☆

2013-11-12 19:44:32 | 患者さん

 今日も近藤さん(仮名)は眠れません。
 
 近藤さんは93歳、90年以上も生きてこられた、とても立派なお方です。

 
 さて。ご高齢であるにあたり、近藤さんの不眠に対しては普通通りには参りません。
 睡眠薬を使用すると、翌日に残って日中に眠ってしまう。そして、嚥下も悪くなり、面会に来られたご家族ともお話ができない…。
 ご家族からは、自分たちが面会に来たら、話ができるようにしてもらいたい、とのご希望もありました。

 そんなこんながありまして、睡眠薬はほんのちょっとだけ使うことにして、後はご本人に生活リズムに合わせて様子をみてみよう、ということになっています。

 
 近藤さんの睡眠のリズムは本当によくわかりません。
 同じ量の睡眠薬を使っても、ちっとも眠らない時もあれば、何だか眠っているような時もあったり、いつまで起きておくんだろう?と不思議に思うくらい、何日か覚醒し続けるときがあります。
 ふと、かまとばあちゃんみたいに、何か、睡眠と覚醒に近藤さん自身のリズムがあるのかしらん?と思いましたが、そのようなお決まりのリズムというものはなさそうです。




 ある夜勤の夜。
 近藤さんは眠れないので、ナースコールの嵐(=特に用事はないけど、ナースコールを押しまくること)に「なりそう」でした。
 
 あ、そうそう。近藤さん、せん妄もありまして。
 せん妄に対しては薬剤も使用しているし、せん妄自体がおつきあい可能な範囲ですので、様子をみるしかありません。
 この夜は、混乱はそんなにひどくないな、と感じました。



 だけど、眠れない…。
 
 お部屋に行くたびに、目が「らんらんらんらん

 
 ナースコールの嵐を察知したポンは、これは何とかせなあかん!と思いまして、コールが鳴る前に、ちょこちょこと近藤さんのお部屋に向かいました。

 
 ポン:「眠れへんの~~~?」
 近藤さん:「(こっくりとうなずく)足が重いねん」




 ああ、そうか、お布団が重たいのか。
 そうか、そうか…、お布団を軽めにしよ~っと。

 お布団ね…と手に取ってみたけれど…。




 ふと気が付きました。
 ああ、病院のお布団って、なんて重たいんだと。
 

 
 病院の布団は高級な羽布団のように素敵なものではありませんから、
 この93歳の小さな体の近藤さんにとっては、病院のお布団の重さ自体が耐えられない苦痛になっていたんだろうね…と思いました。
 筋力だって、体力だって、ぜんぜーん十分じゃありませんからー。




 そういえばねぇ、冬になったら、自分ちの布団や毛布を持ち込まれる方の人数って、多いわよねぇ
 お布団が重たいっておっしゃる患者さんも多いわよねぇ…。




 今、入院されている小谷さん(仮名)(←別の患者さん)、小谷さんのお部屋には、デパートで購入したとっても素敵な羽布団が届いていました。
 すてきな羽布団が届いた日にお部屋に行ってみると、布団があまりにもふんわりと、もりもりっと、まるーく、ベッド柵よりも背の高い、小高い山になっていたので、一瞬、

 「きょ、きょ、巨大な亀がおるわ…」とポンは思ってしまいました。


 お布団にもぐりこむと巨大な亀に見えてしまう小谷さんは、夜になると薄手のダウンを着て(どんだけ厚着やねん)羽布団にもぐりこんでおられますが、とっても快適そうです。

 


 毛布だって、病院の毛布は重たいよねー。

 ポンだって、おうちであんなに重たい毛布はかぶってないもの…。



 不眠への対策、ひと~つ☆
 「お布団を軽くすること」→はいっ、申し送り~~~~っ。

 これは、ご家族にご協力願うしかないのですがね…。


  
 この夜、なんぼか、近藤さんとお話をちょこちょこしながら、一緒に過ごしました。

 近藤さん、おむつ交換が終わったあと、ポンにねぎらいの言葉をかけてくれました。
 (近藤さんは優しいっ)






 「ありがとう。あんたは(おむつを)変えんでええんか?」





 

 わ、わ、私って…。
 近藤さんには、どんな看護師さんにみえてるんやろ…いや、看護師さんにみえてなかったんやろうか…。


 
 ポン:大丈夫っ、私、自分でトイレにいけるからっ。ありがとっ。
 



生きてることがすごいのよ

2013-09-14 01:54:43 | 患者さん

 小沢さん(仮称)は、先日、お亡くなりになりました。



 小沢さんは、心から尊敬する人の一人になりました。
 
 

 小沢さんの心の痛みは毎日、言葉になって溢れていました。
 溢れる…、うーん、この表現だけじゃ足りないくらい。
 気持ちが体中に充満して、行き場がなくなって、体のあちこちから漏れだして、お部屋中に漂っているような感じ。



 小沢さんはいつもいつも、それこそ、毎日毎日、
 「こんな姿で生きていても意味がない」「こんな状態で生きているのは地獄だ」「早く死にたいです」と話しておられました。
 涙もよく流されていました。



 小沢さんはご親族の複雑な問題を抱えておられました。
 思い出を語ろうものなら、ご親族に対する恨み節が炸裂して、かえって心が痛んでしまう、そんな状態でした。

 
 小沢さんの話をみんなで繰り返し、聴きました。
 奥さんも毎日、毎日面会に来てくださっていました。


 
 私は小沢さんの話を聴きながら、いつも思っていました。
 

 「神様、早く、小沢さんをお迎えに来て…」


 残酷なことを考えていると思われるかもしれません。
 けれど、これに関しては奥さんも同じ気持ちでした。
 もちろん、できるだけ長く生きてもらいたいという気持ちと、苦しいなら長く続かないでもらいたい…、そんなアンビバレントな気持ちです。

 
 人間は、自分のことが自分出来なくなると、この上ないつらさを抱えて生きていくことになります。 
 自分のことが自分でできなくなると、自分の生きている価値を見いだせなくなります。
 まさに、小沢さんはそんな状態でした。

 そんな時、私たちは患者さんのこころの痛みをできるだけありのままに受け止め、「それでも、あなたは生きているだけで、そこに存在していることに価値があるのですよ」というメッセージを送ります。
 

 小沢さんのご家族をはじめ、スタッフみんなであれやこれやとケアをしているうちに、小沢さんは憎しみを抱いていたご親族の「痛みがわかった気がする」と話されたり、ご家族やスタッフに出会えたことに心から感謝しておられました。


 私は、「死にたい、死にたい」とおっしゃっていた患者さんが、死にたいと思うくらいつらい状況にある患者さんが、こんなことをおっしゃるなんて…とその変化に感心しました。
 あらためて、びっくりしました。
 やっぱり、人を支えるのは人なのだ、と。


 いえいえ、それ以上に感心したのは、小沢さんを支えた人々だけではなく、小沢さんの生き様でした。






 小沢さんの話を聴いていると、小沢さんの生きていることのつらさを感じて、一緒に泣いたものです。
 つらい、つらい。つらいって言葉じゃ語りきれないくらい。そんな状況の中にある小沢さん。

 それでも、小沢さんは生きている。
 自分の命を放棄することなく、生きている。
 「死にたい」とはおっしゃるものの、死のうとすることもなく、生きている。
 その姿に私は、月並みな言葉ですが「すごいなぁ」と感じていました。



 「小沢さんは、ここ最近出会った、私の中で尊敬する人なんですよ」
 私は言葉で、小沢さんにお伝えしました。

 

 
 こんなにもがんばっている。
 だから。
 神様、早くお迎えに来て…。


 実は、神様に真剣に「早くお迎えに来て」とお祈りしたのは初めてでした。
 いつものお祈りの内容は、早くお迎えに来てほしいというよりも、「どうぞ、この苦しみを少しでも楽にしてあげてください」なのです…。



 

 小沢さんに出会って、
 生きているということは、どんな状況であっても、とてもすごいことなんだと、教えてもらいました。
 ベッドで寝たままになっても、生きていることだけでもすごい…。
 





 「生きていくって、大変やなぁ」
 「自分の体とおつきあいするって、とっても大変やなぁ」
 
 小沢さんとよく、こんな会話をしていました。
 そうそう。生きるってとっても大変なこと。
 だから、生きているってすごいんだよね…、
 ねぇ、小沢さん。



 

せん妄の患者さんから学ぶ

2013-08-14 01:20:54 | 患者さん

 増田さん(仮称)は、せん妄になっています。
 
 
 がんの終末期の患者さんにはせん妄はよくみられます。

 
 過去にせん妄の患者さんのことは何度か書いてきました。


 やっぱりですね。
 せん妄の患者さんは、一見、「せん妄」という意識混濁のために「つじつまの合わない」「わけのわからない」「ちぐはぐな」言動をとるように見えますが、意味があるように思えて仕方ありません。
 その言動には、患者さんがその時に伝えたいことのメッセージが込められているということです…。



 
 増田さんと、夜勤でお付き合いすることになりました。

 4時くらいまでは眠っていただけていたのですが、それ以降は15分おきくらいにナースコールが鳴りました。


 
 増田さん、かなり気が短くて、思い通りにならないと、ぴきーーーんっと怒りをあらわにして、時にはナースの手や背中などなどをぴしっと叩いたりします。
 それも仕方のないことと思えます。
 増田さんは頭頸部がんの患者さんで、発声ができないのです。
 増田さんとのコミュニケーションは、筆談とジェスチャーと…、それと。
 増田さんとのお付き合いの中で蓄積された増田さんの人となりや生活を吟味できるかどうかにかかってきてます。


 

 で、増田さんとのやりとりで、ほほーーと思ったことが。


 新聞屋さんのように早朝に目覚めた増田さん。
 唐突に、着替えをしたいとおっしゃった。
 
 増田さんのパジャマの上着は、唾液や痰で汚れていることが常。
 ご希望通り、上着を着替えていただいた後、増田さんはズボンも着替えたいと言いました。

 ズボンは汚れてはいなかったけど、着替えたいとおっしゃるなら…。持ってこようかぁ、そう思って部屋を出ようとしたのですが、増田さんはさらにボードに書きました。


 「色をそろえたい」


 
 病院が貸し出すパジャマって、水色のしましまなのですが、サイズごとに襟や袖、裾などに違った色のラインが入っています。
 増田さんの来ているパジャマの色は、茶色。


 一瞬、私が上着とズボンのサイズを間違って渡してしまったか?と思ってみてみましたが、上下ともに茶色でした。
 

 そして、私はいいました。
 「増田さん、この色は合ってるよ。」



 そしたら、増田さん、息を荒くして怒り始めました。
 違うっと私を払いのけるように手をさささっと振り回しました。



 増田さんはぷいっとそっぽを向いて、諦めたかのように寝転がってしまいました。




 着替えるっていってもなぁ、汚れてないし、色をそろえるって、どういうこっちゃ???
 しばらく、増田さんのそばにいて、考えちゃいました。

 何も考えず、さっさとズボンをはきかえてもらったらそれでよかったのかもしれません。
 そうです、考え込むことは何もなかったのでしょうけど、考えちゃいました。



 で、ふて寝しているような増田さんの姿をぼーっと眺めながら、ふっと気が付きました。


 おおお、よーく見てみると、上下のパジャマの水色のしましまの色の濃さが違うぞーーー。
 そうそう、病院のパジャマって、何度も洗濯すると、色褪せているものも結構あるのです。


 
 で、ポンはリネン庫に行って、あまり色褪せていないパジャマを持っていき、増田さんに履き替えてもらいました。


 増田さん、履き替えてくれました。
 はい。



 
 増田さんが色褪せていないパジャマを着たかった理由はよくわからないままですが、増田さんがあの時にどうしたかったのかということがわかったような感じになったことが、何だかとても嬉しく思えました。
 

 せん妄の患者さんとのお付き合いは、時間がかかるし、「根気」も必要になってきます。
 うまくマネジメントができていないせん妄の患者さんが増えると、病棟業務がとんでもなく増えて、病棟崩壊(いいすぎかもしれないけど、本当にこの勢い)につながりかねません。

 
 せん妄の患者さんとかかわるのが面倒に思えることもしばしば。
 だって、ほかにも患者さんがたくさんいるのだから…。
 「もう、勘弁してよ」そう思うことだってあります。



 でもねぇ、そんな時こそ、丁寧に患者さんの言動を見守って、お付き合いするのって大切で、それが結局のところ、患者さんとナースの両者の時間とエネルギーを浪費しない方法だったりすると思うのです。

 あの時、「パジャマのサイズは同じだし、汚れてもいないのに、着替えなくてもいいじゃないか」で終わらせていたら、増田さんとのお付き合いは不十分だったのではないかと思います。
 
 

 ああ。せん妄の患者さんとのお付き合いの原点を振り返らされたなぁ。
 
 と、あらためて思いました。

 
 しかし…。
 あのせん妄、もうちょいと向精神薬の調整がいりますなぁ…。

 

その後

2013-06-06 23:53:56 | 患者さん

 あの痛恨の夜勤を終えた後の数日で、患者さんが5人ほど、亡くなりました。
 あの夜勤はあの夜勤だったんだ…、と思えるものがありました。

 そう、前回の記事に登場した患者さんはほとんど亡くなられました。

 そんな夜だったのですね…。



 お別れは重なるときはとてもびっくりするくらい重なります。
 そんな時、私たちはよく、「何かに引っ張られるような」という感覚を持ちます。
 誰かが引っ張るとも感じると時すらあります。


 
 正直、心の中では、「神様、そんなに慌てて連れて行かなくても…」と思うこともしばしばです。
 でも、本当のところなんて誰にもわからないし、理解しようとしなくてもいいことかもしれませんが、そうやって患者さんが立て続けに旅立っていかれることには何か意味があるのかもしれません。
 

 
 前回の記事に登場した、異常なほどの悪寒戦慄を呈していた患者さん。
 青木さん(仮称)、女性。

 青木さんはあの夜勤の数日後、本当に、びっくりするくらい急に旅立たれました。

 私には青木さんとの思い出があまりにもたくさんありすぎて、まだまだ明日も明後日も一緒に過ごせるとしか考えられなくて、今でも信じられない思いがあります。ご家族も同じようなお気持ちでした。
 青木さんは何度も何度もピンチを脱してきたお方でしたので、今回も大丈夫じゃないかという思いが私にも、スタッフみんなにもありました。



 青木さんは病気によって、食べたいものを思うように食べることができない状態でした。
 でも、食べたいものがたくさんある。
 
 あれはおいしいなぁ、これもおいしいなぁ、って食べ物のお話を一緒にたくさんしました。

 
 
 お酒も大好きだったので、担当医の許可をもらって、食べたいものを食べることができない状態なら、せめて…、たまにはいい思いもしてもらわなくちゃ、普通の生活で感じるような喜びを感じてもらいたいわーと思って、焼酎を買ってきて、病室で一緒に飲んだこともありました。
 (病室での飲酒は~~。緩和ケア病棟ではお酒を飲めるのをいいことに、ポンのケアの常套手段であります)
 焼酎を一口のんだ青木さんたら。
 まるで、ほんまもんのおやじのように、「あ゛~~~~~~っ」とい声をだして、とっても喜んでくださっていた姿が今も忘れられません。



 青木さんと一緒に口にしたかったものがいくつかあります。
 一つ目は、もちろん、焼酎っ。
 そして、お好み焼き。
 そして、そして、小倉マーガリン。

 

 小倉マーガリンは、あんこが大好きな青木さんが食べたことがないというので、一緒に食べたいねーってずっと話していたもの。


 ああ、本当に一緒に食べたかった。

 

 
 青木さんを思って、青木さんを偲んで、焼酎を飲んで、お好み焼きも食べました。
 ただ、小倉マーガリンはコンビニとかでよく目にするコッペパンなのだけど、それになかなか出会えないんだなぁ。
 

 今度、必ず、食べてみようっ。
 



 たまたまですが、青木さんのお部屋は数日間、空いていました。
 たまたまですが、忘れ物を取りに来られたご家族が空いている部屋を訪れ、涙ながらの語りを聴かせていただきました。
 
 




 まだ、あの部屋に青木さんがいてくれているような気がしてなりません。


 何とか、小倉マーガリンを、天国にいる青木さんに届けることはできないかしら…。
 真剣に考え込んでいます。